Ep.16 少女は振り向かない

「うわぁああああああああああああああああ!」


 何が来るか分からない。その用心があったおかげか、間一髪彼女の包丁を横腹に当てることで致命傷は避けられた。

 グッと崩れ落ちる僕。すぐに宮和探偵が駆け寄ってきた。


「ちょっとちょっと!? 何するのよ!?」


 仮面をつけたままの少女はただただ立ちすくんでいる。影山刑事は僕の悲鳴を聞いたからか、タオルをつけたままのほぼ全裸で走ってきた。

 そこに驚いた仮面の相手は尻餅をついていく。

 襲撃者が部屋の中にいる人にしり込みしてどうしたものか。


「氷河くん、大丈夫!? 横腹に当たったよね!? 痛い!? 大丈夫!? 救急車呼ぶ!?」


 これで救急車を呼ぶのは何度目か。

 色々な疑問を感じた時点でふと思う。横腹には当たったものの、痛くはない。そもそも僕の横腹から血の一滴すら出てやしない。

 何をと真正面を見たところで少女、咲穂さんは仮面を取って、こちらを睨みつけた。


「ちょっと……こっちが驚かそうとしたのに、何でこっちの心臓が止まりそうになるのよ」


 その一言で影山刑事のタオルがはだけ落ちてしまう。僕も宮和探偵も咲穂さんも皆が皆目に映ってしまう、とっても嫌なもの。

 咲穂さんは一旦部屋に入って、外に声が漏れないようにしてから叫び声をあげた。


「きゃああああああああああああああ! 痴漢よ痴漢! 公然わいせつ罪よ! どうしてくれんの!?」


 影山刑事はすぐに顔を真っ赤にさせて「いや、これはすまん」と大きな尻をこちらに見せつけて風呂場に戻っていく。もう二度と風呂場から出てきてほしくないと思ったのは僕だけか。

 宮和探偵は乾いた笑いで彼にツッコミを入れてから、咲穂さんにも指摘を入れる。


「あの人もあの人だけど……何か、咲穂ちゃんの方も結構落ち着いてなかった? ってか、貴方は何がしたいの……? 驚かせたいって……」


 影山刑事のことに頭が一杯になって、彼女の手に握られている包丁のことをすっかり忘れていた。

 彼女は仮面を取って、少しだけ笑いだす。


「いや、単にイタズラしにきたってだけ。ガチャポンで折りたためる仮面セットに伸縮自在、おもちゃの出刃包丁が出てきたから……」


 彼女が刃の先に触れると、小さくなっていく包丁。最後は小さな柄だけになっていた。どうやらそういう類のおもちゃらしい。

 ついでにもう一つ、目的はあったらしい。


「で、パパから刑事さんが来たって話を聞いたから……どんな人か知りたかっただけ。しかし、あんな迂闊な人が刑事ってことで大丈夫?」


 あまり「大丈夫」との質問に肯定はできなかった。少女達に事故とは言え、裸を見せたこと僕は許してはいない。

 やっとのこさ、白い部屋着を身に纏って風呂場から出てきた影山刑事。

 皆の冷たい視線には気付くこともなく、「ワハハ」と笑っている。そんな影山刑事に咲穂さんから質問が飛んだ。


「警察って一体どんな教育を受けてる訳? 何でこんなことを」

「いやぁ、あれは事故だよ事故……」

「事故って言えば、何でも許されると思ってるの?」


 お前が言うか案件だった。咲穂さんも事故に見せかけて僕達を始末しようとしていたのではないか。

 もやもやな思いがこの部屋に充満しそうになる中、影山刑事は答えていく。


「事故は事故だからな……まっ、許されない事故もあるだろうけど……な。でもまぁ、事故った時は自分に非がなくても、謝ることが大事だったな……三人とも変なものを見せてしまってすまなかった……」


 僕達は何故だか笑い出してしまった。そのせいで許せないなんて気持ちも飛んでいく。状況的に許されてしまった影山刑事。少女の目を見て何かを感じたのか。


「……例え間違ったとしても、意外と何とかなるものさ……バレるバレないを考える前にきちんと謝ったり、ちゃんと説明したりした方が面倒なことにならなくて、済む」


 そこでおやと思ったらしき、宮和探偵。


「面倒にならないために謝ったの?」


 そこでまた笑いが巻き起こる。被害者の咲穂さんが笑っていた。


「い、いや、そういうことじゃないんだけどな! でも……まぁ、そういうことだ。変に取り繕って物事がバラバラになる前に……ちゃんと謝った方が人生も楽しいものだ……そう思うんだがね」


 その言葉で咲穂さんの目に何かが宿り出した。感情を込めた炎だろうか。少なくとも、僕達に対しての殺意ではなかったことが分かる。

 咲穂さんは一旦、僕達に頭を下げた。


「……ごめん!」


 僕も宮和探偵も「えっ?」との声を出していた。まず彼女から謝られるとは全く以て思っていなかったから、だ。

 彼女は先程のことについての謝罪であると付け加えていく。


「危険な思いとかさせたかも……悪かったわよ……。あんなことで人生を滅茶苦茶にするなんて馬鹿げてるよね……本当に……本当に……ごめん」


 普段ちゃらちゃらしている彼女が本当の意味を込めて謝罪をしているのかは分からなかった。

 この件を知らないであろう影山刑事の方は「ううん……何が起こってるんだ?」と戸惑っている。

 どうしようかと僕と宮和探偵は目を合わせていた。

 先に話し出したのは宮和探偵だ。


「いいよ。ここに連れてきてもらったんだもの。色々あったとは思うけど……大丈夫。探偵や刑事はちゃんと過去を振り返る人の味方だから。何か悪いことをしても、ちゃんと振り返ろうとしているなら大丈夫だよ。今は特にまだ取返しはつくんだから。ね! 氷河くん!」

「う、うん……」


 宮和探偵はすぐに「安心して。このことは誰にも言わないから」と。

 その言葉を聞いて、咲穂さんは本当に安堵したのか。床に座り込んでいた。大丈夫かと思っていたら、すぐに立ち上がる。

 そして僕達に本当にキラキラした笑顔を見せた。


「ありがとうね。もう一度、凪とも話し合ってみる」


 その言葉で彼女の何かが救われてくれていると嬉しい。

 彼女がこの部屋を去った後、宮和探偵も「じゃあ、危険なことも無くなったようだし」と安心して外に出ていく。

 影山刑事の方は「まだ脅迫状をどうするものか」と考えているけれども。結果的に彼のおかげで解決してしまった気がする。もう脅迫状のことも起きないだろう。

 安心したらお腹が減ってきた。真正面に見える窓の外の雨を見つつ、宮和探偵が大好きなネギトロを頂かせてもらおうとする。

 タブレットで検索していた時には「売り切れ」の文字が表示されていた。


「う……」

「残念だったな……!」


 機嫌を損ねた僕は何個か食べようとするも寿司の案内板やワサビしか流れてこない。どうやら四号室から七号室の間の人達が寿司を結構食べているらしい。


「……これは……」

「一旦、そいつらがお腹を一杯にするまで待つしかないようだな! 回転寿司……自分の食べたいものが先に食べられるなんてのはよくある話だ。タブレットで注文するか?」

「……僕はいいです」


 ふて寝をすることにする。きっと夜なんかは眠れないだろう。

 今、彼は雨に濡れて風邪をひいているのか、鼻水が出ているように思われている。きっといびきが凄まじくなること間違いなし。

 先に寝ておこうと判断した僕。

 その安易な選択が僕の一生の後悔となる。またしても、だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る