Epilogue 命と嘘の葬送曲(レクイエム)
Ep.1 優しかったはずなのに
事件から数日後。僕と美伊子の別れを想起させるような蒼の色が空を支配しようとした頃。
僕は学校帰りの姿でとある人物が入院している病室の扉を開けていた。
「……ふぅ……」
病室で横になっているのは知影探偵だった。彼女はスマートフォンを片手に何度も溜息をついている。僕が足音を立てて、近寄ると彼女は手を滑らしたのか、額の上にスマートフォンを落としていた。
「いったぁい!」
「知影探偵、何やってるんですか?」
僕が声を掛けると、恥ずかしいところを見たなと文句をつけんばかりの睨み方をして起き上がる。
「何って退屈だから、SNSで話をしてただけよ」
「SNSはフォロワーさんに裏切られて懲りたんじゃ」
「懲りたなんて一言も言ってないわよ。嫌な奴だけ排除して、また心機一転始めるわ」
「はぁ……」
心も体もしぶとい彼女。僕と話している最中にも時折、スマートフォンの画面を見てふんと笑っていた。
僕は呆れ笑いで反応するしかない。そんな楽しさの欠片もない笑いだが、何故だか部屋の中は暖かくなっていた。
「で、氷河くん……まず、話をする前に質問をいいかしら?」
「いいですけど、何ですか?」
特に追及される覚えのことはないが。いや、彼女なら「何でワタシの推理を横取りしたのよ! ワタシが推理するべきだったでしょ!」位文句を言ってきそうだ。そうなったら走って逃げられるようにと、後ろ歩きを始めていた。
ただ、そんな行動のせいで彼女から白い目を向けられることとなる。
「どうしたのよ……? 別に尋問とかをする訳じゃないわよ? ただ、どうしてワタシなんかの見舞いに来たのかなぁって」
「決まってるでしょう。知影探偵がいなかったら、今の自分はありませんでしたから。助けてもらってお見舞いにも来ないなんて、無礼すぎます」
「そっか」
恩人という借りがなかったら、来ていなかったと思う。特に探偵なんて人の怪我の具合なぞ知ったことないと考えるだろう。勝手に事件へ首を突っ込んで、怪我をしていく探偵なんて病院や警察の人からしたら迷惑極まりない。
ただ、今回の場合はそれが僕。で、死にそうになったところで助けてもらったのだから、彼女にはひたすら頭を下げて、謝ることしかできなかった。
「本当にすみません……」
「いいのよ。別にワタシが推理してショーを披露したとしても犯人に逆上され、怪我をしていたことに変わりないし。親にもそう言われちゃった」
「へ、へぇ……で、あっ、で、知影探偵は推理をするために来たんですか……?」
「ううん……違うわ。アンタの先輩に呼ばれたから」
「えっ」
僕がその事実に目を丸くしていると、彼女が更に驚いた様子で大きく口を開けた。
「えっ……? 聞いてないの? その先輩から」
「いや、知影探偵とメールアドレスを貰っていたのも初耳です」
「容疑者から連絡先を教えてもらうことも探偵の仕事なのよ。で……じゃあ、何でその達也くんがあそこに来たのかも知らないの?」
「ええ……ちょっと」
病院に運ばれた後も、まだ彼と話せる勇気が僕にはなかった。ずっと彼を意識し、避け続けてしまった。
「まぁ、その事情には深く踏み込めなさそうだから。来た理由は達也くんと仲直りして聞きなさい」
「ええ……」
ううん。難解だ。あの先輩がどのようにして、僕の危険が分かったか。浦川先輩が呼んだにしても少し早すぎる気がするのだ。部長の家と仁朗高校には一応、かなりの距離があるし。
ダメだ。幾ら考えてもハッキリしない。彼の脳の構造から考えて……いきなり謎の答えが分かり、犯人をとっ捕まえに行こうぜとなったとは、考えにくい。
気になるけれど、本人からは答えが聞きにくい状態。仕方なく後回しにする。
「しょうがないかぁ、聞けるかなぁ……」
「まあまあ、そんながっかりしないの。いい情報もあげるから。仁朗学園で起きた悲劇の原因。狐ヶ崎先生のこととか」
「……へぇ」
「聞きたくなさそうな顔ね」
「そりゃ、動機のこととかだったら面白そうだけど……ううん……あれ?」
時間差で知影探偵の言葉を理解した。あっ、と声を上げたため、またも知影探偵は目を細めながら首を傾げていた。
「意味が分かんないわね。アンタって天然なの? それとも、ただの馬鹿なの?」
「……何なんでしょうね。それよりもどうして、そんな情報を知ってるんですか?」
「SNSじゃ、何でも情報が入るのよ。狐ヶ崎の同級生と名乗る人物から貰った話だから、本当に信じられるかは分かんないけど、その人が上がる関係者の名前を見る限り、信ぴょう性は高いわよ」
「じゃ、教えてくださいな」
僕は黙って、彼女の話を聞いていた。
狐ヶ崎は幼少期から両親の虐待を受けて育ってきた。そのせいで暗い性格となり、クラスの中でもいじられ、いじめられが絶えなかったと言う。しかし、相談できる人もおらず。ただただ傷付く日々が過ぎていった。
そんな中、両親二人で交通事故に遭って、親戚を
ただ、少女は平穏に生きていたかった。ただただ自分が責められず、いじめられず、人として普通の生活を送ることだけを望んでいたのだろうか。
一人押し入れの中で体育座りになり、何もかもが嫌になって涙を流していたに違いない。
そんな彼女が大人へと成長し、学校の教師となった。成功した未来が、輝かしい未来があると思った矢先、彼女は更なる絶望の海へと沈むこととなる。
パワハラ、セクハラ、生徒からのいじめ、学級崩壊。全てが彼女の心を飲み込んだ。誰かに相談したくてもできなかった。
彼女が仁朗学園へ転任してきた後も同じ。最初は少々平穏な日常を送れていたそうだが。それを運命は許さなかった。
彼女の元に現れることとなった加納教頭。彼はどうやら狐ヶ崎に気があったようで。日に日にストーカーじみた行為が増えていったそう(その話から、僕は神原先輩を付きまとっていただけではなく、狐ヶ崎のそばにいたいと言う気持ちもあってパソコン部の周りを歩いていたと推測した)。
辛くても苦しくても、どうしても人を殺めてはいけない。そう彼女も言い聞かせたはずだ。何が起きても、自分の保身をしてはならない。
そう思ったはずだ。
だけれども、神原先輩がきっかけを作ってしまった。岸先輩のいじめ。彼女は自分には止められないと感じた。止めれば、自分も被害に遭う。自分も殺されると。ならば平穏にしていればと考えたのだろう。高校の時代の自分みたいにいじめられたって生きていけると……。
だが、ついに恐れていたことが起きてしまう。岸先輩の自殺だ。そこで狐ヶ崎は自分が責任を取らなければならないことを知って。
たぶん、そこから狂ってしまったんだと思う。彼女の自制心が。きっと彼女だって自分の生徒を手に掛けようなんて思ってなかったんだ。
それを誰が証明できるかって? 今、目の前にいる知影探偵が示している。
彼女は話しながらもいつしか涙を含んだ声になっていた。何度も嗚咽を繰り返していた。
彼女も狐ヶ崎教諭の世話になった人。その彼女が言う。
「言っておくけど……あの先生は本当にいい人だったんだから……コンピューター部の中では……本当にいい人だったんだから……何度もあの先生に勉強のこととか、将来のこととか……話したの! ちゃんと聞いてくれるいい人だったから……」
今まで何とも言えないような顔をしていた知影探偵の顔がくしゃくしゃになっていく。見た目なんて気にせず、彼女は訴えかけていた。
どうか、どうか彼女を嫌いにならないで、と。
そして、もう一つ。加納教頭のことも、だった。
彼もいい人……だったそう。彼も優しい男の教師で、授業でもよく楽しい話をしてくれていた、と。皆が授業で笑っていた。そんな愉快な先生だったと。しかし、離婚がきっかけで……。家庭のことがうまくいかず……業務だけでも成功させようとして、全ての優しさを捨ててしまった。
「この数年間で全部全部……変わっちゃった! ワタシの楽しかった学園生活も、岸くんも神原ちゃんも、加納教頭も、狐ヶ崎先生も……全部、全部血みどろになっちゃった……!」
彼女が叫んだ直後、僕は何も言えなかった。何も彼女を慰められる程、人生の経験がなかった。しかし、分かっている。
彼女が加納教頭のことを大切に思っていたことも。
何よりの証拠が僕と彼女が初めて出会った時のこと。知影探偵は、加納教頭のことを信じていた。学園の平穏と加納教頭の話す言葉が正しいと思っていたからこそ、外部犯の可能性が強いと考えたのだろう。
でなきゃ、誰でも疑うはずの探偵が内部犯のことを忘れるなんて、あるはずない!
「……知影探偵、お話、ありがとうございました……探偵じゃなく、知影さんとして、その思い受け取っておきます。きっと、知影さんの見てきたものは正しかったと……思います」
「うん……うううう……!」
美伊子の話もしようとは思ったのだが。無理だ。今の悲しんでいる状況で、僕は別の話を持ち出せなかった。それに、彼女はまだ傷が痛むようだし……その上、僕自身も感じている心の痛みに堪えるだけで精いっぱいだった。
今日のところはここまでにしましょう、と帰らせていただく。
そのまま病院を出て、とある広場へと直行する。もうすぐ美伊子の配信が始まる時間だ。
彼女自身に聞いてみよう。これから、僕はどうすればいいのかを。
今感じている心の痛みをどう消せばいいのか、を。
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