Ep.17 起き抜けの一幕
起きたのは、翌日の午前一時を回った頃だった。夕方位に寝てしまって真夜中に起きたのだ。こういうことが週末の休みだとない訳ではない。朝のうちに色々動いて疲れて、そのまま眠気の中へ。気付けば夕飯も食べずに時間が過ぎている。
隣で影山刑事が僕の予想通り、ベッドで響きそうないびきをして眠っている。もう、これ以上は眠れない。そもそもかったるい。
先に風呂に入ってしまおうかと思ったものの、異様に喉が渇く。レーンに流れるお寿司はあるものの、喉を満たすことはできない。
魚の漢字がたくさん書かれている湯飲みを使って、お茶でも飲もうとしていた時だった。その手から湯飲みが滑り落ちて、床に勢いよく叩きつけられてしまった。当然、割れたのである。
「あっ……」
割れる衝撃音自体はいびきの大きさに掻き消され、影山刑事が起きることもなかった。別に大したことでもないため、床に落ちた破片を集めて、ゴミ箱とは違うところに置いておく。
周りを探してみるも、湯飲みは一つしかない。二人用の部屋ではあるが、一つしか用意されていなかったみたいだ。用意はきちんとされているのではなかったかと思うも、仕事をしていた海老沼さんの顔が思い浮かんできた。あの人の仕事模様ならミスするだろうと納得して、外へ出ることにした。
当然キーがないと外に出たままになってしまうため、カードキーを手にしておく。
確か食堂にウォーターサーバーか何かがあったはずだ。
不安定な記憶を頼りにして、円形になった廊下を歩く。そこでようやく仕事を終わらせた蟹江さんと海老沼さんが現れた。
蟹江さんは「あら、まだお休みになっていなかったのですね?」と簡単な挨拶をしようとするも、海老沼さんは大きな欠伸をし始めていた。どうやら相当眠いらしい。あまりにも無礼だった態度に蟹江さんが気付き、腕で体を小突く。
それから海老沼さんも自身の過ちに気付いたようだ。
「あっ、すみません! ま、まぁ……お寿司、どうでした? 美味しかったですか?」
僕の気分を良くしようと寿司の話題を選んだのだろう。ただ残念ながらまだ寿司はほとんど食べていない。そのまま眠ってしまったから。
「あっ、いや……」
隠そうとしたところで逆効果。意識したせいなのか、お腹の音が異様に鳴り響く。蟹江さんがそれを即座に聞き取った。
「あら、大変……お寿司は嫌いだったんですか?」
「あっ、違いまして……そのまま寝ちゃったんですよ。で、まだご飯を食べてなくて」
「なら今からでもお夜食を用意しましょうか? 簡単なものならできますよ?」
蟹江さんはとても爽やかな笑顔で応対してくれるものの、隣にいる海老沼さんは途轍もなく嫌そうな顔をしている。この人のせいで残業をしなくてがいけないのだとでも言いたげな様子。
「別に……ちょっと飲み物が欲しいってところですね」
その遠慮でパァーと明るくなっていく海老沼さん。態度が顔に出過ぎる様子に笑いそうになってしまう位だ。
彼女が今度は動いてくれるみたい。
「じゃあ、飲み物を持ってきますね!」
蟹江さんを置いて、彼女はささっと先程まで入っていた「立ち入り禁止」の場所へ入っていこうとする。その際、円形の廊下を走ってきた鳥山さんに衝突した。
「いたっ!?」
「あわわわ!? 鳥山さん!? 大丈夫ですか!?」
「前もこんなことがあったような……ってそんなところじゃない……!」
鳥山さんはすぐに立ち直って、僕の方へと勢いよく駆け寄ってくる。その慌てようは飲み物を取りに行った海老沼さんが立ち止まって、彼女を見つめている程。
彼女は僕の前に出て、腕を上下に振っていた。
「ね、ねぇ! 咲穂、見てない!?」
「ど、どうしたの?」
「約束の時間に経っても、部屋に来なくて」
「そのまま寝ちゃったんじゃないの? それよりも何でこんな夜遅くに約束なんか」
「回転寿司のレーンが終わったら、一緒に寝ようって話してたんだ。入ってるガラポンのものが違うから。ワタシはミニカー、咲穂は包丁のおもちゃみたいな」
「ああ……なるほど。じゃあ、やっぱいいの出て、食べ過ぎて満足しちゃったとか?」
その声に対して、彼女は急いで首をぶんぶんと横に振った。声は言うまでもなく震えている。
「そ、そうだったら……」
「そうだったら?」
「こんなメールが来ないでしょ!」
鳥山さんが僕達に向かって、スマートフォンのチャットの画面を見せてきた。そこにあるのは、あまりにも簡易的で恐ろしい一言。
『助けて苦しい』
ハッとして眠気も何もかも、覚めていた。僕は当然、寝たがっていた海老沼さんもハッキリ起きたのが伝わってくる。
「な、何が……!」
すぐに蟹江さんが一号室の方へと向かって走り出した。
「マスターキーを持ってるのは確か……副社長さんのはず。ちょっと呼んでくるわ!」
心が変になっていく。何かが起こっていないと良いのだが。
あまりにも不安定な午後の人間関係を知って、何が起こるのか分からずに怖い。ただただ薄暗い廊下の中で鳥山さんと海老沼さんと共に蟹江さん達を待つ。
一秒でも早くと願う中、永遠とも思いそうになった時間はすぐに終わる。
「咲穂に何があったんだ!?」
「それが分からないんです! すぐに確かめてください!」
彼女がいたのは確か五号室。僕達は皆で集まって、五号室の前に向かう。そこで立ち止まった途端、鼻に突く臭いが流れ出してきた。
寿司が腐った臭いなんかではない。
僕に探偵としての自覚を思い奮い立たせてしまう最悪な臭い。
「……血?」
そう呟いたのは誰も聞こえていないようで。副社長が五号室をマスターキーのカードキーを差し込んで開けていく。
ドアノブを捻って、中に入っていく。父親を置いて真っ先に入ったのは鳥山さん。
「い、いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
悲鳴が出ることはもう予期できていた。
その声に放心する中、咲穂さんの父親よりも先に五号室の奥へと進む。
床や雑誌などには紅い液体が撒き散らされている。特段、その上で酷いのはベッドの上。血だまりができる程のおびただしい血の量を腹から今も尚流している。
落ちている出刃包丁やスマートフォンに触れないように彼女の腕を取る。
脈を図ってイタズラでも何でもないことが分かる。もう、死んでいる。
僕が惨状を確認している間に亡骸の父親となってしまった安倉さんが入ってきた。娘の変わり果てた姿に絶句の後、人の声とは思えない音を発し出す。
「あぁああああああああ゛あ゛あ゛咲穂……咲穂……!? 咲穂!?」
部屋の中で死体が一人目立ちしているものの、それだけではない。辺りに寿司のネタやシャリ、皿が散らばっている。
まるで回転寿司で誰かが暴れたかのように。
寿司以外は別に椅子が倒れていたり、湯飲みが割れていたり。本が散らばっているなどはない。犯人と格闘した訳ではないのだ。
犯人がわざと散らばしたか。では、何故に?
不思議で非情で凄惨な殺人現場の中、僕は一人既に謎に挑んでいた。
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