第十三章 輝明

  第十三章 輝明てるあき


 陰陽師おんみょうじの母と妖狐の父の間に生を受けて早十一年。もうじき十二歳の誕生日を迎えようとしていた。

 私は輝明てるあき。と言っても性別は女だ。この名前は父光輝こうきの『輝』と安倍晴明あべのせいめいの『明』を取ってつけられた。女に男の名前をつけることで魔除けの意味があるとか。周りからは父子揃って眩しい名前だとか言われたりする。

 ずっと幽世かくりよと呼ばれるあやかしの世界に住んでいて、人付き合いはほとんどなかった。ここで人間は母さんくらいしか見たことがない。


 そんなある日、柿山かきやまと名乗る人間の男が母さんを訪ねて屋敷にやって来た。


 「ごめん下さい。」

 昼下がりの温かい午後だった。間延まのびした男の声が響いた。

 「はーい。」

 玄関に行くと二つの影法師が並んでいた。

 大きな大人の影法師と同い年くらいの小さなか影法師。大きい方は人間で、小さい方は鬼だ。こんなところに人間の子供を連れてくる訳がない。

 「何か御用ですか?」

 戸を開けずに尋ねた。迂闊うかつに開ける訳にはいかない。片方は鬼なのだから。男の式神しきがみだろうか?

 「浅井小子あさいしょうこさんに会いに来ました。柿山かきやまと言います。」

 男は扉越しにそう言った。母さんの名前だ。

 「少々お待ち下さい。」

 私は玄関の外に客を待たせたまま母さんを呼びに行った。


 「母さん、今柿山かきやまって人が玄関に・・・」

 そう言いながら寝室のふすまを引き開けた。すると顔面目掛けて枕が飛んで来た。ちらりと寝室の鏡が見えて、そこに母さんの白い背中が映っていた。そういうことか。


 「勝手に開けるな。」

 父さんが不機嫌そうに立ちはだかった。着物がはだけていた。取り繕うつもりはないらしい。

 「物投げることないじゃん。」

 枕を拾いながらそう抗議したが、無視された。

 「誰が来たって?」

 父さんはまた不機嫌そうに尋ねた。

 「柿山かきやまさんだって。母さんに会いに来たって。」

 そう言うと、父さんも知っている人なのか、柿山かきやまが男か女が言わない内にますます不機嫌になった。

 「柿山かきやまさんは母さんの陰陽師おんみょうじの先輩だった人よ。」

 服を着た母が父の横に立った。取り繕っても無駄だ。何をしていたかは明らかだ。昼間っから何してんだか。


 「輝明てるあき、お茶の用意してくれる?」

 何事もなかった振りをして母さんが言った。

 「うん。分かった。」

 私はそう言って台所に向かった。


 お湯を沸かしている間に母さんが二人を客間に通した。不機嫌そうな父さんも客間に入ったようだ。人間の男、父さんに喰われたりしないだろうな。早くお茶持って行こう。そんなことを考えていた。


 客間にお茶を持って行くと、最初に同い年くらいの少年と目が合った。やっぱり鬼だ。私の顔を正面から見つめるその目は隣にいる柿山かきやまよりもずっとずっと長く生きて来たことを物語っていた。なぜこっちを見ているんだろう。私を喰おうとか思ってるんじゃないだろうな。


 嫌な視線を感じながらも客人にお茶を出した。

 「これが輝明てるあき君?まるで女の子みたいだね。」

 母さんの先輩陰陽師せんぱいおんみょうじだったとか言う柿山かきやまが言った。


 「女ですけど。」

 そう私がポツリと言うと、柿山かきやまは顔を強張らせた。

 「え?」

 「女です。」

 「え?」

 「性別は女です。」

 「・・・何で?」

 「何でって・・・」

 その質問には上手く答えられなかった。


 「魔除けのために男の子の名前をつけたんです。」

 母が言った。

 「いや、魔除けって半分自分が魔でしょ?」

 柿山かきやまが言った。デリカシーのない一言に母さんが無言でムッとした。だが、柿山かきやまの言う通りだ。突っ込みたくもなるだろう。


 「その子は人間だよ。」

 柿山かきやまの隣に座っていた少年が言った。いや、鬼か。

 「半分でも人間の血が入っていたら人間だよ。」

 鬼が柿山かきやまに教えた。

 「へえ、そう言うもんなのか。」

 柿山かきやまが言った。

 「うん。朽ちる肉体を持っているからね。」

 鬼はそう続けた。賢そうな奴だと思った。


 「名前、何て言うんですか?」

 私は鬼に尋ねた。淡々とした私の口調が不自然に感じられたのだろうか?鬼は私を意味ありげに見つめた。

 「僕は天乙てんおつ。初めまして、輝明てるあき。」

 天乙てんおつはそう言って笑った。

 「輝明てるあきあやかしの名前を術で縛って使役するのが得意なのかな?」

 天乙てんおつは見抜いていた。その通り。私は名前さえ分かれば相手に術をかけられた。ただし、自分より弱いものに限る。自分より格上のあやかしには効かなかった。つまりは調伏ちょうふくしてこそ初めて鬼を操れた。


 「そうです。何で分かったんですか?」

 「僕のことを欲しそうな目で見てたから。」

 天乙てんおつはそう言った。うら若い乙女に何て言い方するんだ。誤解を招く表現だ。

 「ダメだよ。輝明てるあきちゃん。天乙てんおつ志賀しが様の式神しきがみなんだ。」

 柿山かきやまが横から言った。志賀しがという名前に母さんも父さんも反応した。有名人らしい。


 「なぜ志賀しが様の式神が?」

 母さんが柿山かきやまに尋ねた。

 「ああ、じゃあ、そろそろ本題に入ろうか。」

 柿山かきやまが態勢を整えて言った。

 「実は俺、陰陽師おんみょうじを辞めたんだ。」

 柿山かきやまそう告白した。母さんは大いに驚いた。


 「今は斬鬼楼ざんきろうという組織にいる。」

 「斬鬼楼ざんきろう?聞いたことがないです。」

 母さんが柿山かきやまに言った。

 「斬鬼楼ざんきろうも意外に古い組織なんだ。あやかしとの戦闘に特化していて、翡翠邸ひすいていの上層部とも繋がりがある。だから志賀しが様から水先案内人みずさきあんないにんとして天乙てんおつを借りられたんだ。俺一人じゃ幽世かくりよには来られないし、信用のおけるあやかしじゃないと頼めないからな。」

 母さんはあやかしとの戦闘に向いていなかった。だから知らなかったのだろう。


 「今日ここに来たのは妖狐ようこ陰陽師おんみょうじを両親に持つ輝明てるあきちゃんを見込んで、斬鬼楼ざんきろう斬鬼士ざんきしとしてやっていかないかと思って。」

 柿山かきやまはそう言った。スカウトか。悪い気はしない。

 「実は俺の甥っ子も今年から斬鬼楼ざんきろうに入って修行中なんだ。結構筋が良くて有望株なんだ。輝明てるあきちゃんとなら良いコンビになるんじゃないかと思ってさ。」

 柿山かきやまが笑顔でそう話したところで父さんが話に入って来た。


 「悪いが、輝明てるあきはやれない。諦めてくれ。」

 父さんは相変わらず仏頂面ぶっちょうづらだった。

 「もうちょっと話聞いてもらえませんか?もしかしたら、輝明てるあきちゃん、興味が湧くかもしれないですし。」

 柿山かきやまが遠慮がちに言った。相手が父さんだから怯えているのだろう。

 「翡翠邸ひすいてい貴人たかとと約束している。子が十二になったらやると。」

 父さんがそう続けると柿山かきやまは何も言わなかった。代わりに天乙てんおつが口を開いた。


 「翡翠邸ひすいてい貴人たかと?」

 聞いたことがないという口ぶりだった。

 「安倍晴明あべのせいめいの式神だった鬼で、今も翡翠邸ひすいていに住んでいるんです。」

 母さんが説明した。

 「へえ。」

 天乙てんおつは納得したようにそう言ったが、その表情からは別のものが読み取れた。怒り、興味、好奇心。そして明かせぬ秘密を守っている表情だった。


 「何?輝明?僕の顔に何かついてる?」

 ジロジロと私が見ているのを不快に思った天乙てんおつが言った。笑顔を浮かべているが不機嫌になっていた。私は両親の口数が少ないものだから表情から気持ちを読み取るのが癖になっていた。悪気はない。


 「目と鼻がついてる。」

 私がそう言うと、天乙てんおつはまたにっこり笑った。今度は本当に笑った。

 「柿山かきやま、先約があるみたいだから、諦めよう。横取りは良くないよ。輝明てるあきにもその気がないみたいだし。」

 天乙てんおつがそう言って話を切り上げようとした。

 「うーん、そうだな。」

 柿山かきやまは諦め難そうだったが、天乙てんおつに促されて仕方なく席を立った。

 「旦那さん、浅井あさい輝明てるあきちゃん、お茶ご馳走様でした。お邪魔しました。」

 柿山かきやまは丁寧に挨拶をした。

 「お見送りします。」

 母さんが言った。母さんが見送るならと父さんも当然立ち上がった。警戒心の強い父さんは決して知らない奴らと母さんだけにはしておかなかった。こうなったら家族三人でお見送りだ。


 玄関で柿山かきやま天乙てんおつが履物をつけている間にまた影法師が現れた。よく知っている影法師だった。

 「太陰たいいんだ!」

 私がそう声を上げると同時に太陰たいいんの声が響いた。

 「ごめん下さーい。」

 やっぱり太陰たいいんだ。

 「おっ、またお客さんか。賑やかだね。」

 柿山かきやまがそう言いながら玄関の戸を引いた。

開かれた扉の向こうで太陰たいいんが知らない顔ぶれを目にして驚いた表情を浮かべた。


 「どうも。」

 柿山かきやまが軽く会釈した。

 「どうも。」

 太陰たいいんも軽く会釈した。

 「元陰陽師もとおんみょうじで現在斬鬼士ざんきし柿山かきやまです。もう帰るところなんで。」

 柿山かきやま太陰たいいんに言った。柿山かきやまの目には太陰たいいんが人間に映っているようだ。よく考えれば分かるのに。ここに人間は来ない。

 「ああ。そうですか。」

 太陰たいいんの方は幽世かくりよで人間を目にしてただただ驚いている様子だった。


 「浅井あさい、見送りはここまででいいよ。お客さんみたいだから。」

 気を遣う母さんに柿山かきやまがそう言って表に出た。その後を天乙てんおつが追うようにこちらを振り返って一度ペコリと会釈をしてから表に出た。すれ違い様に太陰たいいんを見た時、口元が懐かしそうに笑った気がした。


 「やれやれ、帰ったな。」

 父さんが疲れたように言った。

 「客人がいたのか。間が悪かったかな。」

 そう言いながら太陰たいいんが玄関から入って来た。

 「気にするな。もう帰った。上がれ。」

 父さんが太陰に言った。太陰たいいんは昔母さんに助けられたとかで、それを恩に着て、よく会いに来た。母さんも太陰たいいんのことを気に入っていて、来ると喜んだ。女友達なのだ。


 「いらっしゃい。寒いから早く中に入って。」

 母さんが言った。

 「太陰たいいん、入って入って。」

 私も言った。私も太陰たいいんが好きだった。

 いつものように太陰たいいんを客間に通した。


 「すぐにお茶を持って来きますね。」

 母さんが柿山かきやまたち出したお茶を片付けながら言った。私は太陰たいいんと客間でお茶を待つことにした。太陰たいいんと話したかった。


 「ねえねえ、さっき来たの母さんのお客さんだったんだ。元陰陽師もとおんみょうじで、今は斬鬼士ざんきしなんだって。太陰たいいん斬鬼士ざんきしって知ってる?」

 「ああ。知っているよ。私は好かないね。あの連中。好戦的過ぎる。」

 太陰たいいんは眉をひそめてそう言った。

 「そうなの?」

 「そうだよ。戦闘能力が高い分、自信過剰で、すぐ挑んで来る。私も絡まれたことがあんだ。」

 太陰たいいんが不愉快そうに何かを思い出して言った。

 「私、斬鬼士ざんきしにスカウトされたんだけど、父さんがキッパリ断ってくれたんだ。良かった。絶対ぜったい斬鬼士ざんきしになんてならない。」

 「そうだよ。斬鬼士ざんきしではなく、陰陽師おんみょうじになりな。私も輝明てるあきの式神にならなってもいいぞ。」

 太陰たいいんがそう言って優しい笑みを浮かべた。将来を楽しみにしていると言わんばかりだった。


 「そう言えば、銀狐ぎんこは?さっきまでいたのに。」

 太陰たいいんが父さんの姿がないことを気にした。

 「父さんなら太陰たいいんが来たから、みかんでも取りに行ってるんじゃないかな。父さん、何だかんだ言って太陰たいいんのことを信用してるんだ。他の奴が来た時は絶対母さんおいて外に出たりしない。太陰たいいんだけだよ。」

 「それは光栄だな。」

 二人で話しているところに父さんと母さんが入って来た。父さんはやっぱり、みかんが入った籠を抱えていた。

 「お茶が入りました。みかんもありますよ。」

 母さんがそう言って太陰にお茶を差し出した。お茶とみかんが行き渡ると、太陰たいいんを囲んだ。


 「今日はどうして訪ねて来てくれたの?」

 母さんが嬉しそうに尋ねた。

 「もうじき輝明てるあき現世うつしよに来るから、その段取りの話をしようと思ってね。」

 太陰たいいんが言った。

 「春にはこの屋敷を出るのね。」

 母さんが感慨深そうに言った。


 「住むところは翡翠邸ひすいていでいいか?」

 早速太陰たいいんが尋ねた。

 「いや、柑子こうじとトシ子のところに預ける。」

 父さんが言った。

 「こちらとしては翡翠邸ひすいていに来てくれた方が都合良いのだか・・・。」

 太陰がそう言いかけたところでまた父さんが口を開いた。

 「小子が輝明てるあきを学校に通わせたいと言っているんだ。翡翠邸ひすいていよりもトシ子のところから通わせた方が体裁良かろう。トシ子の親戚ということにする。」

 「体裁かあ。私にはよく分からないな。」

 太陰たいいんが頭を掻きながら言った。

 「トシ子さんのところには柑子こうじもいるし、何より、トシ子さんにこの話をしたら、すごく乗り気で、張り切っているんです。毎日美味しいお弁当作るんだって。」

 母さんが言った。私は翡翠邸ひすいていの暮らしに興味があったが、トシ子さんと可愛い柑子こうじと一緒に暮らすことには賛成だった。だから何も言うまい。


 「まあ、それもいいか。しばらくは安倍晴明あべのせいめい様の生まれ変わりということは伏せておきたいからな。翡翠邸ひすいていの外にいてくれた方がいいかも。」

 太陰たいいんが言った。

 「え、どうして?」

 思わず私はそう口にした。安倍晴明あべのせいめいの生まれ変わりというのは私の誇りでも自慢でもあった。現世うつしよに行ったら自慢しまくるつもりだった。

 「まだ話していなかったな。」

 真剣な表情をして太陰たいいんが言った。みかんが乗っているちゃぶ台には不似合いな話になりそうだ。


 「私は平安時代、安倍晴明あべのせいめい様の式神だった。晴明せいめい様の命で、ある鬼の体を四つに裂いて封じた。鬼の名前は阿修羅あしゅら。強大な力を持っていて、皆、阿修羅王あしゅらおうと呼んでいた。千年以上の間、封印は成功したと思われていたが、実際にはほころびが生じていた。私は仲間だった天后てんこうと共に阿修羅王あしゅらおうの首を壺に封じることになっていたのだが、実際には天后てんこうの罠にめられた私が封じられた。阿修羅王あしゅらおうの封印は不完全だったのだ。その上、阿修羅王あしゅらおうの首は行方不明。当然、天后てんこうの行方も分からない。手がかりさえない。」

 太陰たいいんはそう言ったところで唇をかんだ。

 「太陰たいいんのせいじゃない。」

 私は言った。太陰たいいんが力なく微笑んだ。


 「阿修羅王あしゅらおうの封印は晴明せいめい様にしか解けない。そして、逃がした首を封じることができるのも晴明せいめい様だけだ。だから、阿修羅王あしゅらおうの封印を解こうとする鬼も、封印を守りたい人間もお前を狙って来る。」

 太陰たいいんが鋭い目をして言った。事の重大さが私にも分かった。私の命は狙われているのだ。人にも鬼にも。


 「ある程度の力をつけるまでは安倍晴明あべのせいめいの生まれ変わりということは伏せておきたい。だが、力をつけたその日には再びこの世で最強の陰陽師おんみょうじとして、すべての陰陽師おんみょうじを率いて阿修羅王あしゅらおうを討ってくれ。」

 太陰たいいんが力強く言った。私は期待されているのだ。この期待に応えたい。心の底からそう思った。


 「分かった。」

 私のその一言で太陰たいいんの顔がパアッと明るくなった。

 「本当か?輝明てるあき?」

 「うん。」

 「ならばお前が最強の陰陽師おんみょうじになるその日まで、私が守ろう。輝明てるあき。」

 太陰たいいんが言った。どんな気持ちでそう言ったのか、どんな結果になるのか、この時の私は分かっていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る