Ep.5 価値観が合わない

「えっ、そうなの?」


 美伊子がこちら側に来て「あっ、本当だっ!」と鼻息を荒げて声を出す。ついでに古堂さんを舐めるように見回していた。

 女子高生からの視線に恥ずかしがる古堂さん。素早くスパリと右手をポケットから抜いて「これでいいかな」とてのひらに巻いてある包帯を見せつけてきた。白い包帯に滲み出る紅色の液体は血で間違いがない。縦の形に細い傷があるのか、血が上から下に引いた線になっていた。綺麗と言ってしまうと失礼か。

 そんな怪我のことを僕達が気にするものだから、古堂さんは怪我の経緯を口にし始めた。


「いやね。一度帰ったんだけどね。買った美術品を部屋に飾ろうとしてたら、つい、違うものを割っちゃって」


 彼が骨董品を割った状況を想像して、何だか大変なことが起きたように思ってしまった。彼は平然と話しているけれど、とんでもないことをしたのではないか……? ふと、確かめたくなってしまった。


「割ったって、それ高額なものじゃないんでしょうね……」

「いや、まだ数万の損失で済んだがね。損害保険に入ってて良かったよ」

「そ、そうなんですか。質問、すみません。次、進めてください」


 この人の場合、自分達と巧く価値観が合わない。一万二万の金が消えたところで、慌てることもないと考えていそうだ。

 こちとら、金で死ぬ程悩んでいると言うのに。


「で、その破片で手を切っちゃったって訳だから。別にこの事件とは関係がないんだよ」


 そんな古堂さんに「そう?」と言って美伊子は疑問を告げていた。


「でも娘さんのハンカチで拭かなきゃいけないって、相当慌てたことがあったんじゃないですか?」

「い、いや、このハンカチは娘が怪我した時に使ってって言われてね。自分結構怪我をしやすい体質でね。足とか生傷とかが絶えないんだよね」

「そうなんですか。傷ねぇ」

 

 そうだ。傷と言えば、事件に関係のある証拠があった。彼にこの事実を突き付けて、情報を提供してもらわなければ。


「なぁ、美伊子。スマートフォンに死体の写真は撮ってあるか?」

「一応あるよ」

「じゃあ、顔のところをお願い」


 話の内容から死体のグロテスクな写真を見せつけられると思ったらしく、古堂さんは僕達から身を引いている。

 

「ちょっ、ちょっと……! 人が血だらけなのは、苦手なんだけど……!」


 美伊子が彼を逃げないよう、見てもらいたいものを細かく説明する。


「大丈夫ですよ。ただの怪我の写真ですから。そこまで死体も血に塗れてませんし」

「ああ……そうなんだ」


 大人しくスマートフォンに映っているものを見てもらう。

 小山さんの額に合った切り傷、だ。美伊子がその写真を提示している間に僕が質問を投げ掛ける。


「この怪我って、犯人と格闘してできたものなんでしょうか? それとも、元々あった傷なのでしょうか? たぶん、貴方が一番最後に会った人だと思いますし。貴方が見ているか、見ていないかでだいぶ話が変わってきます」


 この長文を言い切った後、少しドギマギしてしまった。僕はまた、探偵みたいなことを口にしてしまった。何と偉そうに。

 今の疑問で古堂さんが変なことを言ってしまったら、どうしようかとも思っていた。もし犯人と決めつけられる発言をしたら。彼を捕まえることができる。しかし、それで幸せか。

 彼には娘がいるし、妻もいることであろう。彼の人生を滅茶苦茶にするかもしれない。本当に良いことか、と。

 ただ不安に反して、彼の言葉には何の怪しさも感じられなかった。


「元々あったな。傷みたいなのが。自分が見た時には血の跡がなかったから、犯人と戦った時に流れたのか……な?」


 安心できる証言だ。心軽くなった僕は質問を重ねてみた。


「では、その理由は聞きました?」

「ああ。そこにある食器棚が開いていたのに気付かず、端にごつんと当たったみたいだよ。そう言えば結構、痛そうだったなぁ……角に当たると肌が切れるんだよなぁ」

「ああ……それは痛い……ですよね。私も……たまにやります」


 美伊子が口を開き、肩を震わせて反応している。僕も分かる。開けてあった戸棚に頭をぶつける時とタンスの角に小指を突撃させた時の痛みは半端ない。想像なんかしてしまうと、またあの時の苦痛を味わいそう。これ以上痛みのことを考えないよう、痛みの話題はここで終わりだ。

 一応、まだまだ聞かなければならないことはある。

 殺しそうな人の心当たり、だ。それと動機の話だ。彼が犯人でないと信じて、その二つについて尋ねてみた。


「あの、小山さんを恨んでいた人の心当たりとか、ありますか?」


 彼は間髪入れずに説明してくれた。


「そりゃ、さっきも肥田さんから聞いたかな? あの話。十分、恨まれる素質があった人だよ」

「それはやっぱり、骨董品や美術品を取引していた貴方にも……?」

「そりゃあ。値段吊り上げられたり、自分が富豪なのをいいことに気に入らないことがあると、すぐ怒鳴って『いつでもお前の仕事を奪うことはできるんだからな』とか。今の仕事、あの人に紹介してもらったものだから逆らえなかったんだよ……」

「だから……貴方にも殺す動機があったってことですか?」


 唾をごくりと飲む。胸を抑えながら、彼が首を縦に振る様子を見つめていた。


「そりゃあね。でもね。それでいちいち人を殺してたら、自分は殺人鬼だよ。こういう取引を趣味にしてると、嫌な奴なんて幾らでも遭う。そもそもやっていなくても。ほら、あの探偵みたいに人を頭から疑う奴と一緒にいることなんて、日常茶飯事、だよ。そういう時はぐっと我慢だよ」

「我慢」

「それにあの人もそこまで怒れないよ。なんたって、病気から立ち直ったばっかだったろ。怒鳴ったら、頭の血管がプチリで。ほんと、我慢したかいがあったよ。今日は、小山さんに怒鳴られなかった」

「なるほど、ためになります」


 美伊子が彼の話をスマートフォンに記入する。肥田さんは警察が来るまでの暇を持て余し、リビングのカーテンを掃除していた。

 そんな時、またもドアの音が開き、屈強な男達が家に入ってきた時だった。

 探偵が言った。


「……さて、警察も来てくれたことですし」


 探偵の存在をすっかり忘れていた僕達にも非はあったのか。探偵は僕と美伊子を睨みつけながら、警察の人達に語り始めていた。

 

「今から推理を始めることにしましょうか。なっ、そこの高校生共……?」


 美伊子は探偵が何を言うのか瞬時に分かったらしい。あちゃぁと手を顔に当てて、悔やむような仕草を見せていた。

 僕は理解することができずに、探偵へ問い掛けた。


「何で、僕達に話を振ったんですか? まだ事件の謎は解けてませんよ」

「いやいや、お前達に謎を解いてもらおうなんて思ってないし。こっちが一人で全て謎は解けたんだ」

「えっ……!」


 我慢が大事と古堂さんに言われていた。しかし、限界と言うものもある。次の発言が僕の心を酷く刺激した。


「犯人は、そこのお嬢さん、何だよ。証拠も揃ってるんだ! 観念するんだな!」

「はっ!?」


 彼女が警察の前でそう言われ、ただただたじろぐばかり。

 僕が一番知っている。彼女は殺人を犯してなんかいない。この眼でずっと彼女を追い掛け続けていたのだから。彼女にはチャンスも何もないのに、この男は口から出まかせを言い放つ。

 たぶん、フラれたことに対する報復だ。

 許せない。警察からの信頼を自分の欲望だけに使うなんて。真実を捻じ曲げるなんて。

 神様、良いでしょうか。目の前にいる探偵を殺しても……!

 



 

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