美利里神社

 陸上競技インターハイ予選会当日。空の宮市から美利里山までは電車とバスを乗り継いでだいたい一時間半かかる場所にあり、私たち山岳部員は朝早くから現地に向かった。


 美利里びりり山は標高413m。麓には総合運動公園があり、その中の一つに陸上競技場がある。最寄り駅から出ているバスは総合運動公園が終点であり、美利里山に向かうにはここから歩かなければならない。


 とは言っても、実は労力はそんなにかからない。なぜなら山頂まではロープウェイを使って容易に移動することができるからである。登山道も整備されてはいるが、ご存知の通り我が校の山岳部は実質的に郷土研究会と化しているので登山用の装備があるはずもなく、移動手段は必然的にロープウェイに限られる。


 山麓駅から出発して山頂駅に到達するまで5分ちょっとしかかからなかった。ゴンドラから見下ろす麓の風景は素晴らしくてこれだけでも来た甲斐があるのだが、本番はここからだ。


 山頂駅から歩いて1分もかからないところに、神社があった。名前は美利里神社とそのまんまだが、規模はなかなか大きく参拝客も大勢いた。


「じゃあ笹川さん、この神社をみんなに説明してもらえるかしら」

「おまかせを!」


 笹川さんは神社好きで、県内にある神社を全て参拝したと豪語する程である。それは大げさにしろ、神社の知識は確かだ。


「美利里神社は今でこそ神社の形を取っていますが、昔は修験道の霊場でした。かつては不動明王を祀っていましたが、土着の美利里山信仰と結びつき美利里大権現として崇敬されていました。しかし維新後の修験禁止令によって修験道が禁じられ、霊場は神社に作り変えられたのです」


 立て板に水、ということわざ通りにスラスラと淀みなく話す。


「今でも当時の名残がこちらにあります」


 私たちは絵馬殿へと案内された。多数の絵馬が飾られているけれど、出入り口の上のところに掲げられているのは絵馬ではなく、額縁に入れて飾られている般若心経であった。さらに絵馬の横には年間行事の写真が掲示されていたけれど、神主が行者の格好をして護摩行をする祭事があって、確かに修験道の名残を伺わせるものがあった。


 二人の新入生は熱心にメモを取り、他の後輩たちも物珍しそうに美利里神社の特徴を眺めている。


「ここまでで何か質問はありますか?」


 笹川さんが尋ねると、新入生二人が真っ先に手を上げた。新入生と言っても高等部一年と中等部一年で学年に開きがある。


「熱心だねえ。じゃああなた」


 中等部一年の方が当てられた。


「美利里って変わった名前ですけど、何が由来なんですか?」

「おー。これ、修験者と関係があるんで後で説明しようと思ったんだけど、あなたの熱心さを買って今説明しちゃいましょう。部長、『びりり』って言葉を聞いてどう思いますか?」


 話が急に私に振られてきた。


「どう思うか? びりり……何かが破ける音とか、感電してしびれるみたいな感じ?」

「そうですよね。実は美利里ってビリリと体がしびれるからそう呼ばれだしたんですよ」

「へー?」


 思わず口から突いて出た。これは全くの初耳だ。


「何で体がしびれるの?」

「ここはかつて修験道の霊場でしたが、辰砂が取れる場所でもあったんです。辰砂というのは朱色の原料となる鉱石で神社の鳥居の着色料にも使われていたんですが、水銀を含んでいるので毒性が強いんです。修験者たちはこの辰砂を使って不老長寿の薬を調合して服用しました。そのせいで中毒を起こして体がビリリとしびれたことか美利里山と呼ばれるようになった、というわけです」


 そんな馬鹿な、と思いたくもなるがあり得ない話でもなかった。昔、水銀が薬として利用されていたことがあるのは事実だからだ。秦の始皇帝も水銀を不老長寿の薬と信じて服用していたし。


「なるほどね。ビリリとくるから美利里山ねえ。山って案外、安直な付けられ方をするケースが多いのよね」


 例えば谷川岳の名前の由来も、そのまんま谷と川が多い場所だからだったりする。


「ちなみに名前の由来はどの文献に載ってたのかしら?」

「文献ですか? えーと……実は祖父母がここの近く住んでいて、二人から話を聞いただけです。文献に記録が残っているかどうかまでは、すみません。調べてないです」

「はい、じゃあ宿題ね。成果は星花祭で発表してもらいましょう。頑張ってね、将来の部長さん」

「了解です!」


 中等部二年生は笹川さん一人しかいないから、辞めてしまわない限り将来は必然的に部長になる。冗談抜きで頑張って頂きたいものである。


 それから私たちは本堂にお参りをした。私が願ったのはもちろん、ムイの活躍と無事。二礼二拍手一礼のお作法に則って参拝を済ませ、次に向かったのは本殿の裏側にある展望台だった。


「部長は何をお祈りしたんです? やっぱり知り合いさんの活躍ですか?」

「言うとご利益がなくなっちゃうから言わない」

「じゃあお祈りのことは聞かないことにして、代わりに答えてください。知り合いって言いますけど実はなんでしょ?」


 笹川さんが小指を一本立てて見せたものだから、私はドキッとした。表情を気取られたようで、相手はニヤリと笑う。


「あ、やっぱそうなんだー!」

「ちょっと、声が大きいわよ!」


 否定しようにも時すでに遅く、他の部員たちが私を取り囲んで騒ぎ出した。


「どうしてそう思ったのよ……」

「私見てましたもん。知り合いさんからクッキーを貰ってたのを。どう見ても手作りのクッキーでしたもんねえ。部長のために作ったよと言わんばかりの」


 反論のしようがなかった。


「ええ、そうよ。交際一ヶ月ですけど何か?」


 こうなっては開き直って認めるしかなく、後輩たちは口々におめでとうございますと言ったが、からかいが少なからず入っていた。


「ほら、雄大な風景も部長を祝福してますよ!」


 笹川さんは臭い台詞を口にしたが、展望台から眺める風景は確かに素晴らしかった。空の宮市にそびえ立つ霊峰もよく見えるし、方向を変えれば青い海が広がる遠景を楽しめる。おかげで恥ずかしさもあっという間に霧散した。


「綺麗ねえ」


 そう呟いたら、「おねーさんも綺麗だよ」なんてまたもや臭い台詞を聞いてしまったのだが。その声色は部員の誰のものでもなかった。


「ムイ!?」


 振り返ったら案の定、ニコッと笑っているジャージ姿のムイがいたのであった。

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