Ep.3 非日常を楽しもう
僕、美伊子が悲鳴をした方向へと走って行く。ただ、息を切らした結果目にしたのは肩に蜘蛛が張り付いた男か女か分からない人の恐怖だった。
「だ、誰か取ってえええええ! いやいやいやぁ!」
一応、大きな黒い蜘蛛で皆が引いている。「あれは毒?」だとか、叫んでいる人もいる。ただ、日本に黒い蜘蛛で毒があるものは少ない。そもそもどう見ても、家でよく見かける蜘蛛だ。
仕方がないからと僕は、たぶん、彼の浴衣から手で蜘蛛を追い払ってやった。
「取りましたよ……」
「あっ、あっ、あっ……!」
そう言うと、彼はいきなり僕の手を掴んで「ありがとぉ!」とのこと。あまりに顔をドアップにされるものだから、驚いて固まってしまう。すぐに気を取り直して、彼の元から離れさせてもらう。
何だか視線が怖かったのだ。絶対にないと思うのだが、こちらを恋人にするような視線があったような気もする。
気のせい、だと信じていたい。
美伊子の元に戻ると、彼女は何かを呟いた。
「人が困ってると、見過ごせない。人の嫌がることを率先してやるなんて、ね」
「えっ、僕、今人の嫌なことをやってた? 好意から逃げてきたのって悪いことか……」
「……日本語って難しいね」
何だか話の意味がよく分からなくなってきたので話をやめておく。それよりも今は重要なことがある。はぐれた三人を探すこと、だ。
仕方ないと僕は部長に電話を掛けようとスマートフォンを開く。六時三十分と表示された画面の下にある電話アイコンを押した。
しかし、出てくれない。電話を掛ける際に発生する音が僕の耳に残っただけだった。美伊子は船水さんに連絡したみたいだが、音沙汰はないよう。
的井先輩については僕も美伊子も電話番号を知らないのだ。部長に聞こうにも彼はいない。あの人達は本当に自由人だ。
顔に手を当てて、再度大きく息を吐いた。その中で美伊子は少し、笑っていた。
「あのさ、こうなったんだし、ちょっと二人で歩かない? きっとあの三人なら自由にやってるだろうし、さ」
「いいのかなぁ」
気になる僕の背中を美伊子は押した。
「いいのいいの! 射的でもやろ!」
結局、数分掛けて射的の屋台まで歩いていた。彼女が店主に金を払い、猟銃のようなものを手にする。そんな彼女に聞いてみる。
「美伊子って射的、得意なの?」
「スーパーボールすくいを見てたら分かるでしょ!」
「あんまり得意じゃないんだ……」
だったら、隣の輪投げにすれば良かったのではないかと思う。射的よりかは難易度も低いし、参加賞もあるみたいだ。この方がお金も得できる。
そう思っていた時期がありました。
完全に僕の価値観なのだ。美伊子は視線は棚にある大きな熊のぬいぐるみに向けられている。落とすために置かれた射的の景品だ。ごく普通の作りではあり、普通に可愛い。毎度毎度血塗れの事件現場に入っている彼女。彼女が普通に可愛いものが好きな女の子だと言うことを忘れてしまっていた。
何故、それが一般的だと思うのか。事件に挑む探偵のような彼女は嫌いなはずなのに。彼女の印象が強すぎて、大事な一面を見逃していた。今もそう考え事をして、彼女の射的をほとんど見ていなかった。
反省してから、「ああ……全部外れちゃった」と嘆く彼女の代わりに僕がコルク銃を手にする。
「まぁ……自信はないけど、僕に任せてよ」
「店員に当てちゃダメだよ」
「美伊子、当てたの!?」
「わざとじゃないんだよ。て、手元が狂っちゃって」
よく見ると親父店主の額に弾の痕のようなものが見受けられる。見なかったことにして、銃の先に弾を込める。店主の顔を見ず、狙いを定めるのに集中した。
銃の先に鋭い刃物が付いていると仮定して、それが伸びていたら何処に当たるか。熊のぬいぐるみの先に当たるよう想像する。
そして、一発。熊には当たるも、ちょびっとしか動かない。それが無性に腹が立つから、理性を捨てて乱射してやった。
結果、親父店主と熊のぬいぐるみには当たらずとも、チョコボールと缶ジュースに弾がヒットした。
美伊子は僕が缶ジュースを渡すと大喜び。普通のコーラなのに嬉しそうに飲んでいた。
「ありがとうね!」
「普通の景品しか取れなかったなぁ」
「でも取れるだけ凄いよ」
「いやぁ。でも、単にお金払って普通にチョコボールを買った方が良くない? だいたい価値としては同じ……」
彼女は首を横に振る。そして小さい声ではあれども、力強い声を出した。
「違うよ」
「えっ?」
「こうやって祭りの雰囲気を楽しめるだけで普通に買うのとは全然違う。誰かの視線の中で集中して何かで遊ぶことなんて、祭りでしかできないよ。緊張しつつも、普段できない射的を楽しむだけでも違う」
「あっ……」
「何も取れなくたって祭りは楽しいんだよ。失敗したことも特別な思い出になる。笑い話になって、聞く誰かを楽しませることだってある。スーパーやコンビニじゃあ、こんな経験はできないよね?」
更に猛省。僕は祭りを楽しむ行為をすっかり忘れていた。もっと非日常を楽しもう。普段は食べられないものをいただこう。原価は決して思い出を作ってくれる訳ではない。効率を気にするのは金を稼ぐ時だけで十分。楽しむ時には不要だ。原価とか、効率とかは考えないで、今日は精いっぱい楽しもう。
そんなところで電話が掛かってきた。美伊子の元に凄まじい勢いで来たらしい。
「あっ……今、二人同時に来てるよ! 私は船水ちゃんの話を聞くから、氷河は兄貴と話して」
「了解」
部長に電話しようと、再びスマートフォンの画面を操作した。それから部長に電話を掛ける。瞬間、叫ぶ美伊子。
「えっ!? 何!?」
部長に掛けた電話のせいで僕も同じことを言っていた。
「えっ!? 何!? どういうことです!? 今、何て……?」
彼が早口で何かとんでもないことを言っていたのだ。僕は顔を強張らせながら、聞き返した。
『最初に言った鉄板焼きの横に小道があるだろ! そこに来い。その小道の奥のすっげぇ、小さい駐車場だ。そこで人が殺されてる……!』
「何ですって!? 部長!?」
そう思うと、電話以外の声も聞こえてくる。辺り一帯が人の不安で埋め尽くされている。「人が死んだって!?」だとか、「何があったの!?」だとか。
『しかも、その死体……おかしな風に見立てられてやがる』
「はっ!?」
『綿菓子、だ。綿菓子に見立てられてんだよ! 頭に綿菓子の袋を被って死んでるみたいだ……!』
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