足元に潜む何か



「……ん、あ。……うあ?」


 目を覚ます。


 いつの間に眠っていたのかは曖昧だが、それでも目を覚ました以上は眠っていたのだろう。


 横たわったままの体勢から、上半身を起こして座り込む。


 くらくらとした意識の中、まず感じたのは痛みだ。結城陸斗は後頭部に重たい痛みが走るのを感じ取り、その鈍痛に顔をしかめる。


 軽く頭の後ろを撫でてみると、かなり大きなたんこぶができていた。


「痛っつ……」


 だが痛みのお陰で、セレナの呼びかけなしでも二度寝せずに済んだ。


「……?」


 怪訝な顔になりつつも、周囲を見渡す結城陸斗。状況を把握しようとする。


 だが、暗い。


 一寸先は闇とはこの事だ。先ほど後頭部を撫でた自らの手も目視する事すらできない。前後左右、そして上下。どの方向を見渡しても光源らしいものはどこにもなく、物音らしい物音も聞こえなかった。


 戦争時、空から落ちてくる爆弾から身を守るための防空壕の中では火を焚けなかったため、蛍を連れ込んでその光で本を読んだらしい、なんていうどうでも良い雑学を思い出す陸斗。だがこれは逆に言えば、蛍ほどの光がなければ字すら読めない事を意味している。


 そもそもここはどこなのか。


 体育館みたいな部室の電気を丸ごと落としても、こんな風にはならないはずである。


「……そうだ、部室だ。花恋と一緒に部室にいて……」


 と、そこまで記憶を辿ったところで脳が正常に機能を始めた。


 今の今までどうして忘れていたのか、意識が落ちる前に起こった出来事を鮮明に思い出し、そして少年は端的にこう言い放った。


「レアメタル‼」


『思い出していただけましたか、ボス』


「セレナ!?」


『ハロー、ボス。大声を出せる程度には健康そうですね』


「……そりゃどうも。というかスマートウォッチで俺の健康状態は分かるだろうに」


 左手首のスマートデバイスをくいくいしながらそんな風に言う陸斗。


 聞き慣れた秘書プログラムの女性の人工音声なのだった。


 ただしスマホが見当たらない。どこから声が聞こえてくるのかとキョロキョロ辺りをしてみると、座り込んだお尻の下に黒いスマートフォンが薄く明かりを放っているのを発見する。


「セレナ」


『ボス』


「何が起きたかの説明の前に背面のライトを頼む。全然周りが見えないんだ」


『オーダーを承認』


 ドラマだったか医療番組だったか、五感の中でも視界は八割の情報量を占める、という話を思い出す。


 やはり封じられた視界を一番に回復させようとするのは当然だろう。


 だが、周囲を見回して陸斗は首を傾げた。


「……なん、だ、これ……???」


 トンネルのような場所だった。


 フラッシュ部分を輝かせるスマホであちこち照らす。部室にいたはずが、彼が座り込んでいた場所は硬い地面だった。ゴツゴツとした硬い感触。色は灰色。壁も同じ材質で作られているのか、地面と同様な質感だった。


 スマホのライトと一緒に上を見上げてみるが、天井は見えなかった。灯りが弱過ぎて天井まで届かなかったのだろう。


 陸斗がいる場所自体はあまり広い空間ではない。


 左右の幅だけで見ると体育館の横幅と同じくらいだ。一方で、前後は広い。天井同様、スマホのライトが届かないところを見るに、深い闇に光が吸収されていると見て良い。


 やはりトンネルみたいな印象を与えてくる空間の奥を見つめながら、少年はスマホに向けてささやく。


「セレナ。どこだここ?」


『ボス。GPS信号では学校の部室となっています』


「……うん? こんな洞窟みたいな場所が?」


『はいボス。百聞は一見に如かずでしょう。こちらを見てください』


 そう言ってセレナがスマホの画面に映し出したのは、陸斗が気絶する前の映像だった。データ容量の問題上、二四時間で破棄されるが、常に彼のスマホレンズは周囲を録画しているのだった。


『本日、偶然にも撮れてしまったミス花恋のパンチラ姿は削除しましたのでご安心ください』


「いつ撮れたんだそんなもん!?」


 こういったプライバシー映像もセレナによる自動削除が行われているので、権利の問題も安心である。


 現代の技術をもってすれば、この程度は朝飯前だ。今はもう人工知能が表情を自動で判定して、幸せそうに笑っている画像だけでアルバムを作ったりもする時代なのだ。


「まあ良い。動画を再生しろ」


『オーダーを承認』


 端的に表すと、それは部室から落下する映像だった。


 部室の天井と床をぶち抜くように発射された分厚いレーザー光線によって、落とし穴ができた事までは覚えている結城陸斗。しかしそれからの記憶がない。あまりにも衝撃的だったのか、それとも頭を打ち付けた事によって一時的に記憶が混濁しているのか。


 とにかく、映像を見た少年はこう呟いた。


「……床が崩れたのか?」


『ええボス。レーザー光線によって穴の開いた場所だけではなく、その周辺の床も穴に雪崩れ込んだ、という事です。さしずめアリジゴクでしょうか』


「そして俺も巻き込まれた訳だ」


『ご明察です、ボス』


「はあ……」


 となると。


 となると、だ。


 たんこぶも気にせず頭を掻き、そして陸斗は半分以上パニックになりながら言った。


「待て、となると俺は今どこにいる!?」


『地下、という回答候補が最も有力である、という演算結果が出ています』


「……くそっ。落ち着け」


 まずは一つ一つ、気になる事を片付けていく。


 頭を埋め尽くす疑問が大量にある中、陸斗は最も重要な問題から口にした。


「セレナ。花恋のヤツは無事か?」


『ええボス、ご安心を。ボスの勇壮な行動により、ミス花恋は無事に建物の外に避難する事ができました』


「……よし」


 立ち上がる。


 トンネルみたいな空間の壁に背中を預けて、結城陸斗は頭の情報を整理するようにセレナと会話する。


「セレナ。花恋はパニックを起こしているはずだ。地下に飛び込むとか職員室に激突したりとか馬鹿な行動をさせないようにお前の方で抑制を促せ」


『ボス。すでに完了しています。無事もお伝えしました』


「優秀だな」


『ボスの秘書ですので』


「なら次だ。整理するぞ」


 片手を額に当てて、陸斗は静かに口を開く。


「俺はレアメタルのせいで部室から落下した。そして落下の衝撃で気絶した」


『おおよそ気絶していた時間は三〇分程度です。このスマートフォンのGPS信号は部室になっていますので座標が移動した訳ではないでしょう』


「……ここで一つ疑問がある」


『どうぞ、ボス』


「そもそもの問題なんだけどな」


 スマホのフラッシュ部分を上に向けて、やはり見えない天井にボソリと一言。


「……そもそも天井が見えないほどの高さから落下して、無事でいられるものなのか? 後頭部のたんこぶ以外、痛い所もないんだけど」


『一概には答えられません。もちろん絶対に死亡する高さ、というものはありますが例外はいくつも存在します。中には赤ん坊が車のタイヤにゆっくりと轢かれても、骨格がまだ柔らかかったために骨折の一つもない、という奇跡的な事例もあるほどです。運が良かったのか、何か明確な原因があったのか。こちらはいくつかの回答候補が存在します。物理法則に則った理論と同時に作成資料をご覧になりますか?』


「いや、今は良い。とにかく現状の整理だ」


 次に陸斗はスマホを爪でこつこつ叩いて、


「そういえば、地下なのにセレナと繋がってるな。電波は良好か?」


『特に電波障害や妨害電波といったものは感知していません』


「……ふむ」


 通常、地下は電波が繋がりにくい。


 電車なんかでも、トンネルに入った途端に電波が即死するアレを思い浮かべてもらえばイメージしやすいだろう。


 もちろんWi-Fiなどの専用の電波方式を敷いていれば問題はないが、電波が通らない場合が多い中、アンテナはしっかり全部立っていた。


(……地下、トンネル、見えない天井の高さ。これだけの悪条件の中で電波がクリア?)


 目を細めて訝しむ陸斗だったが、いつまでも答えの出ない事に唸り続けても仕方がない。


 ため息をつくと、今度はセレナの方から問いかけがきた。


『ボス?』


「……あのレアメタル、一体何なんだ……???」


『こちらも有力な回答候補がありません』


「なら」


 スマホのライトをあちこちに、特に床に向けて放つ陸斗はやはり見当たらない『それ』に再度ため息をついてしまう。


「……どうしてないんだ。一緒に落ちたはずのレアメタルがどこにも」


『なんと悲惨なのでしょう。一六歳にして国家に多大な損失を与えてしまいました。国際研究所との契約書、その責任者の欄にサインしたボスが未だ二つと発見されていないレアメタルを紛失したとなればその莫大な損害賠償金はわたくしでも演算が難しく……』


「怖い事言うなよ背筋ゾクゾクするだろ!?」


 絶対に取り戻す、と何よりも強く肝に銘じる平凡な高校生・結城陸斗。


 国際研究所の特別指定を受けた物質など、セレナをどこかの大学に売却したって全て支払えるかも怪しいレベルなのだった。


「と、とにかくだ」


『ええボス。冷や汗と顔色と心拍数が落ち着かない感じですが、今は置いておきましょう』


「レアメタルを見つけ出して、さっさとこの空間から脱出する。方針は分かったな?」


『オーダーを承認』


 一応、周囲を捜索してみるが、やはりレアメタルらしいものは見つからなかった。


 できればレアメタルが見つかるまではこの場を動きたくはなかったが、いつまでもここで宝探しをする訳にもいかない。それよりも部室に戻って捜索のための機材を持って地下に戻った方がまだ建設的である。


『ボス』


「何だセレナ、二人が気まずいとか言うなよ」


『とんでもありません。ただ、エスコートはわたくしに任せていただきたいと思いまして』


 ピピッ、という電子音が一度響く。


 五インチの画面に映し出されたのは、地図アプリだ。無料のものだがナビや細かい裏道、店舗の検索などにも使える随分と便利なヤツだった気がする。基本的にセレナに音声でナビをさせるため、普段少年は使わない機能なのだが。


「何かアテがあるのか?」


『わたくしを誰だと?』


「俺の可愛い娘だろ」


『大正解です、ボス』


 地図アプリにピンが立つ。


 よく見れば、それは隣街にある小さな遊園地であった。陸斗も小さい頃の夏休みは必ずと言って良いほど花恋と遊びに行った記憶がある。


「セレナ。これがどうした?」


『ボス。こちらのテーマパークには大きな流れるプールがあるのですが』


「ああ、覚えてる。花恋のヤツが泳げないくせによく行きたがってたし」


『テーマパークの園内イントラネットを調査したところ、地下には深さ約一〇〇メートルまで強力な水圧調整ポンプが設置されていました。ボスの地下の座標は分かりませんが、一〇〇メートルよりも下にいるという事はないでしょう』


「なるほど。……あの、不安があるんだけど」


『どうぞ、ボス』


「水圧系のポンプをどうイジって俺を助けるつもりな訳だ? 鯨の潮吹きじゃないんだからさ、水と一緒に高度五〇メートルまで舞い上げられるなんて冗談じゃないぞ」


『それは非常に愉快な発想ですが、流石に危険過ぎますね』


 セレナはスマホの画面にテーマパークのイントラネットから入手した情報を表示させる。


 プールの構造を見ると、確かに深さ一〇〇メートル程度までポンプが敷かれている。と、同時にポンプに寄り添うように、職員の通路が螺旋階段のように配置されていた。


「この職員用通路から脱出しろって事か?」


『いいえボス。内側はアナログ式のキーで施錠されています。しかし地下まで通路があるのであれば、脱出経路が存在する公算は高いです。たとえ経路自体がなくとも、地上の人間に助けを求める事は可能でしょう』


「ああ、そういう事か」


『ええボス。わたくしが「地下のポンプに異常を感知した」という嘘の情報を送り込み、システム側から警報を出します』


「テーマパークの従業員からすれば本当に異常があったようにしか見えないだろうな」


『そして様子を見に行ってみれば高校生の少年がいる、というのは流石に予想外過ぎるでしょうが、背に腹は代えられません』


 とにかく目標が決まれば行動開始だ。


 スマートフォンに映し出されるマップを頼りに、手元の灯りだけでやけに大きなトンネル空間を進んでいく。


 そして、結城陸斗は素直に技術の恩恵にそっと息を吐いていた。


「……それにしてもスマホ一つあるかないかで全然違うな。こいつがなかったらここがどこかも分からなかったよ」


『ボス。失礼ながら、わたくしがいるかいないかが問題なのでは?』


「セレナがいてもスマホがなかったら俺とコミュニケーションは取れないだろ」


『スマートウォッチのバイブレーションでボスを喜ばせられます』


「セレナ、言い方に気をつけるんだ」


『完全に誤解です。ボスの心が汚れているのです』


 バイブレーションの振動やら何やら言われても、陸斗はツートントンの信号の知識などない。セレナシステムは言語プログラムのアップデートが必要ありと心に銘じて、一人ぼっちの高校生はさらに闇の中を歩く。


 歌でも歌えば気が紛れるかもしれないが、足音すらもトンネルに反響して何だか怖い。


「……特にこういう空間は苦手じゃないはずなんだけどな」


『心拍数は正常です。ただしわずかに体温の低下を感知。ボス、周囲にばかり気を配らず、ご自身の体温も調節なさってください』


「……?」


 陸斗は少しだけ目を細めて、


「セレナ。外の気温は?」


『ボス。一八℃です』


「俺が今いる場所の気温」


『一五℃です。ボス』


「……地下だとそんなに気温差ができるのか? 普通、地下鉄とかは空気がこもって暑くなるようなイメージがあるんだけど」


『一概には断言できません。地形や気温を始め、そもそも人間の体温の感じ方は風や湿度などにも影響されますので』


「ふうん」


 とはいえ、上着が欲しくてもない袖は振れない。


 そういえば花恋と晩ご飯を食べる前にはシャワーにも入っていた気がする。湯冷めしない内にさっさと学校の部室に戻ろうと心に決める。


「あとセレナ。ライトが照らしている範囲だけで良い。床にレアメタルが落ちていないかを常に確認してくれ」


『オーダーを承認。……まあ、そちらはすでに進行中のタスクではありますが』


「……ほんとにレアメタル失ったらどうしよう。部長の雪先輩に何て説明すれば良いんだ」


『ドSのミス雪の事です。きっとボスが喜ぶご褒美を用意してくださる事でしょう』


「セレナはセレナで俺を何だと思ってるんだ?」


 そんな事を言い合っている時であった。


 陸斗がトンネルの天井を見上げたり、全然景色の変わらない光景を眺めるしかやる事ないなーと退屈している折だった。


 セレナが唐突にこんな事を言い始めたのだ。


『ボス。何か聞こえませんか?』


「あん?」


 足音を消すために歩行をやめて一時停止。


 眉をひそめて耳を澄ましてみるが、陸斗には特に何も変わらないように思える。闇の奥を睨みつけつつ、少し首を傾げてみる。


「特にこれといって」


『スマートフォンのスピーカーからわずかにノイズを捉えています。電波障害といった類のバグではなさそうなのですが』


「どういう音だ?」


『雑音というよりも機械の駆動音に非常に酷似しています。ただ、音の小ささから考えてもかなり距離は離れています』


「……トンネルは音が反響するよな。となると、目的地のプールの水圧ボンベの音でも響いてきているのかも」


『可能性は十分にありますが、そういった音とはやや異なり……




 闇の奥を見つめていたのは幸いだった。


 直後に、轟音を鳴らしながら、真正面から巨大な列車が突っ込んできたのだ。




「〇△♪◇▲〇×▼◎ァァァ‼!?⁇」


 何か訳の分からない事を叫びながら、とにかく横に飛ぶ結城陸斗。


 すぐに動けたのが不思議なくらいだった。もしセレナとの会話がなければ棒立ちのまま吹っ飛ばされ、衝突の衝撃で全身が魚のすり身のように卸されていたはずだ。


「なん、なん、ん、何だっっっ!?」


『ボス、落ち着いてください。どうか』


「一体何が!? ここは地下鉄じゃないはずだ!?」


『心拍数が急上昇中』


「死にかけたんだ、平常心でいられるか‼」


『それもそうですね。わたくしには理解できない感情ですが』


「かなり距離が離れているんじゃなかったのか!?」


『ええボス。そのはずでした』


 バクバクと今にも飛び出しそうに胸の中で暴れる心臓を必死で押さえつけるように少年は叫ぶ。


 高校生になろうが大人になろうが、電車みたいな高速走行する物体に轢き殺されそうになったら誰だってこうなるのだった。


「げ、現状についてのセレナの考察を! こっちはパニックだ‼」


『スマートフォンのカメラ映像の解析結果を報告します。暗闇によってかなり荒い映像になっていますが、突っ込んで来た列車の正面にはライトが備え付けられていませんでした』


「つまり?」


『地下鉄や列車ではないという事です』


「リニアモーターカーとかか……っ!?」


『そのようなものが学校の地下に通っているという情報はありません。そもそもボスの足元には線路が敷設されていません』


「じゃあ何だ‼ いいや、そもそもここにいて大丈夫なのか!?」


 壁に背中を押し付けるようにして、何とか心臓の鼓動が正常なリズムを刻むまで待つ。


 たった一歩で命の結末が変わっていたのかと思うと、どうにも心臓が落ち着いてくれない。手負いの獣のような荒い息を吐きながら、スマホを握り締める少年は叫ぶ。


「何だ……?」


 すでに消えた大きな列車に、未だに混乱を隠せないまま。


「一体何なんだ、ここは!?」




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