Ep.1 脳髄暴発ボーイ

『氷河くん! 明後日あさって! 木曜日の夜って空いてる?』


 犬が遠吠えをしているのが聞こえてくる少々寂しい夜更けの時間のこと。家で風呂に入ろうとしていたら、突然知影探偵がスマートフォンに電話を掛けてきた。

 そこで、「もしもし」も言わずに出してきたこの質問。

 非常に困る問いだ。ここで暇だと言ったら、変なことを頼まれるかもしれない。買い物の荷物持ちなら良い。もし彼女が「過去の事件を解決してSNSにその真実を出せば、バズるかも!」なんて滅茶苦茶な理由で僕を必要としているのであれば、絶対に協力しない。探偵嫌いの僕はこれ以上、余計な調査をしたくはないから。

 ただ、しかし、僕にも知りたい情報というものがある。連れ去られた美伊子の手掛かりになるようなものを探せるかも、と豪語するのであれば、彼女の協力をしたい。自分の手で彼女を探し出したい。

 彼女はどちらの意向で僕を誘い出そうとしていたのか。電話越しに悩んでみる。ここで「美伊子のことですか」と聞くべきだとも思ったけれど、彼女が「そうかもね! 関係してるかもよ!」と適当なことを言う可能性もある。彼女がきっちり「このような手順で美伊子を助けられる」と説明してくれなければ、話に頷くことができないのだ。

 取り敢えず、探りを入れてみる。


「それって……重要なことです?」

「うん。ある意味、凄い印象的なことかもね」


 どちらか分からない。電話の向こうから聞こえる声が異様に高いことから、彼女にとって楽しみなことであるのは推測できた。

 次の一手を打っていく。


「……課題よりも重要なことです?」

『ううん、この手を逃すと二度と手に入らないかも』


 その言葉で僕の仮説が違うことに気が付いた。


「なんだ、事件のことを調べるんじゃなかったんですか」

『違うわよ。それもしたいけど。また今度。そうじゃなくって、明後日はね……特別なことがあるのよ』


 事件の資料などは写真を撮るか、記憶に残していくかで機会を逃せるものではない。世界をまたにかける大泥棒が木曜日の夜に来日するとかであれば、また別の話だけれどね。

 今はタオルを股に掛けた部長が僕の目の前に立っているだけ。


「ああ、いい湯だったぜ」


 僕は一息。

 不意に部長のタオルが外れ、瞬時に床に腹ばいになっていた。こちらの頭から煙が出そうになる。

 訳が分からないのだ。達也部長を家に入れた覚えがないのだから。驚きのあまり、後から仰天の声を出してしまった。


「えええええええええええええええええええっ! ちょっ、ちょちょいちょちょちょい! ちょちょい! 何で何で何で!?」


 知影探偵が『そっちで何が起きてるの!?』と叫んでくるものだから、一旦「待っててください」と伝え、スマートフォンを床に置かせてもらう。

 今はこの不審者をどう撃退するかで頭が一杯になり、知影探偵と話をしている場合ではない。

 僕が理由を聞くと、彼は彼自身の言い分を主張した。


「聞いてなかったか? さっき、学校でちょっと寄ってってもいいか? って言ったじゃねえか」

「でも普通、風呂に入ってくって意味だとは誰も思わないんですよ。単に先輩が家に来るかなぁってだけで」

「まぁ、幼馴染の家じゃねえか。遠慮すんなって!」

「遠慮するのはアンタの方です!」


 彼は僕と会話している間に近くに置いてあった青い水玉模様のパジャマを着ていた。まさか、ここで泊っていくつもりなのか。

 彼が曇りない笑顔でこちらを見つめてくるものだから、真意を読み取ることができない。僕ができるのは、ただただイレギュラーな存在に恐怖することだ。

 取り敢えず、現実逃避のためにスマートフォンを拾い上げ、知影探偵との話を再会する。


「ちょっとすみませんでした。不審者が出まして」

『外にいたの?』

「いえ、家です」

『へっ?』

「最近の不審者は家に出るんですよ」

『はっ? えっ? ええ? うんっ?』


 僕の言葉が足りないせいで彼女は混乱しているらしい。そこはどうでも良い。話を無理に進めてもらう。


「で、楽しいことって何です?」


 僕は隣でヘッドフォンを付けて音楽を聴き始める部長をジト目で見つめながら、答えを待った。

 彼女は本当に嬉しそうな声で返答する。


『実は探偵に取材をしたいって声があってね!』

「探偵に取材って……知影探偵に来たんですよね? じゃあ、知影探偵が受ければ……」


 取材で雑誌にされれば知名度が上がる。有名になって探偵を嫉妬させ、自分のところへ来るよう、仕向けることが僕の目的にある。有益な話なのだ。

 ただ彼女を取材する記事となると、どうしても雑誌の隅の空白を埋めるためにあるのだろうかと考えてしまう。たぶん目立たない。と言うか、彼女が目立つ記事になるから、僕の知名度は上がらない。彼女の取材に立ち会うだけ時間の無駄だと思う。


『いや、それが他にも探偵の知り合いがいるなら連れてきてって』

「随分載せますね。探偵の特集号でもするつもりなんですかね?」

『ううん。その人の創作活動にインスピレーションが足りないとか言って』

「創作? ミステリー小説か何かを書いてるのです?」

『ううん。作曲家』


 つまるところ、作曲の手伝いか。歌は好きだ。聞いていると、気持ちが安らぐ時もあれば、燃える時もある。生活の必需品ではないけれど、心を豊かにしてくれるとても素敵なもの。

 作曲の手伝いも良いだろう。

 そんな考えを邪魔するのが僕の中にいる面倒臭さだった。ここのところ、学校の課題やらで疲れている僕は睡眠時間を優先したい。

 断ろう。


「あの……」

『その作曲家……プラムンさんって、とっても人気の作曲家なんだけど』

「そのプラムンさんの取材ですけど」


 そこで電話ではない方向からカチャリと何かが落ちる音がした。気付けば、ヘッドフォンが横に転がっている。

 部長は信じられないような目付きで僕の方を見つめていた。


「ぶ、部長?」


 彼はささっと足をバタバタ動かしたかと思えば、僕がスマートフォンを持っている方の手を掴んでいた。


「プラムンってあのプラムンかっ!? 今、聞いてる彼女の奴なのか!? えっ!? どうなんだ? 取材ってなんだか、教えてくれ!」


 彼を突き放そうとしたら、スマートフォンまで飛んでいく。後は部長が勝手に知影探偵と話を始めていた。


「あっ、達也です! 知影先輩! どういうことです!? えっ、じゃ、オレも探偵になりますっ! はいっ! 行きますっ! 行きますっ! 氷河連れて一緒に行きます!」


 結局、不審者のせいで行くことになってしまったようだ。僕に休息の時はないらしい。


「……恨みますよ。部長……」


 落ちていたヘッドフォンから流れる恐ろし気な曲は僕の複雑な心情にマッチする。同感した僕は勝手にヘッドフォンを耳に当て、曲の中に入り込んでいった。


『恨みますよぉ……マジで恨みますよぉ……』

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