第四章 狐の罠

第四章 きつねわな


 やはり小子しょうこ現世うつしよに帰りたがった。人間なら当然のことか。それでもこのまま幽世かくりよで一緒に暮らすと言ってくれることを期待していた。

 「プランBで行くしかないか。」

 伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃの片隅で小子しょうこを目で追いながら自分自身につぶやいた。

 小子しょうこはすぐさま移動した。行先の検討はついていた。昔から修行中の陰陽師おんみょうじたちは寺に集まって暮らしていた。おそらく小子しょうこもそうだろう。

 

 だが当ては外れた。小子しょうこは電車を乗り継ぎ化野あだしのに向かった。そこには陰陽師おんみょうじたちの総本山翡翠邸そうほんざんひすいていがあった。

 小子しょうこは一介の陰陽師おんみょうじ、しかもまだ半人前だったが、総本山そうほんざんである翡翠邸ひすいていには実力を備えた陰陽師おんみょうじがゴロゴロいた。いや、陰陽師だけではない。陰陽道人おんみょうどうじんと呼ばれる人知を超えた領域に足を踏み入れた人間たちも集っていた。

 さすがに小子を追って門をくぐる気にはなれなかった。何も気づかない小子しょうこは幾重にも結界が張られたヒノキ造りの門をくぐると、俺の視界から姿を消した。


 小一時間こいちじかんは戻って来ない。さて、どうするか。ここで待つのは名案と言い難い。俺はちょっとした罠をしかけに行くことにした。

 京都の小倉山おぐらやまにはぎつねが住んでいた。そいつに働いてもらおう。化野あだしのから獣道を通り、小倉山おぐらやまの山中に出ると、すぐにぎつねが挨拶をしに来た。


 「銀狐ぎんこ様、お久しゅうございます。」

 ぎつねはそう言って頭を垂れた。

 「久しぶりだな。柑子こうじ。」

 このぎつね柑橘系かんきつけいの果物に目がなく、柑子こうじばかり食べていたら、毛の色まで柑子色こうじいろに染まってしまった。


 「少しばかり頼まれてくれないか?」

 「何でしょう?銀狐ぎんこ様の頼みにとあらば喜んで。」

 柑子は飛び回って喜んだ。ぎつねとなってから日が浅いせいかまだきつね習性しゅうせいが抜けていなかった。


 「お前の社に手を合わせに来る女がいただろう?その女から陰陽師おんみょうじに依頼を出してほしい。そうだな。狐に悪戯いたずらされて困るとか、簡単な依頼がいい。」

 「はあ。」

 「浅井小子あさいしょうこという陰陽師おんみょうじを呼び出したい。小子しょうこを呼び出せなければ失敗だ。何もしなくていい。」

 「はあ。」

 「だがもし、小子しょうこが来たら、足止めしてくれ。長引かせて近くの宿に逗留とうりゅうさせたい。」

 「はあ。」

 「俺も小子しょうこのいる宿に逗留とうりゅうするつもりだ。」

 「はあ。」


 柑子こうじは返事をするものの、計画の意図を理解していないようだった。

 「その浅井小子あさいしょうことやらは一体何者なのです?」

 柑子こうじが尋ねた。

 「俺の妻だ。」

 聞くやいな柑子こうじは嬉しそうに尻尾を振った。

 「銀狐ぎんこ様が妻をめとられましたか。いやあ、めでたや。めでたや。」


 「誰にも邪魔されず、二人で過ごしたい。」

 「承知いたしました。銀狐ぎんこ様、この柑子こうじにお任せ下さい。社に来る女は信心深く、この柑子こうじを崇めております。柑子こうじの言うことなら何でも聞くでしょう。しかも都合が良いことに、この女は山のふもとで小さな旅館をやっております。銀狐ぎんこ様と奥方様は女の旅館でお過ごし下さいませ。」

 柑子こうじは生き生きとして言った。

 「そうか。頼んだぞ、柑子こうじ。」

 柑子こうじぎつねになってから五、六十年余りで野狐やこよりは賢いが、少し頭の回転が足りぬきつねと思っていたが、なかなか呑み込みが早いようだ。


 「しかしながら、銀狐ぎんこ様、お二人で過ごすなら、幽世かくりよのお屋敷の方が良いのでは?」

 柑子こうじが余計なことを尋ねて来た。

 

 「小子しょうこきつねの俺を恐れている。だから昔ながらの方法を使うことにした。」

 そこまで言ったらさすがに柑子こうじも分かったようだ。

 「人間に化けるのですね。銀狐ぎんこ様。」

 柑子こうじきつねらしい顔でニヤリと笑った。人間を化かすというのがきつねの本能を刺激したようだ。

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