第六十三章 奥義伝授

  第六十三章 奥義伝授おうぎでんじゅ


 誰にも何も言わずに鬼の里を出てしまった。天后てんこうが今頃騒いでいるだろうか。まあ鬼の時間ではほんの一瞬こと。気にすることもないか。

 「天乙てんおつ、私はまだ鬼術きじゅつが使いこなせないんだ。一人で現世うつしよ幽世かくりよを自由に行き来できないから手を引いてくれる?」

 私はそう言って天乙てんおつに向かって手を伸ばした。

 「うん、分かった。」

 天乙てんおつはそう言って私の手をつかんだ。昔、初めて空を飛んだ日のことを思い出した。その後いろいろあったが、初めて空を飛んだのはいい思い出だった。


 二人で鬼の里を出たところで、別の鬼を見つけた。私たちが出て来るのを待っているようだった。

 「早かったな。」

 鬼が天乙てんおつに言った。鬼はシスルナだった。ハテルナの姉で、私を殺そうとしたことがあり、白木しらきのもとにいたはずだった。天乙てんおつとシスルナがグルになって、私をわなめようとしているのだろうか。そう頭に過ったが、すぐに天乙てんおつが否定した。

 「シスルナは味方だよ。」

 天乙てんおつが言った。もう鬼の里を出てしまったし、信用する他なかった。

 「そう。」

 私は興味ない振りをして言った。シスルナも私のことを見ない振りをした。どこか気まずそうにしていた。それもそうか私もどう接したらいいか分からない。

 「父さんはどうしている?母さんが亡くなってまだふさぎ込んでいる?」

 私はシスルナから目をそむけるように天乙てんおつに話しかけた。

 「銀狐ぎんこは元気にしているよ。小子しょうこ翡翠邸ひすいてい陰陽師おんみょうじをやっているって教えてあげたら、飛んで来た。」

 天乙てんおつが笑顔で言った。父さんの憔悴しょうすいぶりを知っていたから、また母さんと一緒にいると聞いて安心した。

 「でも小子しょうこに相手にされなくて、銀狐ぎんこは苦戦している。小子しょうこ仕事一筋しごとひとすじすきが無いんだ。」

 天乙てんおつがクスクス笑いながらそう言った。

 「大丈夫。父さんは絶対に諦めないし、母さんは一途いちずな男に弱いから。」

 私も笑って言った。二人が寄り添っている姿がすでに私の目には浮かんでいた。

 「天乙てんおつは二人のそばでまた清明せいめいを待っているの?」

 私は分かり切っていることだが尋ねた。

 「まあね。そうなるかな。実は不意ふいを突かれたとは言え、小子しょうこ調伏ちょうふくされたんだ。また小子しょうこ式神しきがみやっているよ。今回の小子しょうこはすごく強い。」

 天乙てんおつは嬉しそうに言った。

 「強い母さんか。早く会いたいな。」


 私は天乙てんおつに手を引かれてあやかしたちが通る獣道けものみちを通り抜け、久しぶりに現世うつしよに降り立った。小倉山おぐらやまの風景は最後に見た時と変わらなかった。トシ子さんの旅館から父さん、母さん、柑子こうじが出て来た。人間だった頃に戻ったようだった。

 「輝明てるあきを連れて来たよ。」

 天乙てんおつがそう言って私を皆に引き合わせた。

 「輝明てるあき~!」

 柑子こうじが駆け出して飛びついて来た。背をでると犬のように尻尾しっぽを振って喜んだ。父さんは久々に私を見てもまゆ一つ動かさなかった。母さんは全く知らない赤の他人のような目で私を見た。仕方ないこととは言えさみしいものだ。

 「久しぶり。」

 私は二人にそう挨拶した。

 「ああ。」

 父さんが相変わらずの不愛想ぶあいそうぶりでそう言った。母さんに至っては初めて見る鬼神きじんの私を珍しそうにまじまじと見つめていた。

 「仕事を手伝うんだよね?おとりになってって言われたんだけど、具体的にはどうすればいい?」

 私は柑子こうじの背をでながら明るい声で尋ねた。

 「詳しい話は翡翠邸ひすいてい太陰たいいんや他の陰陽師おんみょうじたちも交えて綿密めんみつな作戦を立てましょう。」

 母さんが抑揚よくようのない声で紋切もんきかたの返答をした。ずいぶんと生真面目きまじめ陰陽師おんみょうじらしい。今生でもまた浅井小子あさいしょうこと名付けられたのだろうか。

 「名前は?」

 私は母さんに尋ねた。

 「浅井小子あさいしょうこ。」

 ああ、やっぱり。思わず口元がほころんでしまった。

 「いい名前ですね。私は鬼神きじん輝明てるあき。あなたは私のことを輝明てるあきと呼んで。」

 私がそう言うと母さんは戸惑ったような表情をしたが、すぐに『分かりました』と返事をした。

 「さあ挨拶も終わったことだし、翡翠邸ひすいていに行こうか。」

 私はそう言って、飛びついてきた柑子こうじを放した。柑子こうじはぴょんぴょんとねてシスルナの横に立った。まるで仲直りしろと言っているようだった。

 「また来る。」

 柑子こうじに言ったとも、シスルナに言ったとも取れるような言い方をした。


 シスルナと柑子こうじ小倉山おぐらやまに残して翡翠邸ひすいていに行くと、太陰たいいんが歓迎してくれた。

 「輝明てるあき、よく来てくれた!」

 太陰たいいんはそう言って私に抱きついた。

 「太陰たいいん、元気そうで良かった。」

 私も太陰たいいんを抱き締めた。

 「輝明てるあき、大きくなったな。」

 太陰たいいんが意外そうに言った。太陰たいいんの背は私の胸のあたりまでしかなかった。

 「そうなんだ。向こうの水を飲んだら体が大きくなってきたんだ。干からびていた分、吸収がいいのかも。」

 私はそう言って笑ったが、私の気持ちを太陰たいいんは察して物悲ものがなしそうなみを浮かべた。もう人間の少女とはかけ離れた鬼の体になってしまった。だが、これが本来の姿なのだから仕方ない。

 「鬼術きじゅつはまだ使えないのか?変化へんげの術が使えれば・・・」

 太陰たいいんが言わんとすることは分かっていた。太陰たいいんも他の多くのあやかし変化へんげの術で人間のかたちたもっている。私も同じことができるはずなのに上手うまくいかない。原因は明白で、人間だった頃の感覚が抜けなくて、自分が鬼神きじんであることを受け入れられないからだ。自分が鬼であり、神であることを知ってこそ、鬼術きじゅつ神通力じんつうりきが使える。陰陽師おんみょうじが、おのれ非力ひりきな人間であると知って、先人せんじんたちがみ出した陰陽道おんみょうどうの術を使うように。いい加減に私も変わらなければ。

 「太陰たいいん、頼みがあるんだ。」

 「何だ?」

 「母さんに私の術を伝授でんじゅしたい。」

 「鬼術きじゅつをか?」

 「違う。私が陰陽師おんみょうじだった頃に得意とした術。母さんに伝えたいんだ。」

 私がそう言うと太陰たいいん真意しんいはかりかねると言いたげな表情で私を見上げた。

 「母さんは昔、母子で陰陽師おんみょうじをするのを夢見ていた。私は鬼神きじんになって、かたちが変わってしまったが、その夢を叶えたい。それをもって、人間の自分は心の奥底にしまっておくことにする。」

 そう言うと太陰たいいんは私の決意を感じ取ってくれた。

 「何か作戦はあるのか?」

 「うん。母さんには私が教える術で草摩そうまの動きを封じてもらう。その間に私が神通力じんつうりき草摩そうまに止めを刺す。」

 「でも鬼術きじゅつすら使えないのに、神通力じんつうりきなんて・・・」

 太陰たいいんがそう言いかけたところで、私は遮った。

 「感覚はつかみかけている。あとは最後の一歩を踏み出すだけ。必ずできる。」

 私がそう言うと太陰たいいんはそれ以上何も口を挟まなかった。

 「輝明てるあきを信じる。」

 太陰たいいんはそう言った。

 「ありがとう。」

  

 「小子しょうこさん、中庭に来てくれる?」

 太陰たいいんと話した後すぐに私は母さんを呼び出した。

 「急にごめんね。」

 「いいえ。」

 母さんはあちこちに出向いて疲れているのにも関わらず、決してそれを悟られまいと顔に出さなかった。

 「母さんに・・・小子しょうこさんに術を一つ教えたくて。」

 私がそう話すのを真っ直ぐとした目をして聞いていた。

 「太陰たいいんから聞いて知っているかもしれないけど、私は人間に生まれて、陰陽師おんみょうじをしていた。その頃、一番得意だったのが相手の名を使って術をかけること。妖相手あやかしあいてにしか使ったことはないけれど、人間にも使える。私はもう人間ではないから陰陽師おんみょうじの術を使うことはできない。代わりに小子しょうこさんに伝授したいんだ。」

 私がそう言うと母さんは真剣な表情でコクリと頷いた。

 「この術はね、相手の名を呼ばなければならないんだ。それが一番重要。」

 私は昔のことを思い出しながら話した。

 「これは一つの例なんだけど、私に陰陽術おんみょうじゅつを教えてくれたノーマン先生との手合わせで、先生に術をかけようとしたことがあって、私は『ノーマン、動くな!』と言ったんだ。でも術はかからなくて、攻撃をかわされて勝負に負けた。実はノーマン先生には別の名前があったんだ。安倍晴明あべのせいめい。それが先生の本当の名前。ノーマンは表向きの仮の名前で、本当の自分を縛っている名前ではなかったんだ。だから術をかけられなかった。草摩そうま志賀しが白木しらきといくつもの名前を使って来た。術をかける時は草摩そうましばる本当の名を呼ばなければならない。その名をよく考えておいて。」

 私はそう言った。草摩そうましばる名がどれなのか私にも分からなかった。それを探り当てることが母さんにできるかどうかも分からなかった。けれど託したのはこの術を使えるのは人間だけで、術をとなえる人間がその名を選ぶべきだと思ったからだ。

 「本当の名前・・・」

 母さんが困ったようにつぶやいた。決戦のその日まで、いや、その名を唱えるその瞬間まで悩むことになるだろう。


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