Ep.8 公衆便所のストラテジー
人を指差してはいけないと言うことは幼少のころから教えられてきたこと。だけれども、その禁忌を破ってまで僕は知影探偵に人差し指の先を向けたかった。指摘したかった。
「来ちゃ、ダメでしょ!? アンタは病院で寝てなきゃ、ダメな人だろ!」
知影探偵は点滴されている手で腹を、もう片方の手で片耳を抑えて僕に反論した。
「ちょっと……お腹痛くなるから叫ばないでよ」
「いや、だったら病院で寝てなさいよ。知影探偵……何で事件現場に来てるんですか?」
「そりゃあ、決まってるでしょ。長谷川さんが、自分がちょっと前まで仕事に関わっていた人が亡くなって。調べない訳にはいかないでしょ。それに」
「それに?」
「SNSでも探偵をやってる人なら調べろって出てきたし!」
「SNSの言いなりですか!? やっぱ、寝てなさい! SNSの人達はアンタのお腹の痛みなんて分かってないんだから!」
僕は彼女に言ってやった。しかし、彼女は聞く耳も持たず、僕や赤葉刑事を差し置いて女子トイレの奥へと進んでいく。
そんな彼女が調べている途中で僕に質問を投げ掛けてきた。
「あれ……ねぇ、このトイレ、誰も入ってないのよね? 警察は……」
何か思うところがあったのか。一応、正しい回答をしておく。
「うん。公園の通り魔犯行説を推してるからね。どうかしましたか?」
「いや、何か……何だろ? 何か違う……!」
彼女はスマートフォンで辺りを写真に収めている。僕もついでに彼女と共に写真を撮っていた。普段なら、ここまで
今は事件の捜査だ。気にして、いられない。
知影探偵の方は二つある個室の奥の方の扉を開け、更に何か怪しいところを探しているらしいが。途中で「いやぁ!」と叫び、何かに対する不快感を叫んでいた。
僕はどうせ虫か何かに驚いたのであろうと思い、気にしなかった。つくづく、探偵として向いてないと思う。
だけれども、赤葉刑事がすぐさま彼女の方に駆けつけていた。
「どうしたの? って、危ない。点滴を蹴っちゃうところだった……ねえ、これ、外せないよね」
「ええ。医者はどうしても外すなって。おかげでタクシーに乗る時も好奇の視線よ」
だったら来るな、と言いたい。「そりゃ、食中毒患者が捜査のために外に出ようとしてる光景は珍しいよ」と嫌味を吐こうとした。と言っても、そんなことを話題にしていたら、話が逸れてしまう。
だから、僕は話を戻すよう、赤葉刑事に語り掛けた。
「そ、それよりも赤葉刑事。知影探偵の見た虫はいたんですか?」
僕はそう言いながら、手前の個室のドアノブを見た。少々埃は積もっているが、誰かがそれを少し払った跡がある。
たぶん、この個室に入ろうとした人がつけたものなのだろう。誰かが入った形跡はある。単にそれだけ、か。
僕は一応、トイレの中に入ってみる。
すると、便座の蓋が閉まっていて。そちらの方には埃が全く積もっていなかった。
わざわざ掃除もされていないこの場所で蓋に何故埃が積もっていないのか。まあ、使う人が埃だらけなのを気にして、拭いたのか。そう思ったもののハッと気づかされる。トイレットペーパーや便器の蓋を開けたところに、埃が溜まったまま。
何で、蓋だけ埃が拭き取られているのか。
そんな謎に直面した矢先、赤葉刑事から先程の答えがやってくる。
「いや、知影ちゃんがドアノブについた埃に驚いただけなのよ。ちょっとついてるだけなのに」
赤葉刑事のやれやれと言っているような顔が声の質で浮かんできた。知影探偵は「恥ずかしいから言わないでよー!」と騒いでいる。
何だ。ドアノブの埃位で驚いていては、事件の答えなんて永遠に辿り着けない……か?
少々自分の考えに疑問が生まれた。
そのドアノブの埃、驚くレベルで重要なものではないか。僕は状況を問い掛けた。
「ちょっと待って! さっき知影探偵、普通に奥のトイレのドア、開けてませんでした?」
その問いに一つ壁の向こうから答えが飛んでくる。
「開ける時、外からトイレに出る時、触るドアノブにはね。トイレから外に触らなきゃいけないのに結構、埃が……ちょっとね」
「ちょっと?」
「手の痕はあるのよ。外のドアノブはちゃんと綺麗になってたのに……何でこっちは少し汚いままなんだろ……そうなのよ! 変だと思ったのは埃の付き方よ! そこのドアノブにどうして埃がなかったのよ!?」
僕はすぐさまこちらのドアノブも確かめた。こちらの個室ではトイレから出る扉に関して同じく誰かが触った位にしか埃が拭き取られていない。
何故、奥の個室のトイレに入るところの部分だけ綺麗に拭き取られていたのか。殺人事件に関係しているとしたら、重大な証拠となるであろう。
そこで知影探偵に尋ねてみたいことがあった。そちらのトイレの中はどういう風に埃が積もっているのか、知りたい。
いや、しかし、点滴が邪魔で入れそうにない。写真を送ってもらうこともできるが、手間がかかる。仕方がないから、僕はトイレの蓋に乗らせてもらい、背伸びして個室の壁の上から奥のトイレを覗かせてもらうことにした。
最初に目が合ったのは、知影探偵。彼女は僕のやり方に睨んでいる。
「ちょっと。まさか、それで人がトイレしているところを覗こうとしてないわよね」
すぐに否定せねば。あらぬ疑いをかけられるのはごめんだ。赤葉刑事も少々、知影探偵の言うことに首を傾げて、納得しそうになっているし。
「違う! そこのトイレの埃! そっちも蓋だけが綺麗になってたり?」
知影探偵は僕の言葉に戸惑いつつも辺りを確かめてくれた。便座の蓋を開けると、そこには埃で汚れた便器があった。そこも蓋の上だけ汚れが取られている。
何故だ……と考えて、僕は降りようとしたその時。個室の仕切りの上に積もった埃が僕の肘に付いていたことに気が付いた。肘を埃に積もったところを置いていたから、だ。そうして仕切りの上にある埃を確かめると、一つ。
一本、何か長いものが置かれたかのように埃が取れていた。まるで、この太さ。縄。
僕は急いで大きさを比べられるよう、自分の手とその埃が消えた痕をスマートフォンで撮影した。
降りてから、何度も見返した。
つまりは、このトイレと横のトイレを繋ぐ縄のようなものがピンと張られていたのか。
あったんだ。僕の推理が正しければ、このトイレには重要な意味がある。様々な情報に気が付いた僕は、赤葉刑事に言っておきたいことを思い付いた。
「すみません。赤葉刑事……他の刑事が通り魔説をするってことは、司法解剖の結果でも不意にぎゅっと首を絞められたって出たんですよね」
赤葉刑事は頷いた。
「そうなのよね。不意に。本当に。縄に引っ掻き傷もなかったし。本当に一発で苦しめられて、そのまま殺されたんだって話よ」
「なるほどなるほど……そういうことね……!」
僕は彼女の言葉に感謝を述べた。まだ動機に関しては分からないことばかり。だけれども、この事件の真相が少しずつ、少しずつ見えてきた。
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