Ep.6 現れたのはくま子熊クマベアー

 僕達が外の景色に夢中になっているのを知ったカルマさん。彼女はバスツアーガイドのつもりか、辺りの様子を説明し始めた。


「視界に広がりますは大きな霧。ここは下界と温度差があることから霧が出るとのことで有名なのです。ただ、霧の中に見える光に寄せられて」


 最初は明るいトーンだったはずなのだが。どんどんと重くなっていく。どんな話が来るのかは予想できていた。知影探偵も「あはは……」と苦笑いしている。

 ただ、一人。コトハさんだけは違った。


「そ、それって……」


 彼女の怯えるような反応を楽しんでいるみたい。バックミラー越しに見えるカルマさんの顔はニヤニヤ以外の何物でもない。


「この霧の名所で自殺した幽霊共が人間の精力を奪おうと、同じ世界に誘おうとやって」

「ひっ」


 コトハさんが冷や汗を掻いて、手で耳を塞いでいる。これ以上、怖い話をさせるのも悪いだろう。

 僕がカルマさんに話を中断させるよう、口を開こうとした。

 その時だった。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! ごめんっ、ごめんってば。だから……ごめんごめんごめんごめんって! ごめんなさいって言ってるじゃん!」


 助手席から、だった。助手席にいるシャルロットさんが異常なまでに恐怖を叫んでいたのだ。コトハさんは胸を抑えて心臓が止まっていないか確かめているし、カルマさんも慌てて運転を間違えそうになる。知影探偵もスマートフォンをまたもや落としていた。

 カルマさんはすぐに事情を尋ねていた。


「シャルロットちゃん……どうしたのよ。いきなり」


 そんな言葉で気を取り戻したらしいシャルロットさん。彼女は「何でもない」と言い、何かを誤魔化すように前を指差した。


「こ、この先、大丈夫? 迷わない?」

「問題ないわよ。一旦、すぐそこにコンビニもあるでしょ? 誰か、トイレ行く人いる?」


 知影探偵が「はいっ」と声を上げる。僕も賛同した。この後、長い道のりになるのであれば、トイレは済ませておきたい。

 僕も知影探偵、それ以外の皆も車の中でお腹が空いたり、喉が渇いたりするようで各々何かを購入していた。ついでにコンビニの中では編集者のキスさんや話をしている金髪や茶髪の女性がいた。彼女の中の一人がコンビニ店員にクレーマーの如く、強く絡んでいるため、僕達には気付いていない。

 どうやら、もう一台の方もトイレ休憩のために立ち寄ったようだ。あれでは休憩になっているかどうか定かではないが。

 彼女達の休憩が終わる前に僕達は自分達が乗っていた車に戻り、発進させた。


「彼女達との話は後にして。あの人達より先に山荘に着いちゃおう!」


 カルマさんは他の五人が乗っている車と対抗意識を燃やして、急加速。たぶん法定速度は超えてるよな。

 霧が消えると、僕達は深い山の中にいることが分かった。

 自然の広大さに感動し、言葉を漏らす僕。


「近郊にこんな場所があったなんてね」


 知影探偵も「いいわねぇ」との言葉。車が山道の整備されていない場所に入っていくと、スピードが自然と落ちてくる。流石にここで急加速させたら、樹や岩にぶつかってしまう。カルマさんは少々不満そうだが、それでいい。

 最中、知影探偵はサイドウィンドウを開け始めた。


「うわあ!」

「知影探偵……何を?」


 外の景色に何か感銘を受けたのかとそちらの方を確かめると、子熊が一匹佇んでいた。そこに向けられるはスマートフォンのカメラ。

 シャルロットさんも左の方に子熊を見つけたようで。「あっ」と言いながら、サイドウィンドウを開いて、コンビニで買っていたお菓子の袋を開けていた。

 彼女達のやりたいことが分かって、僕は肝が冷えそうになった。すぐさま何かを言おうとしても、口が滑って言葉が出ない。

 シャルロットさんが知影探偵に伝えた。


「お菓子があれば、もっと近づいてくれるかも」

「ほ、本当ですか?」


 コトハさんはその状況に困惑し、僕と同じでおろおろしている。カルマさんは違った。彼女はアクセルを踏み、知影探偵とシャルロットさんに怒鳴りつけた。


「やめなさいっ! 野生の熊は野生の熊! 餌なんてあげたらどうなるか分かってるのっ!」


 そんな彼女にシャルロットさんは反論する。


「で、でも左の子は痩せてるし、何かを食べさせないと……」

「あの子はあの子達で大丈夫! 逆にあげたら熊達がどうなると思うの!? あの子達は人間の食べ物の味を覚え、人里に下っていく。そこで人を襲うからってことで射殺されるのよ!」


 僕もカルマさんの言葉に影響され、口がしっかり動くようになった。知影探偵のスマートフォンを奪い、叫んでいた。


「子熊をフラッシュで驚かせたらどうなると思う!?」

「えっ? フラッシュや音で……」

「危険と感じた場合、親熊がやってきてもおかしくないんだぞ! 親熊はこんな山の中でも六十キロの時速で走るんだ! 車がガス欠なんかした日にゃ、熊に殺されるんだぞ!」


 カルマさんが僕の言葉に補足を入れて、知影探偵を𠮟りつけた。


「ええ。熊が地元の人を襲い殺した事件なんて幾らでもあるわ。熊に対して迂闊な行動はやめなさい!」


 と、言ってから興奮を冷ましていくカルマさん。「ごめんなさい」を言って、意気消沈する知影探偵。泣きながら、「ごめんなさい、ごめんなさい」を繰り返すシャルロットさん。

 コトハさんはカルマさんの変わりようが怖かったのか、完全に震えている。

 すっかり暗い雰囲気になった後、カルマさんまでもが謝ってきた。


「ご、ごめんなさいね。いきなり怒っちゃって」


 僕は彼女を責めるべきではないと思い、庇うことにした。


「いえいえ。あれで正しいと思います。本当に熊は怖い……ですからね」

「うん……たぶん、この辺りは歩けないわね。そんなことになったら、熊と追いかけっこ。道が険しいってのもあって、生きて帰れる可能性は低いでしょうね」


 そこから出された話でカルマさんが、ここから行く山荘がどれだけ陸の孤島であるのかを教えてくれた。


「山荘に行くまでには絶対に熊に会うんですかね」

「どの山の降り方をしても……そうね。熊に会うか、崖から落ちるか」


 嫌な空気が車の中で飛び交う中、スマートフォンの反応が圏外になる。もう、戻れないな。

 この四泊五日は楽しいものでありますように、と願うばかり。

 何時間も掛けてやっと目的地に到着。伸びをしながら車から降りると、目の前には壮大な館が建っていた。

 まるで森の奥に隠れた幽霊屋敷のよう。ご立派ながら恐ろしい気迫を僕達に主張する。ゲームのダンジョンに挑むような気分で僕は前へ前へ足を動かしていた。

 シャルロットさんが鍵を持ち出し、「先に入りましょ」と僕達を先導する。最中、後ろからやってきた車の中から誰かが素っ頓狂な大声を飛ばしてきた。


「ちょっと! ちょっと! 貴方達! 作家先生を見てない!? 途中からいなくなっちゃったのよ!」

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