Ep.5 撃退スプレーから導かれる密室殺人説

「ああ……ああ……皆に伝えとく」


 部長の顔に前髪がかかって暗くなる。その時点で察することはできていた。部長が受け取った知らせの意味を。だけれども、聞かずにはいられなかった。

 自分の人工呼吸の意味があったと思いたかった。


「部長……鎌切さんは……」


 病院からの情報をスマートフォンで受け取っていた部長は、重い口を開いて庭に集まった住民全員に告げる。


「話によると、もうオレ達が部屋に入る何十分か前にはこと切れていたらしい。首元を蜂に刺され、アナフィラキシーショックって奴を起こしてしまったんだとさ……」


 同じアパートの住民が亡くなったことに、悲しみを隠さないものはいなかった。皆が虫の命も尊ぶ人達だったから。人の命が消えてしまったことにも同等の悲しみを感じたのだろう。

 そこでようやく、一風変わった彼等の人間らしさを知ることができたのだが。

 不意に余計なことまで考えてしまう。

 この中に偽物がいる。偽物の悲しみを抱えて、内心笑顔でいるのではないかと思ってしまった。

 

「……不幸な事故だよ。近くにいた蜂が入り込んじゃったんだろう。で、運悪く寝ていた鎌切くんを刺してしまった」


 瓜木さんが言い出した事故の可能性。僕はそれを否定と捉えていた。根拠として脅迫状のことが挙げられる。

 脅迫状が届いた後に事件が起きるとなると、どうしても誰かが故意に仕組んだことではないかと思えてしまう。


「嘘よ! 嘘だよ……こんなの、鎌切くん……鎌切くんが死んじゃったなんて……嘘だ……よ」


 膝から崩れ落ちる鎌切さんの同僚である亀梨さん。彼女のことを見ていると、彼の死に対して調べていくのも不謹慎なようで気が引けるのだが。

 調べてみるしかない。もし、この中に部長の祖母を脅迫して鎌切さんが死ぬのを狙っていた人物がいたとしたら、見つけよう。

 僕は黙って、鎌切さんが亡くなっていた二〇一号室へと戻る。鍵は僕達がぶっ壊したのだから入るのに遠慮はいらない。事件性がないからか、こちらには警察も来ていない。つまりはテープもない。

 僕を邪魔するものは何もなかった。後ろにいる二人の厄介者を除いて、は。


「おいおい……一人で何をするつもりだ? この事件は事故じゃないのか? それとも氷河の事件センサーがこれは殺人事件だとでも言っちまったのか?」


 壁に寄りかかって気障きざに喋る部長。


「……そこに虫はいないのよね……いないなら、し、調べるわよ。達也くん……どう考えても、脅迫状と人の死が同時にあって。殺人事件だって可能性は探偵だったら考査しちゃうわよ……あっ、蜘蛛!? きゃあ! ねえ、氷河くん、二〇一号室に虫は本当にいないのよね!?」


 壁をひっつかんで、虫を怖がる知影探偵。嫌なら来なければいいのに。探偵は中途半端に抑えきれない好奇心を持っているから厄介だ。

 それにこの二人が来るとなると、面倒ごとが増える。気になることを口で伝えなければならないのだ。

 例えば、中に入って最初に僕と部長が見た蜂を発見した時のこと。


「氷河……これはアシナガバチか……? 死んでるんだよな?」

「ああ……そうですね。スズメバチより小さいですし、そうですね。で、横になってピクリとも動きませんし、たぶん死んでます」

「の、割には結構、綺麗だな。あっ、そっか。鎌切さんを刺した際に蜂がぐさりと刺して一緒に死んだんだ」

「部長……」


 このように部長の勘違いに対して、指摘を入れなければならないのだ。

 ただ、今回だけはこちらにそろりそろりとやってきた知影先輩が蜂を見ないよう、スマートフォンに顔をくっつけながら語ってくれた。


「ち、違うわよ。ちょっと待ってね……前に聞いたことが……確か……あっ、来た。SNSの人達によると、『刺して死ぬのはミツバチだけ』なんだって」

「何で?」

「ちょ、ちょっと待ってて。それも聞いて……ああ! 蜂の写真送りつけてくるなって言ったのに!」


 いや、ならなかったよう。逆に面倒なことになったみたい。結局、僕が説明しなければならないらしい。

 胸を抑えて安堵していた僕が馬鹿だった。


「部長、ミツバチはかえしと言うものがあって、尻の針を人間の肌に刺すと抜けなくなるんです。だから抜こうとすると、体が……ってこれ以上言うと、虫嫌いな知影探偵に僕が引き裂かれそうになるのでやめますが。とにかく、死ぬのはミツバチだけで。まっすぐ針を刺せるアシナガバチ等は刺しただけじゃ死にません」

「じゃあ、何で」

「ここまで綺麗となると、たぶん……考えるに、蜂の撃退スプレーとかで死んだんだと思います」


 そうなると、普通に考えれば部屋にいた鎌切さんがスプレーでたまたま入った蜂を撃退しようとした。しかし、蜂は死にきれず。最後に鎌切さんを刺して、両方とも死亡で終わった。そんな筋書きが見えてくる。

 だけれども、肯定できるものが見当たらない。

 ふすまの中にも、部屋の中にもスプレーがない。蜂を殺そうとして使える道具は、ハエ叩きが布団の元に落ちているだけ。

 一応、何かの死体がぺっしゃんこになって、黒ずんでいる。もう何の形か分からない程に。ところどころ、黄色い液体も染みついている。虫を潰したとして、赤い血はほとんど流さない(人間の血を吸った虫は別だけれど)。

 僕は部長や知影探偵に質問をしようと、声を出すが。

 

「……あの、虫の血って……あっ、何でもないです」


 知影探偵の笑顔が見えたのでやめておく。この質問をしたら「なんてことを言うのよ! 想像しちゃうじゃない」とか言って拳が飛んでくるに決まってる。彼女に殴られるよりは別の人に聞いた方が良いだろう。

 虫のスペシャリストはたくさん、いるからね。

 調べたところはこれだけだ。取り敢えず、蜂の実物をどうしよう。うん。僕の目的でもある知影探偵を探偵としてダメにする計画に使おう。もしも彼女が今後、完璧に推理の証拠を揃えたとしよう。そこでひょいと、この蜂を投げれば大成功。推理ショーは、彼女の悲鳴でたいそう綺麗にいろどられることであろう。

 僕の人生を滅茶苦茶にした探偵に復讐するための道具として。一人探偵を諦める人がいれば、彼女に憧れる探偵も消えることであろう。

 ……そうすれば、危険な事件に首を突っ込み、命を落とす探偵もいなくなる。

 だから、そのために証拠品である蜂の死骸を袋の中に持ち帰る。

 知影探偵に見つかると窓から落とされることになるだろうから、そっとやっていたのだけれど。部長には見つかってしまった。

 彼は証拠品を保存しとくんだなと勘違いしてくれたと同時に「よく触れるなぁ」と苦笑いをしていた。

 

「あっ!」

「えっ!? な、何!?」


 そんな中、知影探偵が大声を出したものだから僕がポケットに隠し持ったものがバレたのかと思った。僕の足が震える中、知影探偵は二〇二号室と繋がっている穴を見ながらとんでもないことを口にする。


「窓から入る場所もない。そこにある小さな穴が二〇二号室に続いてるとして、死亡推定時刻に蜂がその穴から入るのを二人は見たの?」

「え……いや」

「いや。見てないな」

「で……蜂の死骸が落ちてることに気が付いて、刺されたかもって思って、この部屋に入ってきたのよね。その前に覗き穴を見た時、蜂は落ちてなかったんでしょ? いる気配もなかった……」


 その通りで蜂は何処にもいなかった、と僕達は同時に口を揃えた。

 そうか。知影探偵、少々鋭いところに気付いたようで。


「となると、これは密室よ! 窓もドアにも鍵は掛かってたし。蜂が特段入れるようなスペースもあそこの穴以外にないでしょ! そこの穴に入る蜂を見ていないって言うんなら、撃退スプレーでやられた蜂がふらふら入って、鎌切さんを刺してったこともあり得ない」

「そうだな。あり得ない……」


 部長が頷いた後に、知影探偵は考えていた筋書きを口にした。


「つまりは蜂が鎌切さんを刺し殺した後。蜂は誰かの手で撃退スプレーにより、息の根を止められて。この窓や扉の鍵が掛かってる密室から、撃退スプレーを持ち帰ったのよ。扉や窓は糸が使えるような仕掛けもなし。完全なる密室よ! 密室から消えた人物が鎌切さんを刺すように蜂を飛ばせていたら、それはもう完璧なる密室殺人に違いないわ!」


 見事な推理。

 もう蜂を投げて、彼女の思考を滅茶苦茶にしてしまおうかと思ってしまったのは内緒だ。







 

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