ムイの父親たち
嵐は夜明けの頃にはすっかり収まり、その反動で雲ひとつない青空が広がっていた。それでも嵐の傷跡はくっきりと残っていた。敷地内はちぎれた葉っぱやら、どこから飛んできたのかわからないゴミやらが散乱していて、当然、それらを片付けるのは私たちだ。そのため予定を変更して、午前の時間をまるまる清掃に当てることになった。授業が無くなったこともあってか生徒たちは活き活きとしながら清掃活動を行い、昼休み前にはすっかり元通りになったのである。
申し訳程度の午後の授業が終わると、得も言われぬ開放感がやってきた。ようやく家に帰ることができるのだ。
正門へと続く道路を、私はスマホを見ながら歩く。教師や風紀委員が見たら即注意されることをしてしまっているが、どうしても昨晩の思い出を振り返りたくなったのだ。
スマホには一緒に寝泊まりして仲良くなったメンバーの自撮り画像が収められている。纐纈先輩はドヤ顔で、阿比野さん夜野さんは肩を組んでピースサイン。その後ろにいるムイはにっこり笑いつつも石槍を構えていて、それがとても面白おかしかった。この同級生三人組の中ではやはりムイが一番際立って見えた。
「コラーッ! 歩きスマホしちゃだめでしょ!」
「ひっ!」
後ろから怒鳴られた私は胃袋を掴み上げられたようになり、慌ててスマホをカバンにしまおうとしたがうっかり落としてしまった。
「ああ、すみませんすみません……って、ムイじゃない」
「えへへー、びっくりしたでしょー」
ぴょこん、とアホ毛が立つ。
「でもありがとう、注意してくれて」
私ずムイの頭を撫でると、無邪気でかわいい笑みを浮かべた。
「えへへー。ところで撫子おねーさん、ゴールデンウィークは予定入ってるー?」
「え?」
「わたしのおとーさん、オートバイレーサーやってるんだー。ゴールデンウィークに夕月サーキットでレースするから応援しに行くんだけど、よかったらおねーさんも一緒に行こうよ」
お誘いが来ると露とも思ってなかったから、私は戸惑った。ゴールデンウィーク中は特に部活動の予定を組んではいないが。
「私、レースのことは全く知らないんだけど」
「いいのいいの。実は私だってよくわかってないから。でもおねーさんと一緒だったらもっと楽しめるかなーって」
私と一緒だったら、か。
「うん、わかった。そこまで言ってくれるんだったら」
「やったー!」
ムイは拳を握りしめて小躍りし、アホ毛を左右に揺らした。
*
日曜日。ゴールデンウィークのちょうど半ばのこの日、私はいつもより早起きをして身支度を整え、家を出た。学園まで歩くと、正門のところですでにムイが待っていた。
「撫子おねーさん、おはよー!」
「お、おはよう」
「あれ? 何かちょっと反応鈍いけどどしたの? まだ眠いの?」
「ううん。その、失礼だけどムイが普通の私服を持ってるとは思ってなかったから……」
ムイは無地の黒のパーカーにジーンズという姿だった。外出するからさすがに縄文服は無いだろうと思ってはいたものの、奇抜な格好をしてくるだろうなと覚悟はしていたから拍子抜けしてしまった。
「本当はいつもの服がいいんだけどねー。でもやっぱTPOってものがあるしー」
「その格好も似合ってるわよ」
「ほんと?」
ムイの目がキラッと輝く。
「お世辞じゃないからね」
「わー、ありがとー!」
ムイはいつものようにアホ毛を動かして感情を反映させた。このぴょこぴょことした動きは見ているだけでも楽しい。
「ところで、サーキットまではどうやって行くの?」
「もうすぐお迎えの車が来るから、それに乗って行くの」
「お迎え?」
「あ、来た!」
黒のセダンが一台やって来る。ムイが手を上げると、セダンはハザードランプを点灯させてスピードを落とし、私たちの目の前に停車した。
運転席の窓が開いて、坊主頭の男性がひょっこりと顔を出してきた。
「ようムイちゃん! 元気してたかい?」
「うん、元気してたよ! とーちゃん!」
「と、とー、ちゃん……?」
あれ? オートバイレーサーの父親を応援しに行くのでは? とーちゃんって何?
頭の混乱が急激に悪化していく中で、今度は助手席側から別の男性が降りてきた。その人はソフトハットをかぶっていた。
「ムイ! ちょっと見ない間に大きくなったな!」
「んもー、一ヶ月しか経ってないでしょ。パパ」
「パ、パパ……?」
私にはもう何が何やらわからなくなっていた。
「あのー、さっきからとーちゃんとかパパとか、この人達とはどういう関係?」
「どういう関係って、そのまんまの意味だよー」
「いや、あなたの父親はオートバイレーサーでしょ」
「うん。おとーさんはね」
「この人達は?」
「とーちゃんとパパ」
「……」
ふざけてるのか本気なのか。ラチが開かないので「パパ」に聞いてみることにした。
「失礼ですが、ムイとはどういう関係なのでしょうか?」
「ああ、転素家の家族関係は少々変わっていてね。詳しいことは車内で話そう。さあさあ」
私たちは後部座席に乗せられた。
*
古代日本の婚姻制度では、弥生時代においては一夫多妻であったことが『魏志倭人伝』に記録されているが、さらに遡って縄文時代で多夫一妻であったり、多夫多妻であったりとまちまちだったと言われている。いずれにせよ、どの婚姻制度も現代社会では倫理的に受け入れられるものではない。
ところが転素家の人間は、ムイに限らず縄文時代的な考えを持っているらしかった。なんと、ムイには三人の父がいるのである。
とーちゃんこと転素
パパと呼ばれているのは転素
そしておとーさんこと転素
「それでも俺たちは父親どうし、仲良くやっているのさ」
拾象さんは兎尾さんと一緒にガハハ、と気持ちいい笑い声をあげた。私は常識破りの家族とどう会話していいのかわからず、愛想笑いを浮かべることしかできなかったが、話のきっかけを作ったのはムイだった。
「パパ、撫子おねーさんはね、古代の遺跡に詳しいんだよー」
「何、本当か?」
助手席に座っている兎尾さんが、顔を私の方に向けてきた。
「どんな遺跡に興味があるんだい?」
「あ、はい。やっぱり有力者の墳墓ですね。出土品から地域をどう支配して、どのような生活を送ってきたのかを想像するのが楽しいですし」
「わかる、わかるぞ。太古の昔に想いを馳せるのはロマンだからな!」
「兎尾さんも遺跡に興味があるのですか?」
「ああ。学術的興味とは少々違うがな」
兎尾さんは口角を上げた。
「実は、俺はトレジャーハンターをやっているんだ」
「トレジャーハンター? 宝探しをやっているんですか?」
それでインディ・ジョーンズのような格好なのか、と納得してしまった。
「ああ。埋蔵金や宝物を求めて日本中の土を掘り返し、海をさらってきた。今は徳島の剣山でユダヤの秘宝を探している」
「ユ、ユダヤの秘宝?」
「おや、知らないのか? ユダヤの失われた10支族のひとつが日本に流れ着いた際に持ち込まれた秘宝が剣山に眠っていることを」
ああ、ちょっとこれは面倒くさいかも、と直感した。日本人とユダヤ人は共通の祖先を持つという学説は有名で私も知っているのだが、オカルトの域を出ないものだ。案の定、兎尾さんは胡散臭いうんちく話を目を輝かせながら繰り広げだした。空海は実はユダヤ人の子孫で秘宝を守るべく剣山に結界を張ったとか。戦後にGHQが血眼になって剣山を探索したとか。私は適当に聞き流していたが、ムイはおとぎ話を聞かせてもらっている子どものように熱心に耳を傾けていた。ツッコミの一つや二つぐらい入れたい衝動に駆られたものの、下手に反論するとお互い嫌な気持ちになるのが目に見えていたからやめた。
車は一時間ほど走ったところで、夕月サーキットに到着した。車から降りると、けたたましいエンジン音が後ろの方から聞こえてきた。
「お、走ってるな」
拾象さんは駐車場のフェンスの向こう側を見て言う。私も目をやると、眼下に広いサーキットの光景が広がっていた。駐車場の方が高い場所にあるから一望できる格好だ。コース上では色とりどりのオートバイが走行しているが直線では猛スピードで突き抜け、カーブでは車体を地面スレスレになるぐらいまで傾けて曲がっている。凄い。
「もうレースが始まってるんですか?」
「いや、まだ練習走行だ。本番は午後からだ」
「これで練習ですか……」
本番だともっと迫力があるに違いない。少し、レースに興味が出てきた。
横にいたムイが急にアホ毛を逆立てた。
「あっ、おとーさんみーっけ!」
「え、どこ?」
「あの赤いバイク!」
ムイが指差した方向で、赤いバイクがS字カーブを右に左にと曲がっている。遠い位置にいたが、なるほど確かに転素重鹿だと思わせる特徴を私は見つけた。
ヘルメットにデカデカと鹿の絵が描かれていたからである。重鹿だけに鹿、ということだ。
「しげろくー! 娘が応援に来たぞー! 頑張れよー!」
兎尾さんがソフトハットを振り回して叫ぶと、ムイもぴょんぴょんと飛び上がりながら「おとーさんがんばれー!」とエールを送る。
果たしてムイと、二人の父親の応援は届くのだろうか。
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