Ep.6 氷河、探偵を階段から突き落す
僕を追い越した後、白百合探偵は一旦振り返ってその醜悪な顔をこちらに向ける。そして強い口調でもう一度、挑戦的で非情に厄介な言葉を投げつけてきた。
「それだったら、君よりもアズマに手伝ってもらった方がまだマシ、ですね」
アズマ……その怨敵の名をまた聞くことになろうとは。美伊子を誘拐し、大切な人達を絶望に叩き込んだその男の名を……。
心の中で燃える憎悪をできる限り、前に出さず冷静を意識する。それでも睨みながら、彼に咆哮してしまう。
「何だとっ! アズマってどういうことですかっ! 何でその名前が今……!」
「だって、君、その人のこと苦手なんですよね? 貴方を止めるには一番効果的な名前だと思ったんです」
「何で知ってるんですか……!」
「わたしは探偵ですから。君とは違う。真剣に真実に辿り着く、ね。もう二度と邪魔をしないでください」
挑発に乗ってはいけないと分かってはいる。乗って叫んだら、周りにいる人達の心象を悪くしていくだけだ。できるはずの聞き込みさえも、「この探偵は怖いから何も言わないでおこう」と思われ、できなくなってしまう。
呼吸を整え、彼に言う。
「……邪魔なんかしないですから。僕だって本当の真実を」
「真実を見つめてるのなら、信じる、信じていないという言葉は出ませんよ! 言ったじゃないですか。信じないってムキになって。あれは逆に言うと、自分は彼のことを知っているから犯人じゃないと信じてる、それと同義の言葉になるんですよ」
「ううううっ!」
暴走したい。できることなら、この拳が飛んでいても良い位だ。散々馬鹿にされて我慢できる訳がない。
僕だって同じことをずっと考えていた。信用だけで、先入観だけで事件に挑んでいけないことなど、知っている。それをネチネチネチネチ指摘されて、黙ってはいられないのだ。
心についた傷を彼はどんどん
「それに何ですか? 捜査を邪魔する女子も止めないで。刑事に印象操作をさせている。知っている刑事だから、こうやって感情を揺さぶれば、達也くんが犯人にされないと思ってるんですか?」
「いや、それは……」
「止められなかった? いや、探偵なら変なことを話し出す人。事件現場でふざけだす人を止めるべきです。友人なら
「そんなの……無理だ」
「じゃあ、事件に関わらないでください。探偵が嫌いだからって、他の探偵に当たり散らしたり、捜査の妨害をするなんて……失格です」
「や、やめてくれ……」
限界だ。自分が分かっていることを延々と聞かされ、責められるのは苦しい。耳を塞いでも透き通る声は防げなかった。
「事件現場は好奇心で遊びに来る場所でもありません」
「でも、自分でできることを」
「自分に? 何回か事件を解いてきたから、自分ができると思ってんですか? 聞いてますよ。人狼学園のことも幽霊橋の事件も。覚えてはいるみたいですね」
「ああ……」
彼が出したのは犯人が自殺した惨劇のことだった。少なくとも、僕が探偵でなければ、その悲劇は起きなかったかもしれないと彼は告げる。
悔やんでも悔やみきれない惨劇のことをまた言われることが嫌で嫌でたまらない。気付けば、目から涙が
「もっと最善の用意をしておくべきじゃないですか? 犯人が死なないように」
「うう……」
「君はその犯人が死んでもいいって思ってたなら、話は別だけど」
もう無理だった。心象など考えられはしない。喉の奥から張り裂けた声を出す。
「違うに決まってるだろっ! 違うに決まってるだろっ! 悪人だからって死んでいい……えっ?」
彼は僕の出した声に驚いたのか。よろけた。その勢いで近くの階段から転がり落ちていく。人と階段の床がぶつかり、酷い音が鳴り響く。
悲鳴は聞こえない。
ただ衝撃音に辺りにいた人が何だ何だと飛び出してくる。その人達は階段の踊り場で倒れている白百合探偵を目にすることだろう。
僕の声で落ちたのか。
口に溜まった唾を飲み込んで、もう一度考えて気付く。あれは違う。白百合探偵がタイミングを狙って、地面を蹴った。それから、わざと階段下に落ちていったのだ。
しかし、その事実が分かったとしても無実を伝えられる証拠がない。指紋が彼の何処からも検出されなかったとして、肘で突かれたと彼が主張すればいいだけだ。
誰も彼がわざわざ痛い思いをして、自分で落ちたと思うはずがない。そもそもこの大学では探偵として彼の主張がよく通る。僕が「彼が僕を陥れるために落ちた」と言っても信用はしてくれないだろう。他の人達は誰も白百合探偵が「僕を罠に嵌めずとも、事件を解決できる」と思っているのだから。
皆、こちらを睨んでいる。落ちている人のそばにいた。そして彼に怒鳴っていたのだ。
寒気がする。第一に弁解することもできず、ただただ顔を下に向けるだけで精一杯だった。
どうするべきか。
そう困ったところにボロボロになった白百合探偵が階段上で見ている人達や駆け寄る人達にこう告げた。
「すみません! みなさん、わたしがつい転んでしまいました。そこの氷河探偵は全く関係ないですからね。気にしないでください! あっ、警察とか呼んで大事にしないでください。今は事件の捜査に忙しいんですから! あはは……あぁ、痛い。突き指してしまいましたよ」
酷く衝撃を受けた。
彼は僕を告発しなかった。してくれていれば、警察が捜査して、確実に僕が犯人だと考えるか。または彼が落ちたのと僕の行動が関係ないと証明されるかもしれない。まだ何とかなる希望があるのだ。
しかし、この状況だと非常にまずい。
きっと、この中で彼が僕を「庇っている」と思う人も出てくるだろう。疑念を抱く人もいるはずだ。この場合、後で彼が「本当は彼がやったけど黙っていた。言ったら更に痛い目に遭わせると言われたから」と嘘の告発をしたら、どうなるか。今であれば証拠がある。後になったら証拠が消えてしまうから、誰も真相を確かめる術がない。
僕が無実だという証拠もないのだから、疑われ続けて生きることになる。社会的に死ぬこととなるのだ。
だとして、今僕が「自分がやりました」とか「誰かがやったのを見ました」とか言って警察を呼んだらどうなるのか。「自分がやりました」の場合は言質が取られてしまう。最悪の場合、もし無実だと分かっても捜査を妨害した罪に問われてしまうだろう。「誰かがやったのを見ました」も同じ。捜査をかく乱したのだとまた訴えられる。
今は事実を言っている彼に抗う術はない。つまり、今から僕は彼の手の上で踊らされることとなったのだ。
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