黒檀の花

小鈴なお 🎏

黒檀の花(こくたんのはな)

 あなたは好きですか、残暑。

 

 ああ、とうとつすぎましたか。

 そのままの意味です。

 こよみの上で秋になってなお残る暑さを指した言葉。

 夏休みでだらけていた体をし上げてくる、この熱気のことです。

 

 雨がったよくじつなんかもう最悪でして。

 かみがまとまらないとか言うレベルじゃなくて、そもそも空気がです。なまぐさくて息を続けるのもいや


 いえいえ、失礼しました。こういったネガティブな言動はわざわいのもと。ネットに投じたりした日には残暑しの方々からふくろだたきです。

 ファンのみなさま、ほんとうにごめんなさい。

 

 でもわたしきらいなんです。

 まじ残暑KILL。

 あれ、DIEかな。

 まあいいやなんでも。

 われてくだけてけてってしまえ、残暑。


 新田につた亜里奈ありなしようする16さいの生き物が私です。

 栄養の全てをたけにうばわれた、170cmにとどかんとするひんそうなマイボディ。よかったらノートのすみけいせんにかからないように細長いぼう人間をいてみて下さい。だいたいそんなかんじです。


 今年の4月に進学した女子校まで電車で40分、こうがいじゆうたくに位置する

 父なりの苦労を重ねて手に入れた木造3階建ての個人じゆうたく。いくばくか駅からはなれているのがなんてんですが、文句はありません。

 出っ張ったおなかやら言動やら、父にはゆうせんすべきかいぜんこうもくが多々あります。それに比べればさいなことです。良いところもないわけじゃないんですけどね。めるとめんどうくさくなるので言っていません。


 さて。

 すがすがしさとは真逆の不快な朝。

 それでも。いや、だからこそです。

 元気に登校するとしましょう。


 歩くのは好きです。

 電信柱の根元チェックが楽しい。

 地面と柱のさかいがいいんですよ。土がたまっていたり、アスファルトがれていたり。ちからきたせみが落ちていて、ちょこっと手を合わせてみたり。

 ねこうつむきながら道のすみっこを進みます。

 

 そうやってたくから駅へ向かう通学路の中間あたりだったでしょうか。

 はたと気がついて持ち物をかくにんします。

 ああ。

 やっぱり。

 数学の問題集を家に置いてきてしまいました。


 中学まで勉強にこまる経験なんてなかったんです。高校でこんなにむずかしくなるんだったら先に言っておいてしかった。夏休みがわって2学期となり、単に授業を聞いているだけでは立ちゆかなくなった私。復習なんて慣れないことをして、教材をかばんもどすのをわすれました。

 しょうがない取りに帰るか、ときびすを返します。


 で、ですよ。

 引き返そうとかえった時の私のおどろきといったらそりゃあもう。


 かいが大きくゆがみました。

 ひざがかくん、と折れ曲がったようなイメージでしょうか。

 まわりのへいも建物も電信柱もぐん、と上にびます。

 わきばらけられたようないたみが走り、いつしゆんきゆうが止まりました。


 ぷは。

 

 いやいや、風景がふくらむわけありません。

 さすがにこれはたちくらみの類い。

 いいんですそれは。良くないけど。


 それより私の前の女性。

 見覚えがある、どころではありません。

 

 私とすんぶんたがわない人間が正面にいます。

 顔も体つきも同じ。

 目の前に立っているのは「わたし」です。

 

 えーと。

 だれ


 私のそっくりさんは、私と目が合うとうれしそうにほほみました。

 今日の朝、鏡を見た私の姿すがたそのものです。


 かのじよは軽くしやくをしてからわきけ、私の後ろに移動しました。


 明らかに不自然ですが、世界に3人は似た人がいると言いますし。

 気にしてない。

 ほんとほんと。

 ほんっとに気にしてませんからっ!

 

 改めてわすものをとりにへ。あくまで何気ない日常の一コマです。たまたま。そうです、たまたま私の生き写しさんに会ったってだけ。いやー、めずらしいこともあるもんですね。


 んー。

 あー。

 やっぱり

 おかしい。

 私のそっくりさんがそっくりすぎるのはもちろんですが、それだけじゃなくて。


 だってへい高いし、建物おおきいし。

 道も広くなってるもん。


 こうなるともうみとめざるを得ません。

 私の体がちぢんだようです。

 どれぐらいでしょう、頭ひとつぶんといったところでしょうか。中学に上がる前ぐらいだったらこんなかな。

 

 もう一度立ち止まり、後ろをかえります。

 うわ、いるよ。

 私にそっくりのわたしが付いてきていました。


 どうもじようだんや夢だったりはしてくれなさそうなのでたいしよを考えなければなりません。


 よし。

 意を決してかのじよに問いただすぞ。

 ほんとだぞ。

 

 ……やっぱ無理。

 なんなんでしょう、この子。

 現実であることを受け入れるごとに体中の血の色が消えていきます。


 もはやせんたくなんてありません。

 三十六計げるにかず。

 

 私、おうちかえる。

 じゃあね、ばいばい。


 いきなり全速力で走る私。

 すぐに息が上がりますが、それでも止まるわけにはいきません。

 そんな必死の努力をあざ笑うかのように、先ほどの感覚がまたおそいます。


 自分の体がぎゅっとちぢみます。

 2回目ですからね。意識していたせいか、はっきり実感してしまいました。


 へいも電信柱も大きさは変わりません。

 変化したのは私です。


 家々をまたいで届く大通りの車の音、それをかき消すように鳴くせみの声。

 いやおうなく聞こえて来るノイズが私と現実をつないでしまいます。


 あきらめて後ろをかくにんする私。

 私と同じサイズのわたしが3人、一列にならんでこちらを見ていました。

 私と目が合うとはにかんでほおめます。

 世界中から集めたりすぐりのそっくりさん3人が、今ここにせいぞろいです。


 なんなのこれ。

 そんなわけないでしょ。

 

 その後はさらに死に物狂い。

 家に帰りたい。


 かえらずにダッシュ。

 酸素が足りない。

 しゅごー、しゅごー、とのどおくが油の切れたかんせんのようにうなります。

 

 たった今歩いてきたばかりの道のりが果てしなく遠い。

 げている間にも、がくん、がくんと私の体はちぢんでいきます。

 私がどんどん小さくなっていくせいで、一向に家にたどり着けません。

  

 後ろからついてくるわたしたちは、私がぶんれつしちゃったものなのでしょうか。

 私はこのまま最後に消えてしまうのか、もしくはミニマムサイズで生きていかなければならないのか。想像するだけで泣きそうです。

 

 うそです。

 もうとっくにごうきゆうの真っ最中です。

 

 どれぐらい走ったでしょう。


 へいははるか上空までそびち、見当も付かない高さ。

 地面ってこんなにでこぼこしてたんですか。岩だらけなんですけど。

 手足を使ってえながらすすみますが、家が近づかない。

 通りがかる人はちようきよだい

 もはや私とは別の生き物にしか見えません。

 

 はいには数え切れないほどのわたしが長い列を作っていました。


 何度も空気をはいんでから、かくを決めて私のにいるわたしに問います。

「あなたはだれ?」

 きっ、とにらみつけますが返事はなく、ただにこにことしているだけです。

「あなたは私なの?」

 答えてくれないようです。

 はあ。


 ……ようじようきようの中、のうみそがこうちよくしていきます。


 ようは私がぶんれつしてしまったわけですよね? 増えるとその分小さくなりますし。

 あれ、かんたんじゃないですか。


 解体されたものを元にもどしたいんだから、合体すればいいんですよ。

 つまり、この子たちを食べれば、私の体も元通りです。

 

 物はためし。

 実際にやってみましょう。


 私はわたしのかたに手を置いて、ほっぺたをかみます。

 意外にかたい。

 いつしようけんめいに歯を立てますがめません。

 

 わたしは私に食いつかれるまま、何のていこうもしません。

 いくばくかたって、かのじよは私の頭を両手で包みました。


 やさしいかんしよく

 私が持つ、わたしへのけんうすらいでいくのを感じます。

 

 そうですね。

 こういうやり方は良くなかった。

 かのじよきずつけたいわけじゃないんです。

 私はあごに入れていた力をゆるめ、ほおから口をはなします。


 ええと。

 どうしていいのか分からなくなりました。

 まめつぶみたいな大きさの私は再びへ向かいます。


 ひとやすみしたいところですがそうもいっていられません。

 雨にでもられたら大変です。

 いつこくも早く家にもどらなければ。


 幸い、私がもう十分に増えたせいなのか、体のすんぽうは変わらなくなりました。

 気分が少しだけ明るくなります。

 時間はかかりますが、さいしゆうてきには帰れるはず。


 かえると、わたしたちはやはり私がとおった後を付いてきています。

 れいに一列。

 

 ちょっと意地悪をしてみたくなりました。

 

 ぐるっと遠回り。

 どうかな。

 ふふ。

 わたしたちはだれひと近道することなく、私が歩いたあとをそのままたどります。

 ずるをする子なんていません。

 

 私はなんでわたしを食べようなどと思ってしまったのでしょう。

 気が動転していたとはいえ、あんまりです。

 ごめんね。


 立ち止まって、先ほどんでしまったわたしのほおでると、わたしも私の頭をなでてくれます。口に出さなくてもおもいが伝わる、幸せなコミュニケーション。


 ちゆう、何人かのわたしが自転車にかれたり、くつつぶされたりしてくなりました。まあわたしたち小さいですし、無理もないですね。


 さて、ようやくげんかんとうちやくです。

 

 げんかんとびらすきから入るつもりだったのですが、これが入れそうで入れない。それでも、勝手知ったる。2階まで上がればまどからもぐりこめるはずです。がいへきを登ってみましょう。


 そうなんですよ、なんだか数を増やしているうちに私の形も不確かになっていまして。体が3つにれて、その両側からあわせて6本の足が生えています。便利ですよ、これ。かべをよじ登るぐらいなんてことありません。

 

 ありっぽい、って言った方が分かりやすいでしょうか。ぽい、じゃないかな。もう顔かたちも別物な上に体も真っ黒なので、すでありなんでしょうね、今の私。

 の虫、あり

 かっこいいでしょう。

 これからはことづかいにも気をつけて、しゆにふさわしいありようを身につけねばなりませんね。


 まずは親に新しい私の姿すがたろうしてから旅立つのが子としての作法というものです。

 

 2階について、まどからリビングを見ると父が帰っていました。ソファにすわって、本を広げています。もうそんな時間でしたか。

 あみのほつれた部分から中に入り、さらにゆかにおりてしばらく歩き、父の前にとうちやく


 ちょっと確認。

 わたしたちついてきているかな。

 ちゃんといますね。

 ふふ、いい子たち。


 リビングのテーブルに登ってみますが父は私に気付いてくれません。どうしましょう。声は出せないのでびかけられませんし。

 

 こうなるとひまですね。

 落ちないように注意しながらテーブルのがいしゆうをぐるっとひとまわりしてみました。

 わたしたちは素直にその後ろに続きます。無機質なてんばんをわたしたちの体でつややかにふちることができました。てき

 

 楽しくなった私はテーブルの上を何度もまわります。

 少しずつ輪をせばめながら、ぐるぐると。

 最後に中心まで着くと、じようすきなくわたしたちでいっぱいになりました。


 らん下さい。

 がんぜんに整然とめられたむしたちがぞうけいを。

 もうこれだけでうっとりとしてしまいませんか。

 

 こくたんの小さな花びらが集まってつくられたたいりんの花は、ささやかな生命のいとなみにあわせてらぎ、照らされる光を返すはくてんが波を打ちます。

 私もそのひとひらとしてそんざいすることをほこりに思います。そんなかんがいにふけっていると、ようやく父がわたしたちに気付きました。

 

 部屋中の家具がふるえるような大声をあげてソファごと後ろにずり下がります。いくらなんでもおどろきすぎですよね。父の表情がややこわばっているのは気に掛かりますが、どうやら喜んでもらえたようです。


 さて、お願いです。

 少々申し上げづらいのですが、いくばくかえさあたえていただきたいのです。

 この姿すがたになってもない身。無事に食料を集められる自信なんてありません。訓練期間と申しましょうか。当面をまかなえる分で結構です。

 いえ、こういったままは決してかえしません。こうりつに自立してみせます。一度だけ。今回きり、あまえさせていただきたいのです。

 

 とはいえどう伝えればいいやら。

 じっと見つめます。

 父はしばらくわたしたちをながめた後、1階に下りていきました。

 

 うーん、そこはキッチンのれいぞうに向かってしかった。生物の種がちがうとコミュニケーションってむずかしい。必要なのは食べ物です、タベモノ。

 

 どうにか分かってもらう方法は、と考えあぐねていると、階下から父がもどしんどうが伝わってきました。

 

 ああ!

 手にはエメラルドグリーンのつるつるとしたプラスチックケース!

 

 やはり親子。

 願いは通じたようです。

 私のためにあつらえておいたえさが入っているのでしょう。

 じやつかん期待した量よりはひかえめですが、おいしそうなにおいが遠くはなれたここまではっきりと感じられます。少しおおげさすぎるぐらいの香り。

 食物は本来、いつたん巣まで運んでお料理してからいただくべきもの。そんなこともわすれて、直接むしゃぶりついてしまいたいぐらいわくてきです。

 父はそれをテーブルとまどのまんなか、わたしたちがつらなっているすぐとなりに置いてくれました。

 

 近くにいたわたしたちがいつせいむらがります。

 そのまわりのわたしたちもつぎつぎにみました。


 ほらやっぱり!

 細長く、あわい黄色のえさが運び出されていきます。

 見事に大きさの整ったごくじようの食材。


 あらあら、つまみ食いはいけませんよ。

 まんぷくで動けなくなってしまったのでしょうか。

 なんびきかのわたしが、引っくり返ったまま動かなくなっています。

 

 私が着いたときには箱の中は空っぽでした。

 おくれてしまったので仕方がないですね。

 

 ですが、十分です。

 これで当面は食べ物にこまりません。

 中身を失ってなお香り立つプラスチックケースにうしがみを引かれつつ、長年慣れ親しんだ実家をあとにします。

 巣の場所は知りませんが、わたしたちの歩く道にしたがえばだいじよう


 外に出ると、びっくりするぐらい大きく、丸いお月様が堂々と空にかんでいました。きちんとながめてあげたいのですが、ごめんなさいね。今は月より団子。父のせんべつを持ち帰るのが先です。


 一列に並んでへ帰る私たち。

 

 私は、なんで私とわたしたちをわざわざ区別していたのでしょう。

 なにか私がわたしたちを導く立場だとでもいうような、こころちがいをしていなかったでしょうか。どのわたしが私なのか。そんなこと、もういいのです。

 

 私はわたし、わたしは私。

 わたしたちはみんなおなじ。


 もうすぐ本格的に秋がやってきます。

 木々が実をつけはじめるだけでなく、てん寿じゆまつとうした虫たちのがいにも事欠きません。

 わたしたちにとっては、えさの心配のないらしい季節。

 

 あなたも今のところはきらいですよね、残暑。分かります。ですが、きっと好きになる日が来ますよ。わたしたちのように。


 もしどこかでお会いできましたら、そうですね。

 父にもらったごちそうをおすそいたしましょう。


(了)

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黒檀の花 小鈴なお 🎏 @kosuzu_nao

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