Ep.3 人狼が住む学園で

 呆然としていた僕がハッと気付いた頃には廊下に誰もいなかった。置いてかれていたことを理解できた時には、学校の中で迷っていた。

 廊下の床がフローリングになっていて、走ると滑る。熱心に掃除されているのはいいことだが。

 僕が焦っていたら、思わず前のめりに倒れてしまった。咄嗟のことで受け身を取れず、顔が床にぶつかった。

 誰かに見られていなくて良かったと思う。もし好奇の視線に晒されていたら、小恥ずかしくてこの学校にいられなかっただろうから。


「にゃー」


 顔を上げると、白猫がいた。動物には見られていたらしい。「動物でも見られるのは恥ずかしい!」と思っていたところ、毛並みのいい猫は僕の頭にもさっと手を乗せた。

 慰めているつもりなのか。それとも主導権は自分にあるぞ、逆らうなと言っているのか。

 僕から手を離した後、白猫は自身の手をぺろぺろしながら顔を洗い始めた。こいつが今、何がしたいのか分からない。例え思考の力があって、人の心を見透かすことはできようとも、動物の考えまで知ることはできない。

 だから僕は別の疑問を持っていた。


「何で、猫が学校の中に……?」


 考える間でもなく、疑問はすぐに解消された。


「おおい! ロップ! 逃げちゃダメよー!」


 白猫を学校に入れた人物がいたのだ。

 声の主は女性。遠くから聞こえてくる。そこでふと自分の姿を顧みた。間抜けな姿を見知らぬ女性に見られる訳にはいかぬと立ち上がる。急いで立ち上がったものだからその勢いが止まらない。足元が滑るがために今度は後ろへ転倒した。

 

「うわぁあ!?」


 背中に壮絶なる痛みが走り、すぐには立てなかった。その合間に女性はやってくる。

 茶髪のツインテールをした濃い顔の女性が見知らぬはずの僕をいぶかし気に見つめていた。彼女にとって、僕は不審者なのであろう。

 恥ずかしさ極まりなくて、僕は体全体が熱くなっていくのを感じた。


「何やってるのかしら?」

「すみません。つい、転んでしまって……いやぁ、面目ありません」

「……さっさと立ちなさいよ」


 彼女はスッと僕の方に手を伸ばす。冷え切った彼女の手を掴ませていただいて、ひょいと立たせてもらう。今度は転ばないようにそっと足を動かした。

 それから見知らぬ女性に頭を下げた。彼女に聞きたいこともあるし。


「あ、ありがとうございます……あ、あと」

「どうしたの?」

「パソコン部に用があったんですが、何処で活動してるとかって分かりますか?」

「ちょうど良いわね」

「えっ? ちょうど良いって?」


 彼女は唇に指を当てて不敵に笑う。それから、彼女は自身の正体を明かしてきた。


「あたしはパソコン部部長。二年、神原かんばら今日留まひる。君が今日来るって言ってた氷河くんでしょ? 部長はもう来てるわよ」

「あっ、お世話になります!」


 再度礼をする。彼女もまた部長のいきなりに巻き込まれた被害者だ。今日のために時間を作ってくれて嬉しいに限る。

 後は、パソコン部の活動場所へ案内してもらえば良い。彼女が猫を抱え、「ついてきて」と歩き出したところで、共に足を進めつつ質問をした。


「あっ、そう言えば、さっきロップって言ってましたよね。その猫」

「ええ。ロップ」

「神原先輩は飼ってる猫を連れてきてるんですか?」

「違うわよ?」

「ん?」


 彼女が説明するには、この猫は学校に住み着いた野良猫らしい。たまたま見つけた神原先輩が毛づくろいと世話をしていると言うことだった。

 そんな猫の話をしつつ、廊下の奥へと進もうとしていた矢先。

 背中に不可思議な感触を覚えた。冷たい何か。視線だと気付くのに時間は掛からなかった。好奇のものなら僕が珍しいからと納得できるのだが。この嫌に冷酷なものは何だろう。まるで背中が冷え切るような拒絶の感情がこちらに迫っているように思えた。

 そっと神原先輩に耳打ちする。


「すみません……さっきから……」

「何か、感じるのよね。気にしなくていいわ」

「えっ……大丈夫ですか?」

「ええ。アイツはあたし達に手出しはできない。問題ないわよ」

「て、手出しはできないなんて、どうしてそう言い切れるんですか!」

「だって教職員が生徒に手を出したら、ダメでしょ」


 神原先輩が出した言葉に驚いて思わず歩を止めてしまうところだった。教師が何故、僕達の後をつけているのか。理由が分からないから不気味だ。この学校には生徒を追い回すのが趣味の変態教師でもいるのであろうか?

 

「ううん……」

「悩まない方がいいわよ」

「えっ?」


 僕が声を出して唸っているのに、神原先輩は気付いたらしい。


「正確には、考えない方がいいわよ。この学校では深入りすることは罪。狼に食われるわよ」


 同時に猫のロップがニャーゴと鳴いたものだから、酷く恐怖を感じてしまった。彼女が窓からの風でツインテールをそよがせながら喋り始める。

 冗談なのかと思ったが、彼女の眼は全く笑っていなかった。


「えっ? 先輩……?」

「誰もが疑念を持って生きるのが、この学校の習わし。疑念を持ちたくなければ、誰かに従えばいいの。黙って貴方もあたしに従いなさい。そうすれば、狼に食べられることもないわよ」

「え、えっと」


 変な冷や汗を垂らしながら、問い掛けてみる。


「どうしたの? 氷河くん?」

「いや、さっきから狼、狼って言ってますけど、何で狼なんですか? 森の中の高校って訳でもないですし」

「あら。この高校の名前でピンと来なかったのね」

「高校……仁朗学校……あっ」

「そう、この学校は一部の人からこうも呼ばれてるの。人と言う狼の住む、人狼学園だって、ね」


 人狼か。普段は人間に紛れているが、夜になると狼の姿へと変貌するヨーロッパの怪物。そして変身した暁には人間の誰かを殺し、食らうと言われている。

 そんな怪物に例えられるこの高校。早く事を済まして、出た方がいいのだろうな。

 視線を突き付けられたまま、僕は彼女達パソコン部の部室へと連れてこられた。そこにはすでに石井部長がいて、浦川先輩が操作するパソコンの画面を見入っていた。僕や神原先輩が来たことにも気付いていない。

 もう一人、少々僕達よりも歳を取った人物。何かのテストを採点しているのか、机の上に紙を広げている。そこから考えると、たぶん、彼女は教師。パソコン部の顧問教師であろう女性がいた。彼女はお淑やかに神原先輩に語る。


「遅かったじゃない……」


 神原先輩はそんな教諭の言葉に呼応もせず、部長と浦川先輩が見ているパソコンの方へと向かう。

 僕はその教師の方にも「こんにちは」と挨拶してから、彼女達が始めるVtuber講座を聞くことにした。

 「3Dモデル」だとか「声」だとか。難しい知識が頭に入ってこなかった。それよりも神原先輩の態度が気になってしまったのだ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る