第十五章 式神の秘密

  第十五章 式神しきがみ秘密ひみつ


 この翡翠邸ひすいてい安倍晴明あべのせいめいに仕えた式神しきがみ貴人たかととして陰陽師おんみょうじたちに一目置かれ、何人もの名だたる術師じゅつしたちに是非ぜひ自分の式神しきがみになってくれとわれながらもすべて断って来た。それもこれもすべてはもう一度あの方の式神しきがみになるため。誰かの式神しきがみになっていては清明せいめい様が生まれた時、お仕えできなくなってしまう。せっかくの巡り合わせを無駄になんてできない。


 それに僕には明かせない秘密がある。千年以上守って来た秘密だ。この秘密は輝明てるあき式神しきがみとなる時に明かすと決めている。あともう少しでこの秘密を打ち明けられる。


 昨日、輝明てるあき翡翠邸ひすいていにやって来た。今日も来るはずだったのだが、朝一で連絡が入った。今日は来られないと。もしかしたら、しばらく来られないかもしれないと。そう連絡をして来たのは小子しょうこだった。小子しょうこ自身も輝明てるあきの身に何が起きたのか分からず、混乱している様子だった。僕は事の次第しだいを確かめるため、すぐに輝明てるあき下宿先げしゅくさきである小倉山おぐらやまふもとの旅館に向かった。


 朝空を駆け抜け、小倉山おぐらやまが目前に迫って来た時、一匹のあやかしが姿を現した。橙色だいだいいろの毛を持ったきつねだった。珍しい毛色のきつねがいたものだと思った。

 「我が名は柑子こうじ。この小倉山おぐらやま守護者しゅごしゃ翡翠邸ひすいてい貴人たかと殿とお見受けするが、相違そういないか?」

 僕の真正面に立ちはだかり、きつね仰々ぎょうぎょうしく口を開いた。昔気質むかしかたぎというか、武士ぶしのような口調ぶりだと思った。おそらく銀狐ぎんこの眷属だろう。

 「相違そういない。我が名は貴人たかと。」

 調子を合わせてそう答えると、柑子こうじは百八十度方向転換した。

 「ついて参られよ。」

 柑子こうじはそう言って宙を駆け出した。僕はその後を追った。柑子こうじは何も言わなかったが輝明てるあきの元まで案内してくれるつもりだと分かった。

 よく見ると小倉山おぐらやま結界けっかいで覆われていた。柑子こうじ結界けっかいが張られていない小さな抜け道を通っていた。

 「この結果は銀狐ぎんこが?」

 柑子こうじに尋ねた。

 「はい。昨晩、鬼が出たもので。」

 一瞬鋭い視線をこちらに向けて柑子こうじが答えた。僕も鬼だから警戒しているという訳か。

 「鬼?一体どんな鬼が?」

 僕は続けて尋ねた。

 「得体の知れない恐ろしい鬼でございます。」

 柑子こうじが暗い口調で言った。説明になっていないが、底知れぬ冷たいものが伝わって来た。それ以上は尋ねなかった。

 朝風の中を駆け抜けて、僕は輝明てるあきの下にやって来た。

 「輝明てるあき!」

 我慢しきれずに玄関先で叫んだ。

 「静かにしろ。」

 玄関の戸を開けながら、銀狐ぎんこが言った。

 「輝明てるあきは!?」

 僕は銀狐ぎんこに尋ねた。

 「部屋にいる。まともに話せる状態ではない。」

 銀狐ぎんこも暗い口調で言った。事態はかなり悪いようだ。

 「鬼が出たと聞いたが。」

 「ああ。昨晩天乙てんおつという鬼が来た。」

 「それで?」

 「それ以上のことは分からない。何度も言うようだが、輝明てるあきはまともに話せる状態ではない。」

 銀狐ぎんこがこちらを見据えて言った。まるで覚悟があるのかと問うているようだった。

 「会わせてほしい。」

 「・・・輝明てるあきはお前にやったんだ。好きにしろ。」

 銀狐ぎんこが一瞬言うのを躊躇ためらった。約束を守るこのきつねが迷わずそう言えなかったのはおそらく小子しょうこ輝明てるあきについているからだ。母子を引き離すのが忍びなかったのだ。


 銀狐ぎんこに案内されて旅館の中に入ると女主人らしき者が心配そうにこちらを見た。確か佐藤トシ子という女だ。この女が翡翠邸ひすいていを訪ねて来た時に一度見かけたことがあった。目が合ったので、会釈をすると、トシ子も会釈し返した。

 銀狐ぎんこの後に続いて二階に上がると、輝明てるあきのすすり泣く声が聞こえた。一体どうしたというのだ。

 「俺が先に入る。」

 銀狐ぎんこがそう言って木製の扉をギイーと嫌な音を立てて開けた。

 「小子しょうこ貴人たかとが来た。」

 「いやあだあああ。誰も入れないで!」

 銀狐ぎんこが中にいる小子しょうこに声をかけたが、小子しょうこが返事をする前に輝明てるあきが叫んだ。銀狐ぎんこの背中越しに部屋の中を覗き込むと、輝明てるあき小子しょうこの腕の中で泣きじゃくっていた。その姿を見て愕然がくぜんとした。輝明てるあきの髪が真っ白になっていた。昨日見た時は黒くつやめいていた短い髪が、老人のような白髪になっていた。

 「一体何が・・・」

 そう言いながら銀狐ぎんこを押しのけて部屋に入ると、輝明てるあきがこちらを見てまた叫び出した。

 「出て行け!鬼!この部屋から出て行け!」

 自分に向けられた言葉のつぶてが痛かった。今は正常な状態ではない。それは分かっている。でも鬼と言われたのが、まるで化け物と、み嫌う存在として排除されたような気がして、胸が痛んだ。

 「輝明てるあき、一体何があったんですか?」

 そう言ってまた一歩近づくと輝明てるあき小子しょうこにしがみついた。

 「母さん!」

 まだ子供だ。そう思った。

 「銀狐ぎんこ小子しょうこを頼めますか?」

 僕は銀狐ぎんこに小声で囁いた。

 「ああ。」

 銀狐ぎんこは僕の考えを察して頷いた。

 「小子しょうこ貴人たかとに任せよう。こっちへおいで。」

 銀狐ぎんこ小子しょうこに言った。当然小子しょうこは従わなかった。守るようにしがみつく輝明てるあきを抱きしめたまま動かなかった。

 「小子しょうこ、聞き分けてくれ。」

 もう一度銀狐ぎんこが言ったが、小子しょうこは首を横に振った。銀狐ぎんこは深いため息をつくと、小子しょうこの腕を掴み、立ち上がらせ、無理やり輝明てるあきから引きはがした。輝明てるあきが『母さん!』と何度も呼び、泣き叫んだ。そんな輝明てるあきを僕が捕まえた。その間に銀狐ぎんこ小子しょうこを引きずるように部屋から連れ出した。


 輝明てるあきと二人きりになった。

 「輝明てるあき、大丈夫だよ。僕は天乙てんおつじゃない。」

 僕はそう言ったが、天乙てんおつの名を聞いただけで輝明てるあきおびえてふるえた。真っ白な髪が痛々しかった。


 「少し話をしましょうか。」

 僕は優しい声でそう言って輝明てるあきの隣に座った。輝明てるあきは膝を抱えて一層小さくなった。

 「天乙てんおつにこんな髪にされてしまったのですか?僕がついていればこんなことには・・・」

 そう言って輝明てるあきの頭に手を伸ばしたが、触れるのを止めた。

 「輝明てるあき、僕は式神しきがみとなってこれから輝明てるあきの一生を守る。今の輝明てるあきでは力の釣り合いがとれない。じゅつ調伏ちょうふくして僕を従えるのは無理だ。でも力勝負だけが調伏ちょうふくの方法ではないんだ。何でもいい。勝負をして僕に輝明てるあきが勝てばいい。だから勝負をしましょう。」

 僕は提案をした。

 「僕の名前を当ててみて。」

 そう言った。僕の本当の名前は千年守ってきた最大の秘密なんだよ。輝明。心の中でそう続けた。

 輝明てるあきはうずくまったまま何も言わなかった。

 「当てられたら輝明てるあきの勝ち。当てられなかったら負け。どう?あ、ヒントが必要かな。じゃあ、昔話を一つ。」

 何も言わない輝明てるあきに淡々と一人語りを始めた。

 「阿修羅王あしゅらおうを封じた日の話をしましょう。知っての通り、僕は安倍晴明あべのせいめい様にお仕えした式神しきがみだった。十二神将じゅうにしんしょうの一人に数えられ、いつもあの方のそばにいた。あの日も僕はずっと清明せいめい様のお傍にいた。」

 僕の意識は小さな部屋を離れ、阿修羅王あしゅらおうを封じたあの日に戻った。

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