第二章 銀狐

  第二章 銀狐ぎんこ


 目を覚ますと、目の前に女がいた。女は手を合わせて自分に向かって祈っていた。一目見て分かった。この女が自分の妻になるべき女だと。同じ孤独と静寂せいじゃくを愛する者だと。気が付けば女の後をつけていた。

 根城ねじろはおろか、里からも離れ、新幹線に乗っていた。咄嗟とっさに人の姿に変わって向かいの席に座って女を見つめた。

 女は居心地が悪そうに窓の外に視線を移した。ガラス越しに飛んでいるカラスを見ていた。


 「カチガラス。」

 「え?」

 俺が鳥の名をつぶやくと女は振り返った。

 「胴と羽の端が白い。この辺りにしか生息していない。」

 そう教えてやった。

 「カチガラス・・・カラスなんですね。すごく綺麗ですね。」

 女は微笑んだ。カチガラスは縁起の良い鳥だった。


 「旅行ですか?」

 「いえ、仕事です。」

 女は答えた。

 「そうでしたか。僕もです。」

 適当に話を合わせた。

 「お仕事は何を?」

 興味意を持ったのか、警戒してか、女が尋ねた。

 「民俗学者です。」

 昔もついた嘘だった。

 「大変そうなお仕事ですね。」

 「そういうあなたは?」

 「私は・・・ネゴシエーターです。」

 女は少し悩んでからそう言った。

 「ネゴシエーター?」


 意外過ぎる答えだった。お前は陰陽師おんみょうじだろう。口に出して言いたかった。かばんに刻まれた六芒星ろくぼうせいが何よりの証拠だ。

 「争いの仲裁や依頼人に代わって交渉したりするんです。」

 ああ、そういうことか。この女はまだ陰陽師おんみょうじとして未熟で、戦えず、あやましとの簡単な交渉事しかできないのだ。


 「これからどこへ?」

 「長野へ。次の仕事があるので。」

 長野か。久しく訪れていないな。物見遊山ものみゆさんついでにこの女の働きぶりを見てみるか。

 軽い気持ちで何の考えもなく、そのまま女の後をつけた。新幹線を降りる時、人に化けた自分の姿がガラスに映った。我ながらよく化けたものだ。確かこの顔は江戸時代の歌舞伎役者だったか。


 女は長野駅からバスを乗り継いで山深い民家に入った。依頼人と思しき女の家で仕事を済ませると、瘴気しょうきの立ち込める山に入った。空が曇り、日暮れが近いというのに。

 案の定、瘴気しょうきの正体は女の手に余るものだった。瘴気しょうきは山に蔓延はびこ野狐やこが放つもので、陰陽師おんみょうじが自分たちの縄張りに入って来たと気づくと怒り狂って女に襲いかかった。


 「退しりぞけ、野狐共やこども。」

 女が崩れ落ちたところで止めに入った。

 「何だお前は!」

 野狐は攻撃を止めて口を開いた。

 「分からないのか。」

 人間のけの皮をいで、元の姿を見せてやった。野狐やこたちは大人しくなった。


 「あなたがなぜこんなところに。銀狐ぎんこ様。」

 賢そうな野狐やこの一匹が尋ねた。

 「そこにいるのは俺の妻だ。」

 野狐たちは血だらけの女を一瞥いちべつした。

 「それは申し訳ないことをした。お連れ頂いて結構です。」


 野狐やこが言った。どうやらこいつがこの辺りを根城ねじろとする野狐やこたちのあるじらしい。それにしても仲間の数を増やし過ぎている。人里を荒らし回る訳だ。女を抱き抱えると、野狐やこたちに向き直った。そして妖術ようじゅつでかまいたちを引き起こし、その場にいた数十匹を切り裂いた。


 「何をする!」

 怒りに満ちた声で野狐やこが言った。

 「俺の妻に傷を負わせてタダで済むと思ったか?」

 「おのれ!同胞どうほうと思って目をつぶってやったというのに!」

 「お前如きに同胞どうほう呼ばわりされるとはな。俺はよわい五百ごひゃくを超える妖狐ようこ。格が違うわ。」

 そう言って襲いかかって来た野狐やこたちをまたかまいたちで切り裂き、蹴散けちらした。あっという間に野狐やこたちのむくろの山が出来上がった。

 「さて、帰るとするか。なあ、小子しょうこ。」

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