三、北方への情熱
榎本個人と箱館戦争について見てみると。負けるべくして始まった戦争と言える。これは決して榎本が、負けることを意図して戦った八百長戦争だったということではない。榎本と北辺開拓との関連について、負けてよかったという意味である。
榎本の蝦夷地開拓の志は幕府が健全に存在していたなら実現不可能なことであったろうし、幕府崩壊時に榎本が江戸でおとなしくしていたら、維新後に明治政府の開拓次官としての出仕は厳しかったであろう。
否、歴史に「もしも」は許されない。起こるべくして箱館戦争は起こり、榎本らは負けるべくして負けた。それがかえって榎本に、北辺開拓の初志を貫かせることになる。榎本個人にとっての箱館戦争の意義はここにある。
榎本が維新後に開拓使として精勤したことは、榎本がかつて新政府に出した嘆願書があながち方便ではなかったことを物語る。
運命とはうまくできたもので、銚子沖で艦隊を襲い、開陽を大破し、宮古湾海戦を失敗させたあの暴風雨は、榎本個人の長い人生にとってはまさしく神風だったのだ。
一見災いに見えるこれらのことは、人生万事塞翁が馬で、一切が良くなるための仕組みだった。榎本は、幸運に恵まれていたのだ。もちろん、藩閥政治の中での「痩せ我慢」もあっただろう。それを耐えて乗り越えて功績を残した榎本は、福沢などよりもよほど近代日本の
書けば書くほど理解のできなくなってくる人物もいる。しかし榎本は、書けば書くほど深みの出てくる人物である。
「共和国かぇ? よくもそんなこと考えたもんでぇ。デファクトぉ? ありゃ、芝居ってもんよ。それなのに、共和国とはべらぼうめい」
榎本の笑い声が聞こえる。
榎本の官職名の和泉守は、幕臣時代の彼の屋敷が神田和泉町にあったことからそう名乗ったという。このように、彼の人柄は実に洒落っ気が多かった。
最後に、榎本自身の短歌を紹介して、結びとしたい。
――隅田川 誰をあるじと言問はば 鍋焼きうどんおでん燗酒 武揚
(天涯白銀 おわり)
天涯白銀 John B. Rabitan @Rabitan
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