第五章 総本山翡翠邸

  第五章 総本山翡翠邸そうほんざんひすいてい


 

 伏見稲荷大社から真っ直ぐ翡翠邸に向かった。比丘尼様を頼るためだ。幸い翡翠邸に行くとすぐにお目通りがかなった。私は事の子細を話した。

 「光輝こうきと言っていました。銀狐ぎんことも呼ばれていると。」

 「銀狐ぎんこ・・・」

 私がそう伝えると比丘尼びくに様の顔が変わった。

 「小子しょうこ、それはただのあやかしではなさそうです。銀狐ぎんことはぎんきつねと書いて、それは美しい毛色をしているそうな。修行を積み霊験れいげんあらたかなきつねです。ただそうは言っても、所詮はあやかし。人間の常識は通用しません。善悪も人間のそれとは異なります。」

 比丘尼びくに様が言った。比丘尼びくに様は私が身を寄せる寺の尼で高校生の頃から世話になっていた。陰陽師おんみょうじの会議で翡翠邸ひすいていに出向いていると聞いて、私もここへ来た。

 「私はどうすれば・・・」

 「銀狐ぎんこが気まぐれでお前を幽世かくりよに連れ去っただけなら心配することはありません。けれどもし、お前に執着するようなことがあれば、何か策講じないと追い払えないでしょう。」

 そう比丘尼びくに様が言った。私が肩を落とすと、比丘尼びくに様が続けて言った。

 「志賀しが様に頼んでノーマンをお借りましょう。」

 「ノーマン?」

 志賀しが様のことは知っていた。人知を超えた領域に足を踏み入れた陰陽道人おんみょうどうじんで、到底人間では繰り出せない術を使い、今では俗世を捨てて陰陽師おんみょうじ集まりにもほとんど顔を出さないと聞いていた。

 「ノーマンは志賀しが様のお弟子さんですよ。来て頂くには少し時間が要ります。これからはノーマンと組んで仕事をなさい。柿山かきやまは無事だったのですが、今は休暇を取っていますし。ノーマンであれば銀狐ぎんこが再び現れても追い払ってくれるでしょう。まあ、お前と柿山かきやまを助けてくれていますし、銀狐ぎんこのことはそこまで警戒する必要はないのかもしれませんが。」

 比丘尼びくに様がそう言ったので私は少し安心した。


 「ところで、小子しょうこ、しばらく寺の外に住めるかしら?」

 「え?」

 「今日の会議は最近出没している『夜叉姫やしゃひめ』についてでした。寺の者を狙って襲い、拷問の末、惨い殺し方をするのです。夜叉姫やしゃひめに襲われて生き残った者はいません。一人前の陰陽師おんみょうじ以外は寺の外に出すことにしました。」


 一人前の陰陽師おんみょうじと認められていないことにショックを受けたが、反論する余地はなかった。確かに私は弱かった。幼いころからあやかしが見えたせいで家族から気味悪がられ、義務教育を終えると逃げるように比丘尼びくに様の元へ行ったが、陰陽師おんみょうじとしての芽は出なかった。

 「分かりました。部屋を探してみます。」

 そう言うしかなかった。


 「お話のところ、失礼いたします。」

 十二、三の子供が入って来た。翡翠邸ひすいていで育てられている陰陽師おんみょうじの卵だった。詰まるところエリート教育を施されている陰陽師おんみょうじだ。

 「比丘尼びくに様と浅井小子あさいしょうこ様にちょうど良い案件が入りましたので、お知らせに参りました。」

 子供がそう言った。

 「良い案件とは?」

 比丘尼びくに様が尋ねた。

 「依頼人は小倉山おぐらやまふもとで旅館を経営しておりまして、な台所の食材を荒らされるそうです。食材が宙に浮くなど人間の仕業とは思えないので、陰陽師おんみょうじを頼りたいと。仕事が終わるまで、旅館に滞在して構わないそうです。いかがでしょう?」

 子供が詳細を述べた。


 「いいではありませんか。小子しょうこ、お引き受けなさい。」

 比丘尼びくに様が手を叩いて喜んで言った。

 「それでは依頼人が表におりますので、このまま一緒にその旅館まで出向いて頂いて宜しいでしょうか?」

 子供が言った。この子供も私が食材を荒らす低級なあやかしに何日もかかると思っているのだろうか。悲しいという言葉では片づけられない複雑な思いが胸の中で巡った。

 「はい。」

 それでも選べる答えは一つだけだった。身寄りはないも同然。友達も恋人もいない。お金もない。そんな人間には選ぶ権利はないのだ。

 「それでは比丘尼びくに様、失礼致します。」

 「ええ。またね。小子。」

 比丘尼びくに様は優しく微笑んだ。


 子供と一緒に表まで行くと、門の外で一人の老女が待っていた。

 「あの方が依頼人です。」

 子供が言った。

 「不思議ですよね。」

 「え?」

 これまで無駄口を叩かなった子供が話しかけて来た。

 「見えませんか?あの依頼人の方は狐の加護があります。それなのにあやかし悪戯いたずらされるなんて。」

 確かに。私にも見えた。後光ごこうのような優しい霧が包んでいた。低級なあやかしは手出しできないはずだ。

 「もしかしたら、加護しているきつねが何か伝えようとして、悪戯いたずねしているのかもしれませんね。」

 子供が言った。私もそう思った。なんて言うのは大人げない。私は黙っておいた。

 「では行ってきますね。」

 子供に言った。子供は首から勾玉をかけていた。おそらく翡翠ひすいだろう。この翡翠邸ひすいていの者に相応しい。生意気なことになかなか趣味の良い子供だ。

 「はい。いってらっしゃいませ。」

 子供は笑顔で私を送り出した。


 「お待たせしました。浅井小子あさいしょうこと申します。」

 「まあ。初めまして。佐藤トシ子と申します。いらして下さったのですね。浅井さん。」

 佐藤トシ子は嬉しそうに目を細めた。

 「私の旅館は小倉山おぐらやまふもとにあるんです。」

 「聞きました。」

 「大したもてなしはできませんが、どうかゆっくりなさって下さい。」

 佐藤トシ子はそう言った。目的は悪戯いたずらをするあやかしをどうにかすることなのに。まるで旅行客であるかのような扱いだった。


 二人で電車を乗り継いで佐藤トシ子が経営する旅館に辿り着いた。

 「早速お夕飯にしましょうか?それともお風呂がいいですか?」

 「いえ、お構いなく。」

 これでは本当に旅行客になってしまう。

 「遠慮なさらないで下さい。今お客さんは一人しかいないので。」


 一人いるのか。と思った。旅館はかなり古びていた。玄関の鍵穴はびていたし、扉という扉はキィーと嫌な音を立てた。物のもののけ巣食すくっていると言われても不思議ではないたたずまいだった。


 「トシ子さん、本当にどうかお構いなく。お客さんを優先して下さい。」

 道中話をしていて、下の名前で呼ぶようになっていた。

 「では、小子さん、お夕飯は食堂でお客さんと一緒でも宜しいですか?」

 「もちろん私は構いませんが・・・。」

 客が嫌がるだろうと思った。

 「ではそうしましょう。六時に食堂に来て下さいね。」

 トシ子さんに押し切られるかたちで承諾した。


 夕食時間まで部屋で休めと言われて、言われた通りにした。夜中に台所を見張るつもりでいたし、ちょうど良かった。部屋は古びた旅館にしては綺麗だった。縁側までついていて、庭の木々や花々を見渡すことができた。一昔前まで間違いなく、ここは高級旅館だったのだろう。


 畳の上に寝転がってウトウトしていると気配がした。目を開けると、庭にきつねがいた。もちろん普通のきつねではなかった。禍々しい気配はしなかったが、あやかしには違いなかった。


 「我は柑子こうじと申す。そなたの名は?」

 「浅井小子あさいしょうこ。」

 身を起こして名乗った。このきつね悪戯いたずらを繰り返すきつねだろうか?そこまで低級には見えなかった。

 「この旅館の主に悪さをするのはお前か?」

 きつねに尋ねた。

 「そうだ。」

 柑子こうじは素直に認めた。

 「何故そんなことをする?」

 「・・・」

 柑子こうじは答えなかった。

 「浅井小子あさいしょうこ、そなたがここにいる間は何もせん。用があれば我が名を呼べ。」

 そう言って柑子こうじは姿を消した。意味不明だった。用があれば名を呼べなんて、まるできつねの小間使いだ。

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