Episode:LAST 恋愛初心者の付き合いかた

 昨晩は、雨と言う名のばちが屋根をドラム代わりにしたような、破壊的な旋律を暴れ奏でていた。


 その翌朝は、昨晩の暴奏曲とは何だったのかと思うほどに晴れ渡る蒼空が広がっている。


 目覚まし時計が鳴る一歩手前に起きた蓮は、アラームをOFFにしてからカーテンをスライドさせた。

 燦々と煌めく朝陽が、遠慮なく彼とその部屋へ注ぎ込まれる。


「……いい天気だ」


 ついでに言えば、昨日は色々と安心できたおかげで身体の余計な力が抜けたのか、会心の快眠だった。


「よしっ……」


 十分に朝陽を浴びて、蓮は気合を入れて制服に着替える。




 いつもより少しだけ早く、美姫との待ち合わせ場所である駅前広場へ向かった。

 彼女ならば、きっと自分よりも早く来てるだろうと思い、自宅を出る時間を少しだけ早めたのだ。

 一分一秒だって惜しみたくもなる。

 昨晩から、この時を今か今かと待ち望んでいたから。


 勢い勇んで駅前広場に到着し――美姫の姿は無かった。


「(……さすがにちょっと早かったか?)」


 スマートフォンで時刻を確認してみれば、いつもの待ち合わせ時間のまだ10分前だった。

 少し待っていればすぐに来るだろう、と蓮はベンチに座る。

 いつもは自分が待たせる側なので、"待つ側"の立場に立つのは新鮮だ。


 ………………


 スマートフォンで時刻を確認、まだ一分しか経っていない。


 …………


 時刻を確認、まだ二分。


 ……


 まだ三分も過ぎていない。


「(緊張してるなぁ、俺……)」


 自覚している程度には、そわそわしている。


 しかし――いつもの時間が過ぎると、その緊張も不安に変わり始めていく。


「(もしかして、まだ体調が悪いとか……)」


 だとしても連絡のひとつくらいはしてくれそうなものだが、もしやスマートフォンも見れないほどに悪化したのでは……

 一瞬、美姫の自宅にまで迎えに行こうかと思いかけた蓮だが、そこはグッと堪えた。

 彼女は確かに、「明日は学園に行く。待ち合わせ場所にも行く」と言っていたのだ。

 ここでこの場を離れることは、彼女を疑うことになる。

 その代わりに、RINEのメッセージで『おはよう。いつもの駅前広場で待ってる』とだけ送る。

 ここで待てる時間はあまり長くない。

 どうか杞憂であってほしい、と思った、


 その時、蓮の眼の前に"二つの掌"が上から降って来た。


「?」


 二つの掌はそ〜〜〜〜〜っと近付き、包み込むように蓮の視界を覆った。


「だ、だーれ、だ……?」


 視界が暗くなり、背後から最愛の人の、躊躇いがちな声が聞こえる。


「えっと、朝霧さん?これって、いきなりバッとやるものであって、そーっとやっても意味無いんじゃないか?」


「え、で、でも勢いよくしたら目にぶつかりそうで怖いよ?」


「あぁ、なるほど。それもそうか……」


 蓮はそっと自分の視界を覆う手を取り、ベンチから立って振り返る。


 その声の通り、最愛の人――朝霧美姫がちょっと困ってそうな顔をしていた。


「お、おはよう、九重くん……」


「おはよう、朝霧さん。もう体調は大丈夫?」


「うん。おかげさまですっかり良くなったよ。……色々心配とか掛けさせて、ごめんね?」


 美姫の言う「色々な心配」とは、風邪のことについてだけではない。

 一昨日から昨日に掛けてのこと、全てに関してだ。


「それはもういいんだよ。朝霧さんが、俺のことを好きでいてくれてたって分かっただけで、十分だから」


 安心したのは俺もだから、と蓮は少し照れ臭そうに目線を逸らす。

 逸らした目線は、二人の通学路へ向けられる。


「さて、行こうか」


「うんっ」


 目隠ししていた手をそのままに、二人は繋がりながら歩み始める。


「あ……そうだ、九重くん」


「ん、どうした?」


「あの、ね、学園に着いたら、教室に行く前に寄ってほしいところがあるの。いいかな……?」


「寄ってほしいところ?」


 学園内の自販機コーナーにでも寄るつもりだろうか、と思った蓮は何の気無しに頷いた。




 学園に到着し、校舎には入らずにそのまま中庭の、目立たない場所へ。


「ここって……」


 蓮にとって中庭のこの場所は、忘れられない。


 何故なら、


「あのね、九重くん」


 この場所は――




「私、朝霧美姫は、あなたのことが好きです。告白するのは二回目になるけど……もう一度、私と付き合ってください」




 ――美姫に告白された場所だ。


 時間帯も、場所も、同じ。


 あの時と違うとすれば、制服が夏服であることと――美姫の姿勢が違った。

 二ヶ月前のそれは、強迫観念に任せたやけくそ気味な告白だった。


 今回のこれは、毅然として自分の想いを相手に伝えたいと言う、心構えから違う。


 彼女がここまで真剣に告白して来たのなら――蓮も真っ直ぐに向き直った。

 しかし、彼はここで「YES」とは答えなかった。


「……俺は、君から何かしてもらうのを待つばかりだった。君が悩んで苦しんでいる時も、話してくれるのを待つだけだった。でも、それだけじゃダメなんだって、分かったんだ」


 だから、と蓮はそっと両手を美姫の肩に乗せる。


「今度は、俺の番だ」


「……うん」


 この時、蓮は初めて思い知る。


 好意を告げると言うことは、こんなにも怖くて、何度も二の足を踏みそうになるのだと。


 踏みそうになる二の足を、生唾を飲み込むことで腹の底と共に落ち着ける。


 深呼吸をして、全神経を美姫へ伝える声に集中し――




「朝霧美姫さん。俺は、君のことが好きだ。君からだけじゃなくて、俺からも。俺と、付き合ってください」




 両想いの二人が互いに好意を告げた。

 その答えは、たった一つだけだ。


「……はい、喜んでっ」






 お互いに告白し、想いを再確認してから。

 ホームルームが始まるギリギリに教室に入って来た蓮と美姫は、流れるようにホームルームのために席に着き、そのまま一限目の授業に移った。


 一限目の授業が終わり、その休み時間。

 今かと今かと待っていた駿河、鞍馬、静香、雛菊の四人の前で、二人は立たされていた。


「えーっと、色々ありましたが、俺達は改めて、もう一度付き合うことになりました……」


「ま……ましたっ」


 まるで結婚報告のようなやり取り。

 それを聞いて、最初に駿河が喜んだ。


「おぉっ、ちゃんと寄りを戻せたんだな!おめでとう!」


 次に静香。


「あたしとヒナはもう知ってるようなもんだけど、おめでとー!」


 その後に雛菊。


「一時はどうなることかと思ったけど、ようやく一件落着ね。おめでとう、美姫」


 最後に鞍馬。


「当然と言えば当然の帰結だな。まぁ、おめでとう」


 そして、四人からの拍手が鳴らされる。

 他の生徒からは何事かと見られるものの、この六人が集まっているのを見ると「あぁ何かあったんだな」と生暖かい目で一瞥するだけだ。

 

「昨日、松前さんが機転を利かせてくれたおかげだよ。ありがとう」


 蓮は、静香に礼を言った。

 昨日に美姫の自宅に上がらせてもらい、彼女の本音を引き出してくれたのだ、もし静香が何も行動を起こしていなければ――最悪、二人は別れていたのかもしれないのだから。


「いやいや、お礼言われるようなことじゃないって。あたしはまぁ、あんなことにさせちゃった元凶だし、何とかしてあげたかっただけだから」


 謙遜するようにぱたぱたと手を振ってみせる静香。

 目線だけそっと鞍馬の方に向ければ、その鞍馬は何食わぬ顔をしている――ように見えたが、


 ――二人を見殺しにしていたらどうなるか分かってたよな――


 と、絶対零度にも匹敵するような冷酷な目をしていた。


「(良かった……美姫と九重くんが付き合え直せてほんっっっっっとに良かった……ッ!!)」


 二人への祝福の意味も込められてはいるが、それは多分に自己保身による安堵もあった。

 無論、それに気付いているのは静香だけで、鞍馬もその意志が伝わったと察するや否や、ポーカーフェイスで隠した。


「いやー、何にせよこっちも安心したぜ。朝霧さんの最初の告白が、不本意から始まったものだって知った時は、マジでビビったわ」


 今でも信じられねぇよ、と駿河は笑う。


「九重くんだけじゃなくて、芝山くんや有明くんにも心配かけてさせて、ごめんなさい……」


 そう言われては、美姫は申し訳無い気持ちになり、駿河と鞍馬にも頭を下げた。


「おぉぅっ?いや、謝んなって。確かにビビったけど、俺は最初から「蓮と朝霧さんの二人なら大丈夫だ」って信じてたからな!」


 だから気にすんな、と駿河は慌てて頭を上げさせる。


「と言うか、むしろ悪いのは蓮の方だな。本当のことを言われたぐらいで動揺し過ぎだ」


 鞍馬に至っては、蓮に非があるとさえ言い出す。


「だ、だってしょうがないだろ。いや、確かに俺のせいかもしれないけど、彼女がいきなり「本当はあなたに告白するつもりじゃなかった」って言って来るんだぞ?普通、混乱してもおかしくないって……」


 あの時は本当に頭が真っ白になったんたからな、と蓮は苦し紛れに言い返す。

 蓮の反論に正論を加えるのは雛菊。


「だからといって、「ごめんなさい」だけ言って、その後のことは何も言わない美姫にも非があると思うわね。結果的に、九重くんに誤解の種を植え付けただけじゃない」


「うぅっ……九重くんも静香ちゃんもヒナちゃんも芝山くんも有明くんも、みんなごめんなさい……」


 元より肩身の狭い立場でいながらさらに縮こまる美姫。

 ふと、静香が「ん?」と何かに気付いた。


「そう言えば美姫、せっかく九重くんと本当の恋人同士になれたのに、まだ名字で呼び合ってるの?」


「え?……うん?」


 それがどうかしたのかと小首を傾げる美姫。

 その事に、駿河も便乗する。


「おぉそうだっ。蓮、お前だっていつまで彼女のことを名字で呼んでんだ!恋人同士なら、普通は下の名前とか渾名で呼び合うもんだろ!?」


「え、いや、今までずっと「朝霧さん」で通してたから、その流れだし……」


 さすがに彼女の母親の前では下の名前を使ったが。


「いい機会じゃないか。これからはお互いに下の名前で呼び合うべきだな」


「そうね、いつまでも名字同士で呼ぶなんて、他人行儀だもの」


 冷静に後押ししてくる鞍馬と雛菊。


「と言うわけで美姫、さんハイッ」


 今が好機と言わんばかりに、静香は美姫に蓮の下の名前を呼ばせようと迫る。


「えぇぇぇぇぇっ、い、今じゃないと、ダメ……?」


 さすがに恥ずかしい、と美姫は慌てながら後退る。


「ほれ、蓮!お前も男なら腹ぁ据えて覚悟決めろ!彼女に恥ずかしい思いさせていいのか!?」


 駿河はさらに縮こまりつつある美姫を指しながら、蓮に美姫の下の名前を言わせようとする。


「ぬっ、ぐっ……わ、分かった」


 深呼吸をして、生唾を飲み込み、蓮は美姫に向き直る。




「…………………………み、"美姫"」




 十秒近い間を置いてから口にされたその名前を聞いて、


「……〜〜〜〜〜ッッッッッ!!」


 美姫はこれ以上にないほど顔を真っ赤にする。

 効果は抜群だ。


「じ、じゃぁ、次は……」


「わ、私の番、だよ、ね……」


 彼氏が率先してくれたのなら、それに続くかなくては。

 真っ赤になった顔のまま、美姫は蓮を上目遣いで見つめながら、




「…………………………れ、れれれ、"蓮"、くんっ」




 すごく、とても、かなり、の三段活用を用いても足りないほどの躊躇いと共に、それが放たれた。


「…………………………」


 蓮の顔もまた、これ以上にないほど真っ赤になる。

 効果は抜群だ。


 ……それは、このやり取りを見ている四人にも。


「うひぃ……顔が熱くなってきちゃった」


「やっべぇ、今時珍しいレベルの甘酸っぱさだわコレ……」


「ごめんなさい、私ちょっとコーヒー買ってきてもいいかしら……?」


「……何だアレか?君ら二人は、僕らを糖尿病か何かにしたいのか?」


 静香は両手で頬を押さえ、駿河は右手で口を隠し、雛菊は鞄から財布を取り出し、鞍馬は苦虫を噛み潰すどころか生きたまま丸呑みしたような顔をしている。


 予鈴のチャイムが鳴ったので、ここまでだ。






 昼休み。

 今日は購買で何か買う予定である蓮は、授業終了と同時に鞄から財布を引っ張り出す。

 あまりのんびりしていると、以前のようにお菓子しか残っていないと言うこともあるが、一秒でも早く美姫と一緒にいたいと言う気持ちの方が強い。


「あっ、九重く、じゃなくて、れ、蓮、くん」


「ん?どうしたんだ?」


「あのね、今日はれ、蓮くんの分のお弁当も作ってきたの」


「え、いいの?」


 それを聞いて、蓮は財布を鞄の中へ戻した。

 何も聞かされていなかったが、これは願ったり叶ったりだ。


「うんっ。中庭、行こっか」




 中庭のベンチの一角に場所を移した蓮と美姫。

 ふと、蓮は二ヶ月前――美姫と付き合い始める、その前日を思い出す。


「(まさか、またあの重箱で来るのか……?)」


 その日、美姫が"お詫び"として持って来た弁当は、一段だけとは言え重箱のそれだったのだ。

 食べ切れなくは無い量だったが、さすがに多いと感じたものだ。

 だが、美姫の手荷物は自分の鞄だけだ。あの重箱は別の紙袋で持ってくるほどだったので、どうやら今回はそうではないらしい。


「あのお詫びの時は、さすがに多過ぎたと思ったから……」


 そう言いながら、美姫は鞄から自分の分の小さな弁当箱と、もう一回り大きい二段の弁当箱を取り出した。


「うん、まさか重箱で来るとは思わなかったからなぁ……」


 最初は、美姫の弁当箱と同じくらいのサイズで来るのでは、と懸念を挙げていたくらいだ。

 美姫が蓮の分の弁当箱を開けると、その以前と同じようなオーソドックスな中身と、ふりかけのかけられた白米の二つに湧かれたものだ。


「……前のとあんまり代わり映えしなくて、ごめんね?」


「いや、前の弁当もまた食べてみたいって思ったし。と言うか、自分の彼女が弁当を作ってきてくれるって、凄い幸せだなって」


「お、大袈裟だよ」


 弁当箱に続いて箸も取り出したところで、二人で「いただきます」をとなえる。

 蓮が最初に箸をつけたのは、以前と同じく卵焼きから。


「……うん、やっぱり俺好みの味だ。美味しい」


「えへへ、ありがとう」


 正直な感想を言う蓮に、美姫も喜ぶ。


 しばらくはお互いの食を進めていくが、ふと美姫は自分の箸を止めた。


「……朝霧さ、じゃない、美姫、どうした?」


 ついいつものように名字で呼び掛けて、慌てて下の名前で呼び直す蓮。


「あのね、九重く……蓮くん、ひとつやってみたいことがあるの」


「やってみたいことって?」


 一体何をするのかと蓮も箸を止める。


「えっと、ね……」


 美姫は、自分の箸を蓮が食べている弁当のミートボールに伸ばすと、それを摘み、蓮の口の前に持ってくる。


「は、はい、あーん……」


「ぃえっ!?」


 これはつまり、恋人同士の行為のひとつ、『あーん』であり、美姫はこれがしたいらしい。


「ちょ、待って、これはいくらなんでも恥ずかしい……」


 いくら中庭とは言えここは学園内だ、どこで誰か見ているか分からない中でやると言うのは、かなり躊躇われる。


「あー……、うぅ……」


 すると、『あーん』をしてくれないのか、美姫の顔が泣きそうな表情になる。


「分かったっ、分かったからそんな捨てられた仔犬みたいな顔は勘弁っ」


 慌てて姿勢を正して、美姫と正面から向き合う蓮。


「あ、あー……」


 震えながらも口を開くと、美姫はその口内へミートボールへ運ぶ。

 蓮がそっと口を閉じると、美姫は箸を彼の口から引き抜く。


「……美味しい?」


「……う、ん」


『あーん』をする側はともかく、される側と言うのは恥ずかしい、あまりにも恥ずかし過ぎる。

 美味しいかどうかを訊かれても、それどころではない。

 ならば、と蓮は自分の箸を美姫の弁当箱へ伸ばし、同じようにミートボールを摘んだ。


「……じゃぁ、次は美姫の番だな」


「えぇっ!?や、わ、私はいいよ……」


「そうはいかない。自分だけされないと思ったら大間違いだからな」


 さぁさぁ、と蓮は美姫の口元にミートボールを近づけて行く。

 

「あうぅっ、……あ、ぁー……」


 ついに観念したか、美姫は口を開き、蓮からのミートボールを待つ。

 蓮も美姫の口へ箸を送り込み、口が閉じるのを確認してからそっと箸を引き抜く。


「……」


「…………」


「「………………」」


 自分達は公衆の面前で、一体何をやっているのか。

 ただ一つ分かることがあるとすれば、バカップルまっしぐらと言うことだろうか。




 ちなみに、これを陰から見守っていた静香、駿河、雛菊、鞍馬の四人はというと。


「きゃーっ、定番中の定番『あーん』キターッ!」


「ぬぐぉぉぉぉぉっ、も、もう無理だ、見てらんねぇ……」


「私、なんかもう食欲がないわ……」


「本当のお付き合いになったからって遠慮なしか、もはや目の毒だな……」


 蓮と美姫の預かり知らぬところで、何名かが食欲を失っていた。






 放課後。

 帰りのホームルームが終了するなり、美姫は蓮の席に飛んでくる。


「蓮くん、一緒に帰ろ?」


 ようやく下の名前で呼ぶのに慣れてきたようで、間を置くこともなく彼の名を呼ぶ。


「よし、行こうか」


 蓮も手早く手荷物を整えて席を立つ。


「あのね、今日は繁華街の方に遊びに行ってもいいかな?」


「ん、いいな。本当の恋人同士になってからの、初デートだな」


「うんうんっ、初デート初デートっ♪」


 嬉しそうに頷く美姫だが――




「ア"ャーーーーーッ!!」




 突如、駿河がモンスターのような奇怪な鳴き声を上げた。


「ど、どうした駿河、急に奇声なんか上げたりして」


「うっせーバカ!奇声を上げたくもなるわバカ!」


 駿河は蓮の席の前に立つと、ゴンッと握り拳を机に叩き付けた。


「勘違いすんなよ、俺は蓮と朝霧さんが幸せになってくれるならそれでいいんだ……」


 けどよぉ、と声が涙混じりの鼻声になる。


「朝から見せつけるようにイチャイチャしやがって!見せつけられる側の立場を考えたことがあるか!?ねぇよな!?」


「お、俺にどうしろと」


 確かに昼休みの『あーん』の応酬はさすがにやり過ぎたとは蓮も自覚しているが、提案してきたのは美姫の方からだ、断る理由がない。


「どうもするな!人目も憚らずイチャイチャしやがれ!うわーーーーーん!!」


 ついに耐えきれなくなったか、駿河は泣き喚きながら教室を飛び出して行ってしまった。

 それを見送っていた静香は「やれやれ」と溜息をつく。


「あーぁ、九重くんと美姫があんまりイチャイチャしてるから、芝山くんが拗ねちゃった」


「あ、あれを拗ねたって言うのか……」


 どうもするなとは言ったが、普段通りにしろと言うことだろうか。


「ま、芝山くんのアフターケアはヒナに任せて、若いお二人はどうぞごゆっくり?」


「待ちなさい静香、何で私が芝山くんのアフターケアをすることになってるの」


 さりげ無く言った静香だが、それは雛菊にもしっかり聞かれていた。


「今の芝山くんを慰めてあげられるのは、ヒナしかいない!」


「何を根拠に……」


 静香と雛菊があーだこーだと言い合っている隙に、鞍馬が蓮に口添えする。


「今の内に逃げたらどうだ?」


「そ、そうする……美姫、行こうか」


 鞍馬の言う通り、蓮は美姫を連れて教室を出た。




 これまでと同じように、一度駅前広場まで移動してから、その足で繁華街へ向かう。


 とは言え、何か特別なことをするわけではない。


 クレープを一緒に食べたり、ウィンドウショッピングに勤しんだり、少しだけゲームセンターで遊んだり……『普通のデート』をしたい、と美姫は言うのだ。

 蓮もそれに頷き、基本は彼女のしたいように付き合い、時たまに自分の要望を添えるのみ。

 放課後デートは、ほんの二時間少しだけだ。


 短い時間を、二人は出来るだけ堪能していく。


 そんな中で、蓮はこの二ヶ月間――美姫とのを思い出を想起していた。


「(当たり前だけど、本当に濃密な二ヶ月だった)」


 だがその二ヶ月間は、美姫の不本意から始まったものだった。

 初めてのデートも、ゴールデンウィークも、学園祭も、彼女は一体どんな気持ちを抱えていたのかは分からない。

 それでも、確信できることはある。


 蓮は美姫のことを好きになれたことと、美姫は蓮のことを好きになれたことだ。


 例え美姫が、本当は告白するつもりではなかったとしても、二人の間に生まれていた"両想い"と言う事実は変わらない。


 それだけは、誰にも否定できない。




 時刻は18時頃だが、夏が近い今の空はまだ少し明るい。


「……そろそろ帰る時間だな」


 スマートフォンで時刻を確認し、蓮はデートの終わりが近いことを告げる。


「あ、もうそんな時間……?」


 残念、と美姫は少し不満げに眉の端を落とす。


「今日で終わりじゃない、また明日も明々後日も、来週も……これからいつまでだってある。……俺と美姫は、それが許されていい関係になったんだからさ」


「蓮くん……うんっ」


 それは暗に「これからずっと二人で歩いていける」と告げるようなものだったが、蓮はそこまで考えて言ったわけでもなく、美姫もその意味には気づいていない。

 ……本当の意味で付き合い始めた二人には、まだ知る必要が無いのかもしれないが。


「家まで送るよ。……送っても、いいんだよな?」


「うん、お願いします」




 お互いに手を繋ぎ合い、何気ない会話を続けていたが、その幸せな時間も、今日はここまで。

 ここはもう、美姫の自宅の目の前だ。


「……き、今日は色々あったね」


「色々あったなぁ……」


 朝にいきなり美姫に告白されたので蓮も告白して、改めて付き合うことになり、皆の前で結婚報告のような真似をさせられ、昼休みは『あーん』のしあいっこをし、放課後も忙しなくデートへ。


 本当に今日だけで色々あった。

 だからこそ、一時の別れさえも名残惜しい。名残惜し過ぎる。


「……じゃぁ、また明日ね」


「うん……また、明日」


 繋いでいた手が離れ、美姫が蓮に背を向けて、自宅の鍵を取り出そうとして――


「……美姫っ!」


「ひゃっ……!?」


 衝動に突き動かされるがままに、蓮は美姫を後ろから抱きしめた。


「れ、蓮くん……?」


「……その、ごめん。なんか、急に別れたくなくなった」


 そう思えば思うほどに、無意識の内に蓮は抱きしめる腕の力を強めていく。

 閑静な住宅街どころか、彼女の自宅の目の前だ、誰かが見ていないとも限らない。


「れ、蓮くん、ちょっと力、緩めて」


「っ……ごめん、強くし過ぎた」


 美姫の声に、腕の力を緩める蓮。


「違うの、蓮くんの方を向きたかったの。……私も、別れたくないから」


 緩めた力の中で、美姫は蓮と互いに向き合う。


「美姫……」


 そっと、蓮は彼女の頬に触れる。

 僅か30cmにも満たない、ゼロ距離の中に二人はいる。

 蓮は、頬に触れていた手を美姫の背中に回し、ゆっくりと引き寄せていく。


「蓮、くん……」


 すると、蓮が何を望んでいるのかを察したのか、美姫は上目遣いでじっと見つめてくる。

 自分だけを見つめてくれるあどけない表情と、鼻先に触れる甘い吐息を前に、蓮の中の選択肢がたった一つに絞られた。


 初めてちゃんと手を繋いだ時のように、たった数cmをゆっくりと、ゆっくりと縮めていき――


「……んっ、……っ……」


 お互いの唇が触れ合う――キス。

 口の先同士が掠めるような、キスと呼ぶにはあまりに稚拙な触れ合い。


 けれど二人にとっては、紛れもない"ファーストキス"だ。


 呼吸すらも止まるほどの時間は、限りなく永久に近く、限りなく一瞬だった。


「ぷはっ……、しちゃったね、キス……」


「……してしまった」


 互いの唇が離れる。

 美姫は、ファーストキスの余韻を確かめるように自分の口元に右手の指を添える。

 その仕草が艶やかで、蓮はもう一度キスしようとするが、


 美姫の左手がそっと蓮の口を塞ぐ。


「こ、これ以上は、ダメッ……本当に帰れなくなっちゃうから……」


「そ、そう、だな……うん」


 蓮自身、ここでもう一度キスしてしまったら、そこから先がどうなったか分からないところもあった。


 蓮は美姫を抱きしめている腕を離した。


「じゃぁ、今度こそ、また明日」


「うん……うんっ」


 今度こそ、美姫は自宅の鍵を取り出して、もう一度蓮の方に振り返って、微笑みを返してくれた。

 彼女がドアの向こう側へ見えなくなるのを見送ってから、蓮は踵を返した。


 また明日がある。


 自分のその言葉を胸に、自宅への岐路へ足を向ける。


 今日の夕陽は、清々しいほどに眩しかった。






 それから、また数日後。

 今日は6月17日――美姫の誕生日だ。


 朝のいつもの駅前広場で登校中にプレゼントを渡したい、と言う蓮の意見によって、二人とも今日はいつもより少し早めの時間で待ち合わせていた。


 そんなわけで、いつもの時間帯の15分よりも早く駅前広場に着いた蓮だが――


「まぁ、何となく想像はついてたけど」


 案の定と言うべきなのか、蓮よりも先に美姫がベンチに座ってソワソワしながら待ってくれていた。


「あっ、蓮くん。おはよう」


「おはよう美姫。……まさかと思うけど、また30分くらい前から待ってたり?」


 二人の初めてのデートの日、美姫は本来の待ち合わせ時間の30分も前から待っていたのだ。

 いつもよりも少し早く待ち合わせ、と言う日はほぼ確実に美姫の方が早く来ている。

 もしや今回も30分も前から待ってくれていたのでは、と冗談混じりに言った蓮だが、


「うんっ、昨日の夜からわくわくしてて、つい早起きし過ぎちゃったの」


 まさしくその通りだった。


「……なんかごめん、俺ももっと早く行動するべきだな」


「うぅん、いいの。私、わくわくしながら待つ時間って好きだから」


 学園行こっか、と美姫はベンチから立とうとするが、「ちょっと待った」と蓮に止められる。


「行く前に……」


 鞄に手を伸ばし、その中から小綺麗な小さな箱を取り出してみせ、それを美姫にそっと差し出す。


「誕生日おめでとう、美姫」


「うんっ、ありがとう蓮くん」


 差し出された箱を受け取る美姫。


「ここで開けてもいい?」


「そのために今日は時間をずらしたから、大丈夫だ」


「えっへへ……じゃぁ、開けるね」


 彼からの許可を得て、美姫は箱の蓋を開ける。


 箱の中身は、箱と同じく小綺麗なハート型のネックレス。


「わぁっ、ネックレスッ」


 顔を綻ばせる美姫だが、すぐに蓮の顔に視線を戻した。


「でも待って蓮くん、ネックレスって2000円くらいじゃ買えないよね?もしかして、私のために無理してくれたの……?」


 申し訳無さからみるみる顔が曇っていく美姫だが、対する蓮は「あぁ、大丈夫」と頷いてみせた。


「実はさ……それ、俺の手作りなんだ」


「て、手作り……?」


 どういう事かと美姫は小首を傾げる。


「駿河とか鞍馬、松前さん、早咲さんにも相談に乗ってもらったりして、プレゼントは何を買おうかってずっと迷ってたんだ。こう言うのは、アクセサリーが定番って鞍馬は言ってたんだけど、美姫の性格を考えるとあんまり高いのはまずいかなつて」


「あー、うん……それは自分でも分かるかも」


 絶対同じだけのお返しとか考えると思う、と苦笑する美姫。


「で、至った結論が「だったら自分で作ったらいいんじゃないか」って。そのネックレスのチェーンとかチャーム、手芸用品店で買った物を組み合わせたんだ。出来るだけ上質な素材を選んだけど価格もそんなに高くなかったし。……小学生の工作みたいなプレゼントだけど、受け取ってくれると嬉しい」


「うんっ、うんっ。お店で売ってるもっと高いネックレスより、ずっと嬉しい……ありがとう、蓮くん」


 端から見るだけなら、彼の言う通りの小学生の工作のようなネックレスだが、美姫にとっては千金に勝る宝物だ。

 自分の大切な恋人が、自分のことを考えて、自分のことを想って作ってくれたのだから。


 嬉しいに決まっている。嬉しくないわけがない。


「今すぐ付けたいけど、学園で付けてたら没収されちゃうから、今は我慢っ……」


 箱の蓋を閉じて、ぎゅっと胸に抱いてから、美姫は自分の鞄の中にそれを納める。

 鞄の位置を元に戻すのを確かめてから、蓮は今度は自分の右手を差し出す。


「さて、そろそろ学園に行かないとな」


「うんっ」


 美姫も迷いなく、差し出された右手に左手を近付けて、互いに繋ぎ合う。


「ねぇ、蓮くん」


「ん?」


 すぐ隣にいる美姫に名前を呼ばれて、蓮は何気無く反応する。


「大好き、だよ」


 ちよっとだけ躊躇いがちに告げられた、彼女からの好意。

 顔が熱を帯びて、胸の奥が揺さぶられるのを感じつつ、一拍を置いてから、蓮も好意を返す。


「俺も、美姫が大好きだ」


 互いの好意を確かめ合って、手と手の繋がりを強くする。


 二人は恋愛を始めたばかりで、正しい"付き合いかた"なんてものは知らない。

 まだまだこれから何度だって試行錯誤を繰り返し、その中で何度だって喧嘩をするかもしれないし、何度だって仲直りをするかもしれない。

 緊張もするし、不安もある。


 それでも、"恋愛初心者"の二人は歩き出す。


 彼と彼女だけの、二人だけの、未来へ向けて―――――。






 END

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恋愛初心者の付き合いかた こすもすさんど @1349

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