旅立ちの日の、ほんの小さな奇跡。

稲の音

第1話

 明人さん、ごめんなさいね。姪の静香やその子供たちがうるさかったでしょう。

もう少し話しておいでと、手を放してくれてありがとう。


昔から、明人くんは優しかったよね。


こんな春の日は、あの日のことを思い出すわ。明人くん、あの日の一週間前から

ソワソワしていたしね。ただ、中学校を卒業するのが原因じゃないのは、

わかっていたわ。

私たち、幼稚園からの知り合いだったし、明人くんの事は、

明人くんのお父さんやお母さんより、分かっていたつもりよ。


なんか、あの時代は、卒業式で男の子から女の子へ、自分の想いを伝えるのが、

流行っていたしね。

女の子が、バレンタインデーでいかに悩むか、わかったでしょう。


あの年のバレンタインのチョコだって手作りしたのよ、わかってた?

だけど、義理チョコありがとう、ですってバカにして。

だから、あのあと、私の方から何も言えなくなったじゃない。

家に帰って、お母さんが心配するほど、号泣したのよ。


もう昔の事だから責めるなって、失礼しちゃうわ。私にとっては昨日の事よ。


けど、あの時は、言葉を嚙んじゃって、

「詩織、ぼ ぼくと彼女として付き合って欲しい。」

だったっけ、一生の大事ごとぐらい、きちんと決めなさいよ。


ま、明人くんらしくて、良かったけど。本当よ、うそじゃないわ。

このまま、幼馴染で終わっちゃうのかなって、おもってたから。


ほら、その前に隆司君が、私に告白するかもしれないって、噂が流れたでしょう。

あれは、友達のやすよが心配して、わざと流してくれたの、知ってた?


隆司君が好きだったのは、やすよで、バレンタインの時に告白されて、

先に彼氏・彼女の関係になっていたの、クラスのみんなには内緒でね。


ひどいって。本当は隆司君のことを憎からず思っていたんじゃないって?

残念ね、確かに隆司君はバスケット部の主将兼エースで、

女の子の人気は高かったわ。


けど、私が幼稚園の時から、ずーっと見ていたのは、明人くんだけ。

はいはい、ありがとう、って本当よ。けど言葉にしてしまうと、結構恥ずかしいね。


それから高校。あの高校のブレザーは反則ね、女の子が3割増しで良く見えるから。

なんか、中学のときは全くなかったけど、高校1年生の一学期と二学期には、

何人もの人から付き合ってくれと言われたし。

眼鏡をコンタクトに変えたせいって、あ、それはあるかもね。

ま、二学期の終わりには、明人くんと付き合っているのがバレたから、それからは

あんまりなかったわ。


ゼロじゃなかったの?って。おあいにくさま、学期に1人ぐらいは、

あんな奴と別れて、おれと付き合えよって言われたわ。

なんで黙っていたかって、明人くん以外の男子は、目にはいらなかったからかな。

どう、モテモテの女の子を彼女にしていたんだよ、鼻が高いでしょう。


なに怒ったの?それを言うなら、明人くんの方がひどかったじゃない。

一緒にコーラス部に入ったけど、3年生のしのぶ先輩に、

明人くん心が揺れたでしょう。分かっていたんだから。


確かに、しのぶ先輩は、ザ大和撫子というような、美人さんだったしね。

ほら、目を反らしている。

おまえも、3年生の太一先輩といい関係じゃなかったのか、二人っきりで話しているところみたって、残念ね、ひょんなことから、太一先輩としのぶ先輩の仲を

とりもっただけ。あの時は、私だけでなく、何人かの女子も協力したから、

疑うんだったら聞いてみたら。

それに、おふたりとも大学で正式なお付き合いを、はじめられたわよ。

なにその顔は、失恋でもした?


けど、失恋と言ったら、高校で、やすよと隆司君、小学校からの友達の

いつきと信二君も別れちゃったわね。

あとから、あのふたりに言われたわ。キスの練習までつき合せたんだから、

私と明人君は、別れたら怒るわよってね。


え、女の子同士で本当にキスしたのかって、そんな馬鹿な事はしてないわ。

けど、目をつむるタイミングとか、あごの角度とかは、手解きを受けたかしら。

ふたりとも経験者だったしね。

だから、あの修学旅行の日、京都で、明人君みたいなヘタレでも、失敗なく

一発で決められたじゃない、告白の時と違って。


なに、妙な顔してんの。女の子に幻想を持ちすぎ。

少なくとも幼稚園から一緒にいたんだから、

そのくらいわかるでしょう。


けど、いつか二人きりで、また京都にこようって、修学旅行最終日に約束したけど、

結局機会がなかったわね。やはり、指きりげんまんをしなかったのが、

いけなかったしら。


子供じゃないよって、覚えてないの、幼稚園の卒園式のとき、どんぐりの木の下で、

大きくなったら、恋人さんになろうって、指きりげんまんしたじゃない。


そんな大事な事、覚えていないだなんて、私じゃなかったらふられていたわよ。


やはり高校生活と言えば部活よね、コーラス部は楽しかったね。

県代表にはなれたけど、地域代表にはなれなくて、

結局全国大会にはいけなかったけど。


明人君は、なかなか音がとれなくて、苦労してたよね。

ごめんなんて言わないで。女の子のだれも、明人君のことを悪く言わなかったわよ。

だいたい、男性パートに参加してくれる男子は少なくて、混成合唱の部門は、

最初から出れない学校も多かったし、最後まで居残りで練習してるのを、

みんな見てたしね。


女性合唱部門で出れば良かったのにって、無理無理。あの時代、紅百合学園の指定席

だったからね。

あ、だったら、2学期になって、やすよといつきが入部してきたわけ、

知らないんだ。

無論ふたりとも、歌っても凄いのは、カラオケに行って知っていたでしょう。

でも歌が好きで、入部してきたんじゃないの。

3年の最後の全国大会が、北海道だったからよ。

1年半頑張って、北海道に行こうって約束してね。

けど、全国には届かなかった。

大会のあと、思いっきり泣いたのも、今ではいい思い出。


結局、大学の卒業旅行で北海道には行ったけどね。

女の子の約束は、鉄よりも固いのよ。


その時の、お酒を飲みながらの話題、話してやろうか。

やすよといつき、モデルさんになってもいいような体形してたじゃない。

明人君が、ふたりの胸とかお尻とか、チラチラ見ていたのは気付いていたって

けど、私にはさすがに言えなかったって。

特に、3年生の夏、学校のプール、貸切状態で、4人で泳いだことが

あったじゃない。あの時は、がん見してたらしいね。

ふたりとも、酔っ払っいて、明人君も健康な男の子だったんだね、

と言ってくれたけど。

私が気付かないと思ってた。それなりに傷ついていたんだから。

私ってほら、ふたりほど胸はないし、何を言わせるのよ。


ほんと、私に隠れてデートとかしてないよね?

え、それに関しては無実だって、やすよもいつきも待っているから、

そこで、聞いてもらえればわかるって。え、それってサプライズじゃなかったの。

目が泳いでいる。いいよ、ふたりには知らなかった事にしてあげるから。

明人君って、いつまでたっても、そういうとこ抜けてるよね。


そう文化祭の後夜祭、三年連続でダンスしたじゃない。

けど、どうして、私の手をとるだけで照れるかな、子供のときから何百回も手なら

握っているじゃない。

けど、嫌いじゃなかったよ、明人君のそういうとこ。


卒業式の日、私は明人君を待ってたんだよ。

朝、いつものように、学校行こうって、うちのチャイムをならしてくれるのを。

式の途中で、寝坊して遅れましたって、デートに遅刻したときのように、

頭をかきながら、式場に入って来るのを。


本当に、本当に、ごめんって、けど僕も何十年も私を待っていたんだ、って。

わかったわ、お互い様だったんだね。

だったら、指きりげんまんして欲しいんだ。

今度手を握ったら、2度とはなさないと。


せっかく、迎えにまで来てくれたんだから、そのくらいできるでしょう。

それとも、いやなの。


明人さん、ありがとう、指きりしてくれて。

なんか、まわりが明るくなってきたね。

あ、これが旅立ちの合図なんだ。


けど、もう握ってくれたこの手は、二度とはなさないからね!










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