人生ナビゲート

皆川大輔

「人生ナビゲート」

「人生ナビゲート」



 ――人生は選択の連続である。


 シェイクスピアの『ハムレット』の中で、ハムレット王が話すこの言葉。妙に納得がいくのは、誰しもが直面する共通の悩みだからだろう。

 告白、就職、進学、結婚など人生を大きく左右するものから、食事のメニュー、着ていく服、起きる時間など、毎日の一瞬一瞬に選択する機会が潜んでいる。

 選択しないものは、寝ている間も活動してくれている身体機能くらいのものだ。

 そんな選択に追われる日々が、今日、終わりを告げる。


「これが……」


 加藤早苗かとうさなえは、宅配ドローンが届けてくれたばかりの箱を手に取ると、早速包装を解いて蓋を開いた。


「なるほど、意外と普通」


 箱から姿を現したのは、手のひらサイズの黒いデジタル腕時計だ。

 見慣れた姿よろしく電源を入れてやると、直径四センチになる円形のディスプレイに、時刻が表示される。


「これが世紀の発明ねぇ……」


 人生を導くという期待を込めてつけられた名称、ナビゲート。

 とても、人生を一変させるほど高尚な存在だとは感じられないそれを、早苗は渋々左手首に装着し、今度は電源ボタンを二回押す。


「お、始まった」


 すると、時刻表示が消え、『認証を開始します』という電子音声とともに一つの記号が表示された。

 携帯やゲーム機、パソコンなどの電子機器だとよく見る〝NOW LOADING〟という文字と、ぐるぐる回転する円が出てくる読み込み画面が定番だ。

 しかし、この機械ではその限りではないようで、二つの円が重なった無限を表す記号に似たマークが表示され、そのマークの下に〝NOW READING〟という文字が表示された。

 行われているのは、内蔵されているAIが使用者の情報を取得する認証作業らしい。

 マークを眺める視線から思考データを読み解き、使用者がどのようなタイプかを認識する、そんな未来を舞台にした物語でしか想像できない作業。


「で、これが終わったら……」


 認証が終了し、OKと文字が浮かび上がるとそれでセットアップは終了。ディスプレイには再び時間が表示された。


「……意外と簡単」


 ほんのこれだけの作業。要した時間も五分程度。

 たったそれだけの手間で、彼女は自分で選ばなくてもいい人生を手に入れた。




「で、どうよ」


 仕事が落ち着き、昼食休憩。

 会社に近く、ほぼ毎日利用している定食屋に来るなり、同僚である山本大地やまもとだいちが、バカにするような表情で早苗を茶化した。


「まあ、楽にはなりました」


「ほう」


「便利になったってよりも手間が減ったイメージですね」


「例えば?」


「悩む、って段階がスキップされてるって言えばいいのかな……例えば、このメニュー見ても」と言いながら、店員が持ってきたお品書きを開く。


 和食料理店と銘打ちながら、店主の意向で多種多様な料理が記載されている古びたお品書き。特にページ下部の料理には写真もなく、手書きで無理矢理書き足した店主の姿が容易に想像できる。

 そのガサツさからだろう、もちろんどこの国の料理かも肉・魚料理なども統一されていない。キューバ料理のアヒアコ、ロシア料理のボルシチ、カンボジア料理のプラホックと、ジャンルでさえもバラバラだ。


「ちなみに今何が食べたいです?」


「そんないきなり言われても。考えさせろよ」


「普通そうですよね。けど、今の私はそういう悩む時間が無いって感じです」


「ほぉ。ちなみにお前が一番食べたいのは?」


「アジフライ定食一択」


「いつも通りじゃねぇか」


「これ食べたときの仕事効率がいいらしいんですよ。ほら」と、早苗はけげんな表情をしている大地にディスプレイを見せつけた。


 普段食べている昼食の効率ランキング、というタイトルで、それぞれ食事後の仕事効率が数値化されて表示されていた。


「一位、アジフライ定食、88%。二位生姜焼き定食、74%。三位ボルシチ、54%……ってお前、ボルシチ食ってたのかよ」


「美味しいですよ?」


「遠慮しとく」


 と話したところで料理が届き、会話が中断。相変わらず早いな、と感心しながら定食に手を付けた。

 午前中全力で仕事をした証か、はたまた今脳が一番欲しているものを食べているからなのかは定かではないが、揚げたてのアジフライが格段に美味しく感じられていた。


「しっかし、まさかお前がモニターやるとはな。お前もよく引き受けたもんだ」


「よく要領悪いって言われるしいいかなって。先輩の企画だったから不安もないし」


「企画は俺っていっても、関わってたのは最初だけだけどな」


「えっ、そうだったんですか⁉」


「話してなかったか? 序盤で取られたんだよ手柄」


「えぇ……一気に不信感が増してきたんですが」


「まあ大丈夫だろ。プロジェクトリーダーは園崎そのざき部長だし」


「園崎部長って……あの?」


「そ。あのバーコード頭」


 大学の先輩である大地との交流はあるものの、早苗の所属する総務部は同じビル内にあるとはいえ、大地や〝ナビゲート・プロジェクト〟のリーダーである園崎が所属する商品開発部と接する機会はほとんどない。エレベーターですれ違うか、年末の社員旅行や納会など大きなイベントで出し物を見るくらいが関の山だ。

 ただ、その特徴的な頭頂部から社内ではちょっとした有名人だ。頭頂部が寂しくなり、散っている頭頂部からついたあだ名が〝バーコード〟という身も蓋もないあだ名。初めて聞いた時は笑いが止まらなかったが、今その名前を聞くと頼りなさが際立つ。


「あんなナリしてるけど、腕は確かだぜ?」


「んー、先輩が言うなら……」


 一抹の不安を抱きながら、早苗は腕のナビゲートをゆっくりとさする。


「……って、あっ!」


 時刻が十二時五十分を示していることに気づき、慌てて早苗と大地は仕事に戻った。



       ※



 早苗がナビゲートを着けて一か月の時間が経過していた。

 彼女は今日もいつも通りの時間に出社し、挨拶もそこそこに作業を開始する。

 黙々と業務を重ね、実績を積み重ねていく。

 数値は良い。結果は出ている。


「けどなぁ……」


 大地は資料を見ながら眉をひそめた。

 確かに数値化できている点を見るといい結果が出ている。作業効率は五割増し、それでいて残業時間はナビゲート使用を開始した先月はほとんどナシときている。


「いい結果だろう? 何が不満なんだ」


 顔をしかめる大地に痺れを切らしたのか、バーコード頭こと園崎が不愉快さを隠さない声色を以て大地に近づいた。


「いや、ね。定期的に上がってくる定期アンケートの結果あるじゃないですか。使用感とか改善点とか書くやつ」


「あぁ。それも確認しているが、問題はないとみているが、おかしな点でもあったか?」


「いや、内容には特に。ただ……なんか、変な書き方になってるんですよ。最初は不安とか楽しみとか、感情面が押し出されてたのに、今は何というか……無機質な、というか」


 園崎は大地の読んでいた資料を取ると、さっと目を通して「まあこんなもんだろ」と投げ捨てる。


「慣れてきて書くことが無くなったんだろう。問題はない」


「おかしいっすよ!」


「精神面安全面のアプローチに問題はない」


「いやでも!」


「何よりプロジェクトリーダーの俺が判断してんだ。おめーは口出すな」


 ――この糞バーコード。


 何としても滞りなく成功させて、出世を――そんな思惑が透けて見えた大地は「失礼します」とその場を後にして、総務部へと向かった。


 時間は定時を五分ほど過ぎている。勤怠を切って退社扱いになったことを確認してから総務部に入ると、まだまばらに人が残っていた。


「あ、開発の……お疲れ様です」


「お疲れさまです。あの、加藤ってまだいます?」


「彼女ならついさっき帰りましたよ?」


「すれ違いか……どこか行くとか言ってました?」


「いや、今日も家に帰ると思いますよ。しかしあのナビゲート、でしたっけ。凄いですね、あの子すごい変わりましたよ」


「はぁ……」


「ただ、ねぇ愛想だけ悪くなっちゃって。そこが残念でしたね」


「愛想?」


「前まではご飯とかよく行ってたんだけど、ここ最近話すことすらなくなっちゃって。話しかけても、業務中なので、って。人が変わっちゃったみたい」


「それホントですか⁉ すみません、彼女、最近笑ってますか?」


「え、えぇ。ここずっと見てないと思いますけど……」


 ――まずい!


 大地の脳裏に浮かんでいた懸念が、確信に変わった瞬間だった。


「失礼します!」


 返す足で会社を出るなり、早苗へ電話をかける。


『もしもし!』


「早苗! お前今どこにいる⁉」


『帰宅のために駅に向かってますが』


「いいか、取り合えず俺の指示に従え。まず、ナビゲートの電源を落とせ」


『え? 嫌です』


「気づいていないだろうけど、お前は今、めちゃくちゃ危険な状態なんだ。頼む、指示に従って――」


『心配には及びません。業務外の連絡になりますので、失礼します』


 一方的に会話が切られる。

 プー、プーと鳴る通知音を振り切るように、大地は駅へ駆け出した。



       ※



 早苗の目に映るすべてが、歪んでいた。

 症状としては目眩が近いのだろうか、右に傾いたり左に傾くという症状が襲ってきている。

 それだけならばただの体調不良だろう。しかし、同時に巻き起こっている色彩の異常が、普通の現象ではないことを物語っていた。


 ――なんで……。


 見慣れた看板、帰路につく社会人。足元の点字ブロックに至るまで、目に映るすべてのものが虹色に染まっていた。

 一定の色に落ち着くことなく、瞬きをするごとに色が変化していく。

 自分の体に何が起こっているのか見当もつかない。

 ただ一つ、今早苗の頭にあるのは〝この苦しみから逃れたい〟だった。

 そんな早苗の元にアナウンスが響く。


『これより電車が参ります。危険ですので、白線の内側までお下がりください』


 右を見ると、闇夜を照らす光が徐々に迫ってきていた。


 ――苦しい。


 電車が、くる。

 アレに飛び込めば、楽になれるよ。そうナビゲートが教えてくれるように、早苗は体が軽くなるのを感じた。

 ふっ、と胸が軽くなる。

 ゴーッ、と電車が近づいてくる。

 足が、地上を離れた。

 視界が、グルんと回った。



       ※



「ただいまー」


 マンションの玄関を抜けると、奥の方からカレーの匂いが大地を襲い掛かった。

 食欲をそそる匂いがする部屋から顔をひょっこり出し「あ、おかえりなさーい」と早苗が出迎える。

 電車に飛び込もうとしていた早苗を間一髪のところで助け出し、腕のナビゲートを破壊したことで一命をとりとめた事件から一年が経過しようとしていた。

 カレーをよそいながらカレンダーを見た早苗が「あれってさ、なんで起きちゃったんだっけ」と続ける。


「んー……簡単に言うと、心と体の接触不良だな」


「接触不良?」


「あぁ。心が〝こうするべき〟という結論を出しているのに、体は別の行動をしてる。誰かに操られてるってストレスが溜まって爆発した、って感じかな」


「ふーん」


「ふーん……って、お前自身の話だろ」


「そんなこと言ったってどうしようもないじゃん。ナビゲートも無理矢理外した時に壊れちゃったんだし」


「……確かにそうだが」


「ま、あれごり押ししてたバーコードもクビになったし、あの事件があったからこうして幸せな時間を過ごせるわけだし。寧ろ感謝しかないなー」


 カレーを二人分用意してテーブルに座ると、早苗は笑みを浮かべながら続けた。


「改めてありがとね、助けてくれて。愛してるよ、旦那様」


「よせよ」


 照れ隠しでカレーを頬張る。

 少し甘い、疲れた体に染み渡る味だなと舌鼓を打った。



       ※



「よし……っと」


 最後の皿を洗い終わると、早苗はソファーに座り込んだ。

 大地は明日に備えて風呂に入っている最中。そっと風呂場の方を見ながら大丈夫だよね、と呟くと、ある一つの機械を取り出す。


「ホントにあなたのお陰だよ、ありがとね」


 早苗は、手のひらで佇むナビゲートに話しかけた。嬉しいことや悲しいこと、腹の立ったことから少し気になったことまで、毎日一人で物言わぬナビゲートに話しかける。

 主だった〝選択の手助け〟をする機能は停止している。今この機械ができるのことは時間を伝えるだけ。

 そんなただの腕時計に話しかける自分。


 ――流石に恥ずかしいよねぇ。


 やっていることはおままごととそう変わらない。いい歳した大人が何してるんだろと苦笑いを浮かべていると、風呂場の方から「おーい。ちょっと来てくれー」と大地が助けを求める。


 シャンプーは詰め替えたばかり、体を洗う石鹸もまだまだ残りはあるはず。


 ――虫でも出たのかな?


 妙に焦りの混じった声色に「やれやれ」とちょっとした優越感に浸りながら早苗は「はーい」と風呂場へ向かった。



       ※



 放り出されたナビゲートが、ジジ、とノイズを立てる。


 ――おめでとう。


 その文字を五秒だけ照らすと、再びディスプレイは時間表示に戻った。

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