黒光りの愛

 私たちが向かったのは雑木林。この中には古びた小さな神社がある。鳥居と本殿と神楽殿だけのシンプルな構成になっているが、江戸時代中期に建てられた由緒ある神社で、市の重要文化財に指定されている。とはいえ常駐の神主はいないし、お祭りや初詣のとき以外は地元住民でも滅多に近寄らない場所になっている。


「ここなら、私たちの邪魔をする者はやって来ないはず」

「でも神様が見ている中でしちゃうんだよねー」

「何? 今更躊躇してんの? 誘ってきたのはあなたなのに」

「ううん、たまらないよねー。この背徳感……」

「でも、神様にごめんなさいしときましょう。バチが当たったら嫌だし」


 私は財布から10円玉を取り出し、賽銭箱に入れて二礼二拍手一礼をした。ムイも私を真似た。これからすることを考えれば10円ぽっちで許してもらえるとは思えないが……。


 それから私たちは周りに誰もいないのを確認してから、神楽殿の扉を開けて中に入った。照明はついていないが、扉を閉じても真っ暗闇にはならなかった。壁に若干隙間ができていて、そこに漏れ入ってくる光のおかげで、相手の顔がほんのり見える程度の視界は確保できていた。


「こういうシチュエーションって、ドキドキするね」


 暗くてもムイの顔が紅潮しているのがわかるし、アホ毛もピンと上まで伸び切っている。


 私は恥を忍んで言った。


「あの、ムイがリードしてくれる? あなたは違うだろうけど、私は初めてだから……」

「だいじょーぶ! わたしだってシたことないから」

「元カレとは何もなかったの?」

「うん。おねーさんと一緒。キスする前に別れたから」


 私たちはお互いに笑いあった。少しだけ緊張感がほぐれていくのを感じた。


「でも、おねーさんが望むなら任せてよ」


 ムイはそう言うと、パーカーのポケットから黒光りしているものを取り出した。


 それが黒曜石で作られたナイフだとわかった私は、にわかに血の気が引いた。


「それで何するつもりなの?」

「こーすんの」


 ムイはナイフで自分の人差し指を軽く傷つけた。じわり、と赤い玉が浮かび上がってくる。


「おねーさんも指出して」


 ムイがやろうとしていることが何となくわかった。人差し指を差し出すと、ナイフが触れた。不思議なことに痛みはなかったが、紛れもなく私の血がじんわりと浮かんできた。


「こうやってね、お互いの血をすするの」


 ムイの方から、私の指を咥えてきた。水音を立てて生暖かいものがうねうねと這ってきて、体中に電流が走ったかのようになる。私もムイの指を咥えた。鉄の味とともにまた電流が走った。


「うんっ、ちゅぱっ、あむっ……」

「あっ、じゅるっ、んはっ……」


 相手の血をすするなんて蚊と吸血鬼はともかく、気分の良い行為ではないはずなのに興奮が高まってくる。口を離すと、ムイの口周りは唾液でぬらぬらと光っていた。私の口も同じことになっているだろう。


「何これっ、ヤバっ……」

「えへへー、わたしが考えた縄文風愛の営みの儀式はどう?」

「それって要はただのムイ風の儀式じゃない……でも、凄いわ。頭がボーッとしちゃうぐらい……」

「よーし、じゃあ本番だー!」


 風情もへったくれもないことを言って、ムイは唇を塞いできた。舌をねじ込んできたから私も応えた。


 じゅるっ、ちゅぱっ。水音と吐息が脳みそを溶かしていく。ムイがパーカーを脱ぎ捨てる。インナーも脱いで上半身が顕になる。裸を見るのは初めてじゃないけど、今は体つきがいやらしく見えてしまう。


 ムイが馬乗りになって、ディープキスを交わしながら、私の服を脱がしにかかった。本当に初めてなのかと疑いたくなるぐらい手際がよくて、あっという間にブラも脱がされてしまった。


 ここからだ、というときであった。


「ふああ~」


 外で、誰かが大きなあくびをしているのを聞いた。ふと我に返った私はとっさに、ムイの口を手で塞いだ。


「まずい、誰か来ちゃった」

「むぐぐ……」


 滅多に誰も来ないのに、何で今日に限って。半裸の私たちの姿を見られてしまったら……その先は想像したくない。


 神楽殿には裏口が無い。できることは物音を立てずじっとコラえて、帰っていくのを待つしか無かった。足音が本殿の方に向かっていく。


 コトリ、という音。きっと賽銭を入れる音だ。そして二回拍手を打つ音がした。


 また、足音がこちらに近づいてくる。ムイが馬乗りの体勢のままで固まって、私は冷や汗を流しながら通り過ぎてくれるのを神様に祈った。バチを当てられても仕方ない立場なのに図々しい、と我ながら思う。


 やがて足音は遠のいていき、聞こえなくなった。ムイの体をそっと退けて、脱がされた服を羽織って外に出て様子を伺う。


「よし、帰ったようね」

「じゃあ、続きだねっ」

「あっ!」


 ムイの手が私の両肩を掴んで、神楽殿の中に引きずり込んだ。


 また誰か来るかもしれない、というスリルがスパイスになってか、興奮はますます高まっていき――私たちはケモノのようにお互いを貪りあった。


 *


「うう~、足に力が入らないよー……」


 それは私も同じことだった。後先考えずにしまくったせいで体力が切れて、私たちは千鳥足で歩かざるを得なくなってしまったのだ。


「ほら、バス停が見えてきたわよ。あっ」


 ガクッ、と前のめりに倒れそうになる。ムイが支えようとしてくれたけど、結局共倒れになってしまった。


「あいたた……ムイ、大丈夫?」

「うん、わたしはへーき」


 どうにか起き上がって、最後の力を振り絞ってバス停にたどり着くと、ちょうど帰りのバスがやってきた。この便を逃したら次に来るのは一時間後なので、帰りがますます遅くなってしまうところった。


 一番後ろの座席に座って、ようやく人心地がついた気分になった。乗客は一番前の座席におばあさんが一人座っているだけである。人目がつかない今とばかりに、ムイが寄りかかってきた。


 さっきまでしていたことを思い出してきて、体が熱くなってくる。


「おねーさん、これ、あげる」


 ムイは「儀式」に使った黒曜石のナイフを渡してきた。


「良いの?」

「うん。黒曜石はパワーストーンにも使われているんだ。きっと、おねーさんのことを守ってくれるよ」

「ありがとう。大切にするわ」


 私は丁寧に受け取ると、ムイの額にキスを落とした。彼女は「えへへー」と可愛い声を漏らした。


 ナイフは車窓に差し込む光を受けて黒く輝いているが、そこから一種の妖艶さを感じ取った。私たちの血が染み込んでいるから。

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