予選本番

「えへへー、来ちゃったー」

「いや来ちゃったのは良いけど、よく私の居場所がわかったわね……」


 ムイのアホ毛がピクピクと動いた。まさか鬼◯郎の妖◯アンテナみたいな働きをして私を探し当てたわけじゃないだろうけど……。


「わたしの出番までまだ時間があるから必勝祈願に来たの。そしたら何だかおねーさんがいる気配がしたんだよねー。ビンビンと」


 ビンビンと、という言葉に合わせて、アホ毛がビンビンと伸び縮みした。やっぱり◯怪アンテナなのかしら……というかどうやって動かしているのか謎だ。


「うわー、面白い髪の毛の動き方しますねー」


 と、笹川さんがムイに話しかけた。


「あ、私は山岳部員の笹川といいます。河邑部長の恋人さんですよね?」

「そだよー! わたしは転素牟亥っていうの。学年は高等部一年で学科は国際科だよー」

「国際科! すごいですねえ!」

「えへへー、もっとほめてほめてー」


 ムイは山岳部員たちに取り囲まれてすっかり得意げになり、犬がしっぽを振るみたいに左右にアホ毛を揺らす。


「ムイ、もうお参りはすませたの?」

「うん。今日は良い記録が出そうな気がするー。おねーさんもみんなも見ててねー!」


 ムイは朝日のように眩しい笑顔を見せた。そこに緊張感は一切感じられない。日頃の練習の成果を最大限に発揮できるだろう。


 *


 私たちは山岳部としての活動を終えて、美利里山運動公園陸上競技場へ向かった。インターハイ予選会場に使われるだけあって設備は充実しており、スタンドは各高校から応援に駆けつけた人たちで埋まっていた。


 トラック競技と投てき競技、跳躍競技は並行して行われる。やり投げのプログラムが始まると同時に、トラックでは100mハードル走の予選が始まった。ムイの出番が来る前に星花女子の生徒が100mハードル走に出てきたのだが、二位以下をぶっちぎって難なく勝ってしまった。


「あの子めちゃくちゃ速いわよね。このまま優勝しちゃうんじゃないの」

「磯幡先輩は全中出てましたからね。ソフトボール部とアーチェリー部と柔道部が注目されてますけど、一番インターハイに近いのは磯幡先輩ですよ」


 笹川さん情報によると、この磯幡千夏いそばつちなつという選手は中等部時代は桜花寮だったが、全中出場の実績により高等部から菊花寮に昇格したという。運動部の実績で菊花寮に行ける生徒はそうそういないものだ。逆に実績があっても勉強ができず桜花寮降格となったソフトボール部の某主将みたいなケースもあるが……


 そんなことはさておいて、ついにムイが出てきた。撫子色のユニフォームを着て、競技用の槍を携える姿に何か違和感を覚えるのは石槍のイメージが強すぎるからか。


「ムイー! がんばれー!」


 そう叫んだら、バッチリ聞こえたようで私に向かってニコニコ笑いながら両手を振ってきた。案の定後輩たちが冷やかしてきたけど、そんなことよりムイの競技だ。真剣な面持ちに戻っていたが、笑顔とのギャップでより一層かっこよく見える。


 ムイは槍を水平に構えて、ぴょんぴょんと軽い足取りで助走をつけだした。腕をぐいっと引き、踏切線ギリギリのところで体全体を使って槍を投げた。


 斜め45度で投射された槍は、最初は重力に逆らうように飛翔して、頂点にたどり着くと重力に従って落ちていき、きっちりフィールドのど真ん中に突き刺さった。今までの選手の記録よりも遥か遠い場所に。


 わああ、と大歓声が起きた。


「記録は42m61……これって凄いのかしら」


 奇しくも下二桁が61ムイになったけど。


「多分凄いと思いますよ……だって転素先輩の半分程度までしか届いてない人も大勢いるんですから」


 笹川さんも驚きを隠せていない。


 石槍で練習すれば競技で使う槍が軽く感じるとか言っていたけど、ここまで練習の成果が出るんだったらうちの陸上部、これからずっと石槍で練習することになりそうな。


 結局、計三回投げて一投目の記録がベストだったが、それで十分だった。ムイは見事優勝を成し遂げたのである。また、磯幡さんも100mハードル走で優勝を決めることができた。


 だけど実はこれでインターハイ予選が終わったわけではない。まだ二次予選として東海地区大会があり、そこで上位の成績を収めてようやくインターハイに行ける。それでもムイなら難なくインターハイ行きを決められそうな気がする。いや、必ず行くに違いない。


 *


「ほら撫子、また魂飛んじゃってる」


 はっ。


 お母さんに注意されて、意識が現実世界に引き戻された。


「最近、よく魂飛んじゃうわよね。悩み事があるならちゃんと言ってよ?」

「ううん、大したことじゃないから」


 私は野菜カレーに手をつけた。我が家で一番のごちそうだけれど、味が今ひとつな気がする。ひいおばあちゃん特性のカレーライスなのに。


 競技が終わった後、ムイにおめでとうを言う時間が無く家に帰ってしまったことを私はずっと気にしていた。メッセージや電話をすればいい話なのだが、ムイはスマホでコミュニケーションを取るのが嫌で、メッセージアプリを入れていなかった。電話も家族限定ということで番号を教えてもらえず、その家族相手ですら3分以上話をしたことがないという。顔が見えない相手とやり取りするのは自然じゃないから、という理由だった。


 じゃあ何のためにスマホ持ってんのよ、とツッコミたくなるが縄文少女だからスマホを持っているだけでも感心ものだろう。ただし情報に溢れた社会の中でこの先生きていけるのかどうか不安だ。いや、もしかすると逆に、恋人とほんの少しコミュニケーションを取れないだけで落ち着かない私の方が不便な身になっているのかもしれない。私は歴史好きでも悲しいかな、スマホが無いと生きていけない現代人だ。


「悩め悩め。程よく悩むのは良いことだぞー」


 と、おばあちゃんがにっこり笑った。おばあちゃんはまだ62歳で、ほうれい線が無いから見た目はお母さんとほぼ変わらないぐらい若々しい。


「おばあちゃんが私と同じぐらいの年齢だった頃は悩んだの?」

「よく悩んだよ。明日はどの子とデートしようか、とかね」


 おばあちゃんが現役の頃は王子様として君臨し、数多の生徒を虜にしていたという。おばあちゃんだからこその贅沢な悩みだ。


「ひいおばあちゃんは?」

「悩む暇など全然なかったのう。少しでも良いところで仕事して食べていかにゃならんという思いで必死で勉強しとったでな」


 やはり、戦争を知っている世代は違った。ひいおばあちゃんは卒業後に役場に入り同僚だったひいおじいちゃんとすぐに結婚し、翌年にはもうおばあちゃんを産んでいたが、育児休暇なんて無かった時代、子育てをしながら一所懸命働き模範職員として市長から表彰されたことがあるぐらいだ。


「私は高校時代に特に悩みは無かったけど、社会に出た後がねえ」


 私が尋ねる前にお母さんが言った。お母さんが星花生だった頃はバブル期と重なっていて、星花にも成金のお嬢様がたくさん入学していたという。だけど短大に進学して二年間勉強していざ社会に出ようという頃には就職氷河期に突入してしまい、ようやくありつけた職がパン工場で、朝から晩までケーキにホイップクリームを載せる仕事をしてメンタルをやられかけていた、と事あるごとに辛い思い出話をしていた。


 おばあちゃんはともかく、ひいおばあちゃんとお母さんのは私の悩みより遥かに深刻だということがわかった。よくよく考えればちょっとだけ我慢して、後日ムイに直接お詫びとお祝いをすればいいだけの話だ。そう頭ではわかっているのだけれど。


「お母さん、後でチャタローの散歩に行ってくるね」

「え? さっきおばあちゃんが行ったでしょ」

「行かせてやりなよ。何か解決法を思いつくかもよ?」


 と、おばあちゃんが言ってくれた。外に出て悩みが解決するかどうかわからないけど、とにかく気分を入れ換えたかった。


「じゃあちゃんと防犯ブザーを持って、早く帰ってくるのよ。この辺は静かだけど時たま変なのがウロウロしてるらしいからね」

「うん」


 我が家ではチャタローというゴールデンレトリーバーを飼っている。リードをつけるととても嬉しそうに尻尾を振った。夜の散歩なんか滅多にやらないからだろうか。


 この辺は夜になると、道を歩く人の足音すら大きく聞こえる程静かになる。梅雨の時期に差し掛かりつつある時期の生暖かい空気の中、私とチャタローはゆっくりと歩き出した。


 学校までは徒歩5分。正門は閉まっていて校舎には灯りは一つもついていない。私は外周をぐるりと時計回りして裏に回ることにした。寮生は門限までは裏門から出入りしていて、今の時間帯はまだ開けっ放しになっていた。


 このまま菊花寮に行ってムイと会ってみたかった。だけど寮生以外は事前許可が無いと中に入れないし、夜間の出入りは完全に禁止されている。寮母さんの目を盗んで女の子を連れ込む寮生や、逆に夜這いをしかける女の子も少なからずいるらしいが……


「ワンッ! ワンッ! ワンッ!」


 突然、チャタローが吠えだした。散歩中はむやみに吠えないのに。


「どうしたの?」


 チャタローは道路を挟んで向かい側にある公園に向かって吠えていた。公園といっても規模は小さく、滑り台に砂場、ブランコ、シーソーしかない。


「ちょっと、チャタロー!」


 チャタローが公園の方へ私をグイグイ引っ張っていった。私もリードを引っ張るが、どこにそんな力が眠っていたのかわからないが私の方が力負けしてしまった。普段は言うことを聞くのにこんなこと初めてだ。


「もう、いったい何なのよ……」

「ワンッ!」


 チャタローがベンチの前で止まった。たった一本の街灯に照らされたベンチの上にあるものを見た私はギョッとした。


「ムッ、ムイ!?」


 このアホ毛は間違いない。ムイがベンチに寝転んでいたのだ。


 しかも真っ裸で。

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