ヒョウタンメン

増田朋美

ヒョウタンメン

ヒョウタンメン

11月というのに暖かい日だった。なんだかもうすぐ、冬がやってくるというのに、いずれも暖かくて、雲一つない青空という表現がぴったりなほど晴れていた。こんな日は、現実から離れてどこか外へ行ってみたいと思われる日であるが、今年はなかなか外へ出るのも難しいなと思われるのであった。それでも駅の回りや、商店街の中では、おしゃれをした人たちが、楽しそうに歩き回っている。其れを、偉い人たちは、ある人は危機意識がないといい、又ある人は、経済のためだから仕方ないというが、いずれにしても、この出かけるとか休むという行為に、善悪をつけて論議した時代は、今年が初めてだと思う。

ある日、富士市内でピアノ教室をやっていた、桂浩二は、弟子の女性、小田品子から、こんな相談を持ち掛けられていた。

「ああ、ピアノ線が切れたんですか。どこの音が着れたのか、教えてもらえないでしょうか?」

「はい、二オクターブ上のラの音なんです。」

弟子の小田品子は、そういうことを言った。

「ああ、そうですか。確かに、高音はよく切れます。それにしても、ピアノ線を切ったということですから、相当に練習されたんでしょうな。」

浩二は、とりあえず彼女をほめてやろうとおもった。

「悪いことじゃありません。ピアノ線を切るということは、良く練習した証拠です。」

「そうなんですけどね。これから、どうしたらいいでしょうか。コンクールまであと一週間しかありませんし。最寄りの楽器屋へたのんでみましたが、対応しきれない、ピアノメーカーだと言われて、修理をしてくれなくて、困っております。」

確かに、ピアノメーカーは、星の数ほどある。中には、地元の楽器屋では、対応しきれないピアノメーカーもあるだろう。そういうものが、今は手軽に安く手に入る時代である。

「何処かでピアノを貸してもらおうと思ったんですが、みんなネット予約になってしまっていましてね。電話して予約をとろうと思ったら、電話ではなくて、ネットで予約しないとだめだって、断られてしまいました。今は、電話さえも、してはいけない時代なんですかね。」

「まあできるだけ話はしないようにと、政府が奨励していますからね。」

と、浩二は相槌を打ったが、品子の話に、自分も内心は困っているのだった。

「でもですね、こういうことは、いつでも起こりうることですからね。何処かでうまく、ピアノ線を張り替えてくれるところを探さなきゃ。こういう時は、ネットで調べるのが、手っ取り早いんですけどね。」

と、浩二は言うが、品子はインターネットが使えない人であった。なぜか、パソコンというものを使ってはいけないと言われているというのだ。偉い人に良くある話しだが、パソコンやインターネットを使えないという人もたまに見かける。偉い人はそれで通ってしまうのではあるが、一般のひとであると、そうはいかない。いじめや嫌がらせの原因になる事もあるし、ひどい時には、犯罪の原因になることもある。この品子さんの家族は、スマートフォンというものを嫌っている人物が家族におり、その人が大変な権力を持っているため、スマートフォンを持つことができないというのだ。

「この機会に、スマートフォンを持ってみてはいかがですか?」

浩二は、彼女に対してそういうことを言った。

「そうですね、、、。」

彼女は考え込む。

「そうなると、うちの家族の対立が、もっとひどくなると思いますので。」

そうなると、むりかと浩二は思った。

「品子さんのご家族って、どんな人なんですか。」

彼女が、思い詰めている様子だったので、浩二はそう聞いてみる。

「ええ、考えが古いと言いますか、なんでも新しいものがとにかく嫌いで、かといって日本の伝統も嫌い。働いて働いて働いて、食べるものは自分で作って、なんでも自分で調達して、なんでも親戚とかそういうひとに頼って、専門家には絶対頼らないことを美意識にしている人です。」

浩二は、何だかそういう存在こそ、時代の流れを止めてしまう、いやな存在何だろうなと思った。

「とにかく、働いて働いて働いて、自分たちの生活をするのがすべてのような人たちです。他人に頼るのは、絶対の悪事。そして、労働者なんだから、高尚な文化に触れる必要はないと思い込んでいる人たちです。そんな時代、当の昔に終わったのにね。」

品子さんは、もしかしたら、遅い年代の家庭に生まれた子供なのかと思った。そういうことを平気で

するのなら、まだ昔の感覚を残している、家族なのだろう。

「それでは、ピアノの絃を張り替えてもらうということは、理解してもらえないんですかね。」

と、浩二が言うと、品子はすみませんという顔をして頷くのであった。

「そうですか。わかりました。でも、品子さんにとって、ピアノは必要なことですし、それをいままでやっていたおかげで家の平和が保てたのだから、これからも必要なので、直してもらわなければならないと言ってもダメでしょうかね。それに、コンクールだって後一週間あるんだし。其れを言っても、まだ理解してもらえないでしょうか?」

「私、コンクールの事、家族に話してないんですよ。」

と、品子は、又申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい、何度も話そうとは思いました。でも、そのたびに、お金のことで母と祖父がトラブルになっているのを目撃してるから、やっぱり隠した方が良いって思って言いませんでした。コンクールの当日は、友達と一緒に出掛けるんだと家族に言ってあります。」

「そうですか。」

浩二はそういうが、そういうひとは、もしかしたら、音楽という学問には向かないのではないかと思った。でも、品子は、その家族といるつらさを紛らわせたくて、ピアノを壊れるまで練習したのだろうということを考えると、それを口にするのはためらった。そういう風に嫌なことを忘れたくて、ピアノをやるという人間は多い。ただ、そういう人間は、成功する確立は極めて低い。でも、ピアノに対する思いは人一倍ある事が多いのである。

「じゃあ、コンクールへの出場も、」

「ええ、申し訳ないですけど、取り消してください。私は、あの家で確かに一人ぼっちですけれども、今は、働くこともできないし、あの家にいなければ、私は自殺するしかなくなってしまう。思い切って家を出ていこうと考えたこともあったけど、どこにも行くところがない。だから、あの家にいるしかないんです。新しい文化をことごとく恨み続ける家族のところに。」

と、品子は涙をこぼしながらそういうことを言った。浩二は、品子が、自殺しようと思っていると言わないところだけましかと思った。いくら、何もしないと言っても、品子は活きていこうとしている

所は、ほめた方が良いと思う。

「分かりました。分かりましたよ。確かに、あなたは、ピアノをやるのに適した家庭というわけではありません。やっぱり、音楽は家族全員の理解を得ないとね。其れをちゃんとしてからやり始めないと、精神を病む原因にもなりますし。」

とりあえず、一般的なことを浩二は言う。

「ありがとうございました。私も、正しい生き方をするために、スーパーのレジ打ちとか、そういうアルバイトを探して、、、。」

泣きながらそういう彼女であったが、浩二は、品子が社会に出て働くには一寸無理があると思っていた。実は彼女が浩二のピアノ教室に入門してきたのは、単に彼女がピアノをやりたいと言ってきたからだけではない。彼女が、一寸したことですぐ起こるとか、逆に過敏すぎておかしなことを言うとか、そういう言動が目立ったために、彼女の母親が、彼女を影浦の影浦医院へ連れてきたのだった。その時、影浦が、物理的に居場所があった方が良いといって、浩二のピアノ教室を紹介したのである。そういういきさつもあったから、浩二は彼女に自分なりの丁寧な指導を心がけたつもりだった。彼女がやりたいと思った曲であれば、多少難易度が高くても、指導によって弾けるようにさせてやること。其れを、浩二は彼女に対する愛情だと思っていた。でも、それをあだで返されてしまったような気がする。かえって彼女はピアノに熱中しすぎて、ピアノ線を切る羽目になったのだから。

「おじいさまは、まだ、あなたのことを認めていないというか、理解していないのですかね。」

と、浩二は、品子に聞いてみた。

「ええ、耳がさらに遠くなって、最近は筆談帳を使う日々です。でも、本人は絶対自分から筆談帳を使おうとはしませんし、依然として自分がただしい、自分のしたことは間違っていない、と言い張っています。それに働いていない人間は、死んでしまえという気持ちを少なからず持っていて、私に対して死ねと言いたげな態度で接しています。」

と、品子は答える。品子の答えがどこまで真実なのか浩二は知らない。でも、品子の言う通りなのだろう。品子の祖父は、まだ、自分のしていることが時代錯誤なのだとわかっていないというか、わかろうとしないところがあるのだ。其れを心が病んでいる彼女は、働いていない人間は死んでしまえという言葉で表現しているのだ。

「そうですか。それで、お母さまは?」

「ええ、母は一生懸命祖父に勝とうとしています。祖父のいうことに、今の時代は違うんだということを一生懸命アピールしています。でも、母はまだ祖父の言う通りにしないと、生きていけません。」

確かに、品子の母は、祖父から借金をしているということは、品子本人から聞いている。

「じゃあ、お父様はどうしているんですかね?」

浩二がそう聞くと、

「父は、そうですね。いないんです。だって、母と祖父が喧嘩をしているときも、父は仕事に行ってしまっているし、祖父が怒鳴れば、その通りにしてしまいますし。」

と、答える。祖父を変えることはできないのであれば、父が彼女の味方になって男同士で喧嘩をしてもいいのではないかと思うのだが、もしかしたら世間体とか、評価を気にして、ガチンコバトルをしてしまうということはできないのだろうと、浩二は思った。

しかし、そうなると、家にも外にも彼女の居場所はなくなってしまう。大体精神を病んでしまうひとというのは、学校でも家庭でも恵まれないというひとが多いのだ。例えば、学校でいじめを受けていても、家の人たちが味方になってくれれば精神を病むことはしない。そうではなくて、外でも家でも居場所がなく、自分で答えを出すことを強いられる人が病む可能性が高いのである。それをさせないように、影浦先生は、品子にピアノを習わせたのだろうが、たぶん、品子は、父母にはそれを理解してもらっているが、祖父には嫌味を言われているに違いなかった。言われていなくても、態度で示されて、品子がそう感じ取っているのかもしれない。

「そうですか。それでは、品子さんが外へ出て活動する場所が、なくなってしまいますね。まるでおじいさまが、ひょうたんめんみたいですね。あの、種子島に伝わる話で、ひとの持ち物を盗って食べてしまうという妖怪。」

浩二は品子の気持ちを和らげてもらうように、そういう話をした。確かに、ヒョウタンメンというヒョウタンの形をした化け物が出るという話は、種子島に伝わっているというのは、聞いたことが在る。似た話に牛方と山姥の話があるが、ヒョウタンメンにしろ、牛方と山姥の話にしろ、筋立ては勝手に人間の持ち物を奪って食べてしまう恐ろしいものだが、結局人間に筋を通して焼き殺されるという結末で終わるようになっている。

「先生、そんなのと一緒にしないでください。あたしの話は童話じゃなくて、現実なんですから。」

と、品子はそういうことを言うが、浩二は彼女を励まそうと、

「でも、ヒョウタンメンも、最後は風呂に入って焼き殺されるじゃないですか。だから、大丈夫ですよ。そのうち、そういう風になれると思いますから、又変わるのを待って。」

と、彼女に言った。

「そんなこと、出来るわけないじゃないですか。私が、殺人を犯すなんて。」

という彼女に、浩二は、そういうたとえ方でも彼女に通じないのかと一寸ため息をつく。影浦からの命令で、浩二はレッスンをしながら、何回も彼女におなじセリフを言っているのだ。きっといつか必ず変わるときが来るから、まつことだって、立派な希望なんだと。でも、彼女はそれを考えることはできないんだと思う。其れをできるようになるほど、彼女は回復していない。つまり、現実的に励ましても、非現実的に励ましても、彼女を前向きにさせることはできないということだ。

「もしかしたら、そういう風に殺人を犯してしまう人もいるかもしれません。でも、私は、それがいけないことであるのは知っています。それに、私が私の道を行けば、祖父がお母さんに迷惑かけるなとか、そういうことを言いますし。私は私で、自分の意志を伝えるのがまだできない。だから、もうピアノをやめるしかないんです。結局私なんて、何も生きる道はないし、いないほうが、みんな幸せになれるんですよ。だって、其れという友達もいないし、親しい間柄の人もいない。」

まさかと思うのだが、彼女はこのままでは本当に自殺をしてしまうのではないかと、浩二は思った。

「物質的には、いいんですよ。衣食住には不自由してない。でも、私は自立していないから、もう死んだようにしか生きる方法もないし。誰かに相談しても、なに甘えてるんだしか言われないし、でも、私は、どうやって生きたらいいのか、正直わかりません。何かすれば、家庭争議の原因になるし、何もしなかったら、近所のひとから、親にいつまでも甘えるなというでしょう。だから、もうそうするしかないんですよ。」

「ちょっと待って!」

と、浩二は、泣き始めた彼女をそういってやめさせた。このまま泣かせると、本当に、ヒョウタンめんに食べられてしまうのではないかと思った。

「ちょっと待ってくださいよ。あなたは今、この世界で本当に一人ぼっちだと思い込んでいるようですが、僕はどうなるんですか。僕は、あなたに生きていてほしいから、一生懸命ピアノを教えてきたんですよ。其れも全部無駄になってしまうんですかね。」

「でも、あたしは、音楽で生きていく事もできないし。」

品子はすぐそういうことを言ったが、

「そうかもしれないですけど、僕は、あなたの味方として、一生懸命やってきたつもりなんですよ。あなたがヒョウタンメンのもとで暮らしてることはちゃんと知っているから、うちの教室へ来たときは、それを忘れてほしいなと思って。」

と、浩二は、自分も泣きそうになっていった。こんな裏切られ方は、コンクールで負けてピアノ教室をやめるとかそういう理由よりも、もっとつらいものがあると思うのであった。そうではなくて、ヒョウタンメンとか山姥とか、そういう敵に立ち向かってほしいと浩二は思うのである。男性は意外にそういうことはできるものであるが、女性はなかなかそういうことは難しいなあと、浩二は感じることが在った。

「それをあなたが、そうやってもういらないなんて言うのは、寂しいというか、悲しすぎますよ。僕もここにいるってことを、もうちょっと、しっかり感じ取ってもらいたいです。」

「それでも、もうピアノも壊れてしまいました。練習ができません。だってピアノ線を張り替えるのに、大金がかかると、又祖父が大きな声で怒鳴ります。お金がうちにないのに、何で金持ちがすることを、マネするんだって。そして、母は泣きます。祖父に怒鳴られて、母は勝てる人ではありませんから。」

浩二は、そういう彼女の話を聞いて、余計に彼女がかわいそうになった。そんなことを、するために人間生きているわけじゃない。人間は何か役割があって、それをするために生きているという性善説を浩二は信じたかった。誰でも居場所というものを持ってもいいはずだ。其れを、手に入れることは、悪いことではないと思う。家の平和のために、若い人がただいるだけの存在になってしまっては、其れこそ大問題である。

「私は、黙って耐えるしか方法はないんです。其れしか、今の私は、出来ることはないんですよ。」

そういう彼女に、浩二は、こういう時こそ、話しをした方が良いと思った。

「其れでもですね。黙って耐えることがすべてではないと思うんですよ。だれだって、行くところがあっていいはずです。ただ、上の人の付属品というわけにはいかないと思うんですね。」

「でも私には、居場所がないし、そこへいく手段も!」

彼女がちょっと声を荒げてそういうと、

「怒らないで最後まで聞いてください。なんでも家で姿を隠していることが、良いことではありません。僕の師匠のピアノを使ったらどうですか。多分、師匠の所だったら、長時間練習してもいいと思うんですよ。」

と、浩二は、彼女をなだめるように言った。

「師匠ですか?先生に師匠が?」

彼女はぽかんとした顔をしている。

「当たり前ですよ。僕だって、いきなりこういう仕事をしているわけじゃないですよ。ちゃんと師匠がいて、今の僕があります。その人なら、ピアノを貸してくれるかもしれないから、一寸連絡してみましょうか。」

浩二はそういって、スマートフォンをとった。そして急いで製鉄所の電話番号を回した。

「はいはい。もしもし。」

出たのは杉ちゃんだった。

「あの、杉ちゃん。お願いなんですけどね。ある女性が、コンクール前にピアノを壊してしまったというので、修理が終わるまでの間、水穂さんのピアノを借りて練習させてやってもよろしいでしょうかね。」

と、浩二は、思い切って用件を言ってしまった。すると、杉ちゃんも杉ちゃんで、何か思惑があったのだろうか。すぐに、

「ああ、いいよ。水穂さんも、お前さんがそうやって定期的にやってくるようになったら、もしかしたらご飯を食べてくれるようになるかもしれんしな。」

といった。つまり、水穂さんは、まだよくないのかと浩二は思ったが、自身はピアノレッスンもあるし、ほかに、ピアノを貸してくれるところを知っているわけではないので、

「ありがとうございます。じゃあ、お願いしてもいいでしょうか。」

というと、杉ちゃんは、

「いいよ、いつでも来いや。」

とカラカラと笑った。

「ありがとうございます。それでいつから、お貸ししてくれますかね?」

浩二が聞くと、

「ああ、一寸掃除したりもするからさあ。明日の午後に来てよ。」

と、杉ちゃんはすんなり答えてしまった。

「あ、ありがとうございます。じゃあ、明日の一時ころ行きますよ。ほんとに、急なお願いしてしまって、申し訳ないですね。」

浩二がそういうと、

「いいんだよ。こっちだって、いつまでも同じことを繰り返しているわけにはいかないし、何か変わるきっかけになってくれれば、それでいいでしょ。」

と、杉ちゃんは言うのだった。そういうことなら、水穂さんも何か変わってくれることを望んでいるのだろうと思った浩二は、杉ちゃんのいうことに従うことにした。

その間にも、お天気は変わらず、雲一つない青空を続けているのだった。


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ヒョウタンメン 増田朋美 @masubuchi4996

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