File.1 命の値段は如何ほどか?      (女子高生探偵殺人事件)

Ep.1 好奇心は犬をも殺す

 日も暮れかけて、真っ赤に染まった空の下。夕飯らしきカレーとすき焼きの匂いが入り混じる住宅街の中、横っ腹を抑えて走っていた。

 

「美伊子! はぁ……待て……」

「きゃああ! 助けて! 変質者に追われちゃう!」

「おい!」

「いやぁあ!」

「おい! ちょっと待て! その言い方じゃ、聞いた人全員が誤解する! いや、言い方自体間違ってるんだよ!」


 美伊子は長い黒髪を揺らし、夕陽に反射している。振り返った彼女はピタリと立ち止まり、無邪気に笑っていた。

 別に僕は彼女をいやらしい理由で追っている訳ではない。彼女が僕を置いて、先へ先へと進んでしまうから「待て」と言っただけだ。


「全く、僕をからかうなよ……」

「ごめんね。何か、氷河ひょうがってからかいたくなる存在なのよ。反応することに関してはお笑い芸人顔負けだよ!」

「そりゃ十年前からずっと、されてりゃな!」


 またも笑みを見せつけてくる美伊子。ずるいのだ。そんな可愛い笑顔を目の前に出されては怒る気も失せてしまう。

 僕が「どうして毎度毎度からかわれるんだ」と溜息をつくと、彼女は答えもせずに前へと進み出した。今度は置いてかれないようにと速足で彼女の隣を歩くことにした。

 目的地は一人の爺さんが住む豪邸だ。事情は単純。僕と美伊子が成り行きで所属している高校の部活「Vtuber研究会」の資金集めだ。Vtuber、つまり動画サイトで活躍する3Dアイドルを配信しようと企画しているのだが、何せ金が足りない。アイドルの元の顔すら構想できる人がいないから、ネットの絵師に頼み込む。それを動画の中で動かすためにはバーチャルにしないといけない。だから、プロへとお願いしなければ。

 3Dアイドルの声優は美伊子がやれば良いとしても、ここまで高校生にとっては考えられない額が部費から飛んでいく。予算を限界までケチっても二、三万以上。金持ちなら安いかもと思うが、そもそも部費がほとんどないから払えないのである。

 学校からも何の業績も出していない部活には、金を渡してくれない。さて、学校に爆破予告でもして金を出してもらうかどうかと迷っていたところで、朗報がやってきた。

 部長の知り合いが、この話に乗り気だと言う。もしかしたら、こちらに資金を提供してくれるかもしれないと言うことで僕と美伊子はその人の家を訪ねることにした。ちなみに部長がいない理由は、赤点の罰として放課後の補習をやらされているから、である。


「さて、そろそろ着くよ! ほら、あそこの家! 和風な門! 確か、あれが、目印だったよね」


 彼女が指差した場所を確かめて、うなずいた。部長に教えてもらったものと同じ。庭から大きく伸びている松やら柿の木やらが和を主張している。


「これだけ豪華だと……こん中に枯山水庭園かれさんすいていえんとかあるのかな……」

「あるかもね! さっ、行こっ!」


 彼女はお金を貰うことだけを考えていたのだろうか。僕にプレゼンの資料を持たせているくせに一人でさっさと敷地の中へと入っていく。そんな彼女は門の前にインターホンがついてるのに気にもせず、戸が開いているからと突き進んでいった。

 飼い主がいないと手を付けられない猛犬がいて、そいつに食われても知らないぞ。そう思いつつ、僕は急いで門の方へと向かっていた。


「きゃあ!」


 最中、聞こえた悲鳴。僕は体を震わせて、門の中へと飛び込んだ。


「美伊子!」


 まさか、猛犬に襲われ、牙の餌食になっているのではないか。あの白く優しい肌に傷が付いてしまったら、と不安が心の中に溜まっていく。

 あれこれと彼女のことを心配していたのだが。

 当の美伊子は少々黄色が入ったラブラドールレトリバーにじゃれつかれていた。その犬は舌で美伊子の顔をぺろぺろと舐め回す。美伊子は地面に頭を付けて、ゲラゲラと笑う。


「ちょっと! くすぐったいよぉ! あっ、氷河! この子、すっごく人懐っこいみたい!」

「またからわかれたのか、僕は……」

「今回は本気でからかおうとしてた訳じゃないよ! だって、この子がいきなり飛んできたものだから」

「はいはい……そういうことね。リードも付けてないし、本当なんだね」

「本当よー、あれ?」


 美伊子が口にする「あれ」と同時に僕は酷い違和感に気付いてしまった。何だか、胸焼けがするような不思議な感じだ。

 何だろう。心が騒いでいる。これ以上ないと言う位に酷い胸騒ぎがした。不意に一人の老人が力なく手を伸ばしている姿を想起していた。

 早くこの変な気持ちを消したくて、彼女に違和感の理由を確認する。


「開いてたんだよな……そこの門」

「で、放し飼いだよね? あれ、あれれ?」

「この犬……しつけがしてあったのか?」


 僕が考えを出してみるものの頭にかかってるもやを掻き消すことはできなかった。躾だけでは何ともならない何か、それを美伊子が犬のあごを撫でながら説明していた。


「まず、一つ目。たぶん、氷河は知らないかもだけど、元々は猟犬の性質。気になるものはついつい追い掛けちゃう。盲導犬レベルに育て上げられてるなら、そうそう家を出てくことはないけど、この子がそうじゃないってことは分かるわよね」


 彼女の説明で僕はやっと違和感を拭い去ることができた。


「ふ、二つ目はその犬自身の性格ってことだよな? 盲導犬だったら、ここまで飛びついてこないし。この犬は間違いなく、そこの道に人がいたら飛んでくと思う」


 「つまりは」、そう繋げるところで嫌な予感がまたも頭によぎる。背筋が冷やされるような思い。

 その結果だけは、なしにしてくれよ。そう願いながら、僕は美伊子の言葉を噛みしめていた。


「つまりは門を開けっ放しにしてる非常事態ってことよね」

「た、ただ訪問者が来て、門を開けて出ていったってことは? そのまま門を出てった……こ、これならあり得るよな? なぁ、美伊子……?」


 否定的な意見を出していた。彼女には「そうだよね。お客さんが門を開けて出ていったなら筋が通るよね」と言ってほしかったのだ。もし、彼女が僕の考えを否定したら……。

 残酷な推測ができてしまう。僕が今まで味わってきた経験の中では、アレしかない。


「いや。その可能性は低いかも。だってここまで見知らぬ人に懐くってことは、大事に育ててる証。ほら、毛並みとかも綺麗だし。飛び出さないように細心の注意はしていたはずよ。何かのはずみで門から飛び出した犬が車に轢かれかねないし、逆に誰かを故意じゃなくても怪我をさせてしまうかもしれないし。それに」

「そ、それに?」

「客だったら見送るはずよ。その時、門を閉めるかどうかは見るはず」

「うう……だ、だから」


 喋ってもらいたくない言葉が出ないよう祈ったが、無駄だった。


「出られない状況。もしかしたら、中で倒れてるかもしれないわ」

「で、でも、よく言わない? 飼い犬が主人が倒れてるのを見つけて助けたって話。大変な事があったら、もっと様子がおかしくてもいいんじゃ……」

「そんなのテレビドラマだけの話よ!」

「……分かったよ! 早く行こう!」


 そんな訳がない。

 中で主人が倒れているなんて、そんなことがあっていいはずはない。僕は真相を確かめるため、扉を開けた。鍵が掛かっていない!

 客を見送れなかった理由に……。いや……絶対にあり得ない。

 心の中で叫べば叫ぶ程、不安要素は更に強まった。勢いで思い出してしまった、部長の言葉。


『ああ、確か。あの爺さん、一度、くも膜下出血で倒れてたって話だ。あんまり怒らせるようなことは言うなよ……オレじゃないから、言わないか?』


 理由がある。倒れて、大切なものを失ってしまう理由がきちんと存在していた。

 ダメだ。そんなことを考えて弱気になってはダメだ。きっと、僕達の思い過ごしなのだ。

 客間の方のドアが開いていた。入ろうとすると、美伊子が僕を追い越していく。骨董品だらけの部屋の中央。


「えっ……」


 彼女は急いで駆け寄り、何度も目を擦っていた。僕だって信じたくない、この状況。僕は何度も奇声を上げて、事態を否定しようとした。


「美伊子? えっ? 何で? 何で? どうなってんの? まだ……助かるよね!? 助かるよね!?」

「見ただけじゃ分からない……ちょっと待ってね」

「……うん」


 彼女は部屋の中央にあった腕を慣れた手つきで取ってから、首を横に振った。僕の問いに心を刺激する最悪な答えが返ってくる。


「ダメだよ。もう遅い。わずかに暖かいけど、もう亡くなってる……けど、何で……」


 何で。どうして。まず人が目の前で亡くなってるという件について、恐ろしくてどうしようもない。予想だにしていない人の死に直面し。涙が出てしまいそうだった。

 ただ最悪な状況であるのに、悲鳴は出ない。

 何故なら、それ以上に頓珍漢な事が起きていたのだから。

 僕があまりの奇妙な状況に絶句する中、美伊子は叫ぶ。


「な、何で……死体の上に大量の一万円札が落ちてるのよ!? 何でお金の中に死体が埋まってるの!?」

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