Ep.3 底辺領主の差し違い英雄譚
思い出すのも恐ろしき、圧倒的な威圧。ビルの二階へと連れ込まれた僕は顔も知らないはずの悪魔共に散々な言葉を浴びせ掛けられた。
「お前が何か起こしたら、すぐに訴えてやる」だとか「妙な気を起こすんじゃないぞ」だとか念入りに言われてしまった。
その正体は今回イベントに参加されるアイドルやモデルのマネージャー達なのであった。僕は何もしないから安心してくれ、と言いたかったものの口が震えて動かない。首を縦に振り続けることだけでもう精一杯。
解放され、一階の受付に戻ってきた僕に知影探偵はニヤリ。それから「氷河くん折角、おめかししたのに口から魂が抜けてるみたいで台無しね」と笑われてしまった。もう睨んだり、言い返したりできる元気もなかった。おまけに首も痛いし、最悪だ。
知影探偵はそれとは真逆に調子が良いようで、目をギラギラ輝かせている。
「じゃ、ワタシ、呼ばれたから更衣室に行ってくるね!」
「女性は更衣室があるんですね……で、どうしたんですか? 何か楽しそうだけど」
「更衣室に入ってったのよ。あのライトノベル作家、コマキ様が! 一緒に着替えられるなんて夢みたい」
「えっ、あの作家!? 本当なんですかっ!?」
コマキと呼ばれるのは、このイベントを企画した女性作家のペンネーム。彼女はファンタジーとラブコメを描き、ベストセラーまで行き着いた大御所作家だ。
僕も彼女のラブコメライトノベルを読んでいる。耽美かつユニーク、下ネタすらも上品に描ききる彼女の実力は底知れない。そんなコマキ先生がこの近くにいるとは、感動不可避。涙が出てきてしまいそう。
なんて一人感傷に浸っている間に知影探偵の姿は消えていた。代わりに眼鏡をかけたスーツ姿の女性が目の前で時間を確かめている。右腕にした腕時計を、何度も何度も時間をチェック。非常にいらだっていそうな感じがして、今は関わらないようにと壁の方へと足を下げてみる。
すると、彼女は大声を出した。
「遅い!」
「ひえっ!?」
つられて僕も声を出してしまった。
眼鏡の女が細い目でこちらを見る。鞭なんて持っていそうな見た目のせいで僕は身構えてしまうも、彼女は攻撃をしてこなかった。単に話をしてきただけ、だ。
「あら、氷河様でしたよね?」
「へっ!? あっ、はい!」
僕を氷河様と呼ぶからには今回のイベントの参加者だったようで。眼鏡の真ん中を指でくいっと上げ、大声を出した理由を話してくれた。
「大変失礼致しました。いえ、うちの作家の着替えが遅くて、イライラしていたところでございます。あの人は大変、自由気ままなところがありますから」
「コマキ先生のことです?」
僕が名前を挙げると、彼女は「ええ」と言って片目を閉じた。
「氷河様は聞いたことはありますか? コマキの自由奔放伝説」
「動物と話せるとか、蚊も殺せない程優しいだとか。執筆中は毎度毎度『ほわほわぁ』って言ってるとか……まぁ、そのインターネットで聞いたことが」
「ええ。ライトノベルの賞に長編童話を送り付ける位、天然で自由奔放です」
「……そういやぁ、聞いたことがありますね。それで確か、受賞には至らなかったものの出版社に目をつけられて、そこからがコマキ先生の伝説の始まりだとか」
「ええ、そこでワタクシが目を付けなければ、今の彼女はないでしょうね」
話を聞きながら、彼女の正体を確信した。コマキ先生の担当編集者だ。
「ああ……編集者の方だったんですね……」
「あっ、そうでした。申し遅れていましたね。ワタクシ、水の輝きと書いて
「き、きき、キスさん?」
水のスと輝きのキを合わせて、キス……にしましたか。
なんか単体だと恥ずかしくて呼びにくい。他にぴったりなニックネームも思いつかないし、慣れるしかないと思う。
仕方ないのだが、僕が自分で呼んでいて、ぎこちない感じが分かってしまう。キスさんも何だか照れるようで、足をもじもじさせていた。
そうして見せるものの、それは演技だったようで。コマキさんのことを思い出したか、ハッとなって更衣室の方を向いていた。
「遅いわね……」
と言っても、キスさんは着替えないのか。そう尋ねてみることにする。
「えっと、そのキスさんはもう?」
「ああ、ワタクシはこの姿が正装です。氷河様達と同じように皆、ここに本来の着替えはおいていって。あちらではこちらのイベントで用意させていただいた四泊五日分の着替えを皆が使います」
「へぇ……」
「さて、ワタクシはそろそろコマキを更衣室から引っ張り出してこないと……あっ、では向こうで落ち合いましょう」
「向こうで、です?」
「二台の車で分けて、山荘に行く予定となっております。ワタクシ達五人と氷河様を含めた五人別々に。すぐ迎えが来ると思いますので……こっちはもう迎えが来ているというのに……ほんと困りますね」
そう言い残し、彼女は更衣室の方へと走っていった。編集者は忙しいのか。それとも自由奔放らしきコマキに担当している編集者が多忙なのか。分からない。
キスさんが言っていた自由奔放さ。それでこれからイベントが企画される別荘まで買ってしまっているのだから、納得せざるを得ない。
それと同時に尊敬せざるを得ない。彼女の自由奔放さが欲しい。何事にも囚われず、未来へと向かっていける力を求めたい。
いや、そういや自由奔放と言えばもう一人。ここにいるパンダの着ぐるみを纏った女子大生も同じようなものだった。
「見るなー!」
知影探偵はこんなお茶目な恰好も似合う。僕は先程のお返しと笑わせてもらった。
「知影探偵、いいじゃないですか!」
「よくないよくないよくない! 何でワタシは初日からこんな、こんなぁ! あこがれてたコマキ先生にも笑われちゃったじゃない!」
「あっ、もう会ってきたんだ」
「ええ……うん……予想通りのぼけーっとした人だった。『わたしも着たいんだけど、この衣装ないの?』って、編集者らしい女の人に聞いてたわ」
言われても困るだろうな。決まった服があるのだから。キスさんも大変そうだな、と思いながら、僕は外の方を見る。
カルマさんが近くに五人乗りの車を停めて、こちらに手招きをしている。僕は時間を無駄にするべきではないと駆け足で動く。正反対に彼女は動かない。
「知影探偵? 何見てるんですか? って、預けてこなかったんですか? スマホ?」
彼女がスマートフォンを見ているものだから、僕は呆れ顔をしてみせる。
「いやね。スマホだけは山荘に行ってから回収するそうよ。って、アンタは渡したの?」
「……そういやぽっけに入ってたっけ」
「アンタはアンタで天然ね」
「そういう知影探偵こそ、天然で自由じゃないですか。何で車に乗ろうとしたところでスマホ見て立ち止まってるんですか」
僕の顔とは対照的に黒に染まる彼女の表情。
「いえ。また近くで殺人事件。金属バッドで女性が撲殺されてて……通り魔みたいね」
「通り魔じゃ僕達の出番がないでしょ。警察の情報収集力に任せるしかないです」
そう言うと、彼女は暗い表情を吹き飛ばす。
「そうね! 今週はぱぁーっと楽しみましょ! いぇーい!」
やはり自由だ、この女。
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