Ep.45 最期の言葉が

 竿本が全ての罪を認めたと思われた頃、ポツリと影山刑事が呟いた。


「しっかし、その海老の尻尾……カバーの交換時によく気付かなかったな……気付かれていたら終わってたよ」


 そうしていたら危なかったと思い、ヒヤッとする僕はすぐに考えを口から出していく。


「第三の事件でマスターキーが持ってかれちゃうことや五号室の鍵をこそっと持っていることが危険と判断するとなると……たぶん、竿本にとって一番入りやすい時間は停電の間じゃなかったんでしょうかね。焦っているし、眼鏡を掛けている竿本は目が悪いことは明らか。そのせいでスマホの裏にくっついている海老の尻尾を気付かずに交換を終えたんでしょうね……」


 僕の解説に対し、竿本は呪いでも口にするかのように譫言を吐き出した。


「……そうか……そうか……あの時……ふと寒気がしたのは、誰かに見られたからではなく、証拠が残っていたんだな……」


 宮和探偵は奴の足元まで歩き、強く睨みつけていく。


「そうだよ。そこでやめていれば……信さんや凪ちゃんを殺さなければ……!」


 彼は目を閉じた。もう、そこには殺人犯の覇気はなく、ただただ疲れ切って魂の抜けた人間しか残っていない。


「ああ……そう、アイツが言ってたんだ……やめておけば……って、アイツの幽霊がいたのかもなぁ……」


 幽霊との言葉に僕の頭の中で疑問が生まれ始めていく。

 すぐに海老沼さんが咆哮する。


「アイツって、被害者の咲穂ちゃんのこと? アイツって……呼ぶな!」

「……いや、あの少女達が命を奪った、俺の大事な大事な人のこと……だよ」

「へっ!?」


 静寂が漂っていく。怒っていた者も気持ちが徐々に冷めていく。

 皆、何故、彼がこのような狂気の沙汰に手を出したのかが気になっているのだ。普段はおちゃらけた人が変わってしまったのか。

 事件の動機が今、明かされる。


「出逢いは普通だったさ。ふと立ち寄った料亭の女将さんでね……気兼ねよく挨拶してくれて……。独り身だった俺はそんな彼女のトークスキルに癒されてね……気付けば常連になっていた……そして女将さんの相談も聞くようになっていたんだ。マン丸顔の優しい笑顔がいつも特徴的だった彼女。同じ経営者として、悩みを語り合ったり……時に新しい料理を研究してみたりってね」


 皆が彼の語る世界に引き込まれていく。

 まるで僕達が竿本の視点で世界を見ているよう。目の前に顔、体系、年、何も分からないはずの彼女が笑って見えるように錯覚した。


「この会社が大変だった時もそうだ。『疲れた死にたい』と思ってしまった、俺に一本高い酒をサービスしてくれて……段々とその彼女に惹かれ始めていた……当然、告白して……付き合うことになったんだ……。こんなくたびれた男をまだ愛してくれる人がいるんだなって……不思議な話だろう? 仕事のことをずっと考えてる男でも素直に尽くしてくれる相手がいるだなんて……」


 幸せだらけの話。しかし、決まって暗雲が立ち籠る。こちらが高鳴る胸の鼓動を抑えている間に事態は急転する。

 彼の人生のブラックアウト。


「……でもある日、彼女の店が……一つの誹謗中傷にあってな……炎上したんだ……この店の衛生管理はなってないだとか、不味いとかって、たった一つの書き込みに、な……当然、嘘だと思っていた俺は気にも留めなかったんだが……少しずつ日に日に誹謗中傷は増えていった……それに便乗して、SNSでいいねを稼ごうとして、ありもしない情報を発信する輩もいた……」


 海老沼さんが足を引き、「えっ、酷い……」と。


「ああ、酷いさ。結局、その女将の夢をズタボロにしたってこと……だ。そんなところで、出たのが不倫騒動でもあったんだよ。こちらのスマホを覗いたあの少女達が勝手に社内で遊び始めた。そのうち、勝手にスマホを操作して……勝手に秘書が不倫関係だなんて言い始めた……そして、その話を女将が聞いていたんだ……ズタボロになった彼女がな……」


 宮和探偵が口を閉じる寸前の状態で告げる。


「まさか……その後……」

「まさかさ……精神も危うかったんだろう。『何で裏切るんですか……何でこんな時に裏切ったんですか……貴方はそれだけの人間だったんですか……価値がなくなったから、さっさと消えたんですか』と散々言われて……その後、弁解の余地もできなかった……弁解の余地もなく、あの人は……あの人は亡くなったんだよ! 殺された訳でも自殺した訳でもないが、病気で亡くなったんだ……あの少女達のせいで……いや、アイツらのせいで……あの人の最期の言葉が裏切りへの怒りの言葉になったんだ……! それだけでも許せなかった! それだけでも許せなかった……そして、その後、知ったんだ。最初に誹謗中傷したのは誰かってな……名前は違えど……あの女共だったんだ……」


 竿本が発したのは咲穂さん達の欲に塗れた言葉だった。

 『ええ、あのおばさん、うざすぎなんだけど……ちょっとスマホ見て歩いてただけじゃん。ぶつかってすらいないんだよー?』

『凪……そんなに恨んでるなら、書いちゃえば? ここに書いてやろーよ。あの店について』


「隣人の人がそんな言葉を耳にしていた話らしい……。逆恨みで人一人の人生を滅茶苦茶にしてしまえる時代であの女共……悪魔共は反省の色も見せず、のうのうの生きている……ああ、確かに殺された訳じゃない! 自殺に追い込まれた訳でもない! しっかし、しっかしだ! アイツらのせいで、アイツらのせいで大事な人との時間も奪われ……全てが消し飛んだ……このままいけば、まだアイツらはやらかすかもしれない。アイツらに未来というものがあれば……また何かをやらかす……」


 ここでもまた僕は何も言えなかった。あの人達に未来はあったはずなのに、と。奴の叫びはまだ続いていく。


「それに親も親だ……俺の近くにいながら、その不和の原因を作ったのもお前の娘だと言うのに……気にしない様子で……ペラペラペラペラ、その親の教育が行き届かないせいで、こちらは心の糧を失ったというのに……ずっとずっと……! 何もかも……だから思い知らせてやったんだ……子供の教育を誤るとどういうことになるのかっていうのもな……でもな?」


 ただ、僕は今、その後の言葉だけは見切っていた。何も言えずとも、知っていた。


「それにはやっぱり俺にも原因があるんじゃないかって思うんだ……あの少女が悪い方へと引きずった原因、それは……結局は俺の力が足りなかったから……父親と母親の最期の時間をもっともっとしっかり過ごせていれば……あの少女がもっと穏やかに母親を看取ることができていれば……心を汚さずに済んだかもしれない……つまり、罰されるのは俺も同じだということだ!」


 奴はすぐに立ち上がって、廊下へと走り出した。

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