第四十七章 トロイの木馬

  第四十七章 トロイの木馬もくば


 「シスルナ、ちょっと来てくれ。」

 そう私の名を呼んだ男の名は白木淳しらきじゅんという。今は翡翠邸ひすいていつど一介いっかい陰陽師おんみょうじに過ぎないが、もと志賀しがと名乗り、翡翠邸ひすいてい陰陽道人おんみょうどうじんとして名をつらねる者であった。空蝉うつせみの術を使い、何度も肉体を入れ替え、今度はこの若い体を手に入れた。まだ発展途上の青年の体は空蝉うつせみの術を使えない。かつて志賀しがが習得した数多かずおおくの術も使えない。


 だが、白木しらきは学び直すことを楽しんでいた。稽古けいこおこたらず、研鑽けんさんし、日々を生き生きと過ごし、まるで本物の青年のようであった。

 白木しらき志賀しがであった頃から生きることに貪欲どんよくで、人形にんぎょうを使った不老不死ふろうふしの研究をしていた。あの安倍晴明あべのせいめいにノーマンという体をつくってやったのも研究の一環であった。


 だが人形にんぎょうを使った方法は白木しらきに術をほどこすもう一人の術師を必要とし、術が解けてしまえば肉体が消滅するという欠点があった。

 だから私は阿修羅王あしゅらおうの首をかくとして、おのれのために不老不死ふろうふし人形にんぎょうつくろうと目論もくろんでいた白木しらきに教えてやった。阿修羅王あしゅらおうの秘密を。

 私の思惑通り、白木しらき阿修羅王あしゅらおうの体を全て集めることを望んだ。


 白木しらき翡翠邸ひすいてい情報網じょうほうもう駆使して、阿修羅王あしゅらおうの墓のを探した。もう千年以上経っている。容易よういなことではなかった。

 しかも輝明てるあきの体を手に入れた清明せいめい白木しらきと考え方をことにし、距離を置いた。清明せいめいにもう一人の術師の役割を果たさせるという目論見もくろみは外れた。白木しらき清明せいめに気づかれないようにひそやかに空蝉うつせみの術を繰り返し、翡翠邸ひすいていの名立たる陰陽師おんみょうじたちの体を手に入れて来た。そしてその度に、古くなった自分の体に宿やどった相手をほうむり去るのだった。人の命を奪い、もてあそんでいるのだから、不老不死ふろうふしを手に入れそこね、死んだのならば地獄に落ちるのは必至ひっしだ。


 清明せいめいの死後、活発に動けるようになった白木しらき清明せいめいが何か手がかりを残していないか探した。けれど何も出て来なかった。調伏ちょうふくして自分のものにしようとしていた清明せいめい式神しきがみ天乙てんおつ忽然こつぜんと姿を消し、行方知ゆくえしれずとなった。天乙てんおつ式神しきがみにできていたら、情報を聞き出せたものを、口惜くちおしいことをしたとなげいていた。


 手がかりがないまま時だけが過ぎた。そんなある時、鎌倉かまくら照月院しょうげついんの噂を耳にした。翡翠邸ひすいていを去った者たちをたばねて構成された組織であったが、今では翡翠邸ひすいてい匹敵ひってきする規模きぼまで成長し、新しい陰陽師おんみょうじも次々と頭角とうかくを現していた。その中の一人に浅井小子あさいしょうこという名の陰陽師おんみょうじがおり、何でもその女が天乙てんおつという名の滅法強めっぽうつよ式神しきがみを連れているというのだ。

 白木しらきはすぐさま調べ上げ、自ら二人を確認しに行った。


 ちょうどその頃、浅井小子あさいしょうこ天乙てんおつ塚場つかばという土地にいた。その名の通り、かつてはその土地一帯が墓場であり、今でも残っているものもあった。


 最初に私が接触を試みたが、あんじょう天乙てんおつの怒りを買った。私は別に二人にうらみはない。白木しらきの手にかかる前に逃がしてやろうと忠告ちゅうこくしてやったが聞く耳を持たなかった。


 今度は水郷すいごう白木しらきが接触した。浅井小子あさいしょうこは何と足塚あしづかを見つけ、手に入れていた。都合つごう良くそこに天乙てんおつの姿はなく、白木しらきは横取りしようとしたが、銀狐ぎんこに邪魔されて足塚あしづかを手に入れることはできなかった。

 ただ妙なのはその場で銀狐ぎんこ白木しらきを殺さなかったことだ。白木しらきも理由は全く分からないが、命拾いのちびろいしたと話していた。


 「シスルナ、早く来て!」

 また白木しらきが私を呼んだ。私は白木しらきと行動を共にしているが、式神しきがみではない。自由な鬼なのだ。呼びつけられて行くとは限らない。

 だが、この男には興味がある。しばらくは従順じゅうじゅんりをしてやろう。

 「シスルナ、見てくれ。お前のしびれ薬を使ったんだ。」

 そう言って白木しらきは生け捕りにしたこの土地のあやかしたちを私に見せびらかした。まるで虫を捕まえた子供だ。

 「こんなにたくさん。式神しきがみにでもするつもりかえ?」

 私は白木しらきに尋ねた。

 「いや。これらは雑魚ざこだ。私の式神しきがみには相応ふさわしくない。」

 白木しらきはのされたあやかしの山を見下みおろして言った。

 「ではどうする?」

 「シスルナはトロイの木馬もくばを知っているか?」

 私は首をかしげた。


 「ギリシャ神話にこんな話があるんだ。アカイア人とトロイア人が戦争をしていました。戦況せんきょう膠着状態こうちゃくじょうたい。そこでアカイア人はある奇策きさくを打って出ることにしました。大きな馬の形をした木の張りぼての中に兵士をひそませて、敵城に送り込む。作戦は見事成功。まんまと敵の城に入り込んだアカイア兵はトロイア兵を撃破げきはし、戦争に勝利した。」

 白木しらきがそう得意とくいげに話し終えた。

 「聞いたことのない話だ。」

 私はつれなくそう言った。白木しらきには異国趣味いこくしゅみがあったが、それに付き合うつもりはなかった。

 「でも私が言いたいことは分かるだろう?シスルナ?」

 「分からないね。はっきりお言い。」

 勿体もったいぶった白木しらき物言ものいいが気に入らなくてそう言った。

 「このあやかしたちを焼け跡から拾ったこの箱に入れ、浅井小子あさいしょうこのもとへ送り込む。トロイの木馬もくばの完成だ。」

 白木しらきは楽し気にそう言った。


 「この箱はおそらく呪術師じゅじゅつしによって作られた文箱ふみばこだ。享保きょうほう江戸えどでは流行はやっていたらしい。にくい相手にうらみ言をつづった手紙を文箱ふみばこに入れて送り付け、相手が文箱ふみばこを開けたところで中からあやかしが飛びだし、禍事まがごとを引起こす。この文箱ふみばこには呪術師じゅじゅつし仕込しこんだ鬼がいる。鬼は家財かざいを燃やし尽くすようだ。大方おおかた呪術師じゅじゅつし江戸えどに持ち込む前に人手に渡ったのだろう。」

 白木しらきはまた楽し気にそう続けた。

 「狙い通りに浅井小子あさいしょうこはこけたとしても、上手く行くとは思えぬ。向こうには天乙てんおつ銀狐ぎんこがいる。箱から飛び出したあやかし共が暴れ狂ったところで、退治たいじされて終わる。浅井小子あさいしょうこに傷一つ負わせられぬだろう。」

 私はあさはかな考え方をする白木しらきさとすように言った。

 「シスルナ、勘違かんちがいするな。目的は浅井小子あさいしょうこ抹殺まっさつではない。」

 白木しらきは私の方があさはかな考え方をしていると言うようにそう言った。

 「私の目的は別にある。お前にも協力して欲しいんだ。」

 白木しらきはそう言って青年の顔に似つかわしくない老獪ろうかいな顔つきで笑みを浮かべた。


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