第十四章 魔鏡

  第十四章 魔鏡まきょう


 十二の誕生日、私は幽世かくりよを出た。現世うつしよには人間の世界が広がっていた。周囲は見渡す限り人で溢れ、木の数よりも人や家の数の方が多かった。

 エネルギーが溢れていると言えば聞こえがいいが、狭くて息苦しい。有象無象うぞうむぞうの物がひしめき合っているこの世界はあやかしたちのえさが豊富で、幽世かくりよから現世うつしよに来たがるあやかしの気持ちも分からないでもないが、私たちにとって決して住みやすいところではない。って、私はあやかしではないか。人間だ。それでもこの世界には住みにくさを感じた。


 母さんと父さんに付き添われて行った翡翠邸ひすいていは少し雰囲気が違った。檜造ひのきづくりの門をくぐると幽世かくりよと似た景色が広がっていた。木々に囲まれ、風に揺らされて笹の葉が美しい音色をかなでていた。時間の流れを決めるは太陽と月で、歳月を教えてくれるのは木々だった。

 ここは好きになれそうだ。


 「おーい、輝明てるあき!」

 太陰たいいんが呼ぶ声がした。廊下の向かいから歩いて来た。

 「輝明てるあき、誕生日おめでとう。」

 太陰たいいんがにこにこして言った。この日を待っていたという顔だった。

 「ありがとう。」

 私までウキウキしてきた。

 「小子しょうこ銀狐ぎんこもよく来てくれた。」

 太陰たいいんが二人に言った。

 「久しぶりに翡翠邸ひすいていに来られて良かった。懐かしい景色が見られた。」

 母さんが目を細めて言った。


 母さんは元陰陽師もとおんみょうじで、昔は翡翠邸ひすいていに出入りしていた。父さんに見初みそめられて、私が生まれたから辞めたのだ。私が思うに、母さんは陰陽師おんみょうじを続けたかった。渋々しぶしぶ諦めたのだ。母さんはおっとりして、仕事やキャリアに無頓着に見えるが、本当のところはバリバリ仕事をするのが好きな人なのだ。父さんもそのことは知っている。どさくさにまぎれて母子で陰陽師おんみょうじをしたいと母さんが夢見ていることも知っている。


 だが父さんは大反対だ。母さんを一生自分のかたわらに置いておきたいと考えている。人間の短い一生を無駄にしたくないのだ。一緒にいる時間をこの上なく大事にしている。それも愛情なのかもしれないが、いい迷惑だ。


 「私に会いにまたここに来てよ。」

 私は母さんにそう言った。

 「うん。」

 母さんは頷いた。横にいる父さんが怪訝けげんそうな顔で私たちのやり取りを見ていた。


 「来てくれ。広間で貴人たかとが待っているんだ。」

 太陰たいいんが明るい声で言った。ご機嫌な太陰たいいんの後に続いて廊下を歩いた。凝った造りの屋敷で、柱の木には飾り細工が施され、襖絵ふすまえは鮮やかな色彩で花鳥風月かちょうふうげつが描かれていた。


 「ここだ。どうぞ中へ。」

 太陰たいいん襖戸ふすまどを引きながら言った。中は青いたたみが敷き詰められた広間だった。広間の中央には男の子が一人ぽつんと座って待っていた。


 「お久しぶりです。」

 広間に入ると母がそう挨拶をした。これが貴人。昔から話には聞いていた。太陰たいいんと一緒に安倍晴明あべのせいめいに仕えた式神しきがみだ。だがどう見てもただの子供で、年も変わらないように見える。鬼の気配も感じられない。それは太陰たいいんも一緒だが、もっと人間らしく見えた。努力して長年人間の中に溶け込んで生活してきたのだろう。


 「小子しょうこ、お久しぶりです。銀狐ぎんこも。」

 貴人たかとはそう挨拶してから私に目を移した。その瞳を昔から知っているような気がした。初めて会ったはずなのに。

 「輝明てるあきだね。初めまして。僕は貴人たかと貴人たかとって呼んで。」

 そう言って貴人たかとが微笑んだ。はにかんだ笑顔はまるで本物の少年のようで、少女のような可憐さもあった。ああ、でもやっぱり、その瞳は老人と一緒だ。出会いと別れを繰り返して来た瞳だ。何度も心を痛めて来た瞳だ。きっとこの鬼は優しい。そう思った。


 「初めまして。輝明てるあきです。宜しくお願い致します。貴人たかと。」

 私も頭を下げて挨拶した。

 「礼儀正しいね。それならここでも上手くやっていけるよ。」

 貴人たかとが心強そうに言った。

 「ありがとうございます。」

 「緊張しているの?」

 貴人たかとが尋ねた。

 「ちょっと。」

 そう答えるとふふふと声を立てて笑った。

 「じゃあまずは親睦しんぼくを深めよう。さあ、皆座って。」

 貴人たかとがそう言って招いた。


 「実は輝明てるあきに誕生日プレゼントを用意したんだ。気に入ってくれるといいんだけど。」

 太陰たいいんと同じく、貴人たかとも機嫌が良さそうだった。

 「これなんだけど。」

 貴人たかとがそう言って小さな桐箱を私に差し出した。

 「ありがとうございます。開けてもいいですか?」

 「どうぞ。」

 貴人たかとはにっこり微笑んだ。その隣にいる太陰たいいんもにっこり微笑んだ。


 桐箱きりばこふたを上げると小さな鏡が入っていた。古い鏡だ。磨かれてピカピカしているが、骨董品こっとうひんだ。すぐにピンと来た。

 「これは安倍晴明あべのせいめい遺品いひんですね?」

 私はそう言った。言葉の選び方を間違えたらしい。遺品という言葉が安倍晴明あべのせいめいの死を貴人たかとに突き付けてしまった。貴人たかとは一瞬だが、傷ついた表情をした。


 「そうだよ。これは清明せいめい様の持ち物だったんだ。」

 貴人たかとがすぐさま表情を戻してそう言った。

 「そんな貴重な物を戴いていいんですか?」

 私の横に座っていた母さんが心配して貴人に尋ねた。

 「僕と太陰たいいん輝明てるあきに貰って欲しいだ。だから気にしないで。」

 貴人たかとが言った。太陰たいいんも頷いた。


 「母さん、貰ってもいい?」

 「大切にしなさいね。」

 母さんはそう言って念を押して許可した。

 「大切にします。貴人たかと太陰たいいん、ありがとうございます。」

 私がそうお礼を言うと、二人共満足そうな顔をした。


 「おい、貴人たかと安倍晴明あべのせいめいの鏡というのだから、ただの鏡ではないのだろう?一体どんな力が宿っているんだ?説明くらいしておけ。」

 父さんが貴人たかとに言った。確かに安倍晴明あべのせいめいの鏡というのだから魔鏡まきょうか何かなのだろう。私も気になるところだ。


 「実は僕たちも知らないんです。ただ、あやかしはその鏡に直接触れることも覗くこともできない。魔鏡まきょうであることは間違いないです。清明せいめい様は時折眺めていましたから、輝明てるあきは使っても問題ないですよ。」

 貴人たかとが言った。

 「いわくつきではないか。」

 父さんが文句を言った。

 「あやかしにとってはね。」

 貴人たかとはお茶目な笑顔でそう言った。貴人≪たかと≫は面白くていい奴みたいだ。私は貰った魔鏡≪まきょう≫を手に取って覗き込んだ。自分の顔が映った。普通の鏡と変わらない。横から母さんも覗き込んで来た。いつもの母さんが映った。母さんも興味津々だ。


 「普通の鏡みたいだね。」

 私が母さんに言った。

 「そうね。」

 母さんもそう言った。同じように見えているようだ。


 「失礼します。」

 そう言って、後ろの襖≪ふすま≫を開けて誰かが広間に入って来た。男の声だ。

 「あっ」

 母さんが小さな声を上げた。知っている人のようだ。父さんも神経を逆なでされたような顔をしていた。

 そしてふと魔鏡まきょうに目を落とすと、妙な物が映り込んでいた。獣の体に人の頭のような物が乗っかっている化け物だ。一体これは何だろう。


 「お茶をお持ちしました。」

 そう言った男は真っ黒な服を着て、もう春なのに手袋をつけていた。その出で立ちも目を引いたが、何より金髪と緑色の瞳が人目を引いた。外国人だ。陰陽師おんみょうじが集うこの翡翠邸ひすいていにいるとは思わなかった。


 「ノーマン、ありがとう。君も座って。」

 貴人たかとが言った。男の名前はノーマンと言うらしい。日本語は完璧。この人も陰陽師おんみょうじなのだろうか。

 「輝明てるあき、こちらはノーマン。輝明てるあきの先生をしてくれる人だよ。」

 貴人たかとが言った。

 「英語の?」

 「いやいや。陰陽師おんみょうじの。」

 私が尋ねると、貴人が可笑しそうに笑って言った。

 「初めまして、輝明てるあき君。ノーマンです。」

 「あ、初めまして。輝明てるあきです。あの、女です。」

 ノーマンが私の性別を誤解しているようだったので、敢えてそう言った。私も誤解を受けるような名前と出で立ちだから仕方ない。この名前でショートカットは良くない。


 「えっ、あ、すみません。てっきり・・・」

 ノーマンはそう言いながら貴人てるあきの方をチラリと見た。

 「ごめん。言い忘れていた。」

 貴人てるあきがぺろりと赤い舌を出した。ノーマンが『はあっ』とため息をついた。

 「あの、輝明てるあきさん、ごめんね。」

 ノーマンが言った。

 「輝明てるあきって呼び捨てて下さい。先生ですから。」

 私はそう言った。

 「あ、ええ。分かりました。」

 先生はそう言った。私に気おされている感じがした。気弱そうな男という印象を持った。


 「犬神いぬがみが先生とは偉くなったものだ。」

 横から父さんが水を差すように嫌味を言った。何かあるとは思ったが、先生は人間ではないらしい。しかも父さんは先生のことが嫌いと来ている。きつねと犬では本能的に仲良くできないのだろうか。


 「長年、式神しきがみとして仕えているんでね。功績が認められたんですよ。」

 先生は言い返した。こちらが本性か。

 「お前は志賀しが式神しきがみだろう?翡翠邸ひすいていに住みついている貴人たかと太陰たいいんとは違う。今現在生きている人間の式神しきがみだ。志賀しがの命とあらば輝明てるあきを殺すだろう?そんな奴に任せて良いものか?」

 父さんがまた嫌味を言った。

 「銀狐ぎんこ輝明てるあきが十二歳になったらすべて僕に一任してくれる約束でしょう?僕はノーマンを信用しているし、適任だと思っているんだ。」

 貴人たかとが言った。

 「ああ、そうだったな。貴人たかと。お前の好きにすればいい。輝明てるあきはお前のものだ。」

 父さんが投げやりに言った。そしてふてくされたように黙った。父さんは面倒くさい性格をしている。


 「お茶を頂いたら帰ろうかしら。トシ子さんも待っているだろうし。」

 母さんが場の雰囲気が悪くなったのを察してそう言った。そう。こういう時は逃げるに限る。私も母さんも出されたお茶をぐびぐび飲んだ。

 「詳しいことはまた明日にでも輝明てるあきに話すよ。学校が終わったらここに来て。」

 貴人たかとは誰よりも大人な対応をした。

 「はい。」

 私は貴人たかとにそう返事をした。

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