迷い込んだ朝の道

黒崎颯

「あれ?」

 いつも通りの朝、のはずだった。

 気持ちよく起きられるという、最近流行っているバンドの曲で起きて、ゆっくり朝食をとり、時間に余裕を持って登校する。

 これが俺の朝の日常。

 でも、今日はなぜか目覚ましが鳴らなかった。

 時計を見ると、まだ走れば朝礼に間に合う時間帯だった。

「食べている時間はさすがにないか……」

 朝食は諦めてさっさと身支度を済ます。

 顔を洗い、寝癖を整え歯を磨く。

「よし」

 寝坊したとしても最低限身だしなみはちゃんとする。

 寝癖頭で学校に行くことが許されるのは中学生までだ。

 そんなことを考えつつ制服に着替えて玄関に向かう。

「いってきます」

 たとえ家に人がいなくても長年してきた習慣というのはなかなか抜けないもので、一人暮らしを始めてから結構経つ今でも玄関に向かって言ってしまう。

 走ると言っても全力疾走するわけじゃない。精々小走りといったところだろうか。

 いつもより遅い時間のせいか、通い慣れた通学路も少し違って見える。

 道の左右に一軒家が連なる閑静な住宅街も、この時間は小中学生の通学路として大賑わいだ。

 大通りに出るために路地を出て右に曲がる。

 「ん?」

 急に襲ってきた違和感。

 そこには見慣れた青い看板のコンビニがあるはずだった。

 しかし、昨日までは確かに青かったはずのそれは、緑が目立つ看板に変わっていた。

 一日で他のコンビニに変わることなんてあるのだろうか。

 まあ、どちらも普段使うことのないコンビニだから問題はないだろう。

「やば、時間!」

 そんなことを考えているうちに時間はどんどん過ぎて少し焦らないといけない時間になってきた。

 さっきよりもペースを速めて走り始めるが、普段体育以外で運動しない高校生には少々きつい。

 それでもたまにはいい運動だと思って大通りを走る。

 真っ直ぐに走ることができればもう少し楽だったのだろうけど、生憎この時間帯は通勤通学の人ごみの合間を縫って走らないといけない。

 それが余計に神経を使って疲れるが、再び住宅街に入ればだいぶ走りやすくなるだろう。

 タイミングよく変わってくれた信号で対岸に渡り、少し道なりに進んでから左に曲がる。

 走っていると右手に小さな公園が見えてくる。

 放課後にはよくこの公園のブランコに座って友達と話し込んだりもする、よくお世話になっている公園だ。

 ふと気になって公園の中を見る。

 「滑り台がない?」

 いつも座っているブランコの目の前にあった滑り台がなくなっていた。

 この公園は小さいながらにそこそこ立派な滑り台が置いてあって、たくさんの子供が遊んでいた。

 その滑り台がきれいさっぱりなくなって、今はちっぽけなシーソーがまるで最初からそこにありました、とでも言うように置いてあった。

 なぜ、という疑問は残るものの、ここで足を止めるわけにはいかないのでまた走り始める。

 しばらく道なりに進むと見えてくるのは、少しボロい平屋の一軒家だ。

 この家は犬を何匹か飼っているらしく、門の前を通ろうとすると、一斉に犬たちが吠えてくることでこの辺ではちょっと有名な家だった。

 しかも、そのほとんど大型犬で見た目だけでもとても厳つい。

 そんなもんだから、入学したての頃はみんな、犬にビビりながらこの家の前を通っていた。

 それも毎日のこととなれば、日常のことになってみんな気にしなくなる。

 しかし、今日はどうだろうか。

 やはり、さっきから続く異変は、ここでも現れた。

 家の前を走り抜けようとしても、犬たちは全く吠えなかったのだ。

 それどころか、みんなきれいにお座りをして一列に並んでいた。

 日常としてあったことがなくなると、人は違和感と好奇心を覚えるもので、またしても足が止まりそうになってしまう。

 どうせ帰りもこの道を通ることになるのだからと、気になる気持ちを抑えて、先を急ぐ。

この先、もう一度大通りへ出てたら高校はすぐ目の前だ。

 目に入れば、それはもう着いたも同然。

 少しペースを速めて大通りに向かう道を曲がる。

 そうすると目の前に見えてくるのは、大型家電量販店、のはずだった。

「おいおい、どういうことだよ……」

 それまで絶対に遅刻するもんかと、強い気持ちで足を止めずに来た俺だったが、ここでいよいよ立ち止まってしまう。

 そこにあったのは、最初の大通りで見たもの全く同じの緑が目立つ看板のコンビニだった。

「俺、学校に向かって走ってきたよな?」

 そう思って振り返ると、そこは確かに高校へ通じている大通りに繋がる道だった。

「あれ? そういえば、誰も居ない……?」

 この通りには学校がいくつかあり、さっき通った時は確かに人で賑わっていたはずなのに、今は人が誰一人居ない。

 それどころか車やバイクもまったく走っていない。

「おーい! 誰か居ないか!」

 怖くなった俺は、思わず人を探して叫ぶ。

 しかしその声に応えるものはいない。

「誰も居ないのか……」

いったん冷静になって考えよう。

 ここがあのコンビニのある通りだとすると、さっきまで来た道をたどればもしかしたら高校にたどり着けるかもしれない。

 そう思った俺は、さっきまでの走ってきた疲れを忘れたように、もう一度走り出す。

 滑り台がシーソーに変わっていた公園まで来る。

 すると、今度はそこにジャングルジムが建っていた。

 もちろん、そこにシーソーがあった後など一切残っていなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 さすがに疲れて息を切らしながら、公園を見渡す。

 いつも座っているブランコや砂場など、滑り台のあったところ以外は何の変化もない。

 変わっているのは元々滑り台があったところだけ。

 ふと気になり、公園の時計に目をやる。

「止まっている。そうだ!」

 確認のために慌ててスマホを取り出す。

 そこに表示されているのは、いくら待っても進まず、同じ時間を表示するだけの時計だった。

「誰かに連絡はって圏外か……」

 まるで、この世界に自分一人取り残されたような感覚だ。

「とにかく進むしかないか」

 息も元に戻ってきたので先を急ぐ。

 次は犬の家だ。

 さっきはあの厳つい大型犬が、おとなしくお座りをしているだけだったが、今度はどうだろう。

 門の中をのぞいてみると、そこに居たのは可愛らしい、小型犬たちだった。

 しかもさっきとは打って変わって、キャンキャンと俺に向かって吠えてくる。

 確かに犬はうるさかったが、それでもこの世界にはまだ、俺以外にも生物が居るという安心感が生まれる。

 少しだけ心にゆとりを取り戻し、余裕ができたところで再び走り始める。

 そして、いよいよ高校のある通りへ繋がる道の手前まで来た。

 この角を曲がって家電量販店が見えればこちらの勝ちだ。

 走って息が上がっているからか、それともこの先の光景を見るのに緊張しているからか、心臓が激しく鼓動している。

 落ち着くために、深呼吸をする。

 目をつむって、ゆっくりと角を曲がる。

 少し進んでから目を開ける。

 そこにあったのは——。

「くそっ……」

 そこにあったのは、やはりあのコンビニだった。

 さっきまであったわずかな希望は、この瞬間にどこかへ行ってしまった。

 ずっと走り続けた疲れと、気持ちの落ち込みからしゃがみ込む。

「俺が何をしたって言うんだよ。どうして俺がこんな目に……。誰か助けてくれよ!」

 思わず叫んでしまうが、俺の声は誰も居ない通りに響くだけだった。

 しばらくその場でうずくまっていると、遠くからとても小さく足音が聞こえた気がした。

 立ち上がってよく耳を澄ます。

 今度ははっきりと足音が聞こえた。

 はやる気持ち抑えながら、もう一度音をよく聞く。

 すると、音は今来た道の方から聞こえてきていた。

「誰かそこに居るのか!?」

 音の方へ呼びかけるが返事はない。

「今そっちに行くから待っていてくれ!」

 相手に聞こえているかはわからないが、呼びかけると足音が止まったのでそこへ向かって走り出す。

 しかし、その音に近づくと、音の主は再び歩き出してしまう。

 それだけなら、こちらは走っているのだからすぐに追いつけるはずだった。

でも、その音はどんなに走っても近づくことはおろか、むしろ離れていってしまう。

「おい! ちょっと待ってくれよ!」

 さらに声を上げると、今度こそ音は再び止まり、近づいても動き出さなかった。

いよいよ追いついた。そう思った瞬間、今まで追ってきた方とは全く反対の方から足音が聞こえ始めた。

 元々音のしていたところへ行くが、もちろん誰も居ない。

 もう一度音のする方へ走り出す。

「少しでいいから、待ってくれ!」

 俺はこのとき、突然音が反対から聞こえてくるという違和感に気づくことができなかった。

 その音の主が最後の希望だったのだ。

 他の一切のことを気にする余裕などなかった。

 それから何度か音に近づくことができたが、やはりもうすぐというところで別の方へ音は移動してしまう。

 追いかけ始めてから数十分が経った頃、音に異変が起き始めた。

 いろんな方向から音が聞こえるようになったのだ。

「はは、何だよ、いっぱい居るじゃん」

 その音の違和感を覚えつつ無理やり自分を安心させていると、その音たちは俺の方へ向かって近づき始めた。

 それは確かに足音だったけど、そこに人の気配は一切なかった。

 そして、一つの音が、俺の後ろで立ち止まった。

 何かが居る。

 心臓の音がやけにうるさく聞こえる。

 緊張と恐怖心を押さえつけ、勢いよく振り返る。

 しかし、そこには何も居なかった。

 そのことに安堵して気を抜いていると、右肩に、何かが触れた。

「っ!」

 さっきとは違う。

 確かにそこに居る。

 どうするどうするどうする。

 肩に触れているものはいつまで経っても離れてくれない。

 息が荒くなり、体が震えていた。

覚悟を決める。

 そして、ゆっくりと振り返る。

 目の前に広がっていたのは、大きな赤だった。

 その赤は俺の方に、少しづつ近づいてきて……。

 俺の意識はそこで途絶えた。

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迷い込んだ朝の道 黒崎颯 @usagi-kurosaki

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