Ep.29 死の臭い

 暖かい。だけれど、ふと気付く。僕の顔に血は飛んでいるが、全くとして、痛みがない。

 顔を上げると、地面に血塗れをしてでも這って狐ヶ崎の進行を引っ張っている男がいた。

 加納教頭だった。

 

「やめなさい……こっから先は……」

「何でまだ生きてんだよっ!」


 加納教頭を蹴散らそうとして、血が飛び散っている。それがまた僕の頭に付着して。

 訳の分からない状況のせいで何とも言えない感覚に陥った。

 何で加納教頭が、僕を助けているのだろうか? あの自分の名誉のことを考え続けた人間が何故に僕の命を留めているのか、全く分からない。

 それにおかしい。もう体が引き裂かれる程の痛みを味わっているはずだ。声なんて到底出せるはずもないのに。

 

「ああ……模範として……やめさせなければならない……! この命尽きようとも絶対に……狐ヶ崎先生を止める……!」


 しかし、実際に加納教頭の口は動いている。体に無数もの穴が開いている彼が必死に食い下がっているのに、僕が動かなくてどうするんだ。

 そう思い、僕は狐ヶ崎が加納教頭に集中している間に立ち上がって、殴りつけた。狐ヶ崎は背中を壁に打ち付けるも、包丁は持ったまま。

 更に瞳に殺意を込めて、僕の元へ突進してくる。ただ横にも避けられない。僕の後ろにかがみこんでいる生徒がいて。

 僕が避けたら、その子が殺されてしまう。

 僕は腕を構えて、耐えようとする。


「はぁ……はぁ……おりゃあああああああああああああ!」


 そこで野太い女性の気合が入った声がして。そのまま横に狐ヶ崎が吹っ飛んでいく。

 汗をだらんと垂らして、狐ヶ崎と共に倒れたのは知影探偵だった。彼女が横から突進したのだ。


「な、何で知影探偵が!?」


 共に倒れた狐ヶ崎へ飛び掛かった僕の疑問に答えられる余裕はなさそうで。彼女は僕と共に狐ヶ崎を制圧しようとしていたが。

 狐ヶ崎に包丁で腹を切り裂かれてしまう。


「うぐっ!?」

「知影探偵!?」


 彼女が腹から血を流す様子に僕は一瞬気を取られてしまい、狐ヶ崎の暴走を許してしまった。すぐさま僕と血だらけの知影探偵を振り払い、包丁を持って暴れようとする狐ヶ崎。

 もう……止めようがと思った矢先、筋金入りの奇跡が起きてしまった。


「……武道場から竹刀を拝借しておいてよかったようだなぁああああああああああ!」


 バチンと酷い音がした後に包丁が狐ヶ崎の手から飛んだ。竹刀で小手を撃たれた狐ヶ崎はその手を抑えて、血の海にうずくまる。

 そんな彼女を抑えつけたのが、部長。石井達也部長だった。


「何で……って言ってる場合じゃない! 救急車だっ! 救急車を!」


 僕は急いで倒れ込んだ知影探偵と加納教頭のために、救急車を要請する。部長も狐ヶ崎を誰かから貰った縄で縛り上げるのを終えると、すぐさまこちらに来て、服やらシャツを脱ぐ。それから血の出た部分を縛って、賢明に加納教頭と知影探偵の止血を試みていた。

 そんな彼の配慮に申し訳が立たなかった。僕の目から涙が零れ落ちる。 


「ありがとうございます……部長……助けに来て……それで」

「ああ……それよりも今は、二人を助けないとだ。傷口を抑えて、止血に集中しろ」

「はい……!」


 痛みのせいか、気絶した知影先輩の腹からあふれ出る血。そこの傷口に部長の服を押し付けて、圧迫する。泣きながら何度も祈った。二人とも助かってくれ、と。

 しかし、隣で部長に止血をしてもらっていた加納教頭は生きるのを諦めたような掠れた声を出す。


「そちらのお嬢さんを先に助けてやるんだ……わ……しはもう……いい……」

「喋んなよ! このくそじじぃ! 黙ってろ! 生きてもらわねえと、胸糞わりぃんだよ!」


 部長が威圧するのは見たことがなかった。圧倒された僕は黙っていた。ただ、加納教頭はその言葉を聞いていなかった。


「もう……いい。もう少し、優れたことを生徒達にしてやりたかった……勉強や名誉だけが全てじゃ……ないんだなぁ……勉強以外のことを教えて、こんなに気持ちよくなれるんなら」

「黙れ! 黙れよ!」


 部長が出す必死の叫びも届かない。

 

「……間違っていた自分への罰なんだ……これは……そうだ……次の教頭がこの学校の闇を晴らしてくれるように……」


 たまらず僕も叫んだ。


「自分で言えよ! 自分でその人に言え! 自分でやれよ! 生きて……生きて、やれよ……! 自分がこの学校を救えよ! まだやり直せるんだからさぁ!」


 そう叫んだ途端に、悪夢が起きた。

 べちゃりと外で何かが落ちた音がする。この音は知っている。今まで散々悪夢の中で見てきた音だ。

 僕や部長は止血に夢中で見ることはできなかったが。

 状況は分かった。部長が虚ろな目で状況を呟いた。


「嘘だろ……縄が甘かったのか……」

「狐ヶ崎がいない……」


 たぶん、あの音は何かが勢いよく地面に落ちてぶつかる音。狐ヶ崎が落とした人か……それとも……。

 そのまま止血はままならないまま、救急車に運ばれる加納教頭と知影探偵。僕は放心しながら、彼等を見送っていた。


 知影探偵。彼女は病院に搬送され、手術の後、夜には意識を取り戻していた。気絶した時にはひやひやさせられたが、どうやらそこまで深い傷でもなかったようだ。

 ただ、救われたのは彼女だけ。


 惨劇を目撃してしまったせいで心が壊れてしまった学園の生徒も少なくはないらしい。高校を退学する人も大量にいたそうだとか。

 名誉と学力だけを守り続けた学園にもう未来はない。


 加納教頭。彼は大量出血により、搬送先の病院で死亡が確認された。

 狐ヶ崎弥世。目撃者の話によると、彼女は縄を引きちぎった後、二階まで移動したらしく。それから突然、窓から落ちていったと言う。

 頭から落ちたことで即死だったそう。

 自殺した原因は世間の波に乗って、様々な場所へと伝っていく。それは時に誤解や嘘も入り混じり。僕の推理ショーを黙って聞いていた人達のせいで様々な曲解ができあがってしまった。


 狐ヶ崎は罪に耐えきれなくなり自殺しただとか、誰かを殺そうとしてその勢いで誤って落ちただとか。

 とりついた岸先輩が狐ヶ崎を殺しただとか、本当にくだらない推測が世の中へ流れていった。

 

 ただ間近で見ていた僕にも否定できないところがあるから、本当に本当にくだらないのかは分からないけれどね。

 これでまた学園が明るくなっていくかと言えば、別の話。

 きっと再び、人狼が現れる。あの学園、いや、そこだけの話ではない。誰かが人を傷付けようとすれば、必ず始まってしまう。

 憎しみと恨みの果てに惨劇を起こしてしまう、悲しい、悲しい定めの人狼ゲームが……。

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