Ep.1 演劇サークルの恋愛事情

 それにしても重労働。僕は大道具を裏方から舞台に動かし、リハーサルの練習を手伝っていた。


「氷河くん! そっちの岩を右に! 急いで急いで次の出番まで時間がないんだから!」


 と命令してくる桐山先輩。声だけ聞けば偉そうにも思えるけれど、実際は彼も岩やら柱やらを運んでいる。他にも何人か大道具の運搬に携わる男達がいて、舞台には彼等の汗がぼとりぼとりと落ちていく。

 もう冬もそこまでと言うのに、この舞台だけは熱帯低気圧に覆われていた。

 舞台の前にいる一人の男性が「では次の演技だっ!」と言うと共に僕と桐山先輩は舞台裏の床に座り込む。

 同時に顔を見合わせて、笑い合った。それから彼の顔が少々くもる。軍手をはめた手を合わせ、今回の作業の件について謝ってきた。


「氷河くん。マジでごめん。急だったよね。でも思い付く中で君しか助けを求められる人はマジで君しかいなかった。俺の中で力が多少でもあって、お願いができる人って君しかいないんだよ」

「まあ、いいですよ」

「焼肉位でこの埋め合わせができるのか」

「いいですいいです。こうやって手伝えることが嬉しいですし」

「そ、そうか?」


 そう。桐山先輩の力になりたかった。昔、彼に助けられたお礼をしたかったから。

 小学校の頃、彼が「行く場所で次々と事件を起こす疫病神」なんて帰り道でクラスメイトにからかわれる中、現れた。中学生の制服を着て「やめろよ」との一言。お人好しの彼は通りすがりに僕が嫌がっている様子を察知して止めてくれたのだ。

 そのおかげで僕の帰り道は少しだけ楽しくなった。彼が事件のことを聞いてくれるから、話してみる。

 探偵が嫌いになる前は、母さんのミステリーについても談義したっけな。小学生が帰り際にやることが推理小説談義なんてちょっと珍しかったかも、だ。

 嫌いになった後も彼は別の話をして。高校になって少々疎遠になったかと思えば、好きだった演劇部に入ったと言って僕に有料のチケットを無料でくれたのだ。

 その恩に対する返しがしたかった。何処かの部長とは違って、本当に誠実な先輩だし、ね。ちょくちょく手伝ってあげたくなる。そして、その分僕も何だか嬉しくなる。

 僕は頷いて彼が「僕が無理に手伝っているのでは」という疑惑を払拭し、違う話題を提供した。ほんの少し気になっていることがあるのだ。


「大丈夫ですよ。それより……何で人数がこんなに少ないんですか? 大学の演劇サークルって……人気のようにも思えますし。今、舞台に出てる女性も美人ですし」

「い、いやあ。み、美空みそらさんに俺なんか……」


 聞いてもないのに照れて、頭の後ろを掻く桐山先輩。どうやら彼女のことが気になっているみたい。舞台の上にいる女性。美空。メイクがしてあるからと言うのもあるが、素も良かった。僕がこの大学の舞台がある会館にやってきた時、すれ違ったのだが茶髪からシトラスの甘い匂いも漂ってきて。他の男性なら、好きになっているかもしれない。

 そんな美女がいるサークルなら、彼女目当てで入ったり、舞台を手伝ったりする人もいそうなのだが。


「先輩の気持ちは分かりますよ。で、何で、そんな美しい人がいるのに……」

「ああ……氷河くんを呼んだかってことだな。ううん……いるにはいるんだけど、何人か辞めて、一人は休学」

「えっ?」


 何かあったのか。事件の臭いがするレベル。誰かまさか自殺でも……とミステリーめいたことを考えてしまってから、自分の頭を掻きむしった。何で探偵が嫌いなのにまた探偵のようなことを想像するのだ……と自分に腹が立った。

 

「氷河くん? どうした?」

「あっ、いや……不謹慎なことを……思っちゃいまして」

「別にそういうことでもないよ。簡単。その何人かは美空にフラれ、このサークルにいなくなった。で、もう一人休学した奴もラブレター書いてフラれて。うん。その流れについてはだいたい読めてた……」

「……玉砕どころか、全員まとめて大爆発してません?」

「ああ……辞めた奴の中には何人かまとめて女子を呼び出し、誰が好きか話し合わせたって奴もいるし……で、女子に『ふざけんな!』と怒鳴られて全員に帰られたとか」

「滅茶苦茶な性格ですね」


 そこで部長を想起してしまったが。彼はそこまでしないよな。うん、信じてますよ。部長。

 心の中にいる部長が安心できないガッツポーズをしているのを見届けてから、僕は桐山先輩の話に呆れ笑いをした。

 そんな時だった。

 

「邪魔。そこの部外者は何やってんの?」


 後ろから冷たい声。僕と桐山先輩がすぐさま立ち上がって振り返ると、細い目をした女の子、いや、背が僕の首より下にある女性がいた。当然、声の通り、不機嫌な様子。

 桐山先輩がそんな彼女の言葉に抗議した。


「ちょっと……こいつは高校生の身で手伝いに来てんだぜ」


 感謝をさせようとしていたみたいだ。しかし、失敗する。


「じゃあ、そんなところに突っ立ってないで舞台に出てる人や教授の飲み物でも用意させなさいよ」

「あ……ああ……うん」


 押し負け、僕と桐山先輩はその舞台裏から身の縮こまるような思いをしながら外に出た。共に晴れ晴れとした空の下に行くと、彼は僕に何度も頭を下げる。すぐさま僕はそれをやめるよう、心を乱しつつも伝えていく。


「ちょっ、先輩。首が折れますって! 何回もペコペコしなくていいですから!」

「いや、本当ごめん! 麗良れいら、主役から降ろされて次の二幕になるまで出番がないから、不機嫌なんだよ。この数か月間ずっと」

「そう言えば、僕がここに来た時も笑顔はなかったですねぇ。あの人」

「ごめん! 本当! 謝るから! 今の一幕を美空さんに取られて、不機嫌になってるんだよ。あの人!」


 麗良。彼女はかなり癖のある御嬢様系のサークルメンバーだそう。地球が自分のために回っていると言うのは、彼女の思考かな。

 僕は愛想笑いをして、「大丈夫」だと言うことを彼に告げていく。


「まあ……そうですね。出番前ですから更にピリピリしてても仕方ありませんよ。言われた通り、買ってきますよ。飲み物」

「あっ、いいのかい?」

「ええ!」


 と言うと、彼は財布から一枚のお札を取り出し、もう一度頭を下げた。


「じゃあ、お願いするよ。ジュースとかだと取り合いになるから……できればお茶とかでね」

「分かりました。確か近くにコンビニがありましたよね」

「ああ。そこを曲がって……」


 大学内にもコンビニがあるとは知らなかった。

 便利なものだな、と思い、祭り気分で賑わっている大学の構内を駆け出した。今日はオープンキャンパス。大学生が高校生を呼び込むためにも必死にチラシ配りをしていたり、自分のサークルの知名度を上げようと物品販売をしていたり。

 辺りの景色を楽しんでコンビニへと足を勧めようとしたところ。

 あり得ない二人組が僕の視界に飛び込んできた。

 二人組の片方、女性が大声で叫ぶ。


「ちょっとちょっと! あそこにいるのって、アンタの後輩じゃない!」


 もう一人の男は目玉を飛び出しそうな勢いで驚いてから手を振ってきた。


「おお! 本当だ! 氷河! 氷河じゃねえか! お前もいたのか!?」


 僕は口から間抜けな声とその他のものを漏らしそうになって、思いとどまった。何で僕が所属する部活の責任者、石井部長とSNS好きの女子大生、知影探偵がこの場でデートをしているのだ!?

 

 

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