第十一章 太古の鬼

  第十一章 太古たいこの鬼


 尼寺に向かいながら昔のことを思い出していた。遠い昔のことだ。まだ俺が柑子こうじくらいの力しかなかった頃だ。

 人里に下りて養鶏ようけいを襲っていたら、陰陽師おんみょうじの女が俺をはらいにやって来た。はらいに来たはいいが、その女は弱く、果敢かかんに挑んで来たものの、野狐やこに毛が生えた程度の俺相手に手こずって、三日三晩の戦いの末、ある提案をして来た。


 『今生ではお前が私の式神しきがみとなり、しもべとなれ。その代わり来世らいせでは私の一生をお前にやろう。私はお前の妻となり、一生尽くしてやってもいい。』

 何とも身勝手で都合のいい約束だと思った。人間の来世らいせなんて当てにはならない。約束なんて忘れて生まれて来るのだから、しらばっくれるに決まっている。だが三日三晩戦いで、お互いに消耗して死にかけていた。こんな人間の女に絡まれて死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。俺は人間の寿命なんて高が知れていると腹を括って、その提案を受け入れた。


 女の式神となった俺は『光輝こうき』という名前を与えられた。なんともまぶしい名前だ。月夜に輝く俺の姿を見て思いついたと言っていた。女もまた似たような名前だった。『てる』といって、天候に恵まれるようにと名付けられたそうだ。


 毎日二人で野山のやまを駆け回り、悪霊あくりょう悪鬼あっきを退治して回った。俺はどんどん強くなり、あっという間に人の姿に変化する力を得た。人の姿を得てからはその姿で里や村々を回り、土地の人間とよく話すようになった。そしててる天涯孤独てんがいこどく流浪るろうの身であること、根ざす土地がなければ留まれず、旅を続けるしかない世の仕組みも理解した。俺も元はただのきつねで、親狐おやぎつねの記憶などとうになく、似たような境遇だったが、今はあやかしとなり、望めば好きなところに住み着いて暮らせた。人間とはまこと難儀な生き物だと思った。


 てるは人間だった。寿命は長くて六十年。あっという間に尽きた。二人で野山を駆け巡っていたのがついこの間のような気がするのに、てるはもう弱り、動けなかった。

 『来世らいせで会おう。』

 しょうはそう言って死んだ。一瞬の光のような人生だった。


 後を追いたい気持ちになったが、耐えて待った。長く生きればもう一度会えると信じて。そうしてようやく現れたのが小子だった。

 何も知らず、御神木の根元で惰眠だみんむさぼる俺に手を合わせていた。一目で分かった。お前だと。今生、その一生は俺のものだ。誰かに奪われたりなどしない。


 火柱の上がる尼寺に到着すると、蔵の方で悲鳴が聞こえた。行ってみると、白い頭巾を被った尼たちと陰陽師おんみょじらしき女が十数名いた。そしてそれをいたぶり、燃え盛る炎の中に投げ込む夜叉姫やしゃひめの姿があった。そこに小子しょうこの姿はなかった。

 「おい、夜叉姫やしゃひめ。」

 俺は躊躇ためらいなく声をかけた。振り返った夜叉姫やしゃひめの表情はおびえていた。


 「銀狐ぎんこかえ?こんなところに何の用かい?」

 夜叉姫やしゃひめは必至で平静を装ったが、恐怖の色を隠せなかった。

 「分かっているはずだ。俺の妻はどこだ?」

 「さあ、知らないよ?」

 夜叉姫やしゃひめはわざとらしくとぼけて見せた。近くに小子しょうこの気配はなかった。最悪の事態が頭を過った。


 もう自分を抑えられなかった。小子しょうこを殺されたかもしれないと思ったら、夜叉姫やしゃひめの首を掴んでいた。夜叉姫やしゃひめ鬼術きじゅつを繰り出すことはおろか、避けることすらできなかった。

 「やめろ・・・やめておくれ。」

 夜叉姫やしゃひめが苦しそうに言った。

 「俺の妻はどこだ?」

 「・・・・」

 夜叉姫やしゃひめは答えなかった。ならばそれが答えなのだ。俺は夜叉姫やしゃひめの首をへし折り、炎の中に放り投げた。夜叉姫やしゃひめはあっけなく死んだ。


 生き残っていた尼たちと陰陽師おんみょうじたちがその光景を目の当たりにして騒ぎ出した。向こうにしてみれば俺もまた化け物。今度は自分たちが俺に殺されるのではないかと怯えていた。まあ、どうでもいいことだ。

 俺は尼たちの中で一番の年長者に目を止めた。小子しょうこの言っていた比丘尼びくにかもしれない。


 「おい、お前、小子しょうこを知っているな?小子しょうこはどこだ?」

 比丘尼びくには心臓が止まったのではないかというくらい驚いていた。

 「しょ、しょう・・・・」

 比丘尼びくにはガチガチ震えながら知っていると答えるべきか、知らないと答えるべきか迷っていた。返答によっては殺されるのが常だ。俺はどうでも良かった。この女たちの生き死になんて。機嫌の悪い今は知らないと答えれば殺したかもしれない。その程度のことだ。

 「に、二階・・・」

 比丘尼びくには正解を言った。俺は蔵を後にして、小子しょうこの元へ向かった。


 本殿の横にあるのが、尼たちの住居となっていた。そこの二階に小子しょうこがいるはずだった。だが中には誰もいなかった。二階の中廊下を歩いていると、争った跡があった。外に向かって大きな穴が開いて、ふすま障子しょうじがなぎ倒されていた。一方的に攻撃を受けたのは明らかだった。夜叉姫やしゃひめがやったに違いない。まさかやられたのは小子しょうこ・・・そう頭に過った瞬間、その穴から外に飛び出していた。眼下に横たわる小子しょうこの姿が見えた。そして、かたわらに夜叉姫とは別の鬼が立っていた。その鬼が俺を見上げてにらんだ。


 もう一匹いたのか。

 急降下しながら、その鬼めがけて飛びかかった。鬼は身をひるがえして避けた。だがそのまま逃げはせず、戻って、こちらをにらみ、攻撃の構えを取った。

 「お前は何者だ!?」

 鬼が尋ねた。鬼は女だった。声を聞くまでは地味な着物でてっきり男だと思ったが、よく見れば髪は長く、瓜実顔うりざねで、その身も女の形をしていた。


 「俺はその女の夫だ。返してもらおう。」

 俺がそう言うと鬼は構えを緩めた。

 「これは人間の女だが?」

 確認するように鬼の女が尋ねた。

 「そうだ。人間の女を妻にした。」

 鬼の女は注意深く俺と小子しょうこを観察した。だが見たところで真偽など判断できる訳がない。

 「悪いが信用できない。」

 当然、鬼の女はそう言った。

 「ならば殺し合うまで。」

 俺がそう言って再び足を踏み出した時、翡翠邸ひすいていで会った子供と犬神いぬがみが遅れてやって来た。

 「二人共、引くんだ!僕たちは敵同士じゃない。」

 子供が二人の間に割って入った。

 「貴人きじんか!?」

 鬼の女は子供に向かってそう呼びかけた。どうやら顔見知りらしい。犬神は貴人たかとと呼んでいた。どうやら二つ名前があるらしい。


 「太陰たいいんだな。お前の姿を見て、我が目を疑った。久しぶりだな。」

 子供は懐かしそうな目をして言った。

 「ああ、久しぶりだ。私もお前に会えるとは思わなかった。貴人きじん。昔話を語り合いたいところだが、この人間の女を助けるのが先だ。ひどい怪我なんだ。」

 そう言って太陰たいいんとか言う鬼の女は小子しょうこそばに駆け寄った。


 「俺が治す。」

 俺は鬼の女を押しのけて小子しょうこを自分の膝の上に乗せた。口移しで自分の精気せいき小子しょうこに流し込んだ。内側から傷ついた臓器が再生し始めた。

 「お前、治癒の力があるのだな。先ほどは信用せず、すまなかった。私は太陰たいいん貴人きじんの古い仲間だ。」

 太陰たいいんは隣に膝をついてそう言った。小子しょうこの手当で手が離せなかったし、興味もなかったから、返事はしなかった。


 「奥方はおそらく、私を助けてくれた。私は骨壺こつつぼ封印ふういんされていたんだ。ずっと。千年以上。瀕死にも関わらず奥方が解いて出してくれた。」

 太陰たいいんはそう続けた。地面にふたの外れた壺が転がっていた。小子が拾って持っていた壺だった。封印を解いた?小子しょうこにそんな能力があるとは思えない。まさか・・・

 俺は子狐こぎつね安否あんぴを確かめようと、小子しょうこの腹に触れた。子狐こぎつねは生きていた。眠っていた。まさかこの子狐こぎつねが・・・


 「腹に子がいるのか?」

 さすが女だけあって太陰たいいんは察しが良かった。

 「ああ。子がいる。」

 小子しょうこの手当があらかた終わったので、答えてやった。

 それを聞きつけた子供の目の色が変わった。傍耳そばみみを立てていたのは気づいていたが、話に加わって来ようとはしなかった。それが急に駆け寄って、小子しょうこの腹に触れようとして来た。

 「触るな!」

 俺が怒鳴りつけると、子供は慌てて手を引っ込めた。

 「おい、貴人きじん!」

 太陰たいいんも責めるように言った。

 「失礼した。」

 子供はしょんぼりとして言った。まるで叱られた子供だった。だが、姿は子供でもこいつは列記れっきとした鬼だ。おそらく数千年は生きている太古たいこの鬼だ。本来の姿は別にある。


 「銀狐ぎんこ小子しょうこの意識が戻ってからでいい。話がしたい。」

 子供の姿をした鬼が言った。

 「断る。こちらに用はない。」

 小子しょうこを抱き上げ、そう言った。サッサと立ち去ろうという算段だ。


 「僕は安倍晴明あべのせいめい式神しきがみ十二神将じゅうにしんしょう主将しゅしょう貴人きじん。今は皆貴人たかとと呼ぶ。そこにいる太陰たいいんもまた十二神将じゅうにしんしょうの一人。どうかこの通り、話を聞いてくれ。」

 貴人はその場に片膝をついて、こうべを垂れた。太陰たいいんも右にならって膝をついた。


 やはりな。そうだろうと思った。陰陽師おんみょうじの総本山である翡翠邸ひすいてい貴人きじんの名を冠する鬼など安倍晴明あべのせいめい式神しきがみであった貴人きじん以外考えられない。

 

 当時最強の鬼神を集めて組織されたのが十二神将じゅうにしんしょう。そしてその鬼神たちをまとめ上げていたのが主将しゅしょうであった貴人きじんだ。

 安倍晴明あべのせいめいの死から千年以上経った今でも主の巣を守り、忠義を尽くしていたという訳か。ご苦労なことだ。だが俺達には関係ない。


 「悪いな。」

 そう言って小子しょうこを連れて小倉山おぐらやまふもとに帰った。


 トシ子の旅館に戻ると、心配そうに柑子こうじが出迎えた。

 「銀狐ぎんこ様、奥方様は?」

 「大事ない。今は意識を失っているが時期に目が覚める。」

 「お子は?」

 「無事だ。」

 「良うございました。」


 柑子こうじはホッとした表情を浮かべて、飛び跳ねて喜んだ。尻尾を振り回して、嬉しそうにしている柑子こうじに伝えるのは忍びなかったが、唇を切った。

 「このまま、この足で幽世かくりよへ帰る。」

 柑子こうじはピタリと動きを止めて俺を見上げた。

 「トシ子にもよく礼を言っておいてくれ。」

 「はい。銀狐ぎんこ様。」

 柑子こうじは聞き分けの良いきつねだった。

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