第六十章 難攻不落の陰陽師

  第六十章 難攻不落なんこうふらく陰陽師おんみょうじ


 かつて小子しょうこを探して押し入ったこともある翡翠邸ひすいてい。最後に訪れたのは輝明てるあきの付き添いで来た時だった。そのたたずまいは昔と少しも変わっていなかった。

 小子しょうこは中庭にいた。風にそよぐ青々とした竹林を眺めながら笹の葉のかなでる音を聞いていた。昔から四季の移り変わりや自然を眺めるのが好きな女だった。


 「小子しょうこ、お待たせ。連れて来たよ。」

 天乙てんおつがそう言って俺を小子しょうこに引き合わせた。小子しょうこは全てを忘れ、俺を見てもニコリともしなかった。

 「銀狐ぎんこか。」

 小子しょうこは無表情のまま俺を見て他のあやかしや人間のようにそう呼んだ。

 「皆、俺を銀狐ぎんこと呼ぶがお前は光輝こうきと呼んでくれ。」

 こう言うのは三度度目だったか。

 「私は浅井小子あさいしょうこ陰陽師おんみょうじだ。早速だが光輝こうき、私の式神しきがみにならないか?」

 再会した喜びを分かち合う間もなく、小子しょうこが言った。真っ直ぐに相手を見据える良い目をしていた。

 「小子しょうこ、ダメだって言ったじゃないか。勘弁かんべんしてよ。」

 天乙てんおつが困り顔で言った。俺が来る前にも一悶着ひともんちゃくあったようだ。

 「式神しきがみでいいのか?主従関係など切ろうと思えば切れるものだ。それよりも切れぬ縁を結びたいとは思わないか?」

 俺は誘うように言った。今生でも小子しょうこを妻にするつもりでいた。

 「式神しきがみで構わない。」

 小子しょうこはきっぱりそう言った。

 「なぜだ?」

 思わずそう口をついていた。

 「私は死ぬまで仕えてもらおうとは思っていない。用がなくなったら自由する。」

 小子しょうこはまるでその方が好条件であろうと言いたげだった。

 「俺の妻になれば一生守ってやる。幽世かくりよの屋敷で静かに暮らそう。」

 今回の小子しょうこは回りくどいのが好きではないらしい。俺は単刀直入に自分の望みを言った。

 「悪いがお断りだ。私はいずれ陰陽道人おんみょうどうじんとなり、翡翠邸ひすいてい重鎮じゅうちんの一人として現世うつしよを守っていく。一生誰かに守られて暢気のんきに暮らすなんて、私の生き方ではない。」

 小子しょうこいかめしい顔でそう言った。何という我の強い女になったことか。前は二つ返事でついて来たくせに。

 「私は十五歳でこの翡翠邸ひすいてい門下生もんかせいとなり、以来人々の安寧あんねいを願って、悪事を働く魑魅魍魎ちみもうりょうと戦って来た。私の辞書に安穏あんのんな生活などない。」

 小子しょうこは武士のようにそう言った。

 「分かった。好きなだけ戦うといい。疲れて休みたくなったら言ってくれ。」

 今は何を言って無駄だ。気が変わるのを待つことにした。

 「それで光輝こうき式神しきがみになるのか、ならないのか?」

 小子しょうこはまた訪ねた。どうしても俺を式神しきがみにしたいらしい。

 「式神しきがみにはならない。」

 俺はそう答えた。

 「そうか。」

 小子しょうこは残念そうに言った。

 「天乙てんおつ光輝こうき、私はこれから奥内裏おくだいりで会議がある。式神しきがみは連れて行けないから待っていてくれ。」

 小子しょうこはそれだけ言うとさっさとと行ってしまった。


 「銀狐ぎんこ、ごめん。ちゃんと小子しょうこに言っておいたのだけど・・・気を悪くしたよね。」

 小子しょうこの姿が見えなくなると、天乙てんおつが申し訳なさそうに言った。

 「小子しょうこはずいぶん変わったな。」

 「うん。」

 「落とし甲斐がいがあるというものだ。」

 「う~ん。」

 「無理だと思っているのか?」

 「そんなことはない。銀狐ぎんこには奥の手がある。春になれば小子しょうこだって銀狐ぎんこにメロメロさ。」

 天乙てんおつきつねあやかしが持つ魔性ましょうのことを言っているのだろう。春になると狐のあやかしは独特な色気いろけまとい、それにてられる人間は多い。

 「春は遠いな。」

 青々と茂る中庭の木々に目を移して言った。

 「天乙てんおつ小子しょうこ奥内裏おくだいりに行くと言っていたな。俺も行く。案内してくれ。」

 「え、でも式神しきがみは連れて行けないって・・・」

 「俺は式神しきがみではない。」

 「まあそうだけれども。」

 天乙てんおつは何か言いたげだった。

 「早く案内しろ、天乙てんおつ。」

 そう急かすと天乙てんおつは渋々と歩き始めた。


 天乙てんおつに案内されて行った奥内裏おくだいりには御簾みすけられ、中にいる者の姿を隠していた。

 「僕は式神しきがみだからここまで。」

 天乙てんおつ奥内裏おくだいり御簾みすの前で言った。小子しょうこの言いつけを守って生真面目きまじめな奴だと思った。俺は御簾みすを上げて一人で中に入った。手練てだれ思われる陰陽師おんみょうじたちがひしめき合い、一斉に俺を見た。その中に小子しょうこがいた。俺は迷わず小子しょうこの隣に座った。


 「待っていてくれと言ったはずだが?」

 小子しょうこは声を落として責めるように言った。

 「式神しきがみではないんだ。俺の自由だろ?」

 俺は小子しょうこの耳にそうささやいた。

 「私の式神しきがみでなかったら、完全に部外者だ。さっさと出るんだ。」

 小子しょうこが少し怒って言った。


 「そこにいるのは銀狐ぎんこか?」

 聞き覚えのある声がした。声の主に視線を送ると太陰たいいんがいた。俺の幽世かくりよの屋敷に居候していた鬼女きじょだ。

 「太陰たいいんか。ひさしいな。」

 俺は適当に挨拶した。

 「知り合いなのか?」

 小子しょうこが怒っていたことを忘れて尋ねた。

 「安心しろ。昔の女などではない。」

 無用な心配をさせまいとそう言っておいた。

 「そんなこと聞いていない。」

 小子しょうこがまた怒って言った。

 「銀狐ぎんこがいるならちょうどいい。今しがた届いた報告を我々と一緒に聞いてもらいたい。」

 太陰たいいんがその場を仕切って言った。

 「その昔、京の都を火の海にした鬼、あかねの封印がかれたのは皆の知るところだが、その封印が故意こいかれたことが分かった。いたのは草摩そうまという男だ。草摩そうま志賀しが白木しらきと名を変えて生きながらえて来た元翡翠邸もとひすいてい陰陽道人おんみょうどうじんだ。草摩そうまは接触をはかった我々の同志どうしにその正体を明かし、要求を突き付けて来た。」

 太陰たいいんがそう言うと、隣にいた小子しょうこが驚いた顔をした。草摩そうまのことを天乙てんおつから聞いて知っていたのかもしれない。場内もざわついた。よく見ると、奥内裏おくだいりにいるのは半妖はんよう妖者あやかしものも数多く混ざっていた。翡翠邸ひすいていでは過去に陰陽師おんみょうじの不審死が相次いだことから、多くの者が去り、照月院しょうげついんへ流れた。妖者あやかしものが多いのはその人手不足を補うためにとった策というところだろう。

 「草摩そうまの要求は阿修羅王あしゅらおうをこの現世うつしよに呼び戻し、引き渡すこと。要求に応じなければ京の都を火の海にすると脅して来た。あかね草摩そうまの手にある。草摩そうま式神しきがみなったと見ていいだろう。奴はやると言ったらやる。我々は何としてもそれを阻止しなければならない。」

 太陰たいいんは強い決意を滲ませながらそう言った。現世うつしよに留まる覚悟は伊達だてではなかった。

 「何か策はあるのですか?」

 集まった者の中から声が上がった。

 「策ならある。だが極めて困難だ。」

 太陰たいいんが意味ありげな視線を俺と小子しょうこに向けて言った。

 「草摩そうまの所在は未だ掴めていないが、草摩そうまの狙いが空蝉うつせみの術で阿修羅王あしゅらおうと自分の体を入れ替えることなのは分かっている。阿修羅王あしゅらおうおとりにすれば必ず草摩そうまは現れる。要求を呑む振りをして草摩そうまを誘き出し、討つのだ。」

 太陰たいいんはそう言った。何とも単純明快な策だ。

 「しかし太陰たいいん様、阿修羅王あしゅらおう鬼神きじんです。神なのです。我々に協力してくれるでしょうか?」

 また別の者から声が上がった。妖者あやかしもののようで太陰たいいん様と呼んだ。

 「阿修羅王あしゅらおうは人間から鬼神きじんとなった神だ。現世うつしよに無関心ではないし、自分を狙っていると知れば草摩そうまとの決着を望むだろう。ただ・・・」

 太陰たいいんの表情が曇った。

 「協力をあおごうにも阿修羅王あしゅらおうがいる鬼の里の場所を誰も知らないのだ。」

 太陰たいいんは俺の方を見てそう続けた。俺が鬼の里の場所を知っているのではないかとかすかな希望を抱いているようだが、俺は知らなかった。

 「期待に応えてやれず悪いが、輝明てるあきからは何も聞いていない。」

 俺はその場でそう太陰たいいんに言ってやった。

 「そうか。やはりな。」

 太陰たいいんは肩を落とした。

 「では目下もっかの課題は鬼の里探しだ。草摩そうまあかねの行方を捜索しつつ、鬼の里の情報を集めよ。」

 太陰たいいんが語気を強めて言った。


 その後も会議は続き、細々とした役割が決められた。小子しょうこは精鋭の一人として、嵐山あらしやまから小倉山おぐらやま一帯の捜索にあたることになった。非常に都合の良い場所だ。小倉山おぐらやまには俺の眷属けんぞくの狐がいる。久しぶりに顔を見せてやろう。


 「早速、小倉山おぐらやまへ行くか、小子しょうこ?」

 会議が終わり、奥内裏おくだりから出たところで小子しょうこに言った。

 「うん。すぐに行く。天乙てんおつを呼ばないと。」

 小子しょうこの顔はやる気に満ちていた。

 「小子しょうこ銀狐ぎんこ。終わったんだね。」

 呼ぶまでもなく、天乙てんおつ奥内裏おくだいりの目と鼻の先で待っていた。

 「天乙てんおつ、任務だ。あかね草摩そうまという魔道まどうに落ちた陰陽師道人おんみょうどうじんの式神になったらしい。草摩そうま天乙てんおつが話していた奴だ。志賀しが白木しらきと名を変え、今度は草摩そうまと名乗り、生きながらえている。奴らを捜索しながら、鬼の里の情報を集めることになった。阿修羅王あしゅらおうにこちらの作戦に協力してくれるよう頼みたいんだが、誰も鬼の里の場所を知らないそうだ。」

 小子しょうこが早口に説明した。小子しょうこの話を聞いて天乙てんおつが俺の方を見たが、首を横に振るとそれだけで理解した。

 「僕も鬼だけど、鬼の里の場所は知らないや。」

 天乙てんおつ小子しょうこに言った。

 「太陰たいいんの話だと草摩そうま阿修羅王あしゅらおうを現世へ呼び戻し、引き渡せと言っているらしい。ハテルナの姉であるシスルナならば鬼の里の場所を知っているはずだが、草摩そうまが鬼の里へ乗り込まないところを見ると、もはやシスルナとは行動を共にしていないのかもしれないな。」

 俺がそう口を挟むと天乙てんおつが同意するように頷いた。

 「僕もそう思う。二人の間に何があったのかは知らないけれど、芽吹いぶきが最後に白木しらきと戦った時もシスルナは現れなかった。あの時にはもうシスルナは白木しらきの元を去っていたのだと思う。」

 天乙てんおつが言った。自分の知らない話が俺と天乙てんおつの間で交わされていても小子しょうこは黙って聞いていた。まるで踏み込んではいけない境界線でもあるかのように小子しょうこは立ち入ろうとはしなかった。


 「気にならないのか?」

 俺は小子しょうこに尋ねた。

 「何が?」

 小子しょうこが尋ね返して来た。

 「俺と天乙てんおつの話だ。知らないことがあるだろう?」

 「私の前で昔話するのは構わない。任務を遂行できればそれでいい。」

 小子しょうこは興味なさそうにそう言った。

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