第二十九章 清明の遺言

  第二十九章 清明せいめい遺言ゆいごん


 輝明てるあきの体を得た清明せいめい様は最強の陰陽師おんみょうじとして、その最後まで翡翠邸ひすいてい君臨くんりんし続けた。

 「天乙てんおつ、いるか?」

 「清明せいめい様、僕ならここに。」

 そう言ってしわくちゃになった清明せいめい様の手にれた。

 「もうそろそろおむかえのようだ。」

 「・・・」

 「たのみを聞いてくれるか?」

 「何ですか?」

 「書斎しょさいの机の引き出しに手紙てがみ魔鏡まきょう、それからちょっとした資料しりょうを入れた箱がある。それを浅井あさいさんに渡して欲しいんだ。」

 清明せいめい様はそう言った。

 「浅井あさいさんて、浅井小子あさいしょうこのこと?浅井あさいさんならとうのむかしくなりましたよ。」

 僕はいていくさまを見るのが悲しかった。

 「ああ、そうだったね。でもまた会えるから。渡して欲しいんだ。」

 清明せいめい様はそう仰った。

 「・・・はい。分かりました。」

 僕は何も言わず、素直すなおに従った。

 「天乙てんおつには本当に世話せわになった。何にもおかえしができなくて悪いね。来世らいせでは浅井あさいさんと銀狐ぎんこみたいに夫婦ふうふになろうか。そしたら少しおんを返せるかも・・・」

 清明せいめい様はそんな冗談じょうだんを言って、笑ってこのを去った。


 それから幾年いくねんぎただろうか。僕は翡翠邸ひすいていのある京都きょうとを離れ、ただ季節きせつめぐるのをながめていた。春は桜と菜の花をでて、夏は小川おがわほたるを見て、秋には月をさかなに一杯やって、冬は音のない雪道を歩いて、白銀はくぎんの世界を堪能たんのうした。

 清明せいめい様と一緒にいた時は毎日が目まぐるしくて、そんな時間なんてなかった。ようやくただのあやかしに戻れた。そんな気がしていた。


 ある時、鎌倉かまくら古寺ふるでらであじさいの葉の上をうカタツムリをながめていると、女がやって来た。古寺ふるでらと言ってもまだ住職じゅうしょくんでいて、廃寺はいでらではなかったのだから、人がやって来ても不思議ふしぎではない。だがみょうにその女が気になった。誰かに似ている。そう思った。

 「すみません。」

 女は寺務所じむしょに向かって声をかけた。すると中から坊主頭ぼうずあたまの男が顔を出した。

 「ああ、どうも。来るころだと思ってました。はい。これ。」

 坊主ぼうずはそう言って女に何かを手渡した。

 「ありがとうございます。」

 「それにしても、不思議ふしぎだね。」

 「何がですか?」

 「いやあ、あんたの名前。お嬢さん若いから知らないだろうけど、昔、同姓同名どうせいどうめい陰陽師おんみょうじがいたんだ。その人は大したことなかったんだけど、その娘がすごくて。娘って言ってももうとしで何年か前に亡くなってるんだけど。当代随一とうだいずいいち陰陽師おんみょうじって言われてたんだ。」

 「へえ。」

 「もしかしたら、あんたの子もそうなるかもね。」

 「・・・ははは。」

 女は適当てきとう愛想あいそ笑いして調子ちょうしを合わせた。

 「坂道さかみち気を付けて。湿しめっててすべりやすいから。」

 「はい。」

 女はそう言うと、寺の奥にある山道へと入って行った。


 後をつけてみると、女は昨日の雨のせいでまるで小川のように地面からき出して流れるき水に苦戦くせんしながら、山道をけ上がって行った。

 山の上の方から水と一緒に瘴気しょうきも流れていた。いやな予感がした。僕には関係のないことなのだから、こんな女、見捨てればいいのだが、なぜか気にかかった。

 女は小さなほこらの前で足を止めると、先ほど寺務所じむしょで受け取ったものを取り出した。どうやら護符ごふのようだ。女は手を合わせていのりをささげようとしたが、相手はすでに瘴気しょうきをはらむ魔物まものと化していた。ほこらかげ禍々まがまがしいうず甲羅こうら背負せおったカタツムリが今にも女におそいかからんとしていた。もうちゃいられない。


 「あぶない!」

 僕はそう言って、おそいかかる巨大カタツムリと女の間に立ちはだかった。

 「大人しくほこらへ戻れ!」

 僕がそう命令めいれいすると、巨大カタツムリはすごすごとあとずさり、ゆっくりとほこらの中へ帰って行った。力に雲泥うんでいの差があると本能的ほんのうてきに感じ取って争いを回避かいひしたようだ。

 うしろを振り返ると、女がおびえた顔をしていた。

 「ぼさっとしてないで護符ごふれ!」

 僕は女にそう言った。女は言う通りにした。巨大なカタツムリはほこらに閉じ込められて、怒ったが、女が手を合わせるとやがて静かな眠りについた。


 「あの、ありがとう。」

 女は礼を言った。

 「どういたしまして。」

 人間と久しぶりに話した。もう関わるつもりなんてなかったのに。

 「このお寺の子?名前は?」

 女はおずおずとそう尋ねて来た。どうやら人間の子供に見えているようだ。まあいい。そういうことにしておこう。

 「僕は天乙てんおつ。おねえさん名前は?」

 「浅井小子あさいしょうこ。」

 度肝どぎもかれた。浅井小子あさいしょうこ銀狐ぎんこつまにして、輝明てるあきはは元陰陽師もとおんみょうじの女の名前だ。そうだ。この女は浅井小子あさいしょうこているのだ。一度しか面識はないが覚えている。地味じみ幸薄さちうすそうな女だった。

 「ご両親りょうしんがその名前をつけたの?」

 「うん。まあ・・・、正確にはおぼうさんかな。そのおぼうさん、絶対に浅井小子あさいしょうこってつけなさいってさけんでたんだって。」

 小子しょうこはそう言って可笑おかしそうに声を立てて笑った。

 見つけた。この女は正真正銘しょうしんしょうめい浅井小子あさいしょうこだ。あの浅井小子あさいしょうこだ。清明せいめい様には見えていたんだ。僕がこの女に出会うことが。


 「お姉さん、陰陽師おんみょうじなの?」

 僕は子供のりをして話を続けた。

 「そうだよ。よく知ってるね。」

 「うん。陰陽師おんみょうじのことはよく知っているんだ。お姉さんは京都きょうと翡翠邸ひすいていから来たの?」

 「ううん。私は新派しんぱだから鎌倉かまくら照月院しょうげついんから来たんだよ。」

 「新派しんぱ照月院しょうげついん?」

 初めて聞いた。

 「京都きょうと翡翠邸ひすいていにいる陰陽師おんみょうじ旧派きゅうは。私は開祖かいそ柿山かきやまつくった新陰陽道しんおんみょうどう陰陽師おんみょうじ。だから新派しんぱ。」

 小子しょうこはそう説明した。いつのまにか翡翠邸ひすいてい陰陽師おんみょうじ分裂ぶんれつしていた。開祖・柿山かいそかきやまって一体誰だ?

 「ねえねえ、もうその照月院しょうげついんに帰るの?僕もついて行ってもいい?」

 あまえる子供のように上目遣うわめづかいでそう言った。

 「ダメ~」

 子供相手だと思って、小子はおどけてそう言った。イラっとした。

 「ええー何で!?」

 それでも阿保あほな子供の演技えんぎを続けた。

 「子供の遊び場じゃないの。大きくなったら、いらっしゃい。じゃあね。」

 小子しょうこはそう言って、背を向けた。はじを捨てて阿呆あほな子供の演技えんぎをしたのに、ことわられた。こんなにイラついたのいつぶりだろう。


 「じゃあさ、僕が小子しょうこの式神になってあげようか?」

 僕はそう口をついていた。

 「え?」

 小子しょうこは振り返った。

 「僕が小子しょうこ式神しきがみになってあげるから、ついて行っていいでしょう?僕はあの安倍晴明あべのせいめい様にも仕えた鬼だ。紙付がみつきだよ。」

 僕はいつもの口調で言った。

 「ふふ。ほら小僧こぞうめ。」

 小子しょうこはそう言って声を立てて笑った。信じていなかった。

 「本当だってば!」

 自分のひたい青筋あおすじき上がって来るのを感じた。

 「ムキになって可愛かわいい。そんなすごい鬼が小さな子供の姿してる訳ないでしょう。それに私なんかの式神しきがみになりたがる訳ないし。」

 小子しょうこはそう言った。それはその通りだ。

 「そうなんだけど、こっちも諸々もろもろ事情じじょうがあるんだ。それに姿ならいくらでも好きに変えられる。ただ・・・長いことこの姿でいたから・・・この姿でないとあの方に会った時に気づいてもらえないかもしれないから・・・」

 自分でもなぜまだこの姿でいるのか上手く説明できなった。清明せいめい様は亡くなった。生まれ変わったとしても僕のこの姿を覚えている訳がないのに。

 僕が説明に困ってもごもご言っているうちに、小子しょうこの顔色が変わった。僕が本当に鬼だと気づいたようだ。警戒けいかいして、さっきまでとまるで目つきが違う。

 「信じてくれたみたいだね。」

 「・・・」

 小子しょうこは口を開かなった。こちらの様子をうかがって神経しんけいめていた。

 「ねえ、僕を小子しょうこ式神しきがみにしてよ。」

 「・・・」

 「してくれないなら・・・」

 僕がそう言いかけると、小子しょうこ緊張きんちょうして生唾なまつばをごくりとみ込んだ。

 僕は風のような早さで身構みがまえる小子しょうこうで無理むりやりつかみ、そのまま一緒に山の木々をけて大空へ飛び立った。『きゃあああ』という小子しょうこの叫び声がこだました。


 空中散歩くうちゅうさんぽの間、小子しょうこはずっと叫んでいた。

 「誰か助けてええ!」

 風を切る音でかき消されて眼下がんかにいる人間には届かなかったが。

 「もう一度言うけど、僕のこと小子しょうこ式神しきがみにしない?そしたら、地上ちじょうろしてあげるけど?」

 「この鬼ぃぃっ!」

 小子しょうこが怒って言った。

 「小子しょうこってちょっとおさないよね。今何歳?」

 「十八ぃっ!」

 「そんなに叫ばなくても聞こえるよ。そうか十八か・・・」

 僕の頭の中にはある一つの計画が思い浮かんでいた。それはかつて貴人きじんけた天后てんこうがやったこと。銀狐ぎんこ小子しょうこを差し出して、はらませる。生まれて来る子は清明せいめい様の生まれ変わりかもしれない。

 だが、まだ子ザルのような落ち着きのないこの女を銀狐ぎんこの前に差し出したところで、上手うまくいくとは限らない。銀狐ぎんこ輝明てるあきの父なのだから僕のことを敵視てきししているはずだ。良い手土産てみやげがないと会ったったん殺されかねない。

 「まあ、一旦保留いったんほりゅうかな。」

 「何の話ぃ!?」

 「気にしないで、ひとごとだから。それより、いい加減かげんに僕を式神しきがみにする気になった?」

 「いやだああ!」

 それから四時間も空中散歩くうちゅうさんぽを続けて、ようやく小子しょうこは首をたてに振った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る