第三章 光輝

第三章 光輝こうき


 目を覚ますと温かい布団の中にいた。かたわらには見知らぬ男がいた。じっとこちらを見下ろすその目は獣のように光っていた。男は人間ではなかった。そのことに気づくと、恐怖で声を出すこともできなかった。


 「気が付いたか。」

 男が言った。

 「お前のために居を整えたんだが、まだ手狭てぜまかな。」

 男が続けて言った。話が見えなかった。

 「どうした?まだ傷が痛むのか?全部治してやったはずだが。どれ、見せてみろ。」

 横たわる私に男が手を伸ばして来た。とっさに手を振り払った。

 

 「怖いか?」

 男が尋ねた。新米陰陽師しんまいおんみょうじの私でも分かった。この男はこれまで対峙たいじしたどんなあやかしよりも強い。まと妖気ようきが濃く、むせ返りそうだった。


 「俺は光輝こうき。皆、銀狐ぎんこと呼ぶが、お前はこの名で呼ぶといい。安心しろ。取って喰いやしない。小子、お前は俺の妻だ。」

 「は?」

 「ここは俺の根城。幽世にある。知っているだろう?人間の世界の裏にある、現世ではない妖の世界。それが幽世だ。私と一緒でなければここを出ることも帰ることもできない。現世に用がある時は言え。連れて行ってやろう。」

 光輝はそう言った。


 「私・・・私は戻らないと。怪我人が・・・」

 精一杯勇気を振り絞ってもそれだけしか話せなかった。

 「ああ、あの倒れていた男のことなら、心配いらぬ。お前の知り合いだろうと思って、助けてやった。」

 光輝はそう言って意味ありげに私を見た。


 「これでもう現世うつしよに心残りはなかろう?お前は陰陽師おんみょうじと言っても弱く、いずれあやかしえさとなるのが落ちだ。幽世かくりよでもここにいれば安全だ。外に行く時は俺が守ってやろう。」


 『ここで暮らす』の一択しかないような言い方だった。だが流れに呑まれて一度承諾してしまえば二度と帰れないことは分かっていた。彼らあやかしとの約束は絶対なのだ。ただの口約束だと、安易に結べば一環の終わり。破れると思ったら大間違いだ。妖は約束という繋がりを糸のように手繰たぐり寄せ、必ず私たち人間を見つけ、約束を果たすように迫って来る。


 「私は戻らないと・・・」

 震える声でもう一度そう言った。

 「そうか。ならば現世うつしよへ連れて行こう。」

 意外ほど光輝こうきはあっさり引いた。てっきり三日三晩この状態で膠着こうちゃくすると思っていたから拍子抜けした。


 「どこへ送ってやればいい?」

 光輝こうきが尋ねた。

 「京都へ。」

 「分かった。」

 光輝こうきは快くそう言った。もしかしたらあやかしなのではないかとさえ思った。


 「小子、すぐに連れて行ってやる。目をつぶれ。人間が俺たちの道を使うと酔うからな。」

 光輝こうきに言われるがまま目を閉じた。

 目、鼻、耳、口。光輝こうきの唇が触れた。

 「俺の力を分けてやる。」

 耳元で光輝こうきが囁いた。

 目を開けると、私は桜の花が咲き乱れる京都の伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る