縄文少女

「おいっ、そいつを捕まえてくれ!」


 弓道着を着た、ポニーテールの部員が垣根の向こうから叫ぶ。


 アホ毛の少女はすでに立入禁止区域の奥にある雑木林の中まで走り去ろうとしていた。


「逃がすな!」


 弓道部員にはっぱをかけられた私たちはアホ毛の少女を追いかけたが、遅すぎた。見失うまであっという間だった。


「クソッ!」

「瑞浪さん、あの子が何かしたの?」


 弓道部員、瑞浪沙也加みずなみさやかさんに私は問いかけた。彼女とは中等部ニ年の頃に一度だけ同じクラスになったことがあり、特に親しくしているわけではないものの仲は悪くない。


「ああ。無断で弓道場に忍び込んで弓矢で遊んでいたんだ。縄文人みたいな格好でな」


 瑞浪さんも同じ印象を持っていた。


「神聖な弓道場を荒らす不届き者め、今度会ったらただじゃおかないからな」


 歯ぎしりする瑞浪さん。だがすぐに、ただじゃおかないことになった。


「んぎゃあああああ!!」


 雑木林から悲鳴が轟く。私たちは直ちに駆け寄った。するとアホ毛の少女が、片足にロープを結ばれて私たちに背中を向ける形で逆さ吊りになっていた。


 縄文服は下半身がスカート状になっているので、重力に従ってめくれてその中が顕になっている。それを見て、今度は私たちの方が悲鳴を上げた。


 彼女は何と下着を身につけていなかった。つまり、私たちに向かってお尻丸出し。これが前の方だったらもっと危ないことになっていたところだ。


「ひぃぃぃ! こっ、怖いよおお! 下ろしてえええ!!」


 アホ毛の少女がもがいて助けを求める。


「と、とにかく下ろさないと」

「待って水谷さん。動いたらこっちも危ない」


 私の言葉に瑞浪さんも同意する。


「誰がどの目的でやったのか知らないけど、この辺一帯に罠が仕掛られていると思った方がいいわ。引き返して先生を呼びましょう」

「その必要はない」


 唐突に、後ろからもう一つの声がした。


「あっ、倉田先生!」


 振り返ると、そこには青いツナギを着た星花女子学園の名物用務員、倉田邑くらたゆう先生がいた。


「最近この辺で不審者が出るらしくてな。その対策で罠を仕掛けておいたんだが、どうやら注意書きが読めない奴がいたようだな」


 確かに雑木林の手前には「ワナ仕掛け中 入るな!!」と、否応なしに目に入るぐらい大きな文字で書かれた看板が立てられていた。それでも私たちはアホ毛の少女を追いかけることに夢中で見えていなかった。つまり、一歩まかり間違えたら私たちが逆さ吊りになっていたということだ。


「下ろしてよおおおお!! 高いの怖いのおおおお!!」


 アホ毛の少女が身をよじって、180度回転した。大事なところがもろ見えになりかけるも、両手で隠してもろ見えになるのは防がれた。それでも水谷さんは見てられないとばかりに顔を手で覆ってしまったが。


「やれやれ。今下ろしてやるから落ち着け」


 倉田先生はロープをゆっくりと下ろしていく。アホ毛の少女の体が地についた途端、瑞浪さんが他の罠の存在なんか知るかといった感じで彼女に飛びかかった。


「こいつめ、よくも!」

「ひいい!?」

「おいっ、そこは……!」


 倉田先生の警告は遅かった。地面がいきなりボコッと凹んで穴ができて、二人の体はたちまち呑み込まれてしまったのだ。


 *


 アホ毛の少女は泥まみれのままで、お白洲に引き出された罪人のように正座されられていた。


「さて、お前の名前を聞こうか」


 同じく泥まみれになった瑞浪さんが尋問すると、アホ毛の少女は弱々しく答えた。


「テンスムイ」

「てんすむい? どんな字を書くんだ」


 アホ毛の少女が指で地面に書いた文字は「転素牟亥」である。


「何だか暴走族のチーム名みたいだな……転・素牟亥なのか転素・牟亥なのかわからんし……」

「転素が苗字ね」


 私は答えた。この苗字は前から知っていて、個人的興味から調べたことがあったのだ。


「転素姓は元々『天部てんぶ』がなまって転じたという説があるわ。天部っていうのは仏教における守護神で、元々インド古代神話の神様が仏教に取り入れられたものなの、例えば毘沙門天とか帝釈天とか」

「わ、わかった。とにかくそういう苗字があるんだな」


 ムイという少女は、急にニパッと笑った。この前見せたのと同じ笑顔だ。


「わたしのママもインドに住んでるんだー」

「あらそう。お家はインドと繋がりがあるのね。まあその話はどうでもよくて。なんで弓道場に勝手に入ったの?」


 私はしゃがんで、ムイと同じ目線で尋ねた。瑞浪さんみたいに高圧的な態度を取るより、寄り添った方が積極的に答えてくれるかもしれないと思った。


「作った弓矢の試し打ちをしたかったの。それだけ」

「それだけ?」


 私は瑞浪さんの方をちらりと見た。


「まあ、こいつは確かに矢を射って遊んでいた以外のことはしていなかった」


 物を盗んだとか、部員を怪我をさせたとかしたわけではなさそうだ。


「弓矢ってこれか」


 ムイの持っていた弓矢は、倉田先生が回収していた。先生は弦を弾きながら、


「これは植物繊維で作ったのか。よくできてるな。矢の方もなかなかだ。やじりは黒曜石を加工したものだな」

「うん、そうだよ」

「すごく良い腕前じゃないか」


 おお、滅多に笑わない倉田先生がちょっと笑っている。


 手先が器用な倉田先生は、決してお世辞を言っていない。実際、弓矢は精巧なもので、よほどの技術がないと作れないものだと私もわかっていた。


 さらに私は、一番聞きたかったことを聞いてみた。


「何で縄文人みたいな格好をしているの?」


 ムイは答える。


「だって、大好きなんだもん。縄文時代。まだ人間が自然なままで生きられてた時代だから」


 シンプルな、それでいて力強い回答。何だかムイの姿がだんだんと本物の縄文人に見えてきて、本当に縄文時代からタイムスリップしてきたかじゃないかと錯覚しだした。


 この子の笑顔が可愛いと思うのは、まさに自然体だからかもしれない。


「まあ、悪意はなさそうだな。罰として弓道場の掃除をさせるぐらいで良いんじゃないか?」

「わかりました。倉田先生がそうおっしゃるなら」

「え? 許してくれるの?」


 瑞浪さんがムイの耳を引っ張った。


「何を聞いていたんだ。今から弓道場の隅から隅まで掃除してもらうぞ!」

「ひええ」

「ひええじゃない。ほら立て!」


 ムイは瑞浪さんに連行されていった。それでも振り向きざまに、


「またねー、カチューシャのおねーさん!」


 お、おねーさん……?


「河邑さんのこと、おねーさんだって」


 水谷さんにクスクスと笑われて、私はこっ恥ずかしさで顔を熱くした。


 しかしこの縄文少女は不思議の塊のような子だ。興味をそそられる。またどこかで会えるだろうか……。


★★★★★


今回ご登場頂いたゲストキャラ


・瑞浪沙也加(黒鹿月木綿季様考案)

 登場作品:『お願いだから、先輩は黙っていてくれ!』(ベニカ様作)

 https://ncode.syosetu.com/n7968ez/


・倉田邑(壊れ始めたラジオ様考案)

 登場作品:『咲いた恋の花の名は。』(しっちぃ様作)

 https://ncode.syosetu.com/n2064dj/

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