恋バナ
女の子どうしのトークにおいて、恋バナは定番であり鉄板のテーマだ。宗教心の厚い阿比野さんも、厳しい保健委員の夜野さんも、クールなお嬢様纐纈先輩もみんな乗っかっている。嵐という危機的状況の中で、306号室という閉鎖空間にいる私たちの間には一種の連帯感が芽生えていた。
「あの人ったら会うたびにいつも、自分の髪の毛を私の髪の毛に絡めてくるの。ナメクジの交尾みたいにね。私は何も感じないのだけれど、あの人はそれだけで危ないおくすりをキメたようになっちゃって……」
纐纈先輩は自分の恋人のアレな話を繰り広げている。恋人とはあの髪の妖怪、二階堂榛那先輩のことだ。
「さすが魑魅魍魎と言われていただけありますね……」
私は無意識的に自分の髪の毛を触っていた。
「そうよ。私も髪の毛をこまめに触ってあげなかったら怒るの。あの人の中では『髪は神なり』って考えがあって、髪に触れることは神様に触れることだと信じてやまないの。これって宗教的な解釈として正しいのかしら?」
宗教という言葉が出てきたからには、必然的に宗教家の娘である阿比野さんが意見を求められる。
「確かにそういう考えもあります。とある宗教の教祖は髪の毛を神界に通じる電線と例えたことがあって、自身も髪を長く伸ばしていました」
「もしかしたらあの人はその宗教の信者なのかしら、うーん……」
ムイが「髪の毛は電線かあ」と感心した様子で、ムイはアホ毛をぴょこぴょこと動かした。この子のアホ毛には神様とまではいかないまでも、何か入っているんじゃないかと思う。
「じゃあついでに、アビーの恋人とのお話を聞きたいなー」
「私? うん、えるちゃんとは順調だよ」
「どこまで進んだのー?」
いきなりグイグイとつっこんでいくムイ。阿比野さんは言い淀んだ。
「どこまでって言われても……」
「恥ずかしがることはないよー。こういった話、今みたいな日しかすることはないでしょ」
「そうよ。私もお話ししたんだから」
と、纐纈先輩も。先輩に圧力をかけられては答えざるを得ない。
「まあ、き、キスはしました……」
「わあ、いつどこで!?」
ムイが食らいついてきた。
「去年のクリスマス、えるちゃんの家にお泊りしたときに……」
「へー、阿比野さんも聖夜を楽しんだんだー。キリスト教の行事なのに」
「別にウチの宗教はクリスマスNGじゃないし……」
「アビーもやることはがっつりやってるんだねー」
誤解を招く言い方だが、阿比野さんは反論する気力が無いようでスルーした。
「じゃあ、撫子おねーさんはどう?」
ムイが急に話を振ってきた。
「私? うーん」
残念ながら私には話すことが全くないのだが、何もないと言うと場が白けてしまうので、一応はたった一ヶ月だけおつきあいした先輩の話をした。別れの原因が邪馬台国論争で、キスもしないうちに別れたと言うとこれがみんなに大ウケした。
「魏志倭人伝の記録がちゃんとしていたら、今頃はリア充だったんだねー」
「ホント、歴史書が個人に影響を及ぼすだなんて……じゃあ、ムイの方こそどうなのよ?」
お相手がいない私の話をこれ以上続けても面白くないだろうから、ムイに話を振り返した。
「わたしは彼氏がいたー」
へー、と半ば驚いたような声がみんなから上がる。星花女子学園の生徒で異性と交際している者もいることにはいるが、ごく少数だからだ。
「いた、ってことはもう別れたってこと?」
「うん。相手はミカガクの子だった」
「うそ!?」
超がつく名門男子校、御神本学園。自由な校風でありながら異性との交際に関してはやたらと厳しい目で見られるという噂だが、いったいどうやって。
「どんなきっかけでつきあったの?」
「んとねー、去年の陸上競技の大会で知り合ったの。その子は同学年でわたしと同じく槍投げの選手でもから話が合って、それでおつきあいを始めんたんだ。だけどねー……」
ムイの顔が曇る。
「部活の先輩にバレてシバかれんだって」
「シバかれた」
噂は本当だったらしい。それを裏付ける証言が、夜野さんから飛び出した。
「私のお兄ちゃんもミカガクのOBなんですけど、女の子と連絡先を交換しただけで殴られたと言ってました」
「殴られた」
「文化祭での出来事だったんで、お客さんへのナンパとみなされたようで風紀委員に呼び出されて……」
同じ風紀でも、鬼の静流先輩ですら殴ることはしないのに。なんと無茶苦茶な学校だ。
「そんなことがあってねー、別れようって言われたの。お前とつきあってたら俺の命に関わるとか何とか言っちゃってさー」
「大げさな気がするけど、きっと先輩のことがよっぽど怖かったのね。それで、どうしたの?」
「そりゃあ、考え直してって言ったよ。だけどどうしても別れたい別れたいって、とうとう泣き出しちゃって。それでね、わたしは」
と言ったところでムイが立ち上がって、またキッチンに向かう。持ってきたのは黒く光るもの。
「それ、黒曜石よね」
「うん、お料理するときのナイフに使ってるの。こいつをね」
ムイの目から笑みが消えた瞬間であった。私は黒曜石ナイフを首筋に突きつけられていた。
「ひっ!? なっ、何すんのっ!?」
「こうやって元カレの首筋に突きつけてね、言ってやったの」
わ た し の ゆ ー こ と き け な い な ら し ね
「ぎぃえええええっ!!!!」
大きな雷鳴と同時に、纐纈先輩の絶叫が轟いた。
「ひいっ!?」
ムイが仰け反ってナイフを落とした。さっきまでと打って変わって怯えた顔つきになっている。
「こーけつさん、いきなり叫ばないでよ、怖いよー」
「それはこっちのセリフですわっ!! いっ、今のあなた、シリアルキラーみたいな恐ろしい顔をしていましたわよ!!」
「そうかなあ」
確かに恐ろしかった。恐ろしいどころではなかった。目が据わっていたし、少しでも力を入れたら私の首から鮮血が吹き出していたかもしれない。私は声を絞り出した。
「まっ、まさかとは思うけど、元カレさんを殺してはないわよね……」
「うん。そのかわりあいつ、おしっことうんちをいっぱい漏らしたけどねー」
きゃはっ、と無邪気な笑みを浮かべるムイ。私は元カレのことを笑う気にはなれなかった。纐纈先輩はすっかりビビってるし、阿比野さんも夜野さんもドン引きだ。
話を盛っているのかもしれないとも思ったが、今まで数々の非常識な振る舞いを見てきたから、残念ながら事実である可能性の方が高いだろう。
それでも、殺人鬼一歩手前の恐ろしい子だとわかってしまったのに、なんで嫌悪感が沸いてこないのだろうか……。
あまりにも殺伐としすぎた恋バナで空気が一気に盛り下がってしまい、気まずい沈黙が流れる。
「そ、そろそろいい時間じゃない?」
私は机の上に置いてあった時計を見た。時刻は10時半を過ぎたところ。消灯時間までまだ若干あるが、みんなはもう歓談する気分じゃないだろう。
「そだねー。じゃあ、寝ちゃいましょー」
雨、風、雷の三重奏が奏でられている真っ只中、私たちは布団に潜り込んだ。
「じゃ、おやすみなさーい」
おやすみなさい、とみんなが挨拶すると、ムイはリモコンで電気を消した。
それから何時間経ったのかわからないが、私は目が覚めた。
いや、正確には目だけしか開けられなかった、と言うべきであった。
体が全く動かないのだ。
それどころか、耳元でささやき声がする。それも複数人の。何を言っているのかはさっぱり聞き取れないが、耳に虫を入れられたかのような不快感を覚え、恐怖感も催してきた。
(まずい、金縛りだ……)
金縛りにあうのは初めてではない。それなのに頭の中ではわかっていても体を動かすことができない。この恐ろしさは体験してみないとわからないものだ。
誰か。そう声に出せば誰かが起きて私の異常に気づいてくれるかもしれない。しかしそれすらできないのである。いよいよ私の恐怖感が増していく。
いきなり、変な音が聞こえてきた。シャー、シャー、というなにか硬いものをこすりつけるような音。
(あれ?)
先程まで全く動けなかったのに、私は急に立ち上がることができた。だけど立とうとする意志を働かせてはいない。勝手に足が動いたのである。
さっきまで敷いていた布団がなぜか無くなっている。寝ていたみんなもこつ然と姿を消している。この異様な状況の中、部屋の片隅で何か黒いものがうごめいていた。
(だ、だれ?)
声はやはり出せない。だが音は黒いものから出ていた。近づくのは危険だ、と頭では考えている。それなのに足は勝手に黒いものに近づいていく。
やがて動きが止まり、音もやんだ。その代わり、声がした。凍てつくような恐ろしい声色で。
ぜ っ た い し と め る ん だ あ
「いやあああっ!!」
今まで出せなかった声が飛び出した。
状況を理解するのに少々時間がかかった。まず、部屋の明かりがついている。私は布団にいて、上半身を起こした体勢になっている。次に目の前に面食らった顔つきのムイがいて、びっくりして尻もちをついた纐纈先輩がいて。阿比野さんと夜野さんが同時に声をかけてきて。
「「先輩!?」」
「ゆ、夢だったんだ……」
机の上の時計を見たら、午前6時半であった。
「おねーさん、すごくうなされてたよ。どうしたの?」
ムイが眉毛をハの字にして聞いてくる。アホ毛もしょんぼり垂れている。思い出すのも恐ろしいけど、私は見たこと体験したことを全て伝えた。
「まさか金縛りと悪夢を併発するなんて……いや、二つとも同じようなもんか」
「怖かっただろうねー。よしよし」
「あ」
ムイがぎゅっと私を抱きしめてきた。体は柔らかくぬくもりはとても優しくて。私はつい、腕をムイの背中に回していた。まるでお陽さまを抱っこしているようで、心地よい。悪夢の記憶はどんどん薄れていった。
「おねーさん、ちょっとくるしいかも……」
「あっ、ごめん!」
私はムイを解放した。
「撫子おねーん、だいぶ寝汗かいてるねー」
「え」
言われて初めて、体が寝汗でベトベトになっているのに気がついた。
「ちょっと臭かった」
「……シャワー借りるわね」
私は浴室に入り、お湯を熱めにしてシャワーを浴びた。
ムイの柔らかい感触がまだ手に残っていた。それに何だか、胸もドキドキしている。
――まさか
それは、私が初恋を抱いたときに体験した感覚と同じであった。
外の嵐はとっくに過ぎ去ったけど、私の心の中では次の嵐が吹き荒れる予感がしていた。
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