悪魔召喚

マイタケ

悪魔召喚

「俺、悪魔召喚したことあるんだ」


 シゲがいきなりそう言い出したのを今でも覚えている。当時中学生だった僕たちには、そういうシゲの虚言癖が許せなかった。特に四人グループのリーダー格だったマサシはその傾向が強かった。シゲが悪魔の話をしたその時も、マサシはここぞとばかりにシゲを嘘つき呼ばわりし、ひどい言葉を投げかけた。当時、マサシの腰巾着のようだったハマチも、それに倣ってシゲをひどく馬鹿にした。僕はいつもそんな光景を見て、どっちつかずの態度で曖昧に笑っていた。この時も僕はそうしていたと思う。


 だがその時ばかりは、シゲの本気度が異常だった。俺は本当に悪魔を召喚したことがある。父さんの書斎で見つけた本に、やり方が書いてあった。俺はこの目で悪魔を見たし、会話もしたし、実際に腕のあたりを触られもした。


「そんなに言うなら証明してみろよ」


 マサシが半ギレになりながらシゲを問い詰めた。ハマチもそれに追従した。普段ならそこらでシゲが言葉を濁し始めて、マサシがほらみろと勝ち誇るという結果に終わる。今思うと、僕たち四人の関係はそんな風に歪だった。まるでシゲをそうして攻撃することで四人の関係が保たれているみたいだった。例えば僕は、マサシはともかくハマチと二人きりになると、いつも何を話せばいいのか困っていた。だが今回のシゲは、そんないつもの様子とはまたどこか違った。


「だったら今度の土曜日、四人で悪魔召喚しよう」


 シゲがあまりに自信満々にそんなことを言いだしたので、シゲ以外の三人の間に、薄気味悪い空気が漂ったのを覚えている。


 僕たちは土曜日の深夜、学校の屋上に侵入した。僕が持ってきた電気ランプの明かりを頼りに、シゲが巨大な模造紙を床に広げた。そこには油性ペンで、仰々しい魔方陣が描かれていた。さらにシゲは、その魔方陣の周囲に規則正しく蝋燭を配置し、チャッカマンで火をつけて回った。その雰囲気に圧倒されて、じきに皆、無言になった。マサシは胡坐をかいたままそんなシゲの様子をじっと見つめ、ハマチは撮影のために持ってきたビデオカメラを両手で抱え、どこか不安そうにしていた。


 僕たちは魔法陣の四隅に座り、シゲが呪文を唱え始めた。それが、当時の僕たちには難しい言葉ばかりの妙にもっともらしい文言だったせいか、気づくと僕は、もしかするともしかするかもしれないという、期待と恐怖の入り混じった感情を抱いていた。マサシやハマチも雰囲気に呑まれ、いつものように茶化すことができないようだった。そうしてシゲはかれこれ五分ほどその文言を繰り返していたが、突然それをぱたりとやめた。


「どうしたんだよ」マサシが言った。


「もしかすると今日は出てくるのにちょっと時間がかかるのかもしれない。悪魔にも機嫌とかいろいろな事情があるから」


 シゲは魔法陣をじっと見つめながら、無表情でそんなことを言った。

結局その態度でマサシの怒りに火が付き、いつもの通りになった。マサシはシゲに、嘘つき、イカレ、調子に乗るな、などといった暴言を投げかけた。ハマチも水を得た魚のようにシゲに冷たい言葉をぶつけた。だが二人とも内心は、シゲの話が嘘だと分かって安心していたのかもしれない。ここぞとばかりシゲに高圧的な態度を振りかざしたのも、あるいは先程までの不安を隠すためだったのではないか。


「ハマチ、ヤマ、帰るぞ」


 マサシがハマチと僕の名を呼び、そのままシゲを置いて帰ろうとした。僕は咄嗟にシゲの顔を見て、そのあとマサシに言った。


「先行っててくれよ。懐中電灯とランプ両方持ってったら、シゲ帰れないし。俺このロウソクとか片付けてから行くよ」

 マサシは若干不満そうにしたが、結局、「勝手にしろ」と言って、ハマチと一緒に帰っていった。こうしてシゲとマサシたちとの仲を取り持つのはいつも僕の役目だった。ひとつ溜息をついて僕はシゲの近くに座った。


「なんでこんな嘘ついたんだ?」


 僕は単刀直入に、屋上で二人になったシゲに聞いた。当時、僕はみんなに優しいやつだと思われていたし、自分でもそう振舞うべきだと思っていた。だからいつもこっぴどくやられたシゲに話しかけ、理解を示してやるのは僕だった。シゲは時折僕に、マサシやハマチには言わないことを話したし、僕自身それに悪い気はしていなかった。だからあの時の僕は、今回もそういう風になるだろうと単純に思っていた。


「嘘じゃない。本当に見たんだ」


 だがシゲは頑なに主張を曲げなかった。僕はその態度に怒りを覚えた。こっちがわざわざ救いの手を差し伸べているのにそれをはねのけるなんて不当だと思ったのだ。我ながらひどい考えだと思う。今思うとあの頃の僕も、普段から自分の満足のために、シゲの理解者のふりをしていただけに過ぎなかったのかもしれない。シゲが自分の思い通りにならなかったからといって怒りを覚えるのは、結局シゲを下に見ていたことの証拠ではないか。


「ああ、そうか。なら本当に見たんだろうな」


 僕はあてつけがましくそう言って立ち上がり、ズボンに着いた汚れを払った。シゲが悲しそうな顔で僕を見つめた。一瞬、僕の心は痛んだが、知るか、嘘をつく方が悪いんだ、と思いなおして気づかないふりをした。


「ヤマも先帰ってていいよ。俺、ここに残って悪魔召喚するからさ。悪魔出てきたらケータイで写真撮ってみんなに見せるよ」


 シゲは体育座りのまま、ポケットからガラケーを取り出し、僕に見せた。僕はそれに適当な返事をして、シゲをその場に残したまま立ち去ってしまった。


 翌日の朝、一晩経つと、さすがに昨日はひどいことをしたような気がしてきて、僕はシゲのケータイに電話をかけた。だがいつもはすぐに出るシゲが、まったく電話に出ない。そのあとマサシやハマチと公園に集まって話をしたが、みんなシゲとは連絡がつかなかった。シゲの家に行ってインターホンを押しても、一家全員留守らしく応答はない。結局、あのあとあいつ魔法陣ちゃんと片づけたのかな、という話になり、三人でもう一度学校の屋上まで様子を見に行くことになった。


 屋上に行くと、案の定、魔法陣もロウソクもそのままで残っていた。このまま放置していたら先生に怒られていたに違いない。その点からいえば確認に来て正解だったのだが、問題はそこにシゲがいないことだった。


「なあ、これシゲの靴じゃねぇの」


 ハマチが屋上の隅に置いてあるシゲの靴を発見した。シゲの靴は屋上の柵に向かい、二足きちんと並んだ状態でそこに置かれていた。僕たち三人はその光景を見て、しばらく何も言えず黙ったまま、ただシゲが普段から履いていたその靴をじっと見ていた。


「なんか下に挟まってる」


 そのうちマサシがそう呟いた。確かに二足の靴の下には、何かの紙切れが挟まっているのだった。マサシが靴をどかして紙切れを拾い、三人に見えるようにした。


『悪魔にそそのかされました』


 そこには何のことだか分からない、そんな文言が書かれていた。


 帰りしなに僕は、シゲの靴が置かれていた柵の真下の地面を覗き込んでみたが、もちろんそこには普段通りのグラウンドが広がっているだけで、何の異常もなかった。とにかく僕たちは急いで魔法陣やロウソクを全部片づけ、その日はそれで解散になった。


 シゲが転校したと聞いたのは、その翌日だった。なんでも昨日のうちに引っ越しを済ませ、その日中にこの町から出て行ってしまったらしい。嘘ならいくらでもついていたくせに、そんなに重大なことは僕たちに何も言わなかったのだ。ともかく少なくとも当時の僕は、引っ越しというからにはシゲが死んだり、この世からいなくなったりはしていないということを思って安堵した。悪魔召喚の日の夜、シゲに対して取った自分の態度に、なんとなく責任を感じていたからだ。


結局シゲは最後まで嘘つきだったのだろうか。そんなことを今でもたまに考える。僕のシゲについての最後の記憶は、あの晩で止まっているし、それからシゲとは今に至るまで会っていない。そしてあれからシゲがどうなったとかいう情報も、未だに僕の耳には届いてきていない。もしかしたらあの日シゲは本当に悪魔に連れ去られてしまったのではないか。もちろんあり得ない話なのだが、どうも否定しきれない自分がいる。

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