姑息に生きて良いのだ!

睡眠欲求

第1話

 私はニートである。一か月前に仕事を辞めた。今は実家に引きこもっている。青い鳥のマークのSNSに入り浸る毎日だ。うす暗い部屋にゴミのように転がっている。

「仕事はクソ。人生はクソ」

 そういう事を言いながら、人生攻略が上手くいってないアカウントを探しては、嘆いて折れてる様子に薄っすらと笑った。

 年老いた両親は、引きこもりで嫁に行き遅れてる娘に何も言わない。1人暮らしのアパートから引き上げてきた荷物はいまだに段ボールの中だ。掃除もろくにしていないので部屋は埃だらけだ。

 母親は、暗い顔で時折様子を見に来る。働けと口酸っぱく言わない。完全にどうして良いかわからない腫物扱いだ。私はその両親の対応に、ただただ静かに黙っていた。そうやって、じめじめと過ごすこと早一ヶ月。突然SNSのフォロー外からコメントが飛んできた。


『透明さん。来週末に開催される即売会イベント一緒に行きませんか?

 詳細はダイレクトメッセージに送ります』


 コメントを送ったアカウント名【焼き鳥】と表示してあった。アイコンもどこかの店で撮影した焼き鳥の写真だった。ちなみに【透明】は私のアカウント名である。

「ん~~~?」

 はて、何か関わったことあったかなと疑問に思いながらダイレクトメッセージを開いた。


『9時に。即売会の会場前の階段で待っています』


 そう簡素に書いてあるメッセージは、こちらのイエス/ノーの返事を気にしていない様子だった。

「なんだよ。コイツ。無視だ。誰が行くかってーの」

 しかし、ニートなので時間はいくらでもあった。


『私は、黒いアゲハ蝶のブローチを胸にしてます』


 ただ。

 ただ一つ。

 この文章に惹かれた所があるとするならば。

 こんな自分に会いたいとメッセージを送る人は、どんな人なのか気になった。

 スマホの画面を睨む。メッセージに返信はしなかった。

「…ま、暇だし」

 明らかにヤバい人だったら、見なかったことにすればいい。あちらは当日会うための目印を伝えている。こちらの姿は知らないはずだ。


 そうやっているとイベント当日になった。一応マスクと帽子をした。万が一にも顔を知ってる可能性もあると思ったからだ。もしかしたら知り合いの可能性もある。

 こそこそと部屋から出る。玄関に向かうためには必ず居間を通る。なるべく足音を殺す。

(良い大人が情けない…夜遊びに行く高校生かよ)

 それでも、昼間…家にいる母親に見られて行き先を言うのは億劫だ。ちらりと視線を向けると、居間には予想通り母がいた。ただぼんやりと壁を見ていた。壁の先には自分が小学生の頃に書いた絵や、卒業写真、成人式の写真が飾ってある。

(げ…)

 その壁にあるのは過去の栄光だ。そこそこ良い子供だったのだ。きっと母はどうしてこうなったんだと思っているのだろう。益々、見つかるわけにはいかないと息を殺して玄関に向かう。細心の注意を払って外に出た。久しぶりの外は嫌になるぐらい天気が良かった。


 電車に乗りバスに乗り換えて目的の即売会が開催されているドームに向かう。到着したのは約束の時間の30分前。ドーム前の階段から少し離れた所で様子を伺う。イベント開催中ということもあって周りに人はたくさんいた。

 階段の方をちらりと見ると、アゲハ蝶のブローチをつけた焼き鳥さんと思われる人が既に立っていた。ぽちゃっとしており、肌は白い。服装は黒いドレス…多分ゴスロリという服だ。張りのある肌からみて、どうみても10代だった。

「な、な、な…」

 それが第一声だった。自分より若いという認識はなかった。なんとなく同い年か年上か…なんていうのをぼんやりと思っていたので、私はその焼き鳥さんを凝視した。そして、自分に会いたいなんて思う人間が存在しているとこに少しだけ感動した。

(どうしよう…)

 自分より年下。声をかけるかどうしようかと悩んでいるうちに約束の時間の9時になっていた。

「あ…あの…」

 えーい!ここまで来たんだ!とやけくそ気味に焼き鳥さんに声を掛けた。近くに立つと、私と同じぐらいの身長で目線も同じぐらいだった。しっかりと彼女と目と目が合う。丸い子犬のような濡れた目が私をじっと見つめた。そのことに、何故かカッと体が熱くなり、次の言葉がつまる。そうやって突っ立っていると。

 彼女は黙ったまま手元に持っているスマホを操作した。ポンと音が鳴って、自分のスマホ見る。


『9時になりました。会場に行きましょう』


「えぇ…」

 つい戸惑いが口からこぼれる。直接会いたいと言っておきながら、SNS越しの会話。

(最近の若い子ってわからない)

 それでも、さきほどの緊張を思い出し、いやむしろこれでよかったと思い直す。ジェネレーションギャップを感じながら、再び彼女を見て、私は了解の意味を込めて小さくうなずいた。

 彼女こと焼き鳥さんは、階段を上った。私も彼女の後ろについて階段を上る。ショートの黒い髪が揺れる。周りにはたくさんの人がいる。真横を通り過ぎる人達。皆楽しそうに階段を上がっていった。遠い所からきたのだろう。キャリーケースを抱えて階段を上っている人もいた。


 すでに開場しているのですぐに会場には入れた。無言で焼き鳥さんの後ろを歩く。いつもは野球をしている芝生の上に緑のシートがひいてあり、所狭しと机が並んであった。

 イベントはオリジナル創作がメインだ。その空気に少しだけ、心が晴れた。私は仕事が忙しくなる前は、創作をしていた。蝶と鳥をひたすら描いていた。そういえば、いつも「いいね」をしてくれたアカウントがあった。残念ながら、鍵のアカウントだったので、名前もわからない。ただ何処かの誰かが見てるんだと微かな喜びがあった。

 一度だけこのイベントに参加したことがある。もう一年前の話だ。鳥と蝶を描いたイラストの本。10冊製本して2冊しか売れなかった。買ってくれた人の顔はよく覚えていない。緊張して、お釣りを渡す手がぶるぶると震えたことだけは覚えている。そういえばと思った。そのイベントに出た直後、来年も参加したいと呟いた気がした。

 焼き鳥さんと無言で会場を回った。どの机の上にも自信作のアクセサリーや写真、刺繍…自作の漫画本などいろんな作品が置いてあった。彼女は、興味深そうに机にある作品を見ながら歩いていた。私はそんな焼き鳥さんを眺めながら歩いた。


 一時間ほど会場をまわったあと、焼き鳥さんは何も買わずに会場の脇にある観戦席に座った。私もひとつ席を開けて隣に座った。疲れた来場者がまばらに座って休憩している。ポンと着信音が鳴ったので、スマホを見ると焼き鳥さんからのダイレクトメッセージが来ていた。隣を見ると焼き鳥さんはただじっとスマホの画面を見つめている。直接話す気はないらしい。メッセージを読むため再びスマホを見ると

「わ…」

 驚きでつい声が漏れてしまった。ダイレクトメッセージには私の呟いたスクショが貼られていた。


『楽しかった。来年も出たい』


 それは、去年私が呟いた言葉だった。


『実は楽しみにしてたんです』


 焼き鳥さんはそのスクショの後にそう言葉を送っている。そのことに、私は苦笑いしか返せなかった。少しだけ申し訳ない気分になった。

(これは、つまり私のファンってことだよね…)

 何か返事をしようと自分のスマホの画面に指を置くが、うまく言葉が思いつかない。そうこうしてるうちに、焼き鳥さんが次のメッセージを送ってきた。


『ちょっと寄り道したいところがあるんです』


 その言葉が表示された後、彼女は無言で立ち上がり会場の外に向かった。正直、外に出たらお別れだと思っていた。もごもごと声をかけようと口を動かすが、結局言葉にならず戸惑いながらも焼き鳥さんの背中を追いかけた。

 帰りに彼女は花屋に寄り道をした。花屋なんて行ったことがない私は入るのに戸惑う。それは前を歩く焼き鳥さんも同様だったらしく、きょろきょろとしながら入っていった。愛想のよい店員が声を掛けて、彼女はたどたどしくも会話をして白い百合を一束買った。


 見慣れた駅のホームに着いた。このホームは仕事の時に通勤で使っていた。

 ちりっと胸がざわついた。

「私…去年…貴方の本…買ったんですよ。私…あなたの絵好きなんです」

 ようやく焼き鳥さんが口を開いた。繊細な高い声はよく響いた。

 私は焼き鳥さんの言葉に少し驚いた。まさか2冊購入したうちの1人と会えるとは思っていなかった。

「透明さん…大人の女性で…ドキドキしたんです。この人があの絵を描いてるんだってわかったことが嬉しかったんです。…私もここから学校に行ってるんです…だから、透明さんがスーツを着て、向かい側のホームにいるのを見つけた時は…もう本当に驚きました。でも、ストーカーみたいってすぐに思って、あんまり見ないようにしてたんですけど」

 そこで言葉を切り、ホームのとある場所に行く。そこはよく私が通勤の時に立っていた場所だ。

「伝えればよかった」

 駅のホームに百合の花束を持っているゴスロリの女の子はとても目立った。

 私は自分の息が上がっているのを感じた。こめかみがどくどくと脈打つ。まるで生きているみたいだと思った。

 そうだ。私は…一ヶ月前…仕事が辛くて、疲れて…何もかも嫌になって…

「あの日も…私…向かい側に立っていたんです」

 ガラスのような声が伝える。その声音はひび割れて、傷ついている声だった。

「透明さんの作品が好きだった。見ると感情が…孤独が…かきむしられたの。…あはは…私いじめられてるんです。自分のどこが悪いのが全然わからなくて………毎日苦しくて…」

柔らかい頬に涙が滑り落ちた。彼女は震える指でスマホの画面を操作した。たった一言


『好きでした』


 焼き鳥さんは既読が一向につかない画面を見つめたあと何かを決意した目で、もうすぐ電車が入ってくる線路を見た。歯の根ががちがちと鳴っている。胸に抱いた百合の花束とスマホを強く握りなおしている。何をするつもりかはすぐに分かった。だから…

 ポンとスマホから音がなった。彼女は画面を見て、目を開いた


『ありがとう』


「あ…!」

 強い風が体を押し返す。

 電車がホームに滑り込んできた。

 彼女は、駅のホームに立ったまま。

 黒い髪を揺らす。電車からぞろぞろと降りてくる人の流れの中、立ち尽くした。降りてきた人は不審な顔をしながら彼女を避けて歩く。

 彼女はただただ画面を見つめた。その返事は幻のようにすぅ…と消えた。

「あ…、…」

 濡れた頬を風が優しく撫でた。空をゆっくりと見上げる。雲一つない青い空が広がっていた。

 

 ガタンとベッドから落ちた。目を開けるとそこは、会社で働いていたときに住んでいた一人暮らしのアパートだった。

「え…?」

 今まで見ていたのは…?つい頬をつねるが痛い。そうやっていると、今まで見ていた夢もふわふわと記憶が薄れていく。スマホの画面を見る。月曜日の朝7時。準備をして会社に行かなければならない。ぼぅーとした後に、私は会社に電話した。

「あの…私…今日限りで辞めます」

 電話の向こうから何か言っている声が聞こえたが無視をして電源を落とした。

「…とりあえず、絵を描いて本を作って…イベントにでよう」

 何故かそう思った。ベッドから立ち上がりパソコンの電源をつける。透明さんのアカウントでイベントに出ることを呟いた。すると鍵のアカウントからいいねがすぐに飛んできた。

「生きるために全力で逃げるのも良いよね」

 なぜかそんな言葉が零れた

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