夢物語

くーよん

【童話】夢物語

1. 

昔々、ある村にみなしごの兄妹がおりました。 

兄はハンス、妹はアンと言い、親の居ないその兄妹は、 

助け合って仲良く暮らしておりました。 

 

ある年の事でした。 

夏から続くひどい寒さで、村で育てていた作物は枯れ、 

冬にはとうとう食べるものがほとんどなくなってしまいました。 

 

村長は言います。 

「働けないものに分けられるほどの余裕はない 

 殺すのはかわいそうだが、親の居ないあの二人なら 

 悲しむものも少ないだろう」 

 

それを聞いたハンスは、その日の夜、 

こっそりとアンの手を引いて、村から逃げ出しました。 

 

冬の森は月が出ていてもなお暗く、冷たい風景でした。 

薄い靴底を通して、凍った地面が足を冷やします。 

着古して薄くなった服では、凍える寒さを防げません。 

 

「お兄ちゃん、寒いよ」 

「ほらアン、これを着るといいよ」 

ハンスは、自分の上着をアンの肩にかけてあげました。 

これでもう、ハンスには羽織るものが無くなりました。 

 

「お兄ちゃん、お腹空いたよ」 

「ほらアン、これをお食べ」 

ハンスは、ポケットの中に最後に残っていたパンのかけらをアンにあげました。 

これでもう、2人が食べるものは無くなってしまいました。 

 

「お兄ちゃん、村に帰ろうよ」 

「いいかいアン、村にはもういられないんだ」 

ハンスは、自分達が殺されてしまいそうなことを、アンには言えません。 

 

「お兄ちゃん、もう疲れたよ、村に帰ろうよ」 

真夜中の森の中、またアンは言います。 

ハンスはまたアンをなだめますが、疲れ果てたアンはぐずります。 

そのうち、ハンスも空腹と疲れでイライラしてしまい、 

「アン、わがまま言うんじゃない!」 

ハンスは思わずアンを叱ってしまいました。 

 

アンは、ハンスの大声を聞くのが初めてで、思わず目を丸くします。 

その顔を見て、ハンスは慌てて謝りましたが、 

「お兄ちゃんなんて大っ嫌い!」 

アンは泣き出して、ハンスの手を振り払って村に帰ろうとしました。 

 

その時でした。 

 

がらがらがら! 

足元が崩れ、アンが悲鳴を上げました。 

暗い森の中で2人は、すぐそばが崖だと気づいていなかったのです。 

「アン!」 

咄嗟にハンスはアンの手を掴み、何とか助けようとします。 

「お兄ちゃん、助けて!」 

アンが震えた声で叫びますが、 

しかし、ハンスの力ではアンを引き上げられません。 

 

「ああ、ごめんよアン、僕が連れ出したばっかりに」 

ハンスも必死でアンの手を握りしめます。 

それでも、お腹を減らした子供の力では、 

段々と手が震えて、抜けてしまいそうになります。 

 

ハンスは思わず泣き出してしまいます。 

「ああ、神様。なんで僕達には、 

 助けてくれるお父さんやお母さんがいないんですか」 

力が抜けそうな手はだんだん痛くなり、このままでは自分も落ちてしまう。 

手を離せば自分は助かるぞ。ハンスに悪魔がささやきます。 

 

しかし、 

「お兄ちゃん、怖いよ。助けて」 

アンも涙を流しながら必死にハンスの手にしがみ付きます。 

それを見て、ハンスはぐっと涙を飲みこみました。 

 

「お父さんもお母さんもいないなら、僕が妹を守らなくちゃ」 

そして、アンに優しく言いました。 

「アン、大丈夫。兄ちゃんはどこまでも一緒に居てやるよ」 

ハンスは崖に飛び出し、アンを抱きしめました。 

アンはハンスにしがみ付き、悲鳴を上げます。 

「神様、どうかアンだけは助けて下さい。 

 世界でたった1人の、大事な家族なんです。お願いします。お願いします」 

 

そのまま2人は真っ暗な崖を転がり落ちていきました。 

 

 

2. 

ハンスは、体の痛みと、変なふわふわした感覚で目を覚ましました。 

目の前にはアンの寝顔がありました。 

「アン!大丈夫かい」 

声をかけ、揺り起こそうとしましたが体が動きません。 

見れば、自分の身体もアンの身体も、縄で縛られてしまっています。 

驚いて見回せば、そこが荷馬車の上であることが判ります。 

空には星々が輝いておりました。 

 

「おう、目が覚めたか」 

知らない男の声がしました。 

ハンスがそちらを見ると、手綱を握る男の後ろ姿がありました。 

「あなたは誰ですか?」 

「俺か?俺は人さらいさ。

 崖の下で気絶してるお前たちを見つけたから、捕まえたんだ」 

ハンスはそれを聞いて驚きました。 

 

「僕達を売るのか」 

「いいや、だが逃げようとは思うなよ。落ちたら死ぬからな」 

そう言って男は馬に鞭をくれました。 

すると馬は背中に生えた翼を広げていななきました。 

ガタンと荷馬車が揺れ、寝転がっていたハンスの身体が起き上がり、 

周りの景色が見えました。 

 

そこは、暗い森なんかではありませんでした。 

見下ろしたはるか下には、黒々とインクを流したような夜の森。 

大きな丸い月に浮かぶ山々、遠くに見えるのは街の明かりでしょうか。 

星々にも手が届くような空高くを、荷馬車は駆けておりました。 

 

思わず荷馬車に尻餅をついたハンスに男は笑います。 

「おとなしくしてれば傷つけるつもりもない。

 だがまあ、もう二度と元の場所には戻れないがな」 

「なんで僕達なんだ」 

ハンスは尋ねます。

「あんな時間に崖の下で気絶してるんだ、いなくなっても気づかれないだろうよ」 

「僕達のお父さんやお母さんがきっと来るぞ」 

そう言ってみましたが、その言葉が嘘なのは自分が一番よく知っていました。 

 

男はそれを見透かしたようにまた笑って言います。 

「親が子供を2人、夜の森を歩かせるわけがない 

 お前達は親無し子だろう、かわいそうに」 

その言葉にカッとなったハンスは、思わず男に殴りかかりました。 

しかし、あっさりとよけられて身体ごと荷馬車の縁にぶつかります。 

そしてそのまま、ハンスの身体は夜の空に飛び出してしまいました。 

 

冷たい空気の中で落ちていきながら、ハンスは叫びました。 

「お父さんやお母さんがいなくても、絶対僕がアンを助け出してやる!」 

遠く飛んでいく荷馬車を睨みながら、ハンスは空中で気を失いました。 

 

 

3. 

どしん! 

 

ハンスは柔らかい衝撃で目が覚めます。 

荷馬車の堅い床でも、森の凍った地面でもない暖かな感触に包まれています。 

「なんか温かい……ここは天国かな?」 

そう言って辺りを見回しますが、そこは森の中でした。 

真上を見れば、木々の隙間に自分が落ちてきた跡がぽっかり口を開けています。 

間違いなく空から落ちたはず、と自分の下を見たハンスは驚きました。 

それは大きな狼でした。 

空から落ちたハンスは、その狼を下敷きにして無事着地できたようです。 

 

「坊や、大丈夫かね」 

声をかけるのは、気を失った狼の前に尻餅をついていたお爺さんです。 

「助かったよ、この狼に食われるところで君が落ちてきてくれた 

 君はワシの命の恩人だ」 

目を回している狼を縛り上げながら、お爺さんはハンスに尋ねます。 

「ところで君は、なんで空から落ちてきたのだね?」 

「森で迷っていたら、人さらいに攫われて……」 

そこまで言いかけて、信じてもらえないかもしれないとためらいながら、 

「空飛ぶ荷馬車から落ちて、ここに来ました」 

ハンスはそう答えます。まるで夢物語のような話だと自分でも思いました。 

 

しかしお爺さんは長い髭を撫ぜながら頷きました。 

「それは大変だったね、君だけでも助かってよかった。 

 普通ならば、人さらいに攫われたが最後、家には戻れないからね」 

「僕の話を信じてくれるんですか?」 

ハンスは驚いて尋ねました。お爺さんは笑います。 

「実際に空から降ってきた命の恩人の事を疑いはしないよ」 

 

ハンスはその言葉に安心してから、続けて話します。 

「妹のアンがまだ捕まったままです、助けに行かなきゃ」 

お爺さんは眉を顰めます。 

「しかし、君もまた人さらいに捕まるかもしれないぞ」 

ハンスは荷馬車で見た人さらいの男の目を思い出して身震いします。 

それでも、こぶしを握り締めて言います。 

「僕はアンを助けたい。たった1人の家族だから」 

 

お爺さんは、ハンスをじっと見つめてしばらく考えてから頷きました。 

「分かった、命の恩人の願いだ。喜んで手伝おう。 

 もし人さらいが子供を売るなら、街に行くに違いない。 

 ワシも街に用事があるから一緒に行こうじゃないか」 

お爺さんは、ハンスの手を握りました。 

「有難うございます。僕はハンス。 

 街にはどんな用事があるんですか?」 

「ワシはサーカス団の団長だ。街のお祭りで興行があるのさ」 

 

そう言って、2人は街に向かいました。 

 

 

4. 

サーカスのテントに着いて、 

すぐに団長はハンスにピエロの服を着せ、化粧をほどこしました。 

「舞台からだと客席は良く見えるものだ 

 ワシの隣に立って客席をよく見まわせば、きっと見つかるだろうさ」 

そう言った団長に連れられて、ハンスはすぐにサーカスの舞台に上がりました。 

キラキラした服の団員や、馬や象、檻の中には立派なライオンまでいます。 

ハンスははじめてのサーカスの舞台に目を回しそうになりましたが、 

団長に声をかけられて、はっとなって観客席を見回しました。 

 

「居た、居た、アンが居た」 

観客席には人さらいの男と並んで座るアンの姿がありました。 

ハンスはピエロの格好のままでしたが、踊る団員に紛れてアンに近づきます。 

人さらいの男は化粧したハンスの顔が判らないようで、 

ハンスが目の前でおどけて見せても気にした様子もなく笑います。 

しかし、その隣のアンはハンスが何をしても人形の様にピクリとも動きません。 

 

団長にその事を伝えると、 

「魔法で操られてるみたいだな、凄く驚かせば解けるかもしれない」 

しかし、どうやって驚かせるか。そう言って首をひねりました。 

そこでハンスは団長から鞭を借りてライオンの檻に駆けだしました。 

「初めて見る動物が目の前に飛び出せばびっくりするだろう!」 

檻から出したライオンにまたがったハンスは、鞭でライオンを叩きました。 

驚いたライオンは大きく吠えて駆け出します。 

 

たてがみを握ったハンスはライオンを人さらいとアンの元に向かわせます。 

アンの前でもう一度ハンスがライオンを叩きますと、 

ライオンが大きな口を開け、がおお!と吠えました。 

びっくりしたアンは魔法が解け、目の前の大きなライオンに悲鳴を上げました。 

「アン!」 

ハンスが名前を呼んだのと同時でした。 

 

ぱくん! 

 

悲鳴に驚いたライオンは、吠えて大きく開けた口でそのまま、 

アンを頭から丸ごと食べてしまいました。 

 

 

5. 

ハンスは慌ててライオンの口をこじ開けますが、アンの姿は影も形もありません。

「アン!アン! ごめんよアン、僕は君を助けに来たのに!」

ハンスは泣きながらアンに謝りましたが、もうアンはライオンのお腹の中です。

団長はライオンを檻の中に閉じ込めてハンスに謝りましたが、どうにもなりません。

そこで、人さらいの男が口を開きます。

「せっかく捕まえた子供が死んでしまった、どうしてくれるんだ」

「僕のせいだ、僕がライオンで驚かせようとなんてしたから」

ハンスはまた泣き出してしまいました。


そんなハンスに、人さらいの男は言います。

「坊主、妹を助けたいか」

「僕はアンを助けたい、でももうアンは食べられてしまった」

「助ける方法が一つある。時間をさかのぼればいいんだ、

 ライオンに食われる前まで。

 来い、坊主。魔法使いに会わせてやる」

そう言って人さらいの男はハンスの手を引いてサーカスのテントを出ていきます。


着いたのは、魔法使いの小屋でした。

小屋に入ると腰の曲がった老婆が二人を迎えます。

「魔法使いよ、この子も時をさかのぼる魔法を頼みに来た」

人さらいがそういうと、魔法使いは頷きます。

「時をさかのぼるには、代償が必要だよ」

「何でもします!妹を助けられるなら」

ハンスは大きな声で言いました。


「何でもと言ったね、では、生贄を用意するんだ」

「生贄?」

「そう、魔法一回使うには、人の魂が一つ必要なのだよ」

「そんな!」

ハンスが悲鳴を上げます。そんなハンスに男は言います。

「大事な妹を生き返らせたいんだろう」

「でも、人を殺すなんてできないよ」

「大丈夫だ、俺が手伝ってやる」

「でも、そんなこと」

ハンスは真っ青になりましたが、

そんなハンスの肩に手を置いて、男は言います。

「妹の顔を思い出せ、また会いたいだろう。

 声が聞きたいだろう、手を繋ぎたいだろう

 わかるよ、俺にも会いたい人がいる。俺も一緒に殺してやるから、さあ」

ハンスは何度も断りましたが、アンの泣き顔と悲鳴を思い出すうちに、

男に言いくるめられてしまいました。


魔法使いは言います。

「ちょうど、この小屋を出てしばらく行ったところに、

 道に迷った子供が2人歩いている

 早くしないといなくなってしまうよ。さあ、さあ、行きなされ」

男に手を引かれ、ハンスは小屋を出ていきました。



6.

暗い夜道を、ハンスは男に手を引かれながら歩いていきました。

すると、向かう先には魔法使いの言うとおり、2人の子供の姿が見えました。

「崖の前にいる。後ろから押せばそれで終わりだ」

男はそう言って身をかがめてそっと近づいていきます。

ハンスはついていきながらも、そんな事はいけないと叫びたくなります。

しかし、大事な妹であるアンの笑顔を思い出すたび、

自分の心を押し込めて、崖を見下ろしてる子供たちの後ろに近づいていきます。


「一緒に押すぞ」

男が言い、小さな声で合図します、

「1、2の……3っ!」


どんっ


声とともに飛び出した2人は、子供の背中を崖の下に押してしまいました。

落ちていく子供たちを見送って、ハンスは真っ青になって震えます。

押してしまった自分の手に残る背中の感触を誤魔化すように、

ハンスは両手をごしごしとこすり合わせました。


「崖の下に行こう、あの二人がどうなったかを確かめるぞ」

男はそう言って先に立って歩きます。

「本当に、こんなことをしていいのかな」

ハンスはそう言いましたが、男は答えません。

男が崖の下に行きハンスを呼ぶまで、

ハンスは震える足を動かすことができませんでした。


やっとのことでハンスが崖の下に降りますと、

男が子供2人の様子を確かめていました。

どうやら子供達は気絶しているようで、ピクリとも動きません。

「この子たちを魔法使いのところに連れていけば、

 時間をさかのぼる魔法を使ってもらえる」

男はそう言って縄を取り出し、ハンスに手伝えと声を掛けます。

その縄の端を握ったところで、ハンスは気付きました。

子供たちは、気絶してもお互いの手を放しておりませんでした。


ハンスは、自分達が崖から落ちた時のことを思い出しました。

アンが崖から落ちた時に、助けようとして自分も一緒に落ちたこと。

たった一人の家族であるアンを、自分が死んでも助けたいと思ったこと。


「……やっぱりできない」

ハンスはそう言って縄を手放します。

ハンスを見る男に向かって、ハンスは泣きながら言います。

「僕はアンを助けたい。でも、この2人だってきっと、

 僕達と同じくらいに、お互いに生きててほしいって思うはずだよ」

「それでも、殺さなければお前も俺も、時間をさかのぼることはできない」

ハンスを脅すように低い声でいう男に、ハンスは首を振ってこたえます。

「僕の命を、あなたにあげる。僕は、アンのたった一人の家族だから

 アンが待ってる天国に、僕も一緒に行ってあげなきゃ」

ハンスは、崖から落ちる前にアンに言った言葉を思い出しました。

『「アン、大丈夫。兄ちゃんはどこまでも一緒に居てやるよ」』


男はその言葉を聞いて、目を丸くして黙りました。

そして、「そうか」と一言だけ言って、気絶した子供達に自分の外套をかけ、

ハンスの手を握れば、魔法使いの小屋に戻っていきました。



7.

「おや、子供2人はどうしたのじゃね?」

魔法使いに尋ねられ、ハンスは首を振りました。

「なら、魔法は使えないのう」

「僕の命を使ってください」

ハンスは躊躇いなくそう言いました。

魔法使いはしばらく黙ってから、優しい声で言いました。

「本当に良いんだね」

「はい、……アンは、僕が自分の為に人殺しをしたと知ったら、悲しむだろうから」

そう言って振り返り、ハンスは男の前に膝をつき、男に微笑みかけます。

「元々、村を出た僕とアンは、崖から落ちなくても寒さと空腹で死んでた

 だからせめて、誰かの役に立つのなら」

そう言ってハンスは目をつぶりました。

男はそんなハンスの姿を見つめながらナイフを取り出し、振り上げました。


……しかし、どれだけハンスが待っても、ナイフは降ってきません。

気付けば男の目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれていました。

男は、真っ青になって震えながらも、ぎゅっと目を閉じて待つハンスに、

ナイフを振り下ろすことができませんでした。

「坊主、すまない」

そう言った男は、振り上げたナイフをそのまま、自分の胸につきたてました。


低くうめきながら男が倒れる音に、ハンスは驚いて目を開きます。

真っ赤な血を流しながらナイフを手放した男に、ハンスは縋り付き、

なんで、と問いかけました。


「俺は、愛する恋人がいたが、事故で失った

 魔法で時間をさかのぼって、彼女を救いたかった

 だから、お前達を見つけたときは、お前達を犠牲にしてでも

 魔法に頼ろうとしたんだ」

「なら、なおさら僕を殺して魔法を使うべきだったじゃないか」

ハンスはそう言って、男の血を止めようと胸に手を当てます。

しかし、ナイフの刺さった胸からはとめどもなく血が流れていきます。

「でも、お前が言ったじゃないか

  『自分の為に人殺しをしたと知ったら、悲しむだろうから』って

 そうだ、そうだった、彼女もきっと、

 俺が子供を犠牲にして助けたと知ったら、悲しむ」

男は、ハンスの顔を血で汚れた手で優しく撫でました。

もう見えない目で、男は泣きました。


「お前のような優しい子供を、俺は殺せない

 殺したらきっと、ずっと後悔し続ける すまない、ごめんな

 ……俺が死んだら、俺の命を使って、妹さんを助けてやりな」

ハンスは男の手を取りながら、一緒になって泣きました。

大事な人の為に必死になっていたのは、自分も、男も、

一緒だったのだと分かったのです。

「彼女と、お前のように優しい子供と、家族になりたかったなぁ」

男はそう言って、息を引き取りました。


死んだ男の前で泣くハンスに、魔法使いが話しかけます。

「男の魂を使って、魔法を使う事ができるよ

 さあ、どれくらいまでさかのぼるんだい

 お前と妹が崖から落ちる前までかい?」

ハンスは涙をぬぐって、それから首を振ります。

驚いた顔をする魔法使いに、ハンスは答えました。

「それよりもずっとずっと前まで

 この人と恋人が、事故で別れてしまう前まで」

その答えに、魔法使いはまた、優しい声で尋ねます。

「本当にいいんだね」

「はい、お願いします」


頷いたハンスの頭を魔法使いは優しく撫で、魔法の言葉を唱えました。

その声が遠のき、意識が薄れていくのを感じながらハンスは願いました。

どうか、あの優しい男が恋人を助けることができますように、と。


どうか、どうか……。

ハンスの意識は、そこで途絶えました。



8.

ハンスが目を覚ますと、そこは暗い森の中でした。

痛む体を堪えながら起き上がると、隣にはアンが眠っていました。

「アン、アン!大丈夫かい、アン」

慌ててハンスがアンを揺すりますと、アンは目を開き、辺りを見回しました。

「お兄ちゃん?……あれ、私達、崖から落ちたのに……」

「アン!! 良かった!」

ハンスはアンを抱きしめました。ハンスの様子に驚いたアンですが、

すぐに抱きしめ返します。

アンの名を呼びながら泣くハンスに、アンもつられて涙をこぼします。

アンは、ハンスが自分の為に一緒に崖から落ちたことを思い出しました。

「お兄ちゃん、ごめんね 大嫌いなんて言ってごめんね。助けてくれてありがとう」

「ううん、アンが無事ならそれでいい。生きててくれたなら僕はそれで嬉しい」

ハンスはそう言ってにっこりと笑います。


……でも、ハンスは首をかしげました。

自分はあの男の過去まで戻るようにお願いしたはずなのに、と。


しかし、少なくとも今、アンが生きて目の前にいる事は間違いがないと、

ハンスは立ち上がってアンに言います。

「アン、これから2人で頑張って生きていこうね

 この世でたった2人の家族なんだから」

そう言ったハンスを、不思議そうな顔でアンは見上げます。

「お兄ちゃん、何を言ってるの?」

「アンこそ、何を……」


そう言って2人が首を傾げたところで、声が聞こえてきました。

ハンスとアンの名前を呼ぶその声に、ハンスは聞き覚えがありました。

「人さらいの男だ! アン、隠れよう!」

そう言ってアンの手を引こうとすると、アンは嬉しそうに声を上げました。

「お父さん!」


ハンスが目を丸くしていると、アンは声を上げます。

「お父さん! こっちこっち! お兄ちゃんも一緒だよ!」

「ハンス! アン!」

ランタンを掲げながら茂みをかけ分けて顔を出したのは、人さらいの男でした。

目の前で死んだはずの男が現れたことにハンスは驚きましたが、

男は、そんな様子にかまわず、ハンスとアンを抱きしめました。


「ああ、無事で良かった。オオカミにでも食われてやしないかと心配だったんだ」

「家出なんてして、ごめんなさいお父さん」

アンは笑顔で男に抱き着きます。

「良いさ、可愛いわが子が無事ならそれでいい」

優しく笑いながらアンを撫でて、男は立ち上がりました。


「さあ、家へ帰ろう。母さんが温かいスープを作って待ってるぞ」

「やったあ、私、お母さんの作るスープ大好き! お兄ちゃん、帰ろう!」

アンが元気よく頷き、ハンスの手を握りました。

そんな2人を見て、ハンスは気付きました。

過去が変わったことを。


「……お兄ちゃん? なんで泣いてるの、どこか痛いの?」

ハンスの様子に気づいたアンが心配そうに尋ねます。

ハンスは首を振って、涙をぬぐいました。

「ううん、……ちょっと、夢を見ていたみたいだ

 アン、帰ろう、僕達の家に」

そう言ったハンスの頭を男が優しく撫で、ハンスに自分の上着をかけてあげました。

温かさに包まれたハンスが微笑み、ハンスは男と手を繋ぎます。

「迎えに来てくれてありがとう ……お父さん」


3人は、夜の森を歩いていきました。

家族4人で暮らす、温かい家にむかって。



めでたしめでしたし。

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