第十二章 幽世

  第十二章 幽世かくりよ


 目を覚ますと温かい布団の中にいた。傍らには光輝こうきがいた。ああ、初めからこの道を選んでいたら、苦労はなかったのに。布団の中でまどろみながらそんなことを思った。

 「気が付いたか?」

 光輝こうきが心配そうな眼差しを向けてそう言った。心地よさを味わうように見つめ返した。

 「どうした?まだ傷が痛むのか?全部治してやったはずだが。どれ、見せてみろ。」

 横たわる私に光輝こうきが手を伸ばして来た。その手を握りしめた。

 「光輝こうき。」

 そう呼びかけると、光輝こうきは優しい眼差しを私に向けた。

 「また会えた。」

 「当たり前だろ。」

 長い爪と鋭い牙を持ったきつねの夫はそう言った。


 「尼寺はどうなったの?」

 気になって仕方がなかった。比丘尼びくに様は、皆は無事なのだろうか。

 「俺が行った時には尼寺に火が放たれていて、夜叉姫やしゃひめが尼たちをいたぶって炎の中に放り込んでいた。夜叉姫やしゃひめは俺が始末したが、その後のことは知らない。」

 光輝こうきは少し不機嫌そうにそう答えた。私が現世うつしよに帰りたがっていると思ったのだろう。

 「そう。」

 これ以上聞いても仕方のないことだと分かっていた。起きてしまったことは変えられないし、私には何もできない。


 「小子しょうこ、お前が拾った骨壺のことは覚えているか?」

 今度は光輝こうきが質問してきた。

 「覚えてる。確か・・・」

 そうだ。意識を失う前に、骨壺こつつぼから発せられる声を聞いた。

 「あの壺には太陰たいいんという鬼女が封印されていた。」

 鬼女と聞いて背筋が凍った。

 「安心しろ。太陰たいいん翡翠邸ひすいてい貴人たかとの仲間で敵ではない。太陰たいいんの話ではお前が壺の封印を解いたと言っていたのだが、覚えているか?」

 光輝こうきがそう続けた。

 「確かに声が聞こえた。封印を解いてって。でも何もできなくて、気が付いたらここに・・・。」

 「そうか。」

 そう言って光輝こうきは考え込んでから、私のお腹に触れた。


 「子がいる。」

 「え?」

 「まだ分からないだろうが、子狐こぎつねが宿っている。」

 「本当!?」

 嬉しさと驚きで布団から飛び起きた。


 「どうやら、俺たちの子はまだ生まれてもいないのに術を使うらしい。俺が小子しょうこきつねの力を分けてやったせいかもしれないが、太陰たいいんの封印を解いたのは子狐こぎつねだ。」

 光輝こうきが渋い顔をして言った。

 「すごい。光輝こうきの血を引いているだけあるわね。」

 「そうかもな。俺も子ができるのは初めてだからよく分からん。ただ今言えるのは、いずれ腹の子を追って貴人たかと太陰たいいんがやって来る。」

 光輝こうきがそう言った。嫌な予感がした。


 「なぜ追って来るの?」

 「子を取り上げるつもりだ。」

 「どうして!?私たちの子供なのに!?」

 「えにし・・・というべきか。覚悟だけはしておいてくれ。貴人たかと太陰たいいんの二人を相手に俺も勝てるかどうか・・・。」


 それを聞いて泣き出さずにはいられなかった。

 「大丈夫だ。小子しょうこ。必ず何とかする。まだ時間もある。今は家族水入らず静かに暮らそう。」

 光輝こうきはそう言って肩を抱き寄せた。


 新緑の季節が終わり、草花が生い茂る夏が過ぎ、紅葉が紅に染まり、真っ白な冬が訪れた。幽世かくりよにも雪が降り、幻想的でそれはそれは美しかった。

 私のお腹も大きくなり、この身に宿るのが銀狐ぎんこの血を引くことを意識し始めた。光輝こうききつねの力を分けて私を守ってくれたように、子もまた私を守ろうときつねの力を働かせていた。


 幽世かくりよは人間にとって危険な場所でもある。人間の女はくちなしの花のように甘い香りがするのだとか。その香りを嗅ぎつけて、低級のあやかしが私を狙うこともある。だがそんな時はお腹の子狐こぎつね妖力ようりょくで追い払ってくれるのだ。私は何もしていないのに狐火きつねびがふと現れて、あやかし目がけて飛んで行く。何とも頼もしい我が子だ。

 そんなことを日々の出来事として光輝こうきに報告したりして過ごしていたある日、とうとう貴人たかと太陰たいいんの二人が幽世かくりよの屋敷を尋ねて来た。


 「小子しょうこ。」

 玄関の方から申し訳なさそうに呼びかけて来た。聞き覚えのある貴人たかとの声だった。

 私は返事をすることができなかった。

 「小子しょうこ、お久しぶりですね。」

 「・・・お久しぶりです。」

 歓迎されていないことを察しながらも、貴人たかとは話しかけて来た。

 「銀狐ぎんこはいるかい?」

 「はい。呼んで来ます。どうぞ中でお待ち下さい。」

 そう言うと、貴人たかとがペコリと一礼して中に入った。後に続いて貴人たかとの後ろに隠れるように立っていた鬼の女も入って来た。外は雪が降っていた。二人は傘も差さずにやって来たのに濡れていなかった。やはり鬼なのだ。


 光輝こうき貴人たかとたちが来たことを伝えると、驚いた様子はなく、まるで今日来ることを予期していたようだった。

 「驚かないのね。」

 私は光輝こうきに言った。

 「産み月が近づいて子の妖力ようりょくが強くなっているから、そろそろだとは思っていた。貴人たかと方々ほうぼう探していたようだし、ついに嗅ぎつけて来たんだ。」

 光輝こうきはため息をつきながら言った。

 「どうなるの?」

 「・・・俺に任せておけ。」

 光輝こうきはそう言った。


 客間に行くと貴人たかとがきちんと正座をして待っていた。鬼の女も緊張した面持おももちで正座していた。

 「待たせたな。」

 光輝こうきは遠慮なく上座かみざに座った。私もその横に座った。ここは私たちの屋敷だ。

 「銀狐ぎんこ小子しょうこ、今日ここに僕と太陰たいいんが来たのは他でもない。二人に聞いてもらいたい話があるからだ。」

 貴人たかと切羽詰せっぱつまったように唇を切った。

 「まずは私から話させてくれ。」

 そう言って鬼の女が割って入った。


 「私は太陰たいいん安倍晴明あべのせいめい式神しきがみ十二神将じゅうにしんしょうが一人。そして奥方に助けられた者だ。」

 太陰たいいんはそう名乗って私を見上げた。感謝の気持ちが滲み出ていた。


 「もう千年以上前の話になる。幽世かくりよで大暴れしていた鬼の王が現世うつしよへやって来た。その鬼の王の名前は阿修羅あしゅら。鬼も人も皆、阿修羅王あしゅらおうと呼んでいた。阿修羅王あしゅらおうは京の都へやって来て天変地異を引き越した。地震、洪水、土砂崩れ、火災。ありとあらゆる不幸を呼び込み、地上に蔓延はびこる人間を地獄絵図さながらの生き地獄に陥れた。時の朝廷は安倍晴明あべのせいめい様に阿修羅王あしゅらおう討伐とうばつを命じ、熾烈極しれつきわまる戦いの末、晴明せいめい様は阿修羅王あしゅらおうの体を四つに引き裂き、四つの壺にその亡骸なきがらを封印した。首塚くびづか胴塚どうづか手塚てづか足塚あしづか。我ら十二神将じゅうにしんしょうが壺に納められた阿修羅王あしゅら亡骸なきがらを持って、四方につかを築き、その御霊みたままつるはずだった。」

 

 そこまで話したところで太陰たいいんの口が重くなった。

 「はずだったとは?」

 光輝こうきが話の続きを促した。

 「十二神将じゅうにしんしょうの一人が裏切った。」

 太陰たいいんは悔しそうに言った。


 「私と一緒に同じく十二神将じゅうにしんしょうの一人である天后てんこうが共に阿修羅王あしゅらおうの塚を築くことになっていたが、天后てんこうは私の不意を突き、阿修羅王あしゅらおうを封じるはずの壺に私を封じ込めた。以来千年以上、私は壺に閉じ込められ、助けを求め続ける破目はめに。奥方が壺を見つけて下さらなければ、私は今も壺の中・・・。」

 太陰たいいんは恐ろしい悪夢を見ているかのように言った。


 「それで、お前は阿修羅王あしゅらおうのどの部位を持っていたんだ?」

 光輝こうきが事の重大さを理解して重たい口調で尋ねた。

 「首。」

 太陰たいいんは短くそう答えた。

 「その首はどこにある?」

 光輝こうきが再び尋ねた。

 「阿修羅王あしゅらの首の行方は分からない。おそらく天后てんこうが持ち去ったのだろう。」

 太陰たいいんが過去の失敗を悔いて言った。

 「大変なことになったな。」

 光輝こうきが他人事のように突き放して言った。


 「銀狐ぎんこ、ここからが本題なんだ。」

 貴人たかとが口を開いた。

 「小子しょうこのお腹の子が生まれたら、僕に引き渡して欲しい。」

 貴人たかとはそう言った。決して受け入れられないものだった。

 「嫌です!」

 思わず叫んでいた。私が興奮すると、貴人たかとも顔を紅潮させて声を上げた。


 「小子しょうこ銀狐ぎんこ小子しょうこに執着しているのは明らかだ。今は死に物狂いで小子しょうことお腹の子を守るだろう。だけど、きつねというものは一度巣を出た我が子を家族とは見なさない。その子が生まれ、乳飲ちのみ子の内は子煩悩こぼうんのう父狐ちちぎつねかもしれないが、ある程度大きくなれば巣から追い出して加護かごから外す。その意味が分かるかい?小子しょうこ?」

 貴人たかとが早口に追い立てるように言った。

 「いいえ、分かりません。」

 「太陰たいいんの封印を解いたのはお腹の子の方だ。その子は妖狐ようこと人間の血を引き、まさに安倍晴明あべのせいめいの再来。阿修羅王あしゅらおうの壺の封印を解けるのはその子だけなんだ。阿修羅王あしゅらおうの復活を願う者がその子をさらいにやって来る。同じように封印を守ろうとする者も、封印を解かせまいとその子の命を狙って来る。銀狐ぎんこの加護から外れたら、一斉に襲いかかって来るぞ。」

 「そんな!」

 「だからその子が生まれたら、僕に引き渡して欲しい。」

 貴人たかとが懇願するように言った。

 「・・・生まれてくる子をどうするつもりですか?」

 「僕が守る。僕が最強の陰陽師おんみょうじに育てる。」

 「・・・私は両親とは疎遠そえんだった。この子には同じ思いをさせたくない。」

 「生まれた時から、僕が家族だ。親子の情は僕が与える。決して寂しい思いはさせない。」

 「光輝こうきにも相談させて。」

 「分かった。でも道は一つしかない。小子しょうこ。」

 貴人たかとの最後の言葉は聞かなかった振りをした。


 「光輝こうき・・・」

 すがるように隣にいる光輝こうきの名前を呼んだ。

 「話は分かった。貴人、お前の本当の目的もな。お前も俺と同じだったのだな。」

 光輝こうき貴人たかとを憐れむように言った。貴人たかとは顔色を変えずに光輝こうきを見つめ返した。

 「小子しょうこ貴人たかとの提案を丸々飲む必要はない。」

 光輝こうきは私にそう言うと、貴人たかとに向き直った。


 「貴人たかとよ。子狐こぎつねは俺たちの手元で育てる。」

 「話を聞いていたでしょう?銀狐ぎんこ?」

 「ああ。」

 「鬼も人間も一斉に襲いかかって来るのですよ?」

 「ああ。」

 貴人たかとが念を押すように言ったが、光輝こうきは意に介さずという様子だった。

 「随分と余裕ですね。」

 貴人たかとは少し苛立って言った。

 「俺はそんなに弱そうに見えるのか?」

 光輝こうきは挑発するように言った。

 「いいえ。千年以上生きて来た僕でさえ、正直、お前に勝てるとは思わない。だが、お前は子を守れない。いずれ放り出して敵の餌食にしてしまう。」

 貴人たかとは静かな怒りを込めて光輝こうきにそう言うとまた私に畳みかけて来た。


 「小子しょうこ銀狐ぎんこは君の機嫌を取るだけのために手元で育てようと言っているに過ぎない。所詮、妖狐ようこ妖狐ようこ。親子の情など持ち合わせてはいないんだ。」

 私は何も言い返せなかった。

 「こちらから条件をつける。」

 光輝こうきは淡々と話を続けた。

 「今何と?」

 貴人たかとが子供には似つかわしくない怪訝そうな顔で聞き返した。

 「子が生まれたら、俺たちの手元で育てる。ただし、十二歳の誕生日までだ。十二歳になったら成人したと見なす。そこからはお前の好きにしろ。子はお前のものだ。お前が命がけで守れ。」

 貴人たかとの顔色が変わった。


 「貴人たかと、お前も待っていたのだろう?長く生きればもう一度巡り合えるかもしれない人間を。我が子は正真正銘しょうしんしょうめ安倍晴明あべのせいめいの再来。安倍晴明あべのせいめいの魂を持った生まれ変わりだな?」

 「・・・・」

 貴人たかとは押し黙った。

 「どういうこと?」

 私は尋ねた。

 「人間は生まれ変わる。そして俺たちの寿命は長い。長く生きればもう一度同じ魂を持った人間に巡り合うこともある。それを信じてずっと待っていたのだ。この貴人たかとも。十二天将主将じゅうにしんしょう貴人たかとが必死になって手に入れようとする人間など安倍晴明あべのせいめいをおいて他にいまい?」

 すべてを見透かされてしまった。貴人たかとはそんな顔をしていた。


 「とうとう勘づかれてしまったか。そうとも。お腹の子は僕が千年以上待ちに待った安倍晴明あべのせいめい様の生まれ変わりだ。」

 貴人たかとは観念したようにそう言った。これには隣にいた太陰たいいんも驚いていた。何も知らなかったようだ。

 「いや、そうじゃないな。ただ待っていただけじゃないな。実のところ、そう仕組んだとも言える。」

 貴人たかとは後ろめたそうに、罪を告白するかのように言った。


 「銀狐ぎんこさらわれた人間の女がいるという知らせを聞いて、策を思いついた。晴明せいめい様の魂を受け入れる人間の器を作る策を。もしあの方が生まれ変わるとしたら、きっとまた妖狐ようこと人間の血を引く人間として生まれて来るに違いないと思った。だからそういう人間が生まれて来るように仕組んだ。」

 そう言って貴人たかとは私の方を見た。


 「翡翠邸ひすいていに来た小子しょうこを見た時、確信したよ。これは使えるって。小子しょうこきつね思念しねんをぐるぐるとまとっていた。銀狐ぎんこが相当執念深く付きまとっているのが分かったからね。小子しょうこ翡翠邸ひすいていに来たと同時に都合よく良く、狐退治きつねたいじの依頼が舞い込んだ。すぐに銀狐ぎんこの罠だと気づいたが、えて小子しょうこにその依頼を受けさせた。そして狙い通り、小子しょうこ銀狐ぎんこの手に落ちた。」

 貴人たかとは自分が悪者だとでも言うようにそう告白した。


 「余計なお世話というものだ。」

 光輝こうきが冷たい口調で言った。

 私は何も思わなかった。貴人たかとを責める気持ちなど微塵も湧き起らなかった。きっと貴人たかとが仕組んでいてもいなくても、きっとこうなっていた。

 「貴人たかと、私は幸せです。そんな風に思わないで下さい。」

 私はそう言った。貴人たかとは無言のままだったが、救われたようにほんの少しだけ優しい微笑みを浮かべた。


 「では十二年後だな。」

 光輝こうきはその場を仕切るように言った。

 「貴人たかと、条件を飲むだろう?」

 光輝こうきが余裕の構えでそう言った。

 「もちろん。千年以上待ったんだ。あと十二年くらいなんてことはない。その代わりこの十二年、必ず守りと通してくれ、銀狐ぎんこ。」

 貴人たかとは力強い目をしてそう言った。

 「無論。我が子だ。お前こそ言葉を違えるなよ。」

 光輝こうきが念を押すように言った。

 「もちろん。十二年後、僕はその子を迎えに来る。そしてその子を守り抜いて最強の陰陽師おんみょうじに育て上げる。」

 貴人たかとが誓った。

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