インターハイ予選前

 ムイとの交際が始まって一ヶ月経った頃。ジメッとした空気が肌を包み込むちょっといやな季節になったが、恋人ができたことで心はカラッと晴れていた。


 交際していることは誰にも話してはいない。女の子どうしの交際が当たり前なこの学園では別に隠す必要もなく、前カノとつき合い始めた頃はテンションが上がっていたこともありベラベラと自慢していた。しかし一ヶ月で破局。結果として大恥をかいてしまったから、次に恋人ができても他人にしゃべるようなことはしないと決めていたのである。


 だけど気づく人は気づくもので、その一人が桶屋さんであった。共に日直だったので学級日誌を書いていたらいきなり、


「河邑さん、最近肌ツヤが良いけど恋でもしたの?」

「うえっ!?」

「何て声を出すのよ……」

「桶屋さんにそんなこと言われるなんて思ってなかったし……」


 他人への興味が薄い子だし。


「気になったから聞きたかったのよ。悪い?」

「いいえ、でも何で恋の話に……」

「あたしがそうだったからよ。あいつとつき合い出した後に、自分でもびっくりするぐらい肌ツヤが良くなったの」


 桶屋さんは無表情だったけど、声のトーンは若干高かった。


「で、本当のところはどうなの?」


 他人にしゃべるまいと誓っていたが、桶屋さんには話しておくことにした。見聞きしたことを人にペラペラとしゃべるタイプじゃないから。


「実は、一ヶ月前に恋人ができたの。相手は国際科の子」

「国際科? あなた、考古学好きなのに新しいもの好きでもあったのね」


 それが桶屋さんなりの冗談だとわかったから、私はクスッときた。


「何はともあれ、おめでとう」

「ありがとう」


 その日の学級日誌の感想欄は桶屋さんがびっしりと文字を埋めてくれていた。担任に出しても小言を言われなかったし、気分は最高だ。


 *


 この時期はインターハイ予選会が行われる頃である。今年は長年開店休業状態だったアーチェリー部が久々に参戦してしかも優勝を狙える位置にいるとか、柔道部の超高校級一年部員が期待通り暴れているとか、昨年惜しくも優勝を逃したソフトボール部がリベンジに燃えているとかで、運動部の躍進が期待できる年であった。


 ムイがいる陸上部は昔から強豪として知られていて、特にトラック競技はインターハイの最有力候補に上げられているとか。ムイは投てき競技、やり投げの選手だがこっちも良い成績が期待できると前評判は高い。


 私はスマホで予選の日程を確認する。当然、ムイの応援に行くためだ。やり投げは来週の土曜日、場所は美利里山びりりやま運動公園陸上競技場。部室にかけられているカレンダーも見て、その日は何もないことも確認して、と。


「こんにちはー」


 私の後輩で学年は中等部二年、笹川ささがわさんが入って来た。


「あれ? その日何かあるんですか?」

「えっ? あっ!」


 私はついうっかり、カレンダーに書き込みをしてしまっていた。


「美利里山運動公園陸上競技場って……?」

「あー……実は、インターハイ予選があるの。陸上競技のね。実は陸上部の子に応援を頼まれてて」

「陸上部に知り合いがいるんですか。先輩ってバリバリの文化系だからあまり運動部の人と仲良くやってるイメージが浮かばないです」

「一応山岳部も運動部なんだけど……名義上は」


 しかしご存知の通り今は山周辺地域の伝統と文化を学ぶ文化部と化していて、インターハイとは無縁である。


「部長、せっかく美利里山に行くんだったら部員全員で行きませんか? 実は私、そこに行ったことあるんで案内できますよ」

「え?」

「そのかわり応援も一緒にやりますから。数が多い方が良いでしょ?」

「それはそうだけど……」


 でも断る理由が見つからない。それに美利里山は霊山として知られている場所でもある。山岳部としても調べ甲斐があるし、私も必ず行かねばと思っていた。そういうわけだから笹川さんにはOKの返事を出して、ムイの事後承諾を求めることにした。


 グラウンドに赴いてムイに事情を話したら、あっさりと認めてくれた。


「どうせ大会が終わっても二人きりでイチャイチャできる機会がないしねー。でも応援はしっかりとお願いね?」

「もちろんよ。ところで調子の方はどう?」

「もうサイコー! 恋の力ってやつかな? えへへ」


 実に頼もしい言葉だ。


「そうそう。おねーさんもこれ食べる?」

「あら、クッキーじゃない」

「わたしが焼いたんだよー」

「本当? すんごくキレイに焼けてるじゃない。じゃあ遠慮なく」


 きっちりと整った丸い形のクッキーがビニール袋の中に入っていた。さっそく私は一つ頂くことにしたが、


「ん……?」

「どう?」

「何か脂っこくて肉っぽい味がするんだけど……それに歯ごたえが微妙におかしいような……」

「当たりー。イノシシの肉が入ってんの」

「うぐっ!」


 驚きのあまり、一気に飲み込んでしまった。ゲホゲホと咳き込んだものだから、ムイがスポーツドリンクを差し出してきた。それを二口ほど飲んでから、


「何で!?」

「何でって、縄文時代じゃ肉入りクッキーが食べられていたって言われているんだよ。ちなみに生地はドングリから作ったのー」

「なるほど、独特な味をしていた理由がわかったわ……」


 ムイを傷つけまいとオブラートな物言いをしたのだが、私の意図が通じるはずがなくもう一個頂くハメになってしまった。ちなみに陸上部員の間では肉入りクッキーは良いタンパク源になると大好評だったそうだ。

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