第六十一章 鬼の里

  第六十一章 鬼の里


 「小子しょうこ小倉山おぐらやまには俺の眷属けんぞくがいる。あの辺りを探すなら、そいつに聞くのが手っ取り早い。」

 「光輝こうきの眷属ということはきつねか。」

 小子しょうこは何か気がかりな様子だった。

 「当たり前だ。それがどうした?」

 「野狐やこは苦手で。」

 小子しょうこがらしくない小さな声で言った。そういえば最初に会った小子しょうこ野狐やこに襲われていた。どうやら悪縁あくえんがあるらしい。

 「心配するな野狐やこより利口りこうだ。小子しょうこを傷つけることはない。」

 俺がそう言うと小子しょうこはまだ納得していなかったがうなずいた。

 「心配性だな。いいものをやろう。」

 「いいもの?」

 小子しょうこ怪訝けげんな表情で俺を見上げた。その顔を押さえて、目、鼻、耳、口に口づけをした。狐の加護かごを与えていると理解してすぐには抵抗しなかったが、最後の口づけが長すぎると気づいて暴れ出した。

 「もういい!」

 俺を睨みつけながら小子しょうこが言った。前は喜んで受け入れていたくせに、ずいぶん冷たくなったものだ。

 「小倉山おぐらやまに行くのだろう?俺が連れて行ってやる。こちらへ来い。小子しょうこ。」

 俺が式神しきがみ天乙てんおつを差し置いてそう言うと、小子しょうこが目をつり上げて怒りながらも俺に近づいて来た。そんな小子しょうこを抱き上げると、しがみつくように俺の首に腕を絡めて来た。視線を合わせると、耳まで真っ赤にしてうつむいた。良い反応だ。

 「行くぞ。」

 俺は上機嫌じょうきげん小倉山おぐらやまへ向かった。


 小倉山おぐらやまには柑子こうじという狐がいた。前に会った時は野狐やこに毛が生えた程度のきつねだったが、今はどうなっていることやら。

 山に着くや否や、柑子こうじが大喜びで出迎えた。

 「銀狐ぎんこ様~!」

 柑子こうじ柑子こうじ色の毛をなびかせて駆けて来た。その姿はけ狐ではなく、毛色の変わった普通の狐に見えた。

 「柑子こうじ、元気そうだな。」

 「はい。銀狐ぎんこ様も奥方おくがた様もお変わりなくて何よりです。」

 柑子こうじが犬のように尻尾を振って言った。

 「奥方おくがた様とはまさか私のことか?」

 小子しょうこが俺の腕の中から抜け出しながら言った。

 「はい、そうです。奥方おくがた様。」

 柑子こうじはまたパタパタと尻尾を振って答えた。柑子こうじには昔も今も変わらないように見えるのだろう。

 「私は奥方おくがた様などではない。陰陽師おんみょうじ浅井小子あさいしょうこだ。」

 小子しょうこは誤解を解こうと柑子こうじにそう言った。柑子こうじがチラリと俺を見上げたので、話を合わせてやれと目で合図すると、柑子こうじは小さくうなずいた。

 「それは失礼いたしました。小子しょうこ様。柑子こうじと申します。」

 柑子こうじは挨拶し直した。二人が挨拶している間、天乙てんおつ居心地悪いごこちわるそうにしていた。それもそのはずだ。天乙てんおつ輝明てるあきを脅しにここへ押し入ったことがあるのだから。


 「そちらは?」

 柑子こうじがくりくりとした愛らしい目を天乙てんおつに向けて言った

 「天乙てんおつだ。」

 俺が一言そう言うと、柑子こうじが目の色を変えて警戒した。

 「あの天乙てんおつか!?」

 柑子こうじが態度を豹変ひょうへんさせ、きばをむいて威嚇いかくするように言った。

 「そう毛を逆立てるな。今は小子しょうこ式神しきがみだ。」

 俺は天乙てんおつのために取りなしてやった。

 「しかし、こやつは輝明てるあきに・・・」

 「いい。昔のことだ。」

 柑子こうこが言いかけていたが遮ってめた。

 「銀狐ぎんこ様が仰るなら・・・」

 柑子こうじきばつめをしまったものの警戒を解きはしなかった。

 「トシ子の旅館はどうなっている?」

 俺は柑子こうじに尋ねた。

 「トシ子が死んで管理する者がいなくなり、すっかりさびれてしまいました。けれど最近、住みついた者がおりまして、その者がいたまぬよう手入れをしております。ご案内致しましょう。」

 柑子こうじがそう言って先を歩き始めた。やはりトシ子は死んでいた。実はあやかしではないかと疑っていたが、人間だったようだ。


 旅館の玄関の前に立つと柑子こうじが中に向かって呼びかけた。

 「おーい、客人を連れて参った。」

 柑子こうじがそう言うと戸が開いた。中から出て来たのは鬼女きじょだった。

 「シスルナ!」

 天乙てんおつが驚いてそう言うと、小子しょうこを守るように前へ出た。俺も身構えた。

 「おや、なつかしい顔ぶれじゃないかえ。」

 シスルナは落ち着き払った調子で言った。攻撃はおろか逃げる素振そぶりすら見せなかった。

 「シスルナは訳あって輝明てるあきの命を狙ったこともございましたが、今は行くあてもなく、現世うつしよ彷徨さまよう身。あわれに思いここに住み着くことを許しました。」

 柑子こうじも落ち着いた口調でそう説明した。

 「もしお暇なら中で昔話でもお聞かせいたしましょうかえ?白木しらきの話などご興味おありか?」

 シスルナが上品な笑みをたたえて言った。攻撃態勢に入った俺たちを前にしても動じないとはなかなか食えない奴だ。

 「どうする小子しょうこ?」

 天乙てんおつが気をゆるめることなく、そう小子しょうこに尋ねた。

 「聞いてみたい。天乙てんおつ、警戒をけ。」

 小子しょうこが言った。式神しきがみである天乙てんおつはその言葉に従った。

 旅館の中に一歩足を踏み入れると、昔と変わらず食堂があった。当時から古い古いと思っていたが、椅子や机はますます年季ねんきが入っていた。すぐ横にある台所はトシ子の縄張なわばりだったが、その姿はなかった。代わりにシスルナが茶をれに入って行った。

 「トシ子は百まで生きましたが、死ぬまでピンシャンしておりました。」

 柑子こうじが台所の方を見つめながら言った。

 「そうか。あの女らしいな。」

 俺は一言だけそう言って、それ以上トシ子のことに触れなかった。


 「粗茶そちゃですが。」

 そう言ってシスルナが茶を出した。全員古びた食堂の椅子に座り、シスルナが話し出すのを待った。

 「はて、どこから話したら良いものか。」

 シスルナはほおに手を当てて言った。

 「なぜ白木しらきくみした?」

 天乙てんおつが鋭く切り込むように言った。シスルナはなぜか微笑ほほえんだ。

 「それはひとえに阿修羅王あしゅらおうの復活のため。」

 シスルナは迷うことなくそう言った。

 「矛盾しているじゃないか!お前は阿修羅王あしゅらおうの体を手に入れようとする白木しらきを手伝ったんだ。」

 天乙てんおつが責めるようにそう言うとシスルナがまた微笑ほほえんで口を開いた。

 「阿修羅王あしゅあらおうの体を手に入れようとする勢力は二つ。白木しらき輝明てるあき。私は白木しらきにつき、妹のハテルナは輝明てるあきについた。どちらが阿修羅王あしゅあらおうの体を手に入れてもかまわない。そういうことだ。阿修羅王あしゅらおう御魂みたまと合わせるのは体をそろえてからでも良い。阿修羅王あしゅらおうは神。あやかしや人間と違って御魂みたま御身おんみ不滅ふめついそぐことはないのだ。白木しらき阿修羅王あしゅらおうの体を手に入れたならばその後、機会をうかがって奪い返せばいい。それだけのこと。」

 シスルナは淡々とそう言った。始終薄気味悪い笑みを浮かべているが、腹の内に何か隠しているようには見えなかった。こういう顔なのだろう。

 「白木しらきとはいつ別れた?」

 天乙てんおつが新たな質問をぶつけた。

 「白木しらきが大蛇から胴塚どうづかを取り出せないと分かった時、勝負は決したと確信し、白木しらきのもとを去った。奥多摩おくたまで会ったのが最後だ。」

 シスルナはそう答えた。

 「シスルナ、さっき、ハテルナが妹だと言ったな。シスルナも鬼の里の場所を知っているのか?」

 我慢がまんできずに天乙てんおつとシスルナの会話に小子しょうこが割って入った。

 「ああ、知っている。」

 シスルナは小子しょうこを見てそう答えた。この小子しょうこがかつて阿修羅王あしゅらおうつかを巡って争った小子しょうこの生まれ変わりだと気づいているだろうに、シスルナは表情一つ変えなかった。

 「シスルナ、鬼の里まで案内してくれないか?阿修羅王あしゅらおうに会って頼みたいことがある。」

 小子しょうこが任務に燃えた瞳でそう言った。

 「ダメだ。」

 シスルナは短くそう言った。

 「なぜだ!?」

 控えていた天乙てんおつがすぐさま食って掛かった。

 「人間を連れて行く訳にはいかない。鬼の里なのだから。」

 シスルナがおくすることなくそう答えた。

 「鬼ならばいいのだな?」

 小子しょうこあきらめずに尋ねた。

 「ああ。良い。」

 シスルナが首をたてに振った。

 「天乙てんおつ、私の代わりに行ってくれ。」

 小子しょうこが言った。

 「えっ。」

 すきのない天乙てんおつには似つかわしくない間の抜けた声をらした。天乙てんおつ安倍晴明あべのせいめいに仕えていた時から常に主のかたわらに立ち、その右腕として采配さいはいを振るった。つかいに出さるのは他の式神しきがみで、自身がつかいに出されることはなかったのだ。

 「でも小子しょうこ式神しきがみは僕一人だし・・・」

 天乙てんおつがそう言いかけたところで小子しょうこがまた口を開いた。

 「私にはもともと式神しきがみはいなかった。天乙てんおつがいなくても大丈夫だ。心配せずに行って来い。」

 小子しょうこ天乙てんおつの気持ちを知らずにそう言った。

 「分かった。小子しょうこがそう言うなら行って来る。」

 天乙てんおつが複雑な顔をして言った。

 「シスルナ、鬼の里にはいつ行ける?」

 小子しょうこが事を進めようとして尋ねた。

 「いつでも。今から行こうかい?」

 シスルナが冗談のつもりで言った。

 「それは助かる。」

 小子しょうこは真に受けた。これにはシスルナもクスリと笑った。

 「ずいぶんせっかちな人間だね。」

 シスルナが笑いをかみ殺しながら言った。

 「天乙てんおつ、すぐに行けるな?」

 小子しょうこが確認した。

 「う、うん。」

 小子しょうこ気押きおされて天乙てんおつが頷いた。

 「先に言っておくが、私が案内できるのは鬼の里の入り口まで。そこから先は一人で行っておくれ。」

 シスルナはそう言った。

 「入り口までって、どうして?」

 天乙てんおつが尋ねた。

 「目的がどうであれ、私は白木しらきについた。阿修羅王あしゅらおう御前ごぜんはおろか、里に入ることも許されぬ身の上なのだ。」

 シスルナが悲し気にそう言った。故郷に帰れず彷徨うしかないのだ。当然の処遇と理解しながらも天乙てんおつは同情の色を隠し切れない様子だった。

 「そうか。分かった。」

 天乙てんおつは静かにそう言った。警戒や敵意の色は消えていた。

 「では、行くのだろう?すぐに?」

 シスルナが気を取り直すように言って立ち上がった。

 「うん。」

 天乙てんおつも力強く頷いて立ち上がった。

 「じゃあ、行って来るね、小子しょうこ銀狐ぎんこ、それから柑子こうじも・・・小子しょうこのことは頼んだ。」

 天乙てんおつが最初は元気よく、最後の方が遠慮がちにそう言うと、シスルナと共に煙のように姿を消した。

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