第六章 小倉山の一夜

第六章 小倉山おぐらやまの一夜


 「銀狐ぎんこ様、銀狐ぎんこ様。」

 嬉しそうにフサフサの尻尾を振って柑子こうじが部屋にやって来た。

 「奥方様がいらっしゃいました。」

 柑子こうじは首尾よく小子しょうこを誘い出した。柑子こうじといい、この旅館の女主人といい、何故か楽しそうに手を貸してくれる。余程暇と見た。


 「では俺も人に化けないとな。」

 そう言いながらまた小子しょうこと初めて会った時と同じ姿になった。この姿で再び小子しょうこの前に現れたら、怪しむだろうか。それとも運命とでも思ってくれるだろうか。まあどちらでも良かった。人間の女を落とすのは簡単なことだ。

 食堂に行くと、まだ小子しょうこは来ていなかった。


 「小子しょうこさんはまだですよ。でももうすぐ。足音が聞こえましたから。」

 女主人が言った。物のもののけさながら耳聡かった。

 「そうか。」

 席について待っていると、小子しょうこが食堂に入って来た。

 

 「こんばんは。」

 キョロキョロしながら、申し訳なさそうにしていた。

 「ああ、小子しょうこさん、こっちこっち。」

 女主人が手招きして小子しょうこを俺の前の席に座らせた。

 ここに座るのか?と小子しょうこの目が女主人に問いかけていた。

 

 「さあさあ、どうぞ小子しょうこさん。たんと召し上がれ。」

 女主人は気づかない振りをして言った。

 気まずそうに小子しょうこがこちらを見た。しっかりと目が合った。

 「あっ」

 小子しょうこは気づいたようだ。

 

 「あの、新幹線でお会いしましたよね。」

 小子しょうこが話しかけて来た。自然と笑みがこぼれた。

 「お会いしましたね。確かネゴシエーターの・・・」

 「浅井小子あさいしょうこです。」

 「奇遇ですね。」

 「本当に。民俗学の学者さんでしたよね。お名前を伺っても宜しいですか?」

 「こう・・きだ。」

 「え?」

 「木田光きだこう。光でいいですよ。」

 俺としたことが、人間の名前を用意していなかった。

 「こうさんですね。私のことは好きに呼んで下さい。しばらくここに滞在する予定なんです。」

 「私もです。」

 「お仕事ですか?」

 「そんなところです。」

 「何をお調べに?」

 小子しょうこは妙に食いついて来た。

 「妖怪ようかいについて・・・。」

 これも答えを用意していなかった。迂闊なことを言ったか。

 「この辺りにきつね妖怪ようかいが出てくる伝承はありますか?」

 小子しょうこが尋ねた。仕事熱心なことだ。女主人のために働くつもりか。それなら俺も人肌脱いでやろう。

 「ありますよ。柑子こうじというきつね小倉山おぐらやまに住んでいて、時々人里に下りて来ては悪さをするのだとか。」

 「柑子こうじ・・・」

 小子しょうこは何を思い出すように呟いた。

 「小倉山おぐらやま中腹ちゅうふくにその柑子こうじを祭ったやしろがあるんですが、一緒に行ってみますか?」

 「え、いいんですか?」

 小子しょうこが目を見開いて言った。

 「もちろん。では夕食の後で行ってみましょう。」

 「日が暮れていますが・・・」

 小子しょうこが警戒して言った。

 「妖怪ようかいは夜出るものですから。」

 「・・・そうですね。」


 小子しょうこはしぶしぶ同意した。小倉山おぐらやまの霊気を感じ取って二の足を踏んでいるようだった。俺がいればどんなあやかしも手出しはできないというのに。それに日頃から柑子こうじが見回っているから邪気の強い妖怪ようかいの類は小倉山おぐらやまから追い出されていた。それが分からないとはやはり、小子しょうこは未熟な陰陽師おんみょうじだった。


 夕食の後、部屋に戻ると、柑子こうじが恨めしそうな顔で待っていた。

 「銀狐ぎんこ様、ひどいではないですか。陰陽師おんみょうじやしろの場所を教えてしまうなんて。この柑子こうじを奥方様に退治させるおつもりですか?」

 柑子こうじがうるさく鳴いた。

 「散歩がてらに見に行くだけだ。何もしない。」

 「やしろが壊されたら、どうするのです。」

 柑子こうじはしつこく抗議して来た。

 「心配いらないだろう。お前のやしろはあれ一つではないし、壊されたところでお前は消えたりしない。」

 「ああ、やっぱり銀狐ぎんこ様は社が壊されてもいいと思っていらっしゃる!」

 「いい加減、しつこいぞ。出て行け。」

 俺がそう言うと柑子こうじはしょんぼりと尻尾を垂れた。

 

 「ご命令とあらば出て行きますけれども、この旅館の女主人のトシ子が銀狐ぎんこ様にと変装用の小物を用意しておりますので、それだけお受け取り下さい。」

 そう言って柑子こうじが年代物の眼鏡を鼻で押して寄越した。

 「これは?」

 「トシ子の亭主が使っていたものだそうです。きつねは暗闇で目が光るので、この眼鏡で隠すようにと。」

 「気が利く女だな。」

 眼鏡をかけると、より人間らしく、民俗学者らしく見えた。

 「さて、行くか。お前はこの旅館でくつろいでいろ。」

 「はいはい。お邪魔は致しません。」

 柑子こうじはふてくされて、生意気にそう言いながら消えて行った。


 旅館の玄関行くと、小子しょうこが待っていた。山の霊気を浴びて凛と立つそのたたずまいが美しかった。

 「小子しょうこさん、お待たせしました。」

 そう言って駆け寄ると、小子しょうこはペコリとお辞儀をした。

 「こうさん、一緒に連れて行って下さってありがとうございます。何かあったら私が守りますから。」

 小子しょうこは真剣にそう言った。可笑しくて思わず吹き出してしまった。よわい五百年ごひゃくねんを超えるこの銀狐ぎんこに、新米陰陽師しんまいおんみょうじが守ってやるとは、実に笑える。

 「どうしたんですか、こうさん?」

 「いえ、面白い人だと思って。」

 「・・・」

 小子しょうこは首をかしげていた。

 「行きましょうか。」

 そう言って小倉山おぐらやま小子しょうこを誘った。


 山道は険しく、暗かった。月は出ていたが、木々に邪魔されて、光は届かなかった。唯一の明かりは手元の懐中電灯だけだった。だが、俺も小子しょうこも無数の木霊こだまの光を捉えていた。木霊こだまは木の精霊で、人や獣、火に化けることもできたが、今は光の玉に姿を変えていた。

 小子しょうこは時折上を見上げて、緑がかった柔らかな光を眺めていた。人間の目にも美しいと映るのだろう。いや、幽世かくりよを離れる時に俺の力を分けてやったから、俺と同じように見えているのか。


 「もうすぐ社ですよ。」

 そう言って息が切れ始めた小子しょうこの手を引いた。

 「こうさん、見えていますよね?」

 小子しょうこが俺の手を掴みながら言った。思わず手に力が入った。

 「やっぱり見えているんですね。」

 「・・・・」

 どう切り抜けるべきか。白を切るか、それとも・・・。

 「私も見えるんです。光さんもずっと上を見ていたから、そうかなって思ったんですけど。」

 「見えます。」

 同じ霊感のある人間の振りを選んだ。

 「同じですね。同じなのに、こうさんは学者なんてすごいです。私は普通の人の中では生きて行けませんでした。高校すらろくに通うこともできなかったんです。」

 小子しょうこは感心しながらも悲し気に言った。

 「私、新幹線でお会いした時、ネゴシエーターなんて言いましたけど、本当は陰陽師おんみょうじなんです。」

 知っていた。今更という感じだ。

 「ネゴシエーターではないと思っていましたよ。なかなか聞かない職業ですから。」

 「嘘が下手なんです。」

 そう言って小子は笑った。

 「何故、陰陽師おんみょうじになったんですか?」

 「他に道がなかったんです。普通の人には見えないものが見えるせいで、家族から気味悪がられて、逃げるように陰陽師おんみょうじを育てる尼寺に入ったんです。」

 「じゃあ、尼さんでもあるわけだ?」

 「いいえ。私はただの陰陽師おんみょうじです。尼寺のお世話になっていただけです。」

 人間との繋がりが希薄だと思った。


 話しながら歩き、柑子こうじやしろの前に辿り着いた時、風がざわついた。嫌な風だった。

 「小子しょうこ!」

 そう名前を呼んで、つむじ風から庇うように小子しょうこに覆い被さった。つむじ風は鼻をつんざくような瘴気しょうきはらんでいて、思わず息を止めた。二人の真上を通り過ぎると、嵐山あらしやまの方に過ぎ去った。


 「こうさん・・・」

 地面に押し倒された小子しょうこが起き上がろうとして、声をかけて来た。先に立ち上がって小子しょうこの手を引っ張った。

 「今のは何だったのでしょう?」

 小子しょうこ嵐山あらしやまの方角を見て言った。

 「さあ。」


 嵐山あらしやまには幽世かくりよへの入り口があった。おそらく、瘴気しょうこの渦はそこへ向かったのだろう。そしてその正体は鬼だ。しかもただの鬼ではない。人間への明確な殺意を持った夜叉姫やしゃひめだ。小倉山おぐらやまは俺の眷属けんぞくである柑子こうじの縄張りだから遠慮して、通り過ぎて行ったのだろうが、こんなに瘴気しょうきを撒き散らしてはなはだ無礼だ。


 「やしろを見たらすぐに旅館へ帰りましょう。」

 小子しょうこに言った。

 「はい。あ、少し待って下さい。ここに何かあるんです。」

 小子しょうこはそう言って自分が寝そべっていた地面を指した。そこには小さな骨壺こつつぼがあった。


 「陶器とうきみたいですね。」

 小子しょうこが言った。いや、これは骨壺こつつぼだ。眼識がんしきのない人間には分からないだろうが。

 確かに一見すると古びたただの陶器とうきだ。平安初期に造られた灰釉陶器きいゆうとうきで、植物の灰を使った釉薬ゆうやくほどこされ、美しい色合いと偶然によって生じた文様もんようが浮かび上がり、当時の職人たちが技術のすいを極めて造ったのが窺い知れる。


 俺がこれを骨壺こつつぼだと分かるのは何度も見たことがあるからだ。昔は高貴な平安貴族の骨が納められたこういう骨壺こつつぼがゴロゴロ土の中に埋まっていたものだった。おそらくこれもその一つ。風化して中身はないだろうが。


 「これは骨壺ですよ。」

 「え?」

 「民俗学者なんで分かるんです。」

 真実味のある嘘をついた。小子しょうこ骨壺こつつぼに目を落とした。

 「それならとむらってやらないと。」

 小子しょうこはそう言って、土の中から半分顔を出した骨壺こつつぼを掘り起こした。骨壺こつつぼを持ち帰るなんて縁起が悪い。止せば良いものを。

 「お待たせしました。早くやしろを調べて戻りましょう。」

 そう言って小子しょうこ骨壺こつつぼを大事そうにかばんに入れた。


 柑子こうじやしろの調査は何てことはなかった。所詮は新米陰陽師しんまいおんみょうじ柑子こうじを滅する力もなければ追い払う力もない。柑子こうじやしろを清め、供物を捧げ、手を合わせるだけだった。ネゴシエーターと名乗っていただけあって、やはり対話で解決するつもりなのだろう。まずは礼を尽くしたというところか。

 「そろそろ帰りましょう。」

 柑子は旅館でゴロゴロくつろいでいるというのに。小子しょうこ不憫ふびんになってそう声をかけた。

 「はい。」

 小子しょうこは素直に返事をした。


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