第六十五章 幽世の朝

  第六十五章 幽世かくりよの朝


 小子しょうこは美しい女だった。柳眉りゅうびな眉、やや吊り上がった目、細い鼻、薄く小さな唇、絹のような長い黒髪。霊力を維持するために菜食さいいしょくつらぬいて作り上げた体はしなやかで柔らかかった。


 最初の一突ひとつききで音を上げて、こしを引くかと思ったが、続きを求めて来た。『光輝こうき光輝こうき』と何度も俺の名を呼んで、手足をつるのようにからませて、なまめかめかしくこしをくねらせた。

 思いっきり腰を振って奥まで突いてやると、気持ち良さそうにいた。甘い声が響くたびにくちなしの花の香りが広がった。


 官能かんのうに火が付き、火照ほてった小子しょうこの体は本能に支配され、ひたすら快感かいかんを求めて足を大きく広げ、小刻こきざみにこしらした。部屋にただようむせ返るほどの甘い香りは小子しょうこ絶頂ぜんっちょうを味わっていることを表わしていた。

 その香りにって俺も本能のままに腰を動かすと、小子しょうこほお紅潮こうちょうさせ、とろんと溶ろけた目をした。小子しょうこは俺に夢中だった。俺に合わせてこしらし、愛のしずくそそぎ込まれる待っていた。

 「小子しょうこ、いくぞ。」

 俺がそう言うと、小子しょうこ夢見心地ゆめみここちで返事をした。

 「うん。」

 小子しょうこの口元は恍惚こうこつとした笑みをたたえていた。ぴったりと体を重ね、小子しょうこの中にそそぎ込むと満ち足りた顔をした。そして全身の力が抜けたかのように布団ふとんに沈んだ。俺は小子しょうこを抱き寄せ、二人で心地良い眠りについた。


 小子しょうこの朝は早く、朝を告げる最初の鳥のさえずりで目覚めた。

 「まだ寝ていろ。」

 そう声をかけたが、小子しょうこは起き上がって身支度みじたくを始めた。

 「翡翠邸ひすいていに戻らないと。」

 小子しょうこはかすれた声でそう言った。昨夜あれだけあえいでいたのだ。声もれるはずだ。

 「もう陰陽師おんみょうじなどめてしまえばいい。」

 俺はそう言った。そうすれば輝明てるあき草摩そうまの戦いに巻き込まれることもない。

 「陰陽師おんみょうじめても、親子のえんは切れない。私と光輝こうきえんが切れないように。輝明てるあきを助けるためにどのみち翡翠邸ひすいていには戻らなければならない。」

 小子しょうこがいつもの冷静沈着れいせいちんちゃく陰陽師おんみょうじ口調くちょうで言った。もう甘い声でねだるつもりはないらしい。

 「俺が連れ出さない限り、人間のお前は幽世かくりよから出られない。」

 俺はふてくされてそう言った。

 「この場所は天乙てんおつも知っているのだろう?式神しきがみなのだから迎えに来る。」

 小子しょうこの頭は良く回った。

 「俺が現世うつしよへ連れて行く。」

 俺は身支度みじたくしている小子しょうこの肩に腕を回して言った。天乙てんおつに連れて行かれるなんてまっぴらだ。

 「ありがとう。」

 小子しょうこは俺の腕にれて言った。


 俺はしぶしぶ小子しょうこ翡翠邸ひすいていに戻した。着くや否や天乙てんおつが待ち構えていて、俺に文句もんくを言って来た。

 「銀狐ぎんこ、もう!小子しょうこ幽世かくりよに連れて行くなら一言ひとことそう言ってよ!僕が心配するの分かっているでしょう?」

 天乙てんおつまゆり上げて言った。朝から元気な奴だ。うるさいったらありゃしない。

 「俺の妻だ。天乙てんおつ文句もんくを言われる筋合すじあいはない。」

 俺がそう言い放つと、天乙てんおつは『はあ』とため息をついて、今後は小子しょうこ説教せっきょうしに行った。

 「小子しょうこ式神しきがみの僕に何も言わずに銀狐ぎんこ幽世かくりよに行くなんて、ひどいじゃないか!心配したんだぞ!」

 小子しょうこ天乙てんおつが大声で言うものだから気まずそうにしていた。昨夜俺との逢瀬おうせを楽しんでいたことを翡翠邸ひすいてい陰陽師おんみょうじたちに知られてしまったのだから当然だ。

 「次は声をかけてから出かける。」

 小子しょうこはらしくない小さな声で言った。


 「朝からずいぶん騒がしいな。」

 そこへ太陰たいいんがやって来た。

 「騒いでいるのは天乙てんおつだけだ。」

 俺がそう言うと、太陰たいいん天乙てんおつの方を見た。天乙てんおつ優等生ゆうとうせいの自分がまるで悪者のように扱われて心外しんがいだと言わんばかりの顔をした。太陰たいいんはどうでも良さそうに用件を言った。

 「招集しょうしゅうだ。全員奥内裏おくだいりに集まってくれ。天乙てんおつもだ。」

 太陰たいいんはそう言うと、他の陰陽師おんみょうじたちにも声をかけに行った。

 「何か動きがあったのだろうか?」

 天乙てんおつが独り言のようにつぶやいた。

 「おそらくな。輝明てるあき現世うつしよに来たことを草摩そうまが知ったのだろう。輝明てるあき鬼神きじんだ。あやかしたちのうわさまとになる。誰も口をふさぐことはできない。」

 俺がそう言うと、天乙てんおつは緊張した面持おももちになった。

 「草摩そうまあかねを使って本気で輝明てるあきの体を手に入れようとしている。これまでのように蹴散けちらすことはできないだろう。」

 「草摩そうまの気持ちがよく分かるんだな。なぜそう思う?」

 俺は確信を持って言う天乙てんおつを不思議に思って尋ねた。

 「僕があの安倍晴明あべのせいめい式神しきがみだったことは知っているでしょう?何があったのかも。僕はずっと考えていたんだ。なぜ清明せいめい様は鬼の首一つになってしまった時、僕に助けを求めたのだろうって。信頼という面では清明せいめい様を慕っていた天后てんこうでも良かったんだ。だけど僕を選んだ。それは僕が十二神将最強じゅうにしんしょうさいきょう式神しきがみだったからに他ならない。人間の体を取り戻すつもりがあったからこそ、一番強い僕を選んだんだ。」

 「草摩そうまも同じだと?」

 「同じだと思う。鬼神きじんの体を手に入れるつもりがあるからあかね式神しきがみにしたんだ。」

 天乙てんおつがそう言うと、それまで黙って聞いていた小子しょうこが口を開いた。

 「あかねはそんなに強いのか?」

 小子しょうこが尋ねると天乙てんおつが昔を思い出しながら話した。

 「あかねは強い。京の町を火の海にした鬼だ。当時の清明せいめい様は陰陽師おんみょうじとして未熟みじゅくで力及ばず、封印ふういんすることしかできなかった。術者じゅつしゃとして脂が乗りきった頃に、封印をいて調伏ちょうふくしたいと朝廷ちょうていに申し出だけれど、危険すぎると認められなかった。輝明てるあきの・・・人間の体を取り戻した時も志賀しがの動向に目を光らせていなければならなくて、かなわなかった。芽吹いぶきに引き継がせようと思ったけれど、白木しらきとの戦いの中で霊力れいりょくをすべて失ってしまった。物事ものごとって本当に上手うまくいかない。」

 天乙てんおつはまるで人間のような目をして言った。

 「私たちで終止符を打とう。天乙てんおつ。」

 小子しょうこが言った。

 小子しょうこ天乙てんおつにとって常に清明せいめいの母であると同時に安倍晴明あべのせいめい以外で初めて仕えた陰陽師おんみょうじでもあった。小子しょうこを俺のもとに誘導ゆうどうするためとは言え、式神しきがみとなって常にそのかたわらにひかえ、たしかなきずなむすんでいた。小子しょうこの言葉は天乙てんおつに響いた。

 「うん。終わらせよう。」

 天乙てんおつおだやかな表情でそう言った。

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